卯年に願う

2010年12月31日 | 季節(冬)
(雪深い長楽寺、鐘つき堂から薬師本堂に進んで手を合わせます)


今日は夜明け前から降り始めたのでしょう、カーテン開けて外を見ると、真っ白けの一面雪景色、結構積もっています大雪模様、ヒュンヒュン音たて猛烈な、吹雪がアトムのノボリをバタつかせ、雪がビュンビュン舞ってます。
今日も街の電気屋元気よく、店を開けて商売します。そうです年末31日だって、次々ご用を済ませるために順路に従い走ります。
今年はちょっと遅くなる、長楽寺への年末のお参りしなくちゃなりません。わが菩提寺・長楽寺はちょっと小高い山の中、その為石段どんどんと登っていきます高いです。
今日は雪です深いです。長靴いっぱい雪踏みしめて延々延々登ります。
山門前の石段なんか、石段の形も全く分からぬくらいに雪盛り上がりズボッと長靴雪の中、山門くぐって見えるは正面庫裏の屋根、「ドドドッ~」と急斜な屋根から雪崩です。
鐘つき堂からまた石段を、登った本堂がご本尊、薬師如来の薬師堂、又々雪をかき分け踏みしめて、私が一番乗りです雪深い、長靴の中は雪まみれ、チャリンと賽銭投げますね。
一昨年も去年もですね、今年も同じ500円玉を賽銭箱に投げますね。
去年の今日も願います。商売のことや家庭のことも、それより寅年今年のことを、「寅年に願う」と書いて国のこと、次のように願います。

『来年は寅年、易経の頤卦に出てまいります。
「虎視眈眈(こしたんたん)たり、其(そ)の欲(よく)逐逐(ちくちく)たり。咎(とが)無(な)し。」です。
虎視眈眈(こしたんたん)とは、虎がギョロリと目をぎらつかせ、獲物を狙っているように、それぞれの国は其の国益(欲)をたぎらせている、そういう世界が普通であり、そうすれば咎(とが)無し、すなわち国を誤らせない、過ちはないと云っているのです。
岡田外相がロシアに、小沢幹事長が中国に、鳩山総理がアメリカに、いくら「愛」で向かってもダメですよ。
虎のぎらつく目のように、虎視眈眈(こしたんたん)こそが外交の鉄則、為政者は虎視眈々と全方位に目を凝らし、外交に全精力を傾ける、相手も虎視眈眈(こしたんたん)で来るのです。ただそれだけを一生懸命願います。』と書きました。

ところがどうですかこの一年間、もう何とも云えぬ情けない、国が滅びる淵覗くぞっとするよな年でした。
来年は卯年です。
「二兎を追うものは一兎をも得ず 」と云いますが、何一つ出来もしない癖にですよ、あれもしてやるこれもする、「国民の生活が第一」なんて、三兎も四兎も追いかけるような甘言に釣られて民主党、わやな事をしてくれましたね一年半も、もうコリゴリですね民主党、自民党だって、みんなの党だって、全部だめですいけません。
来年卯年、ウサギ年、「兎の耳をそばだて」世界を見つめ、「脱兎(だっと)の如く」能動的に、自ら打ってい出て国をです、まとめてしっかり導く政党欲しいです。
「本当の日本人の、日本人のための政党」を、一から作り直して欲しいです。
それが卯年の願いです。

《寅はゆく 兎に託す 願いかけ》
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今日は三十日(みそか)

2010年12月30日 | 季節(冬)
(五日前、ふるさと但馬の山々に、日本海より雪が舞います来日岳)


「防災無線がピーピー鳴り続ける~、どないかして~」と電話です。
いつものことですTさん宅へ、すっ飛んで行きます電池を持って、『ハイッ、この電池がなくなってたからよ、取り替えたらピーピー云わんでしょ、直ったよ』と説明します。
80を越したTさんは、働き者で元気矍鑠(かくしゃく)生き生きと、体の不自由なご主人助けて男勝りのばあちゃんですね。
「電池はなんぼ払わしてもらおうかね、一緒に持ってきてもらったクリームクレンザー2本は只かえ」とニコニコニコニコ尋ねます。
『電池4本で〇〇円、クレンザーはコメリで買ってきたんよ、一本85円』、「年末の忙しい時に、たった〇〇円の配達すまんね、うちの若いもんはひとつもしてくれへんのに、アトムさんはすぐ飛んできてくれて、たったこれだけのことを」、
「これはコメリに売ってるの?、85円でええかえ、電池代と170円ぽっちのそれだけじゃあ~、手間賃も出んがね気の毒に」とおっしゃいますね。
『いいよいいよ、いいですよ。すっ飛んできてTさんの元気な顔を見るだけでいいの、Tさんに会えるだけで嬉しいですよ』と応えると、
「アトムさんはいつもの通り冗談うまいね~、うまいことばっかり云って、年寄(とっしょり)をさらかって、誰にでもそんなこと云っとるんかえ?」と、80越えたばあちゃんは嬉しそうな笑顔で応えます。

蛍光管を買うためご来店のWさんに、『今年も残り二日でおしまいね、来年は卯年(うさぎどし)、卯年は良い年になるでしょうかね?』とお話します。
Wさんニコニコしながら、「来年は私の年よ、卯年生まれなの私、来年の年女なのよ」とおっしゃいますね。
『あら~、年女、60才ですかそうですか、やっぱり若い、若く見えますよ』と応えると、「よう云わんわ、アトムさんは冗談ばっかり、60才と違うの、その上の年女、72よ、72才」と応えます。
元気はつらつ若々しい声で、電話口から「電気屋さん~・・・・」といつも聞いてる声と顔、どう見たって72才に見えない奥さんです、ほんとです。
『Wさん、三十路三十路に干支ひと回り、72ですかほんとですか?、年を重ねてもWさんは若いですね』と、とどめの褒め言葉を差し上げますね。

