楽(たの)しみは 大大吉の おみくじが 一人連れして あらわれるとき
今年正月に伏見稲荷で家内が引きました。
新年早々からめでたい「大大吉」のおみくじです。
のみいるまことしあれはいなり山ちかいくもら三つのともし火
このみさとしは、心事通達の兆であるから神かけて祈る誠が神に通じ、何事も願い、叶う事と知るがよい。
ただ前後左右よくつつしみ考え行うようにとのお示しである。
一、方がく 西南の方よし
一、あきない 十分幸福あり
一、たて家やうつり 大吉
一、えんだん 良(よろ)し
一、病気 日ならずなおる
一、勝負事 かつべし
一、思う事、願う事、かなはずということなし、よき種をまきて、豊年にあえるごとし
(伏見稲荷大社社務所)
息子が一週間遅れの墓参りに帰ってきました。
ありがたいことです。いろいろ良いこと叶います。
楽(たの)しみは わが姉兄や わが息子 ありがたき哉 里のあるとき
このごろ、車で走っていてひどく気になります。
青々と育ったきれいな稲田のところどころに、草ぼうぼうの田んぼが目立ちます。
稲も野菜も何にも作らない、耕作放棄田というものです。
私の子供のころ、今から50年も60年も前には全くそんなものはありませんでした。
10年くらい前からでしょうか、もう20年も前になるでしょうか、
山の中とか、広い平野の隅っこのあたりとか、まあ人目に付きにくいあたりで遠慮気(げ)に、草ぼうぼうの田んぼが見かけられました。
耕作もしないで悪いなあという、遠慮気味な耕作放棄田がありました。
このごろは、道路沿いの昔で言う美田の真ん中あたりでもポツンポツンと見うけられます。
その数一枚や二枚ではありません。走る行く先々に何枚も何枚も見られます。
もう仲間がいるものですから堂々としたものです。
草ぼうぼうを競うがごとき、見苦しい放棄田なのです。
住宅街の中にも、もう何年も留守宅になってる空き家ってものも目立ちます。
更地になって、「売地」の看板が色あせてる空き地も目立ちます。
何故に、こんなことになってしまうのでしょうか。
昨日の新聞にこんな記事が載っていました。
お墓のあり方です。
いま、日本ではお墓を守る人がなくなっているという記事です。
昔から日本では普通でした。地元に住み続ける三世代同居の家族が、
墓碑銘に書かれた墓とそこに納められた遺骨を代々守ることは、家族と寺院の仕事の中心でした。
高度成長期以降、両親を残して都会に出た息子たちは、地方の墓を維持することができません。
都会に出た息子家族も、その子供が巣立つとことで自身が高齢者になり、
自らが死者の列になったとき、だれが地元の墓を維持するのだろう。
また、そもそも自らの遺骨をいったい誰が供養してくれるということか。
こんな切実な悩みから墓は作らない、墓は持たないという寺院に「永代供養墓」の応募が殺到していると書いてありました。
わが身は永代供養墓でよろしいでしょうが、
古里の父母や祖先の墓は、誰も管理することができない、墓の耕作放棄田のように草ぼうぼうが増えているのです。
なにやら日本の将来を暗~くするような、いや~な感じがいたします。
息子が明日墓参りに帰ってきます。
ふるさとは、幾つになっても都会に出ても心のよりどころ、
ふるさとがしっかりあり、墓があり、家があり、景色があることが、どんなにどんなに良いことかと思います。
お盆に帰ってきた姉二人して、
「父さんや母さんが亡くなってからもう何十年もなるのに、毎年毎年気楽に実家に帰ってこれるの嬉しいわ~」、
「家を守り、墓を守って居てくれる弟がおる」からだと。
「親が居なくなった実家なんてと言うけれど、ここは違うね、あんたの嫁さんがいいから帰りやすいわ」と嬉しそうに嬉しそうにいたします。
嬉(うれ)しさは 今すぐですか ばあちゃんち かがやく月を 見て走るとき
「テレビのチャンネル替えても映りません。
真ん中になんか字が出て映りません」と独り暮らしのTさんから電話です。
別の用事で今日伺った際に、エアコンのリモコンへテレビの電池を使ってしまいました。
『この台所の小さいテレビは、横のこのボタンでチャンネル替えてね』と頼んで帰りました。
「茶の間のテレビ見ればいいんだけれど、
この小さなテレビも見たいんだわ。電池持って来てもらえれへん」と電話です。
