からっ風と、繭の郷の子守唄(111)
「DV亭主との離別を決めた美和子は、貞園のマンションにかくまわれる」
岩場を巡る山登りを無事に終えた康平と千尋は、早めの夕食を済ませてから
二人が落ち合った場所、上信越高速道の松井田妙義の出口ランプで別れます。
千尋は安中市のアトリエに帰り、康平は高速を使って前橋のインターを目指して戻ります。
別れ際に、車から降りようとする康平を千尋が呼び止めます。
「タッチのあの上杉達也じゃおまへんが、『敬遠』もいっぺんすると癖になってます。
キスも、いっぺんすると癖になってしまうようどす。
今日は一日おおきに。気をつけて帰って下さいな。今度はあたしが前橋へ行きますから」
『見送られるのは好きじゃおまへんので』と口にして、千尋が先に車を発進させます。
貞園からの電話の件を覚えていて、先に姿を消していったような気配があります。
赤いテールランプが国道へ消えていくのを見届けてから、康平がポケットから携帯を取り出します。
着信へ残っている番号から、貞園をあらためて呼び出します。
呼び出しのコールの音がなち続ける中、当の貞園はなかなか電話に出てきません。
もう一度かけ直そうとした瞬間、『お待ちどうさま』と、いつものように
すました声で、貞園が応対してきました。
「ずいぶんと早い時間帯での電話です。
やっと日が暮れたばかりだというのに、もうお別れのキスまで片付いてしまったのかしら?
私ならしつっこく迫って、一晩中でも離しませんが・・・うふふふ。
ごめんね。今、マンションの外まで出てきたところです。
もうこちらへ戻って来られるのなら、どこか別の場所で会いましょう。
妊婦さんはいま、やっとのことで眠りました。
事情を説明しますから、天神通りのいつもの2階のカフェで会いましょう」
「わかった。高速で戻るから、30分もあればそこへ着く。
大丈夫なのか、美和子は?」
「ばっかじゃないの。大丈夫じゃないから、マンションでかくまうの。
おかげで私たちの愛の巣が使えなくなるから、パパとの愛が疎遠になるかもしれません。
冗談よ。そっちのほうは、なんとか都合をつけますから、心配しないで。
あなたは安全運転で帰ってきて下さい」
そう言うなり、いつものように通話は、また貞園のほうから突然切れてしまいます。
『かくまう』という言葉の響きが、これからの『もつれ』と長期戦の様相を何故か連想させます。
それにしても別離の理由が、単にDVだけが原因ではないだろうと、高速を疾走しつつ、
康平が頭の中で事態の推測をはじめています。
何かが、悪い方向へと動き出しはじめたのかもしれない・・・そんな不安もかすかに覚えながら、
上信道から関越高速へ乗り換え、康平のスクーターが前橋市のインターを目指して急ぎます。
約束のカフェで、すでに貞園は時間をもてあましたように待機していました。
真っ赤なジャケットに首を半分埋めたまま、上目使いで康平を出迎えます。
テーブルへ置かれたティカップがすでに空になっているところを見ると、どうやら
電話を切ったその足で、そのままここへ移動してきたようです。
「せっかくの機会だから、一杯飲みたいな。
もう美和子からも、千尋ちゃんからも邪魔が入らない大人の時間帯です。
パパには今日からお客様が部屋へお見えだから、当分のあいだは無理ですからと
先ほど断りの電話をいれておきました。
どうしてくれるのさ、康平。すっかりと手持ち無沙汰な展開になってしまったじゃないの。
責任を取ってくれるでしょ。
私ったら、あっというまに、暇を持て余す有閑マダムに転落だもの」
「突然のこととは言え、ずいぶんと苦労をかけるね。
じゃ、洋子ママのところへでも行こうか。
君の言う、大人の時間というやつを、たっぷりと2人で満喫しょう」
「恋をするようになるとあれほど呑気だった康平でも、決断が早くなるようです。
気が変わらないうちに、早くいきましょう」
いきなり立ち上がった貞園が、康平の左腕にしっかりとしがみついてしまいます。
急接近をした貞園からは、どこからか誘惑的なかすかな香水が漂ってきます。
(おいお前。本気でまさか、俺を口説くつもりじゃないだろうな・・・)と、康平が