三十路(みそじ)の三十(みそ)って、大晦日の三十(みそ)ってことです。何年か前のブログでそんなことも書いた晦日の話し、今日は12月の晦日(みそか)です。
旧暦であれば晦日の晦(みそ)の字の通り真っ暗な闇の月の末、新暦の現代ではピッタリしませんん晦日です。
でもですよ、12月の30日は晦日の日、大晦(おおつごもり)の明日31日は、正真正銘の大晦日です。
「みそ」って字の意味には、「本人が得意と思っている点」と云う場合にも使います。「手前みそ」と表現することありますね。
仙谷官房長官だって野党の時代の質問は、さすが弁護士上手いです。鋭く切り込む弁舌は、正に仙谷弁護士の「手前みそ」って感じでしたね。
ところがですね、政権中枢その要、官房長官になってもですよ記者会見、質問する記者に向かって「人を食ったような」発言のやり取り国民唖然といたします。
野党時代と気分は同じ、そんな「みそ」に足すくわれて来年の官房長官はお終いですね、それこそ得意に浮かれて「みそ」を付ける、失敗すること当然ですね。

《「みそ」はです 月のお終い 人もです》

12月のこの頃は、突風吹く季節です

2010年12月29日 | 季節(冬)
(アンテナ倒れて緊急工事、『注意しろよ~』と見上げてハラハラいたします)


朝一番に、「テレビが映らないのよ~、画面の真ん中に字が出るだけよ」と、一人暮らしのWさんから心配そうに電話です。
今朝早朝ですね、ガタガタビュービューガタガタと、とっても強い風の音、猛烈な風が吹いてるような様子は目が覚める頃のことですね。
午前中、Wさん宅の方面へ、用事と一緒に息子が訪ねて調べます。
「大屋根のアンテナが、根っこから折れてしまっているよ~」、えらいことです正月迎えてWさん宅は、一人暮らしのおばあさん、今日か明日にも都会から、おおぜい帰ってくるそうななのにテレビが映らない、
『なんとか今日中に、治してあげなければならんがな』、アンテナ持って駆け付けますね。

駆けつけました時間がちょっと遅めの午後は4時前、何故かといえば、区内にどうしても配布したい区の案内状がありまして、寒風吹く中一軒一軒走ります。
歳ですね?、7隣保のSさんちの玄関出たときに、小走り坂道足がもつれてつまずきました。おもいっきり、アスファルトに前からベタッと転びます。
顔を守って手を突き摺って、傷だらけ、血だらけなって敵いませんね。膝も肩も打ちまして、メガネも吹っ飛びわやですね。
照れくさいやら痛いやら、辺りを見回し起き上がり、メガネを拾ってそっと掛けます割れてない、せめてのこれはラッキーでした。

そんな訳で遅くなった神鍋高原はWさん宅の屋根の上、うっすら雪では大屋根には上がれない、小屋根から最高に注意してアンテナの緊急工事をいたします。
瓦の屋根は雪が積もって超危険、息子は「お父さんは危ないから、ハシゴも上がってきたらアカン」と叱ります。
作業の途中に、しびれるような吹雪と急降下の低温で、手袋や靴の中の手も足も、痛いほどに冷たいですね、
雪の積もった屋根の上、まともに寒風吹かれる息子はさぞかし寒かろう、Wさんのためにどうしてもテレビを映したい、ただそれだけで頑張りますね。
屋根から落ちずに無事終わり、『Wさん、これで正月に見れますよ。雪が無くなる春にはきちんとアンテナやり直します』。ニコニコWさん嬉しそう、紅茶を出しながら「とち餅をいただいたのでおすそ分け」と。餅の土産をいただきました。

もうすぐ正月迎える12月のこの頃は、ふるさと但馬は突風強く吹く季節です。
25年前の昨日ですね、昭和60年12月28日、日本一高いと云われた余部(あまるべ)鉄橋から列車が転落し、鉄橋の足元の工場で多くの犠牲者出した事故のあった恐ろしい、突風の吹いた日でした思い出しますこの寒さ、
2年前、12月23日の突風強い日のことでした。
電気屋さんの仲間の〇さんが、作業中にハシゴから転落して、事故死された日でしたね。
但馬の冬の突風は、アンテナ倒す位はいい方で、列車も吹き飛ばす、人も屋根から吹き飛ばす、恐ろしいことです注意です。
今日のアンテナ工事はですね、絶対してはいけないうっすら積もった雪の屋根、無事終わって感謝、感謝の気持ちです。

《雪国は アンテナ工事は 命がけ》
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巧詐(こうさ)は拙誠(せっせい)に如(し)かず

2010年12月28日 | 私の思い
(卯年の年賀状、大切なお客様用と大切なお方用を出しますね)


毎週週末に入る大型電気店のチラシを見ていて感じます。テレビで、電器のショッピングCM聞いてて感じます。
チラシに殴り書きしたような、大きな字を見て驚きますね。甲高い声でしゃべくりまくる話術を聞かされビックリします。
どこの大型電気店だって、テレビで出てくるCMだって、自分ちの店がこんなに凄いサービスしていることを、こんなに凄い値段で売ってることを、よくもこれだけいろいろ表現するものか、キレイも汚いもゴッチャゴチャ混ぜ混ぜ言葉や、しゃべくりで、巧みな表現や話術のつもりで言いますね。
よ~く考えてみていますと、おかしいですね。そんなに凄いサービスや、ムチャクチャ価格を自分ちだけが出来て他は出来ぬと云う事は、世の中そんなに甘くない、自分ちが一番という論法は、どうしても不思議ですね可笑しいですね。
殴り書きする表現が巧みな事と思っているか、それとも気付かず巧詐(こうさ)をしてるのか、巧みも巧詐も紙一重のことよ、
派手派手チラシやオーバー話術のCM、見たり聞いたりしていると、ほんとうに頭がクラクラするよなものですね。

