からっ風と、繭の郷の子守唄(115)
「いじめたんじゃないでしょうねと、結局は怒られる岡本」
チロル風のドアの鐘がなった瞬間、辻のママが岡本のところへ駆け寄ってきました。
奥に見えているいつもの座席には、酒のしたくとすでに飲み始めている俊彦の姿があります。
ママが至近距離から、岡本の目をしげしげと覗き込みます。
「あんた。可愛い千佳子のひとり息子に、間違っても乱暴なんかしなかったでしょうね。
あやしい雰囲気で座敷を出て行ったから、もしやと思っていたけれど、
あの子をボロボロなんかしたら、あたしが承知をしませんからね」
「ボロボロに、なっちゃいないと思うが、
気の利かないあいつのやることだ。ボロくらいにはしちまったかもしれん。
手加減が下手くそだから、時々勢いが余ることもある。悪いなぁ。心配をかけちまって」
「誰があんたの心配なんかするもんか。心配しているのはあの子のほうさ。
口で言えばわかるものを、昭和の任侠映画じゃあるまいし、最後は暴力でカタをつけるんだもの。
まったくもって救いようがありませんねぇ。前近代的すぎるボケ極道は」
「おいおい。俺だって泣く泣く千佳子のひとり息子をいためつけたんだ。
拳どころか、胸が痛くて、さっきから俺の心が悲鳴をあげている」
「よく言うわよ。この人でなしの鬼瓦が。
トシさんにも謝っておきなよ。可愛い一番弟子をいたぶったんだもの。
で、どうするの。タクシーを呼ぶなら手配をしておくけど」
「いや。若い2人に俺の車で送らせる手はずをした。
今夜は、俺の帰りの車はもう無い。ママが送ってくれると言うのなら大歓迎だ」
「お天道様が西から出ても、絶対に送ってなんか行きません。私は。
タクシーも呼んであげないから、暴力男は勝手にとっとと歩いて帰るがいいさ。ふん!」
大きな足音を立てながら、立腹の様子を見せたママが厨房へ歩き去ってしまいます。
『やれやれ、また、怒られちまった』と岡本も、俊彦の前へ、元気なく腰を下ろします。
姿が見えた時から焼酎の準備をはじめていた俊彦が、岡本の前へ『ご苦労さん』と言いつつ、
出来上がったグラスをゆっくりと、差し出します。
「お前さんに、相談事に来た康平をぶん殴ったんだって。
本来なら俺が聞いてやるべきことなんだろうが、あいつもよほど切羽つまっていたんだろう。
悪いなぁ。貧乏くじをお前にひかせちまったようだ。まぁ、一杯やろうや」
「あのおしゃべり女め。もう話しを全部筒抜けにしてやがる」
「そう言うな。ママだって千佳子のひとり息子のことを心配しているんだ。
そういうお前さんだって、初恋の千佳子のひとり息子を、ぶん殴る役目をいやいや背負ったんだ。
痛いし、辛い思いをしたのはお互い様のようだ。
お前さんのその想いが、康平にもちゃんと伝わるといいんだがなぁ」
「お前さんの一番弟子は頭がいい。機転もよく利く。
だがな、問題はあの性格だ。人はいいが、優しいだけじゃこの世は生きちゃいけねぇ。
鬼千匹というほど、渡る世間には鬼が棲んでいるんだ。
だがそれも、今回ばかりは少しばかり様子が違ってきたようだ・・・・
悪知恵なんぞを使い始めてきたから、今度は、ひょっとしたら化けて
モノになるかもしれん」
「どう言う意味だ?」
「恋愛に関してはお前も、お前の一番弟子も、まったくもって奥手過ぎて下手くそだ。
料理の腕とセンスは一流だろうが、愛する女のために何が何でも目の前の難局を
切り抜けて行こうという気迫が,なぜか足らん。
だいたい、放っておいても女の方からやってくるだろうという態度が、俺には気に入らん。
世の中、そんな甘いもんじゃない。
女という生き物は、男が必死でかばって守ってやるものと相場が決まっている。
どうするんだよ清子のことは。いい加減で湯西川から呼び寄せて、所帯を持て。