貞園の目を覗き込みます。
「あら。今夜は本気に決まっているじゃないの。
1番好きな人が、身ごもっている美和子でしょ。
でも当の彼女も今頃は、すっかりと疲れ果ててやっとのことで夢の中。
2番目に割り込んできたのが、京都からやって来たあのちょっとキュートな糸繰り女だ。
でもこいつも、今日のデートに満足をしているから、もうそろそろ夢の中だ。
満たされていないのは、もう私だけなのよ、康平!。
まったくもって、なんでいつも私が、3番目なのさ。頭にくる」
早足の貞園に引きずられるような形で、洋子ママのいる「スナック由多加」へ到着します。
ドンとドアが開け放たれた瞬間、カウンターに一列に座った常連客と洋子ママが、
驚いたような顔を見せて、一斉にこちらを振り返ります。
『あらら、珍しい。10年越しの純愛コンビの登場だ』ママが、目を細めて笑い始めます。
『姉ちゃん、今日も日本酒を飲むか。いくらでもご馳走するぞ!』と常連客たちも上機嫌です。
「ありがとう、あとでたっぷりといただきます。
ママ。私と康平には黒霧島のお湯割りと、つまみは康平のおごりで適当にだしてちょうだい。
今夜はたっぷり飲みますから、誰も私を止めないでね」
「あらら。今日の貞ちゃんは上機嫌です。何かいいことでもあったのかしら」
「ママさん。いいことが始まるのは、これからです。
康平を独り占めにして他のお店で飲むなんてたぶん、これがきっと最初で最後の出来事です。
ねぇ、兄貴。こんなことが年中あったら困るわよね。
いくら鈍感なわたしでも、そのくらいの事はわかっています」
(そういえば始めてだ・・・・よそで貞園と飲むのは)なぜか康平も納得をしています。
「ひきこもりは、長引く気配があるのかい?」
「なんで長引くと思うの、康平は」
「かくまうという言い方が、尋常じゃない。
夫婦間のDV問題なら、ある意味で、美和子は慣れっこになっていたはずだ。
妊娠をしているとは言え、何故かいまさらという感もある。
なにか他に、離別を決意させるほどの重大な理由が発生をしたか?」
「それが有るからこそ、あえてかくまっったの。
なくなったのよ。今までDV亭主が押し入れの天井裏に隠し持っていた、
あの、例の拳銃が」
「な、なに・・・・あの拳銃がなくなっただって!」
「しっ。声が大きい!。
だから・・・・落ち着いてよ、静かに康平。静かに、冷静に。冷静に」
・「新田さらだ館」は、
日本の食と、農業の安心と安全な未来を語るホームページです。
多くの情報とともに、歴史ある郷土の文化と多彩な創作活動も発信します。
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「DV亭主との離別を決めた美和子は、貞園のマンションにかくまわれる」
岩場を巡る山登りを無事に終えた康平と千尋は、早めの夕食を済ませてから
二人が落ち合った場所、上信越高速道の松井田妙義の出口ランプで別れます。
千尋は安中市のアトリエに帰り、康平は高速を使って前橋のインターを目指して戻ります。
別れ際に、車から降りようとする康平を千尋が呼び止めます。
「タッチのあの上杉達也じゃおまへんが、『敬遠』もいっぺんすると癖になってます。
キスも、いっぺんすると癖になってしまうようどす。
今日は一日おおきに。気をつけて帰って下さいな。今度はあたしが前橋へ行きますから」
『見送られるのは好きじゃおまへんので』と口にして、千尋が先に車を発進させます。
貞園からの電話の件を覚えていて、先に姿を消していったような気配があります。
赤いテールランプが国道へ消えていくのを見届けてから、康平がポケットから携帯を取り出します。
着信へ残っている番号から、貞園をあらためて呼び出します。
呼び出しのコールの音がなち続ける中、当の貞園はなかなか電話に出てきません。
もう一度かけ直そうとした瞬間、『お待ちどうさま』と、いつものように
すました声で、貞園が応対してきました。
「ずいぶんと早い時間帯での電話です。
やっと日が暮れたばかりだというのに、もうお別れのキスまで片付いてしまったのかしら?