本日届いた電気屋さんの業界誌、「技術営業」をペラペラめくって読みますね。
この本は、地域密着の「街の電気屋さん」をサポートするとっても役立つ情報誌、全国の街の電気屋の活躍ぶりを載せてます。
特集記事に、「ヤマダ電機に負けない、弱者の戦い方」と銘打って、高知、広島、鹿児島のとても頑張ってる電気屋さんをリポートしてます凄いです。
記事を読んでて感じます。活躍する電気屋さんの共通点は、「顧客に密着した商売」や、「とにかく真面目に、お客様のお困り事解決の徹底」を、決して派手派手チラシやオーバー話術をしない事、大型電気店と真逆ですね。

韓非子説林上に出てまいります。「巧詐(こうさ)は拙誠(せっせい)に如(し)かず」という言葉です。
故曰、巧詐不如拙誠。樂羊以有功見疑、秦西巴以有罪益信。
「 故(ゆえ)に曰(いわ)く、巧詐(こうさ)は拙誠(せっせい)に如(し)かず、と。楽羊(がくよう)は功(こう)有(あ)るを以(もっ)て疑(うたが)われ、秦西巴(しんせいは)は罪(つみ)有(あ)るを以(もっ)て益(ますます)信(しん)ぜらる。」の文章は、
「楽羊為魏志将而攻中山・・・・・・・・・・・」から始まる文章の、最後尾の言葉が「巧詐不如拙誠」と云いますね。
戦いで功績のあった、魏の武将・楽羊(がくよう)は、言動が巧みな故に巧詐であると信用されなくなり、憐れんで子鹿を親鹿に返してしまい、罪を犯した秦西巴(しんせいは)は、一度は疎まれるが拙誠なところを認められ、再び教育係として召抱えられ、ますます信用されたという逸話ですね、
上手く巧みなやり方でも、偽りのある巧詐(こうさ)であると、何時(いつ)かはばれる、拙(つたな)くても、誠実である方が望ましいことである。
意図を持って行う事は、何時(いつ)かはそれが露見する。誠意を持って真面目にすれば、不器用であっても必ず評価を得ることにんなる。
そんな言葉は、お客様を真に大切にする街の電気屋にも、ぴったり当てはまる事ですね。

《いい加減 オーバー表現 聞き飽きた》



そんなことはありませんよ、テレビはそんなに安くはならないでしょう

2010年12月27日 | お客さん宅で
(晴れてる合間に大掃除、すっきりきれいになりました)


ここ三、四日前から急に冷え込みきつくなり、トラックに素手で荷物を積み下ろしたり、外の作業で風に吹かれておりますと、手が凍えるほどに冷たくて辛抱出来ぬほどになりますね。
ふるさと但馬は雪国でして、それに冬場は雨降り、雪降りとっても多く、この頃の季節は普通の年なら街の電気屋外仕事、エアコン・アンテナ屋外の作業がとってもとてもしにくいですね。
ところがですね、今日の日なんぞカラリと晴れて、見渡す限りの好天気、『山陰の冬に比べて神戸や大阪の冬はいいな~』、『いくら吹く風冷たくっても、晴れてりゃ外仕事どんどん出来て』と、いつも羨ましく思っていたが、今日の天気はまるで冬の神戸、大阪そのものですね、但馬の冬とは思えぬ晴天の一日ですね。
ところが吹く風カラッ風、それがとって冷たくて手が痛いほどになりますね。『ああ、こんなにカラッ風の冷たいうちは雪は降らんな、湿った寒さがやってくれば雪降りだな』、そんな感じの一日でした。

「3月になったら冷蔵庫は安くなる、エコポイントが終了したらド~ンと安くなるってテレビで云ってたから、今買うのは待て、待て」と、Tさんは奥さんに云いますね。
せっかく奥さんは、冷蔵庫を買う気で電気屋を呼んでるのにですよ、そんな話をTさんはテレビの話を真に受けてあっけらかんと話します。

Yさんは85歳を過ぎたご夫婦二人の世帯です。
『ここのテレビ、12月中なら安い機種にもエコポイント付いてますよ』、『どうせ買うなら12月中、もう4日しかありませんがお買い得ですよ』と丁寧説明いたします。
「電気屋さんよ、エコポイントが終了したらテレビって売れなくなるから、ド~ンとムチャクチャ安くなるんだってね、テレビで云ってたよ。それから買った方が得だね」と、ここでも又々同じこと、「テレビで云ってたよ~」が飛び出しますね。

何回も何回も聞きますが、テレビの世界では困ったことを云うコメンテーターがいるものですね。
『そんなことはありませんよ、安い機種がまだ安くなるなんて、作ってるメーカーも採算割れの安い機種はもう撤退したいくらい、録画や3Dの高級機種にシフトしてこれからのテレビはそんなに安くはならないでしょうね』、『どこのチラシやカタログにでも、もう安い機種はあまり載ってませんよ、商品も超品薄なんですよ』、
『11月頃に、エコポイントが半分になるからと云って買って頂いたお客様に申し訳ないじゃあ、ありませんか。ド~ンと安くなったら一体急いで買って頂いたのは何だったのよ、そんなことを繰り返していたら電気の業界は信用のないことになりますよね』、
そんな言い訳一生懸命、説明しなけりゃならないことに、「テレビが云ってたよ~」にほんとに腹が立ちますね。

《無責任 偽物論者は ご迷惑》

城崎温泉は日本一だって

2010年12月26日 | ふるさとの話
(「一の湯」入った番台は、「湯めぐりパス」をかざして、いらっしゃいませ)

