落合順平 作品集

現代小説の部屋。

からっ風と、繭の郷の子守唄(109)

2013-10-08 10:54:17 | 現代小説
からっ風と、繭の郷の子守唄(109)
「難しい岐路に立たされたふたりが見つけた、とりあえずの夢は・・・」




 「あたしたちはお互いに・・・・
 赤い糸が別々にもつれたまんま、間違ってここで出会ってしもたようどす。
 でも今のあたしは、ここで立ち止まりつもりはおまへん。
 走り始めてしもたあたしの心は、もう自分の力では、止めることがでけしません」


 フロントガラス越しに広がりを見せる、市街地の夜景を見つめたままの千尋が、
自分自身に言い聞かせるように、言葉を選びながら、ポツリポツリとつぶやいていきます。
『タッチ』の軽快なCDが途切れたあとの車内に、再び静寂が戻ってきました。
エンジンの規則正しいアイドリングと、暖かい空気を吹き出してくるエアコンの
音ばかりが耳に充満をしていきます。


 「すんまへん。すっかり忘れておりました・・・・
 いまんまでの感謝の気持ちを込め、今年の「ぐんま黄金』から採れた最初の糸で、
 知り合いに頼み、シルクのミニマフラーを作ってもらいました。
 タオルよりもちょっぴりいかいなサイズどすが、マフラーの半分ほどのサイズどす。
 ちょい首が寒い時のネックウォーマーの代わりになると思うて。
 よかったら使うてくださいな」



 黄金色のミニマフラーが、ふわりと康平の手に渡されます。
『ぐんま黄金』はその名前が示す通り、最初から鮮やかな黄金色をしている糸です。
群馬県の蚕種試験所が独自に育成した蚕品種の「ぐんま」と、中国種との交配によって
作り出された、黄金色系のまったく新しい品種です。
繭糸はきわめて細く、独特の黄金色の光沢が特徴で、しなやかな風合いをもつ、
希少価値の高い逸品と、既に高く評価をされています。


 「半年余りのお付き合いで、ミニマフラーか・・・・
 そうすると交際の一周年記念プレゼントは、マフラーに昇格をするのかな?」


 「群馬県のオリジナル蚕品種は全部で、「世紀二一(せいきにいち)」を筆頭に
 「ぐんま200」、「新小石丸」、「ぐんま黄金」、「新青白(しんせいはく)」、
 「蚕太(はんた)」、「上州絹星(じょうしゅうけんぼし)」
 など、選りすぐりの7種類が、製品ラインナップされています。
 1周年記念日には、「世紀二一」で、あんたのお好みサイズで、マフラーを作ります。
 2周年記念日になったら、「ぐんま200」の糸を使って、別の風合いの
 マフラーを作りたいと思います」


 「ちょっと待って。なんでプレゼントがマフラーばかりなんだい。
 例えば絹のネクタイとか、ハンカチとか、絹製品の小物類なら他にももっとたくさんあるだろう。
 よりによって、なんでマフラーばっかりになるんだ・・・」


 「あんたに首ったけなのどすから、マフラー以外はあげません。
 まだお試し期間中ですので、今回は残念もってミニマフラーで我慢してくださいな」



 「お試し期間中?。試されているのかい、いまだに俺は」


 「えええ。あたしと本気で付き合うということは、
 いつの日か、あんたのお母はんを苦しめて、結果的には泣かせることにも相成ります。
 あんたも軽々しく子供が産めへん女と、交際をするなどと決めいでください。
 考える時間なら、なんぼでも有ります。
 それにいっぺん決着をしたこととはいえ、あたしは京都からやって来た英太郎はんを、
 あんたは初恋の美和子はんという人を、いまだに心に引きずりもって生きています。
 結論を急ぐ必要は無いと思うて。
 あんたにすべてをあげてもええとあたしは考えていますが、ほして重荷になってたくおまへん。
 あたしも自重をいたしますので、あんたも欲望に、どうか目をつぶってください。
 どうしてもというのなら、キスくらいなら受け入れます。
 えええ・・・・実はだいぶ前から、あたしの方からあんたへキスがしたいと思っています。
 ごめんなさい。またあんたを攪乱するようなことを言うてしまいました」



 「時には我慢も必要だと思いますが、あなたを見ていると俺にもその自信がありません。
 実際に誰もいないこの状況の中で、密かに、妙な期待を持っている自分もいます。
 女性としてのあなたの魅力に、メロメロになりかけている俺自身がいます。
 欲望に蓋をしろというのは残酷ですが、それもまた大切なことかもしれません。
 だが、それでも、あなたが好きだというこの気持ちに、一切変わりなどはありません」



 「また、無理強いをお願いしてしまいました。
 愛と性が車の両輪だということは、子供ではおまへんので良く理解しとるつもりどす。
 あたしもすでに、あんたが欲しいと思うトコまで達しています。
 でもお互いに、気持ちの整理などをつけた後でなければ、必ず悔いなどを残します。
 その時がきたならば、あたしの方からあんたへすべてを喜んでさしあげますさかいに。
 そういうお約束でよければ、この先もあたしとつきおうてください。
 もうあんた無しでの日常は、考えられへんトコまで、あたしは来とるのどす。
 ごめんなさい。好き勝手ばかりの扱いにくい女で・・・・」


 ふたたび車内へ、長い沈黙が戻ってきました。
唇をかみしめたままの千尋は、そのまま一向に動く気配をみせません。
康平もまた、深い息を吐いたあと、まったく動く気配をみせず腕を組んだまま固まってしまいます。
もう語るべき言葉も見つからない2人は、思い思いの沈黙の中へ、ひたすら別々に沈んでいきます。
5分、10分と時間が経過をする中、またフロントのガラスが白く曇りはじめてきました。
存分に冷えきってきた山の空気が、暖房との著しい温度差をつけはじめてきたために、
フロントガラスの内側へ、細かい水滴などをつけはじめてきます・・・・


 「曇ってきたわな。外がまた一段と冷えてきたのかしらねぇ」



 千尋がハンカチを使ってフロントガラスを、ゆっくりとふき始めました。
助手席から運転席へと、少しずつ身体を乗り出すような形で、丁寧に拭きすすめます。
ふと、その手が停ります。『あら・・・』と小さくささやいてから、康平を誘うように
千尋の指が、はるかな上空を指し示します。


 「ねぇ。・・・・ほら。あんなトコに、幸運の流れ星」



 『え?』と康平が身体を乗り出します。
康平が上空を見上げたその瞬間、無防備のままの横顔へ、千尋が素早く唇を押し付けます。
慌てて振り返った康平の目の前には、恥ずかしさを精一杯こらえながら、それでも必死に
康平を見つめている千尋の黒い瞳があります。


 「なんだったんだよ、今のは。よく分からなかったぞ・・・・」


 「どっちやの。上空の流れ星のほうかしら。それとも、あたしからの突然のキス?」


 「後者の方。もちろん」


 「欲望に火をつけへん程度でな。
 そないに言うなら、そないならやり直しの、大人のキスなどをもういっぺん」



 「君から、やり直しをもう一度。
 俺のほうからは、それにお返しのキスということで、もう一度いこうか」


 「阿呆やねぇ。野暮なことはいいまへんの。
 回数のことなんかどうでもええのん・・・・大人やもの」






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