娘の響が嫁に行く前に、清子を嫁に迎えておけば、お前も晴れて響の『花嫁の父』になれる。
どうだ。決して悪くはない話だろう?」
「大きなお世話だろう、その件は。
それよりも、康平の肝心の話の中身はいったい何だ。
手伝える仕事なら、俺もあいつのために、ひとはだ脱ぐ」
「おう、それだ。
実はな、一人ばかり国外逃亡させようという企てが浮上をしてきた。
それも今月の半ばから、一週間前後が山場という、ちょっと緊急きわまる話だ。
お前さんのところで、密航の準備が整うまでのちょっとの間、
そいつをかくまって置いてくれるとありがたい」
「密航で、国外逃亡をさせるのか?。まるでスパイ映画みたいだな。
原発の被爆患者の面倒を見てやったと思えば、今度は密航の手助けをしたりと、
近頃の不良は、ずいぶんと多忙だな。
いいさ。そのくらいでよければ簡単なことだ。いつでも連れてこい」
「ついでに、例の病院の先生にも密かに話をつけておいてくれ。
もしかしたら銃撃戦がおっぱじまって、そいつが怪我をするという可能性もある」
「銃撃戦?。やばい話だな。だがそうなると事態は、ますます面白くなりそうだ。
で、どうなんだ。結果に勝算はあるのか?。うまく事はすすみそうなのか?」
「襲撃の期日ははっきりしているし、場所も特定できている。
事情を話せば、協力者になってくれそうな女の子もひとりいるそうだ。
あとで康平から、その協力者になるという女の子の電話番号を聞き出しておいてくれないか。
一度行き会ってみて、俺からもそいつに協力を頼んでくる」
「なんなのさ。心配してたのに、さっきまで泣いていたカラスがもう豹変しているわねぇ。
面白そうなお話で、ずいぶんと盛り上がっていますねぇ。ちょい悪のオヤジどもが」
背後から刺身の皿を持った辻ママが、密談中の2人の間へ割り込んできます。
『はい。どこかの不良の心労とやらをねぎらって、私からの陣中見舞い!』と2人の
テーブルの上へドンとばかりに、岡本の好物が大皿で置かれます。
「で。さっきからヒソヒソこそこそと、いったい何のお話をしているのさ?
可愛い千佳子にもおおいに関係がある話だもの。なにかあれば私だってひとはだ脱ぎます。
なによ、その目は。こう見えても一度もお嫁に行っていないこの肌は、
シミひとつないし、白いうえに柔肌で、お餅のように綺麗そのものなのよ。
あらら・・・・まったく関係のないことを、なんでペラペラと語っているのかしら。
いやですねぇ・・・いくつになっても売れない、独り身の女というものは!」
「あはは。ママよ。心配すんな。
ちょうど今、カラオケを歌う順番を決めていたところだ。
2番目は俺が歌う高倉健で、曲名はやっぱり、18番(おはこ)の『網走番外地』。
3番目は北島三郎の『兄弟仁義』を、ここにいるトシが歌う。
となれば当然のこととして、口開けの1番目はママが歌ってくれる
藤純子の『緋牡丹博徒』で決まりだろう。
という話がたった今、俺とトシの間できまったばっかりだ。
さすがにママだね。タイミングをわきまえての登場ぶりは、やっぱり千両役者だ」
「なんだか、上手い具合に、はぐらかされてしまいました。
そうですね。難しい話なんかはさておいて、不良トリオでカラオケとまいりましょうか。
背中へ入れたこの緋牡丹の刺青を、殿方が見てくれるのはいつの日のことでしょう。
ああ・・・今夜も切なく、ひとりで寝るか。あきらめて。独り身のあたしは・・・
うっふふ。馬鹿ばかり言ってないで、不良の歌でも入れるか、早速に」
・「新田さらだ館」は、
日本の食と、農業の安心と安全な未来を語るホームページです。
多くの情報とともに、歴史ある郷土の文化と多彩な創作活動も発信します。