今日は日曜日、Tさん宅にテレビを配達いたします。
『今日の豊岡はえらい冷え込みますね~、大掃除にお帰りですか?、正月は大勢のご家族で豊岡にお越しになられますか?』と尋ねます。
Tさんご家族は普段は明石にお住まいで、留守宅になってる豊岡の実家に時々帰って来られます。正月の準備に、今日は明石から奥さんやお子さん達が掃除にお帰り、そこへご主人からご注文のテレビを配達いたします。
「主人はリハビリ中でしょう、今日は掃除が終われば明石に帰ります」、「時々しか実家には来ないのに、主人は次々とエアコンやテレビどうしてそんなに注文でしょうね?」と、奥さんも息子さんもちょっぴり困ったお顔です。
Tさん宅から帰り道、Yさん宅へ寄りまして『もう12年も経ってます。異常に音の大きな室外機、それに途中で止まってしまって、このエアコンは買い替えましょう。年内に工事出来ますよ』と、暖房がしっかりのエアコンお買い上げいただきますね。

日曜日です。いろいろ片付け早じまい、家内と外で夕食すませ、その後、城崎温泉に向かいます。
城崎温泉は同じ豊岡地元です。もう何回も何回もお風呂に行くのは普通です。
いつもは、「鴻の湯」や「御所の湯」に入りますが、本日「一の湯」に入ります。
番台前にはなにやら珍しい「女湯、男湯」の表示の下を、バーコードのようなカードをかざして入る客、聞いてみますと旅館に泊まったお客様が外湯を利用する時の通行証のようなもの、買い物にも使える優れ物、湯めぐりパスの「ゆめぱ」と云うそうですね、珍しい、
城崎温泉は、次から次へと新しい試みに挑戦する、なかなか頑張ってますね凄いです。

先日の日本経済新聞に、「そぞろ歩きが楽しい温泉街、何でもランキング」と云う記事で、なんと城崎温泉が「情緒あふれる温泉街・日本一」、トップの1位になってます。
えらいもんですね、全国の名だたる温泉地をしり目にダントツ一位の温泉街と出ています。
記事の中には、「駅が玄関、通りが廊下、外湯がお風呂、土産物屋がお土産コーナーと街全体が旅館のよう」と表現されて、べた褒めなのですほんとです。
私も、昔から感じてました。城崎温泉全体の雰囲気、温泉街の情緒の素晴らしさは全国どこに行っても、城崎以上のものは見つからないと思っていました、その通りに評価です。
専門家の評価も、ランキングも、やっぱり城崎温泉は日本一、
そうすると、ふるさと但馬の私たち、いつも日本一の温泉街を普通に歩いて、車で走り、そしてしょっちゅう湯につかっています。すなわちお風呂好きには、温泉街のそぞろ歩き好きには、日本一の幸せ者ってなりますね。

《正月は 海外よりも 城崎へ》

疲れましたよ、今夜はクイズで取り繕いますね

2010年12月25日 | 店内外の話
(「アトムのでんき屋便り」から、新年号のパズルです)

今日、午前中の半日は、『どうしても片付けたいの、どんな事があってもやります、これを』と、区長交代の引き継ぎ事項の、整理やまとめをやりますね。
パソコン叩いて引き事項の要点列挙、何から何まで丁寧に、プリントしました出来ました。
会議別に項目別に、まとめたファイルの数は20を超えて、2年間で綴じたファイルは膨らみはち切れそうな、棚から下ろすと段ボールに抱える量は二箱あって、車に積むのも重たいですね。
夜は、三役同時に引き継ぎ会を済ませ、家に夜遅く帰ってぐったりします。後は、新年総会の準備と議案書作ればお終いですね。
ほっと一息ついた頃、時間もネタもありません。本当に2年間疲れました。疲れましたよ、今夜はクイズで取り繕いますね。

「アトムのでんき屋便り」から、新年号のパズルです。
2重枠の6文字で言葉を作ってください。本年もクイズを解いて送ってね!!
「ヒントをよく読んで、ガンバって解いてね!!にゃん、にゃん」と、招き猫があいさつしますクイズです。

ヨコのヒント

1. 昔、正月になると芸能人が行きました。
2. 江戸時代は一里ごとに立ってました。
3. 赤やピンクの花がハスに似ています
4. 今年の干支は?
5. 薪もペレットも灯油だって使います。
7. 全部ぶちまけてしゃべります。
9 これを聞いてお寺の歴史がわかりました。
10.冬の乾燥からノド・肌をを守ります
12.角質が冬にひび割れします。
13.出石の辰鼓楼、昔はこれを叩いて時報です。
16.これを省いて健全財政


 ヨコのヒント

1. 新年になったら願いを込めて・・・・
6. 雪が解ける頃、野原一面に・・・・
7. 追い詰められると〇〇が無いと云います。
8. うちの息子、少年野球の・・・・になったよ。
10. ゴミの分別はビンやこれをきちんと分けてね。
11. やっぱり生の演奏会はいいわ
12. この木はとっても堅いです。
13. ここで水揚げされます丹後の〇〇〇ガニ
14. 豊岡市は来年4月1日で丸6年になります。
15. サトウキビで作るお酒は?
17.この鳥も野生復帰しました、
18.但馬弁で先日のことをこう言いますね

ガンバって解いてください、やさしいでしょう。正解は正月過ぎて、ずっとずっと先に発表します。

《クイズです 相変わらずの ネタばらし》

ギリギリにならないと・・・・・

2010年12月24日 | 季節(冬)
(城下町・出石のシンボル辰鼓楼、まわりの山はうっすら雪化粧です)