どうも隣のボタン押してしまって、アンテナ付けてないBSかCS受信になっているようです。
ばあちゃんは、どうしても電池二本を持ってきてと言うのです。
ばあちゃんちは遠いです。
箸を置いて飛び出しました。
外は満月きれいです。
ばあちゃんの喜ぶ顔を想って走ります。
嬉(うれ)しさは 工事を終えて 試運転 汗引く部屋で 話しするとき
「ものすごく蒸し暑いですね」とお客さがねぎらいます。
気温がだいたい30℃以上の時間帯では、
湿度ってものは70%前後が普通です。
もちろん38.2℃は暑いです。
気温そのものが熱いのです。
湿度が70%でも38℃プラス70%が蒸し暑いのです。
今日は、午前中いっぱいドシャ降りが続く、
『予定のエアコン工事、雨がひど過ぎてできません。午後はあがると思います。午後に工事させてください』と言って、エアコン工事は午後2時ですね。
曇り空です。
日差しはありません。
照りつけるような熱さはないです。
そりゃそうです。気温は29℃です。
うん、今日のエアコン工事は楽勝だね、
なんて思って取り掛かります。
ところがどうでしょうか、
曇っているのに、日差しがないのに、動くすぐそばから腕に首に汗がドバっと噴き出します。
腕の汗は、
ツルツル、ツル~っと肘にたまってポタポタ流れ落ちていきます。
29℃くらいの気温になりますと、35~36℃の空気中に飽和することができる水分からドドっと落ちていきます。
29℃の空気中に蓄えることのできる水分は少なくなるのです。
なので、雨が降っていたさっきまでの空中の水分はそのままで、
気温が下がりますから湿度は90%とか95%とかになるのです。
29℃の空気を絞れば、雨になってしまう直前のようなものです。
「ものすごく蒸し暑いですね」のねぎらいが身に染みる、
腕から汗がポタポタ状態ものすごい、
着ているシャツも、ズボンの腰のあたりも、
ずっくり汗を含んでべしょべしょでした。
試運転に入って、涼しくなった部屋でリモコン操作を説明する時、
なんともありがた~い、いい気持ちです。
嬉(うれ)しさは 長寿の企業 ふるさとは 玄さんビックリ 歳を聞くとき
ショッピングセンター「アイティ」で見かけました。
「さとうグループは おかげさまで 創業350周年」のノボリやポスターです。
豊岡市のアイティは、元々「さとう」と言いました。
「さとう」は福知山市に本社があります。北近畿最大規模の流通サービス企業、ショッピングセンターやスーパーマーケットの会社です。
今年が創業350周年になる、とても老舗の会社なのです。
創業は寛文六年(1666)の呉服商・佐藤呉服店が始まりですから、あの三越に似ています。
三越の創業は延宝元年(1673)、呉服店「越後屋(ゑちごや)」ですから今年で343年目、
「さとう」の350年の方が長寿なのです。
同じコーナーの但馬の特産品・お土産の棚に、
「創業 享保十年 香住鶴(かすみづる)」のポスターです。
香美町にあります香住鶴株式会社も、とても長寿の会社です。
香住鶴の酒蔵は、創業が享保十年(1725)ですから、291年の歴史を刻んで但馬の地酒「銘酒・香住鶴」を作り続けてきましたね。
同じ香美町には「カネサ水産」と言う創業が嘉永二年(1625)で創業391周年の長寿会社もあります。
さらに長寿企業と言えば、日本5指に入る企業がふるさと但馬に存在します。
城崎温泉旅館「千年の湯・古まん」です。
千年の湯って言うくらいです。
旅館「古まん」さんの創業は、なんとなんと養老元年(717)ですから来年で1300年目を迎える、全国屈指の長寿企業なのです。
但馬のお土産売り場に立っています豊岡市のキャラクター「玄武洞の玄さん」も、
さとうグループのアイティや、ふるさと但馬の長寿企業に向かって「わしは160万歳じゃ~、ずっとずっと長生きせえよ~」と優しく見つめているようでした。
嬉(うれ)しさは 姉らと墓で 父母(ちちはは)の 歳を越すねと 墓標見るとき
墓参りに帰ってきました姉二人を連れて、
我が家の墓に行きます。
副碑に刻んでありますじいちゃんばあちゃん、
そして父(ちち)母(はは)の戒名を眺めます。
当家の墓には四つの戒名しかありません。