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「いじめたんじゃないでしょうねと、結局は怒られる岡本」
チロル風のドアの鐘がなった瞬間、辻のママが岡本のところへ駆け寄ってきました。
奥に見えているいつもの座席には、酒のしたくとすでに飲み始めている俊彦の姿があります。
ママが至近距離から、岡本の目をしげしげと覗き込みます。
「あんた。可愛い千佳子のひとり息子に、間違っても乱暴なんかしなかったでしょうね。
あやしい雰囲気で座敷を出て行ったから、もしやと思っていたけれど、
あの子をボロボロなんかしたら、あたしが承知をしませんからね」
「ボロボロに、なっちゃいないと思うが、
気の利かないあいつのやることだ。ボロくらいにはしちまったかもしれん。
手加減が下手くそだから、時々勢いが余ることもある。悪いなぁ。心配をかけちまって」
「誰があんたの心配なんかするもんか。心配しているのはあの子のほうさ。
口で言えばわかるものを、昭和の任侠映画じゃあるまいし、最後は暴力でカタをつけるんだもの。
まったくもって救いようがありませんねぇ。前近代的すぎるボケ極道は」
「おいおい。俺だって泣く泣く千佳子のひとり息子をいためつけたんだ。
拳どころか、胸が痛くて、さっきから俺の心が悲鳴をあげている」
「よく言うわよ。この人でなしの鬼瓦が。
トシさんにも謝っておきなよ。可愛い一番弟子をいたぶったんだもの。
で、どうするの。タクシーを呼ぶなら手配をしておくけど」
「いや。若い2人に俺の車で送らせる手はずをした。
今夜は、俺の帰りの車はもう無い。ママが送ってくれると言うのなら大歓迎だ」
「お天道様が西から出ても、絶対に送ってなんか行きません。私は。
タクシーも呼んであげないから、暴力男は勝手にとっとと歩いて帰るがいいさ。ふん!」
大きな足音を立てながら、立腹の様子を見せたママが厨房へ歩き去ってしまいます。
『やれやれ、また、怒られちまった』と岡本も、俊彦の前へ、元気なく腰を下ろします。
姿が見えた時から焼酎の準備をはじめていた俊彦が、岡本の前へ『ご苦労さん』と言いつつ、
出来上がったグラスをゆっくりと、差し出します。
「お前さんに、相談事に来た康平をぶん殴ったんだって。
本来なら俺が聞いてやるべきことなんだろうが、あいつもよほど切羽つまっていたんだろう。
悪いなぁ。貧乏くじをお前にひかせちまったようだ。まぁ、一杯やろうや」
「あのおしゃべり女め。もう話しを全部筒抜けにしてやがる」
「そう言うな。ママだって千佳子のひとり息子のことを心配しているんだ。
そういうお前さんだって、初恋の千佳子のひとり息子を、ぶん殴る役目をいやいや背負ったんだ。
痛いし、辛い思いをしたのはお互い様のようだ。
お前さんのその想いが、康平にもちゃんと伝わるといいんだがなぁ」
「お前さんの一番弟子は頭がいい。機転もよく利く。
だがな、問題はあの性格だ。人はいいが、優しいだけじゃこの世は生きちゃいけねぇ。
鬼千匹というほど、渡る世間には鬼が棲んでいるんだ。
だがそれも、今回ばかりは少しばかり様子が違ってきたようだ・・・・
悪知恵なんぞを使い始めてきたから、今度は、ひょっとしたら化けて
モノになるかもしれん」
「どう言う意味だ?」
「恋愛に関してはお前も、お前の一番弟子も、まったくもって奥手過ぎて下手くそだ。
料理の腕とセンスは一流だろうが、愛する女のために何が何でも目の前の難局を
切り抜けて行こうという気迫が,なぜか足らん。
だいたい、放っておいても女の方からやってくるだろうという態度が、俺には気に入らん。
世の中、そんな甘いもんじゃない。
女という生き物は、男が必死でかばって守ってやるものと相場が決まっている。