クリスマス寒波です。
本日は明け方未明にゴロゴロと、闇を裂くよな雷鳴聞こえ、寒い朝を迎えます。
朝を迎えて朝陽を受ける西の山々眺めます。妙見山も蘇武岳も、神鍋山の峰々も、手前の大岡山までも真っ白きれいに雪化粧、雪国に生まれ住んでて可笑しいですが、朝陽に輝く雪山見ると妙に感動いたします。
本日、朝から昼から夕刻までの一日中ですずっとです。さらに夜になっても雨降り続き、それも冷たいみぞれです。
道路を走る車の音は、消雪用の大量の水の飛沫(しぶき)を蹴り揚げて、とってもとても騒がしい、ジャ~ジャ~ジャ~とうるさいですね。
夕刻、出石幼稚園に蛍光管を納めにひとっ走り、車で雨の中を飛ばします。
幼稚園のほんの隣は城下町、出石の町のシンボルの「辰鼓楼(しんころう)」が寒空キリリと立ってます。
出石城下の向こうの山はお城背にした有子山(ありこやま)、雲の切れ目から見える300mちょっとの山頂は、真っ白雪化粧の木々ですね。
有子山に連なる東の入佐山、さらに北側此隅山は、六分の一殿と呼ばれて権勢誇った山名氏の城址が残る山ですね。それら出石の町を取り囲む小高い山の半分当たり、雲の切れ目のそれより上は白い粉を撒いたような雪化粧です。
帰り道、片間の峠道を上る辺りから猛烈に吹雪となりまして、上郷橋は雪降る中を渡ります。
ブログを書いてる今もです、外はヒューヒュー音をたて雪が猛烈に降り続く、明朝は積雪あるのかな?、寒さ予報の通りになりました。
本日寒いとっても寒い、当たりましたね、ズバリ「クリスマス寒波」の襲来ですね。

区の役員任期は2年です。
先日の役員選出総会で、新区長やその他の役員決まります。明日は三役まとめて引き継ぎ会を夜にやります忙しい、でもですねその準備のまとめや整理の仕事、少しも出来ぬ商売ばかり、いつものことですギリギリまでは、直前ならぬと出来ません。
この二年間の任期中ほんとうに忙しかった役目柄、いつも三ヶ月のスケジュールカレンダー書いて、「いついつの行事はいつ準備、そのタイムリミットは何日」と、「会議の招集案内のタイムリミット」や、「役員、委員、世話係の選出」や、「市への提出物の手配や管理」なんて仕事がいっぱい有りまして、混乱するスケジュールを整理しながらなんとか消化をいたします。
本職電気屋忙しく、「今配達」、「今呼び出し」、「今日中にこの仕事で区の仕事は後回し」、追われる毎日無理でして、結局いつもギリギリにならないと、どうしても今日がタイムリミットとならないと、いつも直前しか出来ません。
とうとう今日もバタバタ用事で手を付けず、明日一日掛って夕刻までに、引き継ぎ事項やファイルの整理をまとめます。
あとは来年新年の、初総会の議案書作りの完成や、さらに区長会の決算仕上げの最終期限、忙しかった毎日もやっと終わりに近づきますね。

《ブログ書く 閑無いはずが 書きますね》

43年前の投稿文(5)

2010年12月23日 | その他
(現在進行中、建て替え工事のJR豊岡駅)

(JR新豊岡駅の完成予想写真は、コウノトリをイメージです)

組織変更で全国に転勤となった皆と我身におくります。

その(5)
「それ行け、〇〇マン」
『人生というものは、その人の意のままに動くのではなく、回りの環境とか、自分に巡り合った運とかいうようなもので動いている場合が非常に多いものです。ところが、ただ自分の回りの環境に身をゆだね、運を天にまかしてばかりいたのでは、自分の一生を振り返り。なんと奇異な、なんとつまらないというような感じを受けるかもしれません。やはり人生の節々に起伏する物事に対しては、自分の意志が充分に入りこんでいなければならないでしょう。
サラリーマンは組織の一員です。会社の発展変貌にともない、実に多くの環境の変化を、かよわい一サラリーマンに投げかけてくるものです。こんな時私達はサラリーマンとして意識すべき物事に対する意志というものはどのように持つべきでしょうか。
私はまず、身の回りに発生するいろいろな環境の変化は運と思ってあきらめるべきだと思います。あきらめる、という言葉は大変乱暴な言葉ですが、サラリーマンにとって多事多難な人生で「あきらめの精神」がなければ、現状におぼれやすく、新しいものに向かう機動性に乏しい保守性の固まりみたいになってしまうのではないでしょうか。
まず「あきらめ」たら次に一秒一刻でも早く次の新しい環境に意識してなりきることです。自分から望んでその環境に飛び込んだと意識するのです。まちがっても、いやいや自分はその環境に投げ込まれたんだというような気持ちを持たないことです。自分は望んでいなかったが回りが、情勢が自分をこんなにしてしまったんだ、自分の好きこのんでやったのと違うんだ、というような心の持ちようではその人はその新しい環境の中での発展向上に非常に乏しいのではないでしょうか。
女性の結婚の場合でもそうです。普通はありませんが、仮に親が決めた相手というような場合があったとします。あとあとうまくいかなくなった時、自分が決めたのではなくって親が勝手に決めたのだからという様なことになるとまた悲劇です。新しい環境をたとえ回りが提供してくれたにせよ、その環境へは自分が望んで入ったのだという意識と決意がなけねば、苦難を生き抜く力に乏しく、責任回避の意識が強く、自分の人生でありながら他人の仕立て上げたようなものになるでしょう。サラリーマンだって同じことです。環境を提供されたらどれだけ早く新しい環境を自分のものにするか、心からその新しい環境を望んでいたんだと意識するかが(たとえいやな環境でも)、その人の生きる意欲にもなり、その人を発展せしめる原動力にもなるのではないでしょうか。
身の回りにいろいろな変化が発生する時、時の流れ、時代の流れを強く意識するものです。人生なんて今までの経験をどれだけ新しい環境に役立て、新しい環境を意欲的に自分のものにしていくか、そんなものではないかと私は思うのですが。』(そのママ)

