からっ風と、繭の郷の子守唄(113)
「強面(こわもて)の岡本と堅気は、もともと棲む世界が異なる」
「珍らしいこともあるもんだ。堅気が俺に用事とは嬉しいね。
あとで蕎麦屋の俊彦もやってくるが、それまで仲良く時間を潰すとするか。
なんだよ。酒も飲まずに俺の到着を待っていたのか。ずいぶんと律儀なもんだ。
ママよ。いつもの焼酎を、2人分急いで用意してくれ」
約束の時間に、スナック「辻」へ姿を見せた岡本は上機嫌な様子を見せています。
『どっこいしょ』と大きな声を上げ、康平が待っているテーブルへ座ります。
終夜営業のスタイルを持つスナック「辻」では、午後10時台にまだ客の姿は少なく、
本格的に混み始めてくるのは、飲食店街が一日の営業を終える午前零時を過ぎてからです。
「岡本さんは、東京都葛飾区の四ツ木葬祭場から始まった暴力団どうしの
一連の抗争事件のことは、よくご存知でしょう?」
「おう。住吉会系の幹部の通夜の席で、稲川会系で大前田一家の組員と名乗るやつが
当時の会長と幹部の2人を射殺したというあの事件だろう。
俺もその場にいたのでよく覚えている。
そいつがきっかけで2003年には前橋のスナックで、一般人を巻き込んだ、
拳銃の襲撃事件が発生をした。
たしか3人の一般市民と、狙われた幹部の護衛役が死亡したはずだ。
なんだよ。俺に用件というのはそれに関連をした話なのか?」
「今年の3月。スナック君来夜(いえらいしゃん)で、深夜の発砲事件が発生しています。
その時の犯人と思われる人物が再び重要人物を狙い、今月の半ばからの一週間のあいだに
間違いなく襲撃をするだろうという、確定的な情報をつかみました」
「なんだと・・・・ちょっと待て。
詳しい話を聞きたいが、人目があるのでここではまずい。
ママよ。宴会用の裏の座敷を少しの時間だけ貸してくれ。
ここで話すのにはまずいような要件を、この坊主が持ち込んで来たようだ。
座敷で話すのなら、焼酎よりは熱燗のほうが飲みたくなった。
悪いなぁママ、いつも。わがままばかり言ってよ」
『あいよ』と応じたママが、熱燗の支度を整えて店の裏手へ運んでいきます。
宴会専用の座敷として増設をされている離れは、3つの部屋が連結をしています。
全てを開け放つと大宴会用になりますが、普段は使いやすい小部屋として、
商談やちょっとした祝い事の席などに活用されています。
人気と火の気が全くない離れの空気は底冷えするほどに冷え切っています。
急いでスイッチを入れたエアコンの吹き出し音だけが、これから始まる
2人だけの密談を、じわりと温めながら待ち構えています。
準備を終えた辻のママが、『用があったら電話で呼んでくださいな』と岡本に目で合図し、
『ごゆっくりどうぞ』と康平の肩を叩き、そのまま厨房の裏口へ消えていきます。
『とりあえず、一杯いけ』 岡本が熱燗の徳利を持ち上げます。
正座をした康平が、固まりきった手で盃に熱燗を受けます。
そのまま自分の盃へ注ごうとしている岡本の手から、熱燗の徳利を受け取った康平が、
『どうぞ』と言いながら、盃の口いっぱいまでゆっくりと酒を注ぎます。
「身内でしか知りえないような極秘の情報を、なんでまた、お前さんが入手することできた。
だいいちあの時の襲撃犯は、正体すら分からずに、いまだに警察にも捕まっていないだろう。
どこの何者だかさえ分からず、まったくの正体不明のまま潜伏中だろう。
その正体不明男が、懲りずにまた、幹部を狙って襲撃を実行するというのか?」
「実は3月の時の、実行犯の顔写真を入手しています」
「なんだと!。警察でもないのに、なんでお前がそんなものを持っているんだ」
康平が携帯電話を取り出し、貞園から送られてきた美和子の亭主の画像を探しはじめます。
ほどなくして再生された画像を、そのまま岡本の目の前に提示します。
「この男が3月の発砲事件の実行犯で、間違いなく2度目の襲撃も実行しようとしています。
その男の顔に、岡本さんは見覚えなどがありますか?」
「知らん。この男にはまったく面識がない。初めて見る顔だ。
それにしてもその襲撃の予告といい、この写真といい、一体これはどういうことだ。
なんでこんなものをお前が持っていて、内部の極秘情報まで知っているんだ。
詳しく、順を追って判るように俺に話せ」
「その実行犯は、実は、美和子の亭主です」
「美和子?・・・・ああ思い出したぞ。あん時の歌手の女の子だな。
そうか。やっぱり俺たちの世界に関係のあるところで、生きてきたのか、あの子も。
いや、別に悪い意味で言っているわけじゃない。
当の本人が知らないうちに、連中に上手く利用されているというケースは、
結構この世界ではよくあることだ。
女を隠れ蓑として使うのも、俺たちの世界では常套手段のひとつとされている。