お墓に眠っているのは先代、先々代のふた夫婦たった四人のものです。
昭和5年のじいちゃん、昭和15年のばあちゃん、
そして昭和55年の父と、平成9年の母です。
それぞれ戒名の下には俗名、没年、享年が書いてあります。
一番上の姉は「もうすぐお母さんの歳に近づくね」、
もう一人の姉は「お父さんの歳は越したけれど、お母さんの歳にはまだまだ10年はあるわね」、
二人の姉は私に向かって言います。
「あんた今年幾つになるんよ。お父さんの歳になるんと違う。気を付けや」と言います。
7人もいます姉兄妹と私の七兄弟も、
下から順番に亡くなっているのです。
年上の姉や兄を残して、7番目と5番目が今はいません。
6番目の私の身を心配して姉は言います。
「お父さんの歳をガ~~っと乗り越えなあかんで、気を付けような」と、
弟に向かって言いますね。
嬉(うれ)しさは 横(よこ)前(まえ)後(うし)ろ 他府県の 車見ながら 駆けつけるとき
「盆のお客さん来たので今年初めてつけたの、
一年に2~3回しか使わんのに、エアコンから水がジャージャーこぼれるの」、
「アトムさんお盆休みでしょうが、
わるいけれど診に来てもらえませんか」とTさんから電話です。
当店は、今日13日からお盆休みの休業としています。
8月号のお便りでも、店の看板でも告知しています。
店は休みということを、よ~く知っておられます。
それでも電話はかかってきます。
『ハイ分かりました。見に行かせてもらいますよ。
待っててね、すぐ向かいますから』と電話を置きます。
すぐ追っかけてKさんからも「息子がお盆で帰ってきたの、
ほとんど使ってないエアコン、全然動きません。見に来てもらえんでしょうか」と電話、
『ハイ、近くにちょうど行きます。
そのあと回りますから待っててね』と電話を置きます。
またまた追っかけNさんから電話です。
「4年ほど前に付けてもらった。リビングのエアコン急に動かんようになったんだわ。
タイマーランプが点滅してます」と、暑いお盆真っ最中に困ったご様子です。
『ハイ分かりました。江原の方を2軒回ってからになりますが、
そうね、4時ころまでにはお伺いできます。待ってください駆けつけますから』と返事です。
その他にも、
「古いエアコンがあります。ほかの店に頼んだけれどダメでした。アトムさん取り付けしてもらえるでしょうか」、
『すみません。17日以降になりますが大丈夫です』なんて電話も含めて、今年は盆直前のエアコントラブルありますね。
『Tさん。ハイ水が流れるようになりましたよ。詰まっていました。お客さまに涼しくできますね。
でも、このエアコン25年経っています。冷えない~ってな故障になったら買い替えてね』、
『Kさん。ハイこのエアコン古過ぎます。30年は経っていますよ。
外の機械の基盤って部品が悪いの。でも残念ですが古過ぎて直してあげられません。こらえてね。息子さん下の部屋で寝てもらってね』、
『Nさん。ハイ調べてきました。12回点滅のエラーは室外とのやり取りトラブルのようです。
申し訳ないですけれど、お盆明けに対応ってなります。高原で少しは涼しい所なので、こらえて我慢してね』とそれぞれお話しいたします。
西日ガンガン日差しの中を、車を走らせ回ります。
お墓に供えるお花をカゴにいっぱい入れて、
お盆の用意に向かう家族を眺めます。
国道まで帰ると、
前からの対向車も、私の軽トラックの前の車も、バックミラーに写る後ろの車も、
「堺」だ、「岡山」だ、「富士」なんて遠くのナンバープレートを見かけます。
お盆に帰省の他府県ナンバーや、温泉帰りの車が北に南へ走ります。
街の小さな電気屋さんは、帰省も温泉帰りもありません。早く帰って墓参りです。
嬉(うれ)しさは ばあちゃんいいね にぎやかで 買うのもぜひに 頼むというとき
「アトムさ~ん、水がボタボタと落ちてくるの~。
エアコンすぐに診に来て~」と、独り暮らしのばあちゃんちから電話です。
ばあちゃんち、2年ほど前までは体が少し不自由なじいちゃんと二人暮らしでした。
今は、ばあちゃん寂しく独り暮らしです。
野菜作りに精出す働き者のばあちゃんは、
「孫は賢くてねえ~、良い学校に行ってるんよ」といつも自慢話を聞かせます。