《こんな事 書いてた頃は 青臭い》

43年前の投稿文(4)

2010年12月22日 | その他
(「紅は左に、白は右に飾りましょう」と、Tさんが親切に葉ボタン仕上げます)

その(4)
「もちつ、もたれつ}
『世の中というものは日進月歩、一秒たりとも休まず進歩発展しているものです。世の中の進歩に、技術の向上に、積極的に取り組む者のみこの世に生存を許されるものです。新しいものに目を向けるのを嫌悪し、現状維持に固執する者は、歴史の一時期に存在したというのみで、長く豊かな発展と生存は許されるものではないでしょう。個人にあっても会社にあっても同じです。会社というものは、そこで働く人間の生活を保障し、社会に奉仕し、社会を構成する大きな社会責任を負った集団であり、その上に生存競争に一歩先んじながら、長期の生存を自らの手で保障するため、利益を得てゆかねばならないものです。すなわち、会社の生存も利益も、社会責任の上から欠くことのできないものであると思われます。
私達サラリーマンはその中にあって、各個人が自らのポジションに最善の努力と熱意とを傾注しているものです。私たち一人一人の動作や思考が、有機的に結びあって初めて大きな組織となり、強力な力を発揮するものであると考えます。すなわち会社の生存は、それを支える人間一人一人の存在意識、生存意欲の有無にかかっていると私は思います。
近世の日本の名著である、福沢諭吉の「学問のすすめ」に、「一身独立して一国独立をする」と説き、いくら国家だ独立だといえど、その国を成し、支える国民の一人一人が、独立と正しい学問の上に立つ立派な大衆の声を持っていなければ、ただ上っ面の独立であり国家であって、専制国家と内容は変わらないと、平民一人一人の学問のすすめを国家独立の見地から強く訴えています。また過去の封建的な社会も、社会の大部分を成す大衆の無学が大きな要因をして、愚民の上には立派な国家が、社会が存在するわけがないと、大衆社会の学問の必要を説いています。
このことは現代の社会にも通用するでしょう。また会社にあっても同じことで、個人の能力を結集してこそ会社が成り立ち、会社を通じてこそその個人が社会人として成長するのであって、この世の中全て教師であり生徒であり、そして発展していくものです。愚かなるサラリーマンの上には、立派な会社も社会も存在しないでしょう。
職場にあっても然り、「書経」の中に、「問うを好めば則ち裕に、自ら用いれば則ち小なり」という文があります。つまり、知らないことはどんどん尋ねて教えてもらえば心が豊かになり、それを自分の殻の中で勝手にやると、仕事の範囲も狭くなるという意です。少しばかりの知識があるばかりに、かえって過ちを犯す時があります。自分に分からないことは同輩であれ部下であれ、知っている者から聞く、また自分の知識は自分だけのものにとどまらず、職場の皆に、会社に広く供して初めて生存したと言えるでしょう。
サラリーマンにとって最も大切なものは、自分の存在意識と知識向上欲だと思います。自然の一草一木にも教えられるものがあります。われわれにとっては先輩、同輩、後輩、見るもの、聞くもの、触れるもの、すべて師であり、会社はサラリーマンが、サラリーマンは会社が師となるのではないでしょうか。』(そのママ)

《嫌ですね 何を言ってる 分からない》

43年前の投稿文(3)

2010年12月21日 | その他
(パソコン画面で、新年号のクロスワードパズルを作成します)

その(3)
「おだやかな目で、中庸の心で」
『私達サラリーマンはいつでも行動的でなければならない。たえず活性でなければならない、停滞したところに新鮮な萌芽は発生しはしない。おだやかな目で、中庸の心で意欲的に行動を起こすときに新しい境地が開かれるのではないでしょうか。
私達は毎日多勢の対人関係を組織を通じて保っています。私達は毎日いろいろな出来事に出くわしています。私達は人に接する時懐疑の心を持ったり、自己本位の意見を押しつけたりしてはいないでしょうか。世のいろんな出来事に対して、はたして中庸の心で正しく理解し、正しい批判をしているでしょうか。
有名な人の言葉に「私はかって、嫌いな人に会ったことがない」というのがあります。いいかえればどんな人も好きになれ、どんな人からも好かれる人間になりなさいと言っているのであって、組織の中で働く私達にとって最も大切な一面を表現しているのではないでしょうか。議論は大切な活動の要素ですが、主張にはおだやかな真理が含まれていて初めてお互いに納得しあうものです。真理をわきまえないで、合理主義の精神を尊重しあわないでの対話は相手を罵倒しあいお互いの心を傷つけあうのみで友情も進歩もなにも生まれる余地がないものです。人に接するときの心はあくまでも相手の人格を尊重するおだやかな心と、自分の正しいと思うことを堂々と発表する熱意とがなくてはならないものでしょう。
中庸とはどっちつかずの意でも、都合の良い時のみの賛同集団の意でもありません。自分の身の回りの出来事を正しく理解しようとする心でもって把握し、自己の正しいと思う真理でもって自己の主張すべきことは主張し、自分に不足な点は快く聞き入れるいさぎよい態度のことであって、積極的で活性な中庸の態度を持ち続けることは並大抵のことではありません。
論語に「本立ちて道生ず」という言葉がありますが、道徳と真理が成り立つところにはおのずと道が開けるというこのことこそ私達現代に生きる社会人、組織の中の人間としての心すべきことではないでしょうか。
私達は隣人になにかを与えるのではなく、隣人からなにかを期待しているのではないでしょうか。「与えよ、されば与えられん」、まずは自分の隣人に、社会に、会社に自分はいったい何を与えることが出来るかを考えることも必要ではないでしょうか。
「アメリカの国民諸君!諸君は今、諸君の国家が、諸君に対して何をしてくれるかを問うべき時ではない、諸君が国家に対して何をなすべきかを問わねばならない時なのだ」(ジョン・F・ケネディ就任演説)
おだやかな目で人に接し、中庸の心で物事を考え、万人に心から好かれる人になろうではありませんか。』(そのママ)