じゃあこの写真の男が、世間もろくに知らないうちの美和子を上手にたらしこんで、
男と女の世界に引きずり込んだというのが、本来の筋書きのようだな。
お前さんの初恋相手も、運が悪かったようだ・・・・なるほど。
いきさつに関してはよくわかったが、お前さんが頼みたいという俺への要件はなんだ。
お前さんはこの俺に、一体なにをさせるつもりでいるんだ」
康平が胸ポケットから、無言のままに銀行の紙袋を取り出します。
そのまま岡本の前へ差し出すと、丁寧に頭を下げます。
「美和子は妊娠中で、まもなく6ヶ月目に入ります。
亭主からは長年のDVを受けていて、たびたび別れることを考えていたようです。
つい最近、危険な兆候を察知して、ついに美和子も離縁の意思を固めて家を出ました。
いまはある女性のところで男から隠れて、身を潜めています。
逃げ出してきたものの、男のほうに離婚をする意思はまったくないという話です。
このままではいつまで経っても、美和子を助けることができません。
そこで、岡本さんにこうしてお願いに参上しました」
「初恋相手を助けてやりたいという、お前さんの心情は分かった。
だが、そのための決着を俺に頼みに来るというのは、堅気の人間のやることじゃない。
初恋相手をたすけたいのなら、もっと真っ当な方法を採るべきだろう。
お前さんが取るべき行動は、まずこの写真を警察へ届け出て男を逮捕してもらうことだ。
夫婦のあいだでのあれこれの出来事は、夫婦間でしか解決できない。
別れるのも、復縁するのも、その先のことについては当人同士がきめることだ。
周囲があれこれと騒ぐ廻る話ではあるまい」
「たった一度だけですが、警察に頼らずに、
こちら側で、こいつを捉えるチャンスがあります。
前回の襲撃でも判るように、こいつはあくまでもやることが小心者といえる単独犯です。
たぶん、今回の襲撃でも同じようにまた、単独で行動をすると思います。
その瞬間、こいつをうまく確保するための、絶好のチャンスが生まれてきます」
「な、何を考えているんだ、お前は。
こいつを警察に渡さずに、身内である俺たちに、捕まえさせようという魂胆なのか!」
「はい。その通りです」
・「新田さらだ館」は、
日本の食と、農業の安心と安全な未来を語るホームページです。
多くの情報とともに、歴史ある郷土の文化と多彩な創作活動も発信します。
詳しくはこちら
「強面(こわもて)の岡本と堅気は、もともと棲む世界が異なる」
「珍らしいこともあるもんだ。堅気が俺に用事とは嬉しいね。
あとで蕎麦屋の俊彦もやってくるが、それまで仲良く時間を潰すとするか。
なんだよ。酒も飲まずに俺の到着を待っていたのか。ずいぶんと律儀なもんだ。
ママよ。いつもの焼酎を、2人分急いで用意してくれ」
約束の時間に、スナック「辻」へ姿を見せた岡本は上機嫌な様子を見せています。
『どっこいしょ』と大きな声を上げ、康平が待っているテーブルへ座ります。
終夜営業のスタイルを持つスナック「辻」では、午後10時台にまだ客の姿は少なく、
本格的に混み始めてくるのは、飲食店街が一日の営業を終える午前零時を過ぎてからです。
「岡本さんは、東京都葛飾区の四ツ木葬祭場から始まった暴力団どうしの
一連の抗争事件のことは、よくご存知でしょう?」
「おう。住吉会系の幹部の通夜の席で、稲川会系で大前田一家の組員と名乗るやつが
当時の会長と幹部の2人を射殺したというあの事件だろう。
俺もその場にいたのでよく覚えている。
そいつがきっかけで2003年には前橋のスナックで、一般人を巻き込んだ、
拳銃の襲撃事件が発生をした。
たしか3人の一般市民と、狙われた幹部の護衛役が死亡したはずだ。
なんだよ。俺に用件というのはそれに関連をした話なのか?」
「今年の3月。スナック君来夜(いえらいしゃん)で、深夜の発砲事件が発生しています。
その時の犯人と思われる人物が再び重要人物を狙い、今月の半ばからの一週間のあいだに
間違いなく襲撃をするだろうという、確定的な情報をつかみました」
「なんだと・・・・ちょっと待て。
詳しい話を聞きたいが、人目があるのでここではまずい。
ママよ。宴会用の裏の座敷を少しの時間だけ貸してくれ。
ここで話すのにはまずいような要件を、この坊主が持ち込んで来たようだ。
座敷で話すのなら、焼酎よりは熱燗のほうが飲みたくなった。
悪いなぁママ、いつも。わがままばかり言ってよ」
『あいよ』と応じたママが、熱燗の支度を整えて店の裏手へ運んでいきます。
宴会専用の座敷として増設をされている離れは、3つの部屋が連結をしています。
全てを開け放つと大宴会用になりますが、普段は使いやすい小部屋として、