私ならしつっこく迫って、一晩中でも離しませんが・・・うふふふ。
ごめんね。今、マンションの外まで出てきたところです。
もうこちらへ戻って来られるのなら、どこか別の場所で会いましょう。
妊婦さんはいま、やっとのことで眠りました。
事情を説明しますから、天神通りのいつもの2階のカフェで会いましょう」
「わかった。高速で戻るから、30分もあればそこへ着く。
大丈夫なのか、美和子は?」
「ばっかじゃないの。大丈夫じゃないから、マンションでかくまうの。
おかげで私たちの愛の巣が使えなくなるから、パパとの愛が疎遠になるかもしれません。
冗談よ。そっちのほうは、なんとか都合をつけますから、心配しないで。
あなたは安全運転で帰ってきて下さい」
そう言うなり、いつものように通話は、また貞園のほうから突然切れてしまいます。
『かくまう』という言葉の響きが、これからの『もつれ』と長期戦の様相を何故か連想させます。
それにしても別離の理由が、単にDVだけが原因ではないだろうと、高速を疾走しつつ、
康平が頭の中で事態の推測をはじめています。
何かが、悪い方向へと動き出しはじめたのかもしれない・・・そんな不安もかすかに覚えながら、
上信道から関越高速へ乗り換え、康平のスクーターが前橋市のインターを目指して急ぎます。
約束のカフェで、すでに貞園は時間をもてあましたように待機していました。
真っ赤なジャケットに首を半分埋めたまま、上目使いで康平を出迎えます。
テーブルへ置かれたティカップがすでに空になっているところを見ると、どうやら
電話を切ったその足で、そのままここへ移動してきたようです。
「せっかくの機会だから、一杯飲みたいな。
もう美和子からも、千尋ちゃんからも邪魔が入らない大人の時間帯です。
パパには今日からお客様が部屋へお見えだから、当分のあいだは無理ですからと
先ほど断りの電話をいれておきました。
どうしてくれるのさ、康平。すっかりと手持ち無沙汰な展開になってしまったじゃないの。
責任を取ってくれるでしょ。
私ったら、あっというまに、暇を持て余す有閑マダムに転落だもの」
「突然のこととは言え、ずいぶんと苦労をかけるね。
じゃ、洋子ママのところへでも行こうか。
君の言う、大人の時間というやつを、たっぷりと2人で満喫しょう」
「恋をするようになるとあれほど呑気だった康平でも、決断が早くなるようです。
気が変わらないうちに、早くいきましょう」
いきなり立ち上がった貞園が、康平の左腕にしっかりとしがみついてしまいます。
急接近をした貞園からは、どこからか誘惑的なかすかな香水が漂ってきます。
(おいお前。本気でまさか、俺を口説くつもりじゃないだろうな・・・)と、康平が
貞園の目を覗き込みます。
「あら。今夜は本気に決まっているじゃないの。
1番好きな人が、身ごもっている美和子でしょ。
でも当の彼女も今頃は、すっかりと疲れ果ててやっとのことで夢の中。
2番目に割り込んできたのが、京都からやって来たあのちょっとキュートな糸繰り女だ。
でもこいつも、今日のデートに満足をしているから、もうそろそろ夢の中だ。
満たされていないのは、もう私だけなのよ、康平!。
まったくもって、なんでいつも私が、3番目なのさ。頭にくる」
早足の貞園に引きずられるような形で、洋子ママのいる「スナック由多加」へ到着します。
ドンとドアが開け放たれた瞬間、カウンターに一列に座った常連客と洋子ママが、
驚いたような顔を見せて、一斉にこちらを振り返ります。
『あらら、珍しい。10年越しの純愛コンビの登場だ』ママが、目を細めて笑い始めます。
『姉ちゃん、今日も日本酒を飲むか。いくらでもご馳走するぞ!』と常連客たちも上機嫌です。
「ありがとう、あとでたっぷりといただきます。
ママ。私と康平には黒霧島のお湯割りと、つまみは康平のおごりで適当にだしてちょうだい。
今夜はたっぷり飲みますから、誰も私を止めないでね」
「あらら。今日の貞ちゃんは上機嫌です。何かいいことでもあったのかしら」
「ママさん。いいことが始まるのは、これからです。
康平を独り占めにして他のお店で飲むなんてたぶん、これがきっと最初で最後の出来事です。
ねぇ、兄貴。こんなことが年中あったら困るわよね。
いくら鈍感なわたしでも、そのくらいの事はわかっています」
(そういえば始めてだ・・・・よそで貞園と飲むのは)なぜか康平も納得をしています。
「ひきこもりは、長引く気配があるのかい?」
「なんで長引くと思うの、康平は」
「かくまうという言い方が、尋常じゃない。
夫婦間のDV問題なら、ある意味で、美和子は慣れっこになっていたはずだ。
妊娠をしているとは言え、何故かいまさらという感もある。
なにか他に、離別を決意させるほどの重大な理由が発生をしたか?」
「それが有るからこそ、あえてかくまっったの。
なくなったのよ。今までDV亭主が押し入れの天井裏に隠し持っていた、
あの、例の拳銃が」
「な、なに・・・・あの拳銃がなくなっただって!」
「しっ。声が大きい!。
だから・・・・落ち着いてよ、静かに康平。静かに、冷静に。冷静に」
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