《なんだいや 22のもんに 言われとない》

43年前の投稿文(2)

2010年12月20日 | その他
(おばあちゃん、コードが抜けてますよ、これでは毛布も暖まりませんよ)

その(2)
「時間を盗むなかれ」
『社用族とは、社用の金品を社用に使う以上に私用にも使う人のことであります。ところが私達にも会社の金品ではない社用品を私用に使っている場合が多いものです。
すなわち時間を盗むことなのです。私達の会社は毎週実働40時間、年間52週間有給休暇が10日あるとして会社との労働契約時間はおよそ2,000時間となります。この時間をいま仮に本給3万円ボーナス年間18万円として合計54万円で会社に売ったとしましょう。これを1分当たりに換算すると約4.5円となり、会社はサラリーマンからその人の時間を1分当たり4.5円で買い取ったということになるわけです。
売ったからには、物であれ、時間であれ、買った人のもの、サラリーマンの売った時間は会社の所有、会社は買った時間に会社が必要とする仕事をさせ、その仕事から成果が生まれて会社経営が維持され、発展して行くということになります。つまり会社の中での8時間はサラリーマンの時間は会社のものであるからすべて社用に供されてしかるべき、もしもその時間の中で私用をすれば契約違反だというぐらいの強い時間観念があって当然です。
会社によっては「小便するにも許可を得よ」というぐらいうるさいところもある。国鉄の調べでは小便の時間は男子32秒、女子1分33秒だそうだが便所への行き帰り3分は要するだろうから、日2~3回トイレに立てば会社に70円借金したようなもんだ。私用の電話、出勤直後の競馬の話、マージャンのメンバー集め、ゴルフだ野球だ、女の子がどうしたのと雑談に花を咲かせ、会議の待ち時間の雑談からデートのための化粧、おれは偉いんだとばかりに時間中に新聞を見ている人から女の子を私用に使う人、よく計算してみてください今日の自分を、厳密に行けば一日8時間の内10%や15%は私用に使っているもので年間にすれば5万円も7万円もの契約違反をしていることになりかねません。
鉛筆や封筒を使用に使うと文句を言う人があるが、デパートではデラックスなビニール袋をくれる昨今、社名入りの大型封筒くらいジャンジャン女の子に持たせて通勤させるが良い、PRにもなるしそれよりむしろ、時間中のムダ話の注意や時間節約の努力への賞罰をしっかりしてしかるべきでしょ。こまかいことに文句の出る人に限って会社で新聞読んだり、社内の友人同士で人事の噂話を仕込んで自分の時間のみならず、相手の社用時間までも私用に使う「時間の社用族」が多いようです。
四月には時間単価の契約更新があったが、自分の能力を啓発しいかに自分の時間を高く売り、会社に売った時間は私用に使わず会社は安く買いすぎたと思うぐらいの成果を上げる能力を持って時間概念を自覚して精進しているサラリーマンこそ「プロ・サラリーマン根性」といえるでしょう。
しかしもっと罪悪な社用族として、高い値で買った有能なサラリーマンを会社の必要な目的に向かって最高効率に使えない、すなわち人材のムダ使い程、戒めなければならないでしょう。会社経営の立場からは、飲み食いの社用族など問題にならないくらいに、小型の目に付かない時間の、人材のムダ使いの新社用族の弊害のほうが大きく、会社の盛衰を左右するでしょう。サラリーマンよ時間を盗むなかれ、当然のことから自覚しようではありませんか。』(そのママ)

《古いです 時間にうるさい 嫌ですね》

43年前の投稿文(1)

2010年12月19日 | その他
(葉っぱ一枚も残さずに街路樹は、寒い冬を迎えます)


新人迎える春、社内報に5回連続で何か書いてもらえませんか?、社会に出てから4年目です。頼まれ書いた22の頃の駄文ですね。

その(1)
「仕事と彼女は夢の中までも」
『私達サラリーマンは、時計の振り子の如く、早くもなく遅くもなく毎日同じ道を通い続け、太陽のご如く朝は希望に溢れて昇り、夕にはグッタリと疲れて沈みながら、また次の朝にはハツラツと昇り続ける、実に単調な繰り返し運転によく耐える生き物であります。
がひとたび自分の身の回りに隘路が生じ、苦難をむかえ打つ時、どれだけ自分に自信と生き抜く実行力とを持っているかは、坦々とした日常に於いては自覚に乏しく、概して多事多難に差し迫った時には自覚を強くし、人間の本能としての生命力と考察力とを発揮するものではないでしょうか。
今回からサラリーマンの生き方について普段の思いを綴ってみます。
百姓であれ、八百屋さんであれ、サラリーマンであれ自分の職業に心から惚れ込み、天性として社会から授かった職分だとわきまえ、自分の仕事に誇りと、喜びを感じること程、その人の個人として社会的に責任を負う職業人としての自覚を形成し充実した生き甲斐を見いだすことはことはないでしょう。
私達は〇〇電機という社会の一役割をまっとうするその集まりにの中でたとえ小さく、そしてささやかな職分を受け持っているにせよ、個人個人が仕事への喜びと、生き甲斐を自覚してこそ、その社会への役割であり大きくはS電機の生き甲斐に通ずる原動力となりえるものなのです。
サラリーマンにあって、決して趣味が最上の生き甲斐であってはならない。趣味が苦難に満ちた仕事からの逃避場であってはならない。あくまでも趣味は仕事の疲れをいやす場であり、自分の仕事は、その役割と重要性と、社会性をわきまえて夢に見るまで仕事に惚れ込み、最上の道連れであって然るべきではないでしょうか。
仕事に喜びを見いだす努力こそ人間としての本性であり、喜びも誇りもなく、ただマンネリ化した動作のみに終始するなら、コンベアーの、机の付属物としてのロボットにすぎないでしょう。単調な仕事の中にも働くことへの喜びと、その中から誇りを見つけ、それを生き甲斐とすることが、社会人として、特にサラリーマンにとって自己の人生における安定した精神を持ち続け、安定した拠り所を持ちうる最大の心得ではないでしょうか。
また仕事への愛こそ、職分としての喜びであって決して仕事への執着心であってはならない、執着心の強い所には創意と進歩に劣る面が生まれやすく、利己的な生き甲斐になる恐れがあるのではないでしょうか。
新入生の皆さんも、昔の新入生の皆さんも春の青空の如く、若葉の萌える自然の野原から、太陽はわが一人のものといわんばかりに飛び跳ねるヒバリの如く、大いに生き甲斐を自己の仕事に見い出そうではありませんか。』(そのママ)

