落合順平 作品集

現代小説の部屋。

からっ風と、繭の郷の子守唄(107)

2013-10-06 12:47:22 | 現代小説
からっ風と、繭の郷の子守唄(107)
「いい歳をした大人の告白は、甘く切なくまた、誠実に」





 「ついさっきまで温泉に入っていたとは言え、この季節になると
 山の気温は急激に冷えてきます。湯冷めをしないうちに早めに車へもどりましょう」

 「もう戻るん?。残念どす。
 康平くんが温めてくれれば、30分でも1時間でも見とったいのに。惜しいなぁ」


 「君がそう言うだろうと思って、次のスポットもすでに考えてあります。
 ただし道路の一部から見るので、外ではなく、車の中から夜景を見下ろすことになる」

 「いたれりつくせりの詐欺師みたいな見事な手際どすなぁ、今夜の康平くんは。
 そうどすやろ。こんな場所で夜景を見もって長い告白をお互いに繰り返しとったら
 あっというまに、2人して風邪をひいてしまいます。
 分かりました。すみやかに移動をしましょう。次なる『告白のための』スポットへ」



 螺旋階段を下りるとき、千尋がなにげなく康平の腕につかまります。
急速に冷え込んできた夜気のなか、洗いたてのまましっとりとしている千尋の髪からは、
ほのかにジャスミン系の微香が漂ってきます。
階段を下りる速度を緩めた康平が、横のスペースを半分ほど開けます。
するりと横へ降りてきた千尋が、康平を見上げながら身体を軽く密着させてきました。



 「ホンマです。すこしだけ寒くなってきました。うふふ」


 康平が次に目指したスポットは、開発が中断をしているままの別荘地です。
ひな壇状に造成がはじまった別荘地は、南東方向へせり出した形のまま工事が中断をして、
現在は、枯れ草ばかりの空き地状態に変わり果てています。
針葉樹の林が50mあまりにわたってポッカリと口を開け、ちょうど額縁におさまるような形で
彼方にひろがる、夜景の様子を見下ろすことができます。


 「ここから見えるのは、銘仙を織り出した伊勢崎市と、
 最上級の『お召』を生んだ織物の街、桐生市の夜景です。
 糸を紡ぐ君にしてみればここから見える夜景の方が、お似合いのポイントかもしれない。
 伊勢崎市の市街地を横切っていく、光の無い黒い帯のような部分がみえるだろう。
 あれが、利根川の流れです。」



 「人口が20万人の伊勢崎市。12万人の桐生市・・・・どちらも小さな地方都市ですなぁ。
 でも、ここに居るとなんだか不思議な気分がしてきます。
 ここから見えとるのは、そのごく一部だとは思うてが、
 泣いたり笑ったりしもって毎日を暮らしとるたくんはんの、そげな明かりの洪水です。
 明かりの数だけ人が居て、人の数だけそれぞれの喜怒哀楽の人生がある。
 そないな夜の街の様子を、誰もおらん山奥でふたりっきりで見つめとるなんて、
 まったく生まれて初めての体験どす」


 「夜景を見るのは、生まれて初めてですか?」


 「阿呆をことを言いまへんの。恋をしたことくらいはあります。
 恋人と肩を寄せ合ってロマンチックな気分で夜景を見下ろすことと、
 自分の人生を見つめながら、しんみりと夜景を見おろすのは、また別の問題どす」

 「人生を見下ろす?」


 「夜景は見下ろしてもかまおりませんが、人生は見つめるものどす。
 うふっ。緊張感を和らげようとする、康平くんならではのウイット(冗談)どすなぁ。
 大丈夫どす。女は開き直ると強い生き物どす。
 あたしが恋をしたのは、嵯峨野の美術大学へ通っとる頃のことで、
 お相手はあんたもよくご存知の英太郎はん。フルネームは小杉英太郎どす。
 いっぺんは、お互いに将来を誓い合いました。
 学生と社会人どしたがあたしたちは、いつのまにかそういう間柄になっておりました。
 突然のある出来事がおこるまでは・・・・」


 「ある出来事?。」


 「まるっきし予期せいなんだあたしの病気どす。
 これからお話しすることはあんたはんにとっても、むちゃ大切な大人の話になります」


 康平が入れた暖房により、狭い軽車両の室内は苦もなく温まり、暑いほどになってきました。
フロントガラスが外の冷気と触れ合い、やがて、薄く雲りはじめます。
夜景が水滴の向こうへぼんやりと霞みはじめた頃、千尋が助手席の窓を少しだけ開放します。
冷え切った夜の空気が、千尋の髪を揺らし康平の頬を撫で、一瞬にして車内を駆け巡ります。
ほっと一息をつく瞬間が訪れたあと、千尋が足を揃え再び姿勢をただします。



 「最初の違和感は、22歳のとき。
 あたしは普通に美術大学へ通う女の子で、将来的には美術の先生になると決めていました。
 彼はコンピューター関係のソフトを作る会社で、すでに働き始めていました。
 週末は彼のアパートへ行き、あたしが下手なご飯をつくり、
 二人でゲームを楽しんだり、時にはカラオケやボーリングにも出かけました。
 普通の恋人たちと同じように、ごく普通に性生活なども始まりました。
 あまりそのことへの、罪悪感は感じませんどした。
 彼が求めれば普通に応じるという感じで、ごく自然に始まり、ごく自然のまんまに継続をしました。
 1年くらい経った頃、その症状が現れました。
 恐る恐る訪ねた病院での診察は、『子宮頸がん」という診断どした」


 (ついに来るべきときが来た・・・・)康平が運転席で背筋を伸ばします。
千尋は前を向いたまま、曇りガラスのようになってきたフロント越しに、ひたすら
目線を変えず、夜景を見つめています。



 「子宮頸がんの進行は、がん細胞が子宮頸部の粘膜の上皮にとどまっとる状態の0期から、
 子宮のまわりの臓器や他の臓器に転移するIV期まで、段階によって
 それぞれ分類をされています。
 0期か、またはIa1期までのごく初期の段階に発見をできれば、子宮頸部の一部を
 切り取る手術、『円錐切除術』と呼ばれる手術だけで済み、妊娠や出産なども可能どす。
 Ia2期以降になると、子宮の全摘出を行うようになってます。
 さらにすすんだII期では、卵巣や卵管も含め生殖のためのすべての機能を
 取り除く手術などが必要どす。
 また、さらにがんが進行をしとる場合には、放射線治療や化学療法などが
 並行して行われるようになるそうどす。
 あたしの場合、円錐切除術で切り取った組織を詳しく検査をした結果、
 進行した子宮頸がんであることが判明しました。
 その結果、子宮を摘出する手術などの、より積極的な治療が
 切羽詰って必要になってきました」


 康平が、喉の渇きを覚えています。
淡々と語り続ける千尋は、前を見つめたまま、背筋を伸ばした姿勢をいまだに崩しません。
精一杯冷静に自分の症状を語り、事態の真相を康平に伝えることのみに専念をしています。
女として大切な臓器を失ったことがこの先で一体何を意味しているのか、それは
千尋自身こそが一番良く理解をしていることであり、自覚をしている部分です。
子宮の摘出を決意をしたあの日のように、今夜の千尋はまた、正面をひたすら見つめたまま、
自分自身に正直に、また康平のためにも正直に、そのすべてを、
さらけだそうとしています。





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