落合順平 作品集

現代小説の部屋。

からっ風と、繭の郷の子守唄(118)

2013-10-19 11:59:07 | 現代小説
からっ風と、繭の郷の子守唄(118)
「万一の場合もふくめ、作戦はBからCまで準備してある」




 「作戦Aはすべてが、こちらの筋書き通りに運んだ場合の想定だ。
 だが物事は、そう簡単にこちらの思惑通りに運ばせてはくれないものだ。
 そこで作戦Bの登場だが、これを実行するためにまずは、お前さんに繰り返し、
 シュミレーションしておいてもらいたい作業がある」

 「シュミレーション?。一体、何のためのシュミレーションですか・・・・」



 「暗闇の状態でも、確実に、出口まで到達できるためのシュミレーションだ。
 タイミングを失い、電気を消すのが遅れてしまう場合も有る。
 いきなり銃撃が始まる場合や、護衛役の連中が先に発砲をはじめる場合も考えられる。
 連中だって予備知識なしに『君来夜』へ乗り込んでくるとは思えない。
 当然のことに武装もしてくるだろうし、それなりに周到な下調べもして乗り込んでくるだろう。
 ということは予期しない段階で、前触れもなしに突然、銃撃がはじまっても
 おかしくないという事態も考えられる。
 その時でもやっぱり、一番先に実行するのは急いで電気を消すことだ。
 そうなった場合の用心のために、室内の正確な配置を把握しておく必要がある。
 どこにどんな障害物があり、どこに段差があるのかという事を正確に覚えておく必要がある。
 つまり、暗闇の中でも確実に出口へ辿りつけるための経路を、前もって
 正確に頭の中へ叩き込んでおけ、ということだ」


 「そうか。真っ暗闇という状態の中でも、いち早く銃撃犯を表に連れ出すために、
 出口までの経路を、いつでも頭の中に入れておけという意味ですね。
 でもできるのかしら、私に。だいいち、襲撃犯が私の言うことなんか聞くかしら」



 「修羅場では、信じさせるためのコツがある。
 まず最初に、耳元で『味方だ』とはっきり告げて警戒心を解き、安心をさせる。
 敵の真っ只中へ飛び込んできた奴でよほどの猛者でないかぎり、気持ちは動転をしている。
 『逃げ道を確保してあるから、案内します』と言えば、ほとんどの人間はそれに無条件で従う。
 それでも抵抗をしてダメならば、その時は、見殺しにすればいいだけだ。
 それ以上関わると、今度はお前さんまで立場が危うくなる。
 いいか。間違っても説得しょうなどと考えて、深追いをするんじゃないぞ。
 『逃げよう』と言って着いてくるようならば、そのまま表に飛び出して手下の車で一緒に逃げろ。
 従わない場合は、すぐに諦めて銃撃犯からはさっさと離れろ。
 くれぐれも説得をしょうなどと考えるな。
 大切なのは銃撃犯の救出よりも、最優先すべきは、あんた自身の安全の確保だ。
 修羅場のど真ん中にいると、自らもっている運と冷静な行動だけが結果を左右する。
 下手に粘り続ければお前さんの命まで、危なくなる。
 作戦Bは、土壇場では、素早い判断を間違うことなく下せというシュミレーションだ。
 それが、危険ギリギリでの、お互いの生死を分けることになる」


 「じゃあ、作戦のCというのは・・・・」



 「いっさい何もせずに、その場をやり過ごせということだ。
 電気を消すタイミングを失い、店内で銃撃戦が始まってしまったら、
 急いでカウンターの中へ隠れて体勢を低くしろ。
 または、急いで床に伏せて、どこから飛んでくるか分からない弾から自分を守れ。
 いいかい。そういう事態が始まったら、銃撃犯をたすけるどころか、
 まずは、自分の身を守ることが最優先だ。
 幹部が死のうが、巻き添えをくらって誰かが傷つこうが、いっさい動くんじゃない。
 耳を塞いで銃撃が通り過ぎるまで、ひたすら我慢をすることだ。
 生きて再び店から出てきたかったら、事件を聞きつけて警察がやって来るまで何にもするな。
 ひたすらただ、自分のみの安全だけを守る。それが作戦Cだ」


 貞園が、思わず自分の両肩を抱きしめます。
『遊びじゃないんだよ。姉ちゃん』岡本のギョロリとした眼が、貞園を覗き込んできます。
『無理にとは言わないさ。こんな危険な騒動の中へわざわざ自分から飛びこむんだ。
嫌なら、今すぐやめてもいいんだぜ』と、ニタリと笑って見せてから顔を遠ざけていきます。


 「無理をするこたぁねぇや。君来夜のママに依頼された通り、
 一週間を無事に乗り切れば、君のメンツも頼まれた役割も無事に果たしたことになる。
 銃撃戦が起こることは、その前からわかっていることだ。
 そのときが来たら、いち早く安全なところへ隠れて、警察が駆けつけてくるまで動くな。
 そうすれば怪我をすることもないだろうし、余計な巻き添えもくわないだろう。
 悪いことは言わねぇ。おとなしくしていることが、姉ちゃんの身のためになる」


 「でも、それじゃ、誰も助からなくなってしまいます」



 「気にすることはねぇ。世間ではよくある不良の抗争事件のひとつだ。
 誰が生きようが死のうが、結果がどうなろうが、姉ちゃんが気にする必要はねぇ。
 一般人には関係のないことだ。不良の幹部が死のうが、襲撃犯が打たれて死のうが、
 世間には、なんの影響も出ない話だ。
 ムキになって止めようとしたって、所詮は無理がある。
 けが人を出さずに済むなんて、俺もそんな風に甘く考えちゃいない。
 たしかに姉ちゃんが手伝ってくれれば、この作戦が成功するかもしれねぇ。
 だがそれだって、万にひとつか、もしかしたら上手くいくかもしれないと思う確率だ。
 お前さんは、俺の娘とひとつ違いだ。
 怪我どころか、危険な目にさえ合せたくはねぇ。悪いことは言わねぇからやめとけ。
 康平に相談をして、今回の件は無理だから降りたといえばそれで終わりだ。
 姉ちゃんがこの件から降りても、俺たちは約束通り出口で待ち構えていて、
 中から出てきた襲撃犯を捕まえる努力だけはする。
 そいつがうまくいったら、康平との約束通りに国外へ逃亡もさせてやる。
 大きな声じゃ言えないが、それがボコボコに痛めつけた康平への、俺たちからの仁義だ。
 それくらいのことはやってのけなければ、康平を痛い目にあわした意味すらもねぇ。
 群馬の不良は、けっこう義理堅いんだぜ。こう見えても」


 先程まで快活にキラキラと輝いていた貞園の黒い瞳が陰り、やがて首までがうなだれてしまいます。
(いかん。すこしばかり脅かしすぎちまったようだ・・・・。しかし油断は禁物だ。
若い娘というものは、調子に乗りすぎると、何をしでかすかまったく見当がつかないからな。
なにはともあれ、若いものに、これ以上危険な思いだけはさせたくはない・・・)
貞園の潤んだ黒い瞳が、下から岡本を見上げてきます。



 (まずい!。こいつの目が、妙に潤んできおったわい!。)


 充分に潤んできた貞園の黒い瞳から、やがてホロリと大粒の涙が、
ひとつ、頬を伝って流れ落ちてきました。
ピンク色の可愛い唇も、かすかに小刻みに震えはじめています。
ぷっくりと目頭にあふれてきた大きな涙のかたまりが、ふたたび目の淵へ溢れたあと
今流れ落ちたばかりの涙のあとを追って、ゆっくりと、また頬を伝って落ちていきます。


(まいったぜ。潤んだ瞳と涙という女の武器で、俺さまに反撃をしてきたぜ、こいつめ。
 外見は可愛い顔をしているくせに、中身はまるっきりの、相当な小悪魔だ・・・・)


 小悪魔の必須アイテムのひとつが、乙女の涙と潤んだ瞳です。
女子の涙に、男心はもろいうえに弱い部分があり、攻撃の矛先さえ鈍らせてしまいます。
あれほど饒舌だった岡本が、とたんに沈黙をしてしまいます。

 『なにがあっても私は、絶対に、康平と美和子のためにやりとげます』
貞園が、目に涙をいっぱいあふれさせたまま、健気に涙の声でそう小さく囁いたとき、
すでに岡本は、乙女の戦術に完全に翻弄をされています。


 (・・・・呆れた小娘だ。
 涙で男を弄ぶことを知っているとは、なかなかにしたたかなものまで持っている。
 だが、このくらい性根があれば修羅場でも、上手く立ち回ることができるかもしれん。
 だが、しょせんは、俺の娘と同じ年頃だ。
 成り行きとはいえ、あまり危険な目にはあまり合わせたくないのだがなぁ・・・・。
 そんな風に弱気にものを考えるのは、やっぱり俺が歳をとった証拠かな。
 この際だ、この姉ちゃんにまかせてみるか。
 唯一手にしている切り札は、この姉ちゃんしか居ないからなぁ)



 しかし岡本の心配は、まったくの杞憂です。
岡本からは死角になっている隠れた部分で、小さくペロリと赤い舌を出している貞園の
『してやったり』と微笑む様子に、もちろん一切気がついていないからです





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