《ああ古い ペラペラめくる こんなこと》

水生城の戦

2010年12月18日 | ふるさとの話
(円山大橋から雨に霞んで正面に見えるは、但馬富士の「三開山」ですね)

今日の雨は寒々と、みぞれ交じりに降り続きます。
江本のNさん宅へ急ぐは円山大橋の東詰め、信号待ちで止まります。
雨雲でしょうか霞でしょうか、低く垂れこめ山の裾まで立ち込めてます。正面に霞んで見えるは三開山(みひらきさん)、きれいな姿は但馬富士と呼ばれて親しまれている山ですね。
豊岡周辺の小高い山はほとんどと云っていいです、戦国時代は砦や城が建っていましたようですね。三開山にも当然ありまして、三開山城が周囲のにらみをしていましたね。

戦国末期、羽柴秀吉の二度にわたる但馬攻略・但馬攻めが、天正五年と八年にありまして、二度目の戦で但馬のほとんどの城は落ちました。
天正八年、水生城の戦で三開山城も同時に陥落しています。
天正八年の五月です。わが町日高を中心に勢力張ってた山名の重臣・垣屋豊続は、秀吉軍の但馬攻めを迎え撃つ一大計略として、宿南から浅倉にかけて円山川に突き出た断崖絶壁を利用することを考えました。
ところがあっさりその謀略も、秀吉軍に知られてしまい軍勢は、日高の水生城を直接目指さず迂回して、浅間峠を越えて出石城を先に攻め込みますね、

さらに、出石城を落として進軍し、三開山城にも本陣の国府村は水生城(現在の水生山・長楽寺の山頂)にも攻め入りまして、水生山に陣取る垣屋氏の軍勢は陥落し、長きにわたった但馬の山名氏の時代が終わります。
天正八年(1580)の事ですから今から430年前、正面に見える三開山でもわが故郷水生山でも、とても激しい戦いがあったのですね。
冷たい雨に霞む三開山を眺めて、わが故郷のそんな歴史を思いますね、冬の日に。

《寒い雨 ふるさと歴史 想います》

中井昭彦さんの思い出

2010年12月17日 | その他
(45年も昔の写真、なつかしい中井さんの記事です)


今日はこれと云って書くネタがありません。時間も来るしどうしようかな?、そんな時、本棚の片隅の2冊の分厚いファイルを開きます。表紙は茶色に色あせて、ちょっとボロボロの感じです。
ファイルは、私が社会人になって会社に入り働いていた頃のもの、会社の社内報の綴りです。
もうかれこれ45年前の代物なのです懐かしく、ちょっと手に取りパラパラめくって眺めます。

私はその頃から記事を書くこと大好きでして、頼まれることも多くっていろんなことを書きました。
最初は、「電気の知識」なんてコーナーを連載し、どうしてモーターは回るのでしょうか?、電気ってなんでしょうか?、磁石ってどうして作るの、何でしょうか?、なんて記事をやさしくやさしく続けて書いたことありました。
次は、「教養コーナー」なんてタイトルを付けまして、結構なスペースに森羅万象の出来事を面白おかしく書きまして、月に2回の連載を2年近く続けます。
そして、「サラリーマン諸君」なんて大層なタイトル付けて、仕事の仕方や生き方を、なんやら偉そうに連載で書いたことを思い出す。23歳にもなってないのに、怖いもの知らずの文章でした。

そんな社内報をめくっていると「顔」と云うコーナーに、「中井昭彦」さんの記事が載っていました、懐かしいですね。
凄く若い中井さんの顔写真、私より2歳年上ですが当時の私より若い感じに写っています。
第二商品部・製造二課、中井昭彦(なかいあきひこ)さんのインタビュー記事でして、趣味は何ですか?、スポーツは?、仕事の内容、会社に要望すること、あなたの性格、恋愛経験は、理想の女性は?と続きまして、
最後の「将来の夢は?」で、中井さんはこんなことを言っていますね懐かしい、
将来の夢は、「喫茶店か、寿司屋を一軒持ちたいです。あくまでも夢ですが」ですね。

中井さんはひょうきん者で人気者、組合の行事で奈良に行った時も、何かの演技・演出は中井さんに頼むの当たり前、なんとか場を和ませるキャラクターでした。
そんな彼がひょこっと会社を辞めて、やった仕事が芸人でした。
その彼も、今ではテレビによく出ています。吉本新喜劇の「池乃めだか」さんですね中井さんは、
その「池乃めだか」さんの「中井昭彦」さんの記事を見つけて懐かしい、45年も昔の写真です。

《お互いに 歳をとります 45年》