つわものたちの夢の跡・Ⅱ
(5)それぞれの出発
勇作が用水路へ落ちた日。その日を境に、2人の距離が遠くなった。
すずが校門の前で勇作を待つ習慣も、いつの間にか消えた。
通いなれた山門前の通学路を、すずがひとりで自転車を押しトボトボと
帰る日が自然に増えてきた。
「卒業したら、東京の日野学園へ行く」と言った意味は、
日野自動車と言う在京のトラックメーカへ就職することを意味する。
「勇作はもう、2度と福井へ帰ってこない」そう気づいた瞬間から、
すずの中で、何かが音を立てて崩れはじめた。
いつも一緒に居るのが、当たり前だった2人だ。
保育園から小学校まで、親同士でさえ2人を姉弟のように見つめてきた。
いつの日かプロポーズを受け、幸せな家庭を持ち、勇作と2人で子育てを始める。
自然の流れの中でそんな風になることを、すずは信じて疑わなかった。
それが音を立てて、根底から崩れてはじめた。
その日から、1年半。
2年生の冬が終わり、あたらしく迎えた中学最後の1年間は、
あっという間に終わりを告げる。
1年間のあいだに、勇作の身長が10センチほど伸びた。
この間まで見下ろしていた勇作が、廊下ですれ違うたび、逆にすずを見下ろしていく。
(大きくなったんだ。いつの間にか・・・)見送る勇作の背中も一回り大きくなり、
少しだけ、大人に近づいたように見える。
3月の半ばを過ぎると、すずと勇作の別れの日が近づいてくる。
いつものように山門前を歩いているすずを、後ろから駆けてきた勇作が呼び止める。
どうやら校門から、ずっとすずを追いかけて来たようだ。
必死で息を整えている勇作の姿に、そんな様子が垣間見える。
「3日後の見送りには、来んでもいい。お前の顔を見ると、俺が寂しくなる」
「分かったでの。行かん。
行けばうらももっと、寂しくなるちゅうでの。用件はそれだけか?」
「もうひとつ有る」
「何ね・・・」
「ずっと待っとれ。ウラは東京へ出て行くが、いつか必ずお前を迎えに来るでの。
だから、うらを信じて待っとれ。伝えたいのはそれだけじゃ」
くるりと背中を向けた勇作が、勢いよくあぜ道を駆けていく。
その3日後。勇作は福井駅から、東京行きの列車に乗り込む。
すずも同級生たちと一緒に、旅立っていく勇作を見送るために福井駅まで同行する。
すずと勇作の間に、特別な「さようなら」は無い。
うつむいた勇作が、すずにちょこんと頭を下げただけで、列車へ乗り込んでいく。
同級生たちと一緒にすずも、デッキで唇をかみしめている勇作に向かって小さく、
せいいっぱいの手を振るだけだ。
「サヨナラ」と、かすかにすずが唇を動かす。
だが勇作は、まったくそのことに、気がつかない。
勇作が一度もすずを見つめないまま、ホームに発車のベルが鳴り響く。
別れの時間は、あっという間にやってくる。
数