「跡取りの息子たちも、エエとこに勤めてるんで都会に出たまんま、家なんかとっても帰ってきません。
なんぼ歳をとっても、年寄り二人で暮らしてるの。今じゃあ独りで頑張らんといけませんや~な」と、
何かにつけて用事で呼び出す街の電気屋さんに、いつも独り暮らしが寂しいのでしょうね。
自慢のような、悔やみのような、お話しぶつぶつ言いますね。
『こんにちわ~、エアコン診に来ましたよ~』と声掛ける間なく、
都会から帰ってきた息子さん達2~3家族でしょうか、家の外、中から「こんにちわ~、こんにちわ~。電気屋さんが来ておくれたよ~」とおおぜいの挨拶ですね。
息子さんたちも、お嫁さんたちも、
その家族の子たちも、ワイワイと家中の掃除や片付けに大にぎわいです。
いつも寂しいばあちゃんちに、
パッ~~っと大家族の花が咲いたようなにぎやかさです。
水がポタポタ落ちるエアコンは、
ドレンホースの外からのバキュームで直りました。
ところが、このエアコンとても古い代物です。
30年は経ってる凄いやつ、外の配管もボロボロ状態で、上から下まで銅管が素っ裸状態、
ドレンホースももちろんボロボロちょん切れて、
『ビニールか何か敷くから貸して~』と頼んで、ドレン水を外に排出する工夫をします。
『ハイ、水は中にこぼれないように直りましたよ』、
『でもね、リモコンも付いとらん物凄い古いエアコンなの、ばあちゃん、息子さんたちに “エアコンいいの買って、買わんといけんと電気屋さん言っとたよ” と頼むんだよ』とばあちゃんに伝えます。
お盆と正月くらいしか集まらないことでしょう。
親孝行に、エアコン買ってとばあちゃん頼んでもバチは当たらんお盆です。
楽(たの)しみは 紹介されて エアコンや 新規に売れて テレビ出るとき
エアコンの工事を終えて試運転をしながら、お客さまとお話しします。
「うん、今までは近くのY電気店にお世話になってたけれど、店主が亡くなってね」、
「量販店から買い慣れてないし、やっぱり町のでんき屋さんに世話になりたいしね」と、ご主人のFさんは話し始められます。
Fさんちは、
当店の大切なお客さまMさんからの紹介なのです。
Fさんはお話しされます。
「電気屋さん、アトムさんはいいね。若い元気な跡取りさんが継いで、仕事もおおぜいの個人客が相手で」、
「部品の下請けの仕事を何十年もやって来たけれど、大変ですよ。息子にも継がすの止めようかと考えてるのよ」なんて、仕事の苦労を話されますね。
「電気屋さんとこの、時代に合わせた仕事のやり方、どうなん」と尋ねられます。
『町のでんき屋もここ何十年と、店の数減るばかりなのです。
でも、若いもんと夢をもってやっているからには、いろいろ時代に合わせて工夫しているつもりで頑張っています』、
『MさんからFさんちを紹介されたように、
紹介されたお話から、エアコンでもなんでも売れる件数がおかげさんで多いのです』、
『とっても多いのです』、
『それに、ネットなどでご来店のお客さまも多くて、ありがたい事だと感謝しているのです』なんてお話しいたします。
Fさんの苦労話を聞くことから始まった会話が、
電気屋さんのお客さまの増える話に代わってしまいました。
振り返ってみましても、
当店は、創業当時から一軒一軒ローラー作戦のように、外回りの営業活動の毎日でした。
だからと言って、
バンバン新規のお客さまが増えたような感じはしませんでした。
今です。
今はほとんど昔のような営業活動は致しません。
ところがどうでしょうか、
お客さまからのご紹介での新規のお取引が、とてもとても多いのです。
今月のひと月を、
ちょっと振り返り思い出してみましても、新規の紹介での配達取付の場面ばかりが出てまいります。
それと同じような数だけ、新規のご来店です。
全部と言ってよいでしょう。「ネットで検索しましてこの店にしました」とご来店のお客さまが続きます。
落雷の被害で困って検索、
当店で初めてお買い上げのIさんは凄い。エアコンからパソコンまでまとめ買いになりました。
すると今度はそのご親戚が、
「テレビ2台買うわ、じいちゃんばあちゃん用に2台」と、お盆に間に合ったとお買上げですね。
エアコンの試運転中にFさんとお話しした、
お客さんが次から次に増える楽しみ、昨日も今日も続きます。