どうするんだよ清子のことは。いい加減で湯西川から呼び寄せて、所帯を持て。
娘の響が嫁に行く前に、清子を嫁に迎えておけば、お前も晴れて響の『花嫁の父』になれる。
どうだ。決して悪くはない話だろう?」
「大きなお世話だろう、その件は。
それよりも、康平の肝心の話の中身はいったい何だ。
手伝える仕事なら、俺もあいつのために、ひとはだ脱ぐ」
「おう、それだ。
実はな、一人ばかり国外逃亡させようという企てが浮上をしてきた。
それも今月の半ばから、一週間前後が山場という、ちょっと緊急きわまる話だ。
お前さんのところで、密航の準備が整うまでのちょっとの間、
そいつをかくまって置いてくれるとありがたい」
「密航で、国外逃亡をさせるのか?。まるでスパイ映画みたいだな。
原発の被爆患者の面倒を見てやったと思えば、今度は密航の手助けをしたりと、
近頃の不良は、ずいぶんと多忙だな。
いいさ。そのくらいでよければ簡単なことだ。いつでも連れてこい」
「ついでに、例の病院の先生にも密かに話をつけておいてくれ。
もしかしたら銃撃戦がおっぱじまって、そいつが怪我をするという可能性もある」
「銃撃戦?。やばい話だな。だがそうなると事態は、ますます面白くなりそうだ。
で、どうなんだ。結果に勝算はあるのか?。うまく事はすすみそうなのか?」
「襲撃の期日ははっきりしているし、場所も特定できている。
事情を話せば、協力者になってくれそうな女の子もひとりいるそうだ。
あとで康平から、その協力者になるという女の子の電話番号を聞き出しておいてくれないか。
一度行き会ってみて、俺からもそいつに協力を頼んでくる」
「なんなのさ。心配してたのに、さっきまで泣いていたカラスがもう豹変しているわねぇ。
面白そうなお話で、ずいぶんと盛り上がっていますねぇ。ちょい悪のオヤジどもが」
背後から刺身の皿を持った辻ママが、密談中の2人の間へ割り込んできます。
『はい。どこかの不良の心労とやらをねぎらって、私からの陣中見舞い!』と2人の
テーブルの上へドンとばかりに、岡本の好物が大皿で置かれます。
「で。さっきからヒソヒソこそこそと、いったい何のお話をしているのさ?
可愛い千佳子にもおおいに関係がある話だもの。なにかあれば私だってひとはだ脱ぎます。
なによ、その目は。こう見えても一度もお嫁に行っていないこの肌は、
シミひとつないし、白いうえに柔肌で、お餅のように綺麗そのものなのよ。
あらら・・・・まったく関係のないことを、なんでペラペラと語っているのかしら。
いやですねぇ・・・いくつになっても売れない、独り身の女というものは!」
「あはは。ママよ。心配すんな。
ちょうど今、カラオケを歌う順番を決めていたところだ。
2番目は俺が歌う高倉健で、曲名はやっぱり、18番(おはこ)の『網走番外地』。
3番目は北島三郎の『兄弟仁義』を、ここにいるトシが歌う。
となれば当然のこととして、口開けの1番目はママが歌ってくれる
藤純子の『緋牡丹博徒』で決まりだろう。
という話がたった今、俺とトシの間できまったばっかりだ。
さすがにママだね。タイミングをわきまえての登場ぶりは、やっぱり千両役者だ」
「なんだか、上手い具合に、はぐらかされてしまいました。
そうですね。難しい話なんかはさておいて、不良トリオでカラオケとまいりましょうか。
背中へ入れたこの緋牡丹の刺青を、殿方が見てくれるのはいつの日のことでしょう。
ああ・・・今夜も切なく、ひとりで寝るか。あきらめて。独り身のあたしは・・・
うっふふ。馬鹿ばかり言ってないで、不良の歌でも入れるか、早速に」
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