商談やちょっとした祝い事の席などに活用されています。
人気と火の気が全くない離れの空気は底冷えするほどに冷え切っています。
急いでスイッチを入れたエアコンの吹き出し音だけが、これから始まる
2人だけの密談を、じわりと温めながら待ち構えています。
準備を終えた辻のママが、『用があったら電話で呼んでくださいな』と岡本に目で合図し、
『ごゆっくりどうぞ』と康平の肩を叩き、そのまま厨房の裏口へ消えていきます。
『とりあえず、一杯いけ』 岡本が熱燗の徳利を持ち上げます。
正座をした康平が、固まりきった手で盃に熱燗を受けます。
そのまま自分の盃へ注ごうとしている岡本の手から、熱燗の徳利を受け取った康平が、
『どうぞ』と言いながら、盃の口いっぱいまでゆっくりと酒を注ぎます。
「身内でしか知りえないような極秘の情報を、なんでまた、お前さんが入手することできた。
だいいちあの時の襲撃犯は、正体すら分からずに、いまだに警察にも捕まっていないだろう。
どこの何者だかさえ分からず、まったくの正体不明のまま潜伏中だろう。
その正体不明男が、懲りずにまた、幹部を狙って襲撃を実行するというのか?」
「実は3月の時の、実行犯の顔写真を入手しています」
「なんだと!。警察でもないのに、なんでお前がそんなものを持っているんだ」
康平が携帯電話を取り出し、貞園から送られてきた美和子の亭主の画像を探しはじめます。
ほどなくして再生された画像を、そのまま岡本の目の前に提示します。
「この男が3月の発砲事件の実行犯で、間違いなく2度目の襲撃も実行しようとしています。
その男の顔に、岡本さんは見覚えなどがありますか?」
「知らん。この男にはまったく面識がない。初めて見る顔だ。
それにしてもその襲撃の予告といい、この写真といい、一体これはどういうことだ。
なんでこんなものをお前が持っていて、内部の極秘情報まで知っているんだ。
詳しく、順を追って判るように俺に話せ」
「その実行犯は、実は、美和子の亭主です」
「美和子?・・・・ああ思い出したぞ。あん時の歌手の女の子だな。
そうか。やっぱり俺たちの世界に関係のあるところで、生きてきたのか、あの子も。
いや、別に悪い意味で言っているわけじゃない。
当の本人が知らないうちに、連中に上手く利用されているというケースは、
結構この世界ではよくあることだ。
女を隠れ蓑として使うのも、俺たちの世界では常套手段のひとつとされている。
じゃあこの写真の男が、世間もろくに知らないうちの美和子を上手にたらしこんで、
男と女の世界に引きずり込んだというのが、本来の筋書きのようだな。
お前さんの初恋相手も、運が悪かったようだ・・・・なるほど。
いきさつに関してはよくわかったが、お前さんが頼みたいという俺への要件はなんだ。
お前さんはこの俺に、一体なにをさせるつもりでいるんだ」
康平が胸ポケットから、無言のままに銀行の紙袋を取り出します。
そのまま岡本の前へ差し出すと、丁寧に頭を下げます。
「美和子は妊娠中で、まもなく6ヶ月目に入ります。
亭主からは長年のDVを受けていて、たびたび別れることを考えていたようです。
つい最近、危険な兆候を察知して、ついに美和子も離縁の意思を固めて家を出ました。
いまはある女性のところで男から隠れて、身を潜めています。
逃げ出してきたものの、男のほうに離婚をする意思はまったくないという話です。
このままではいつまで経っても、美和子を助けることができません。
そこで、岡本さんにこうしてお願いに参上しました」
「初恋相手を助けてやりたいという、お前さんの心情は分かった。
だが、そのための決着を俺に頼みに来るというのは、堅気の人間のやることじゃない。
初恋相手をたすけたいのなら、もっと真っ当な方法を採るべきだろう。
お前さんが取るべき行動は、まずこの写真を警察へ届け出て男を逮捕してもらうことだ。
夫婦のあいだでのあれこれの出来事は、夫婦間でしか解決できない。
別れるのも、復縁するのも、その先のことについては当人同士がきめることだ。
周囲があれこれと騒ぐ廻る話ではあるまい」
「たった一度だけですが、警察に頼らずに、
こちら側で、こいつを捉えるチャンスがあります。
前回の襲撃でも判るように、こいつはあくまでもやることが小心者といえる単独犯です。
たぶん、今回の襲撃でも同じようにまた、単独で行動をすると思います。
その瞬間、こいつをうまく確保するための、絶好のチャンスが生まれてきます」
「な、何を考えているんだ、お前は。
こいつを警察に渡さずに、身内である俺たちに、捕まえさせようという魂胆なのか!」
「はい。その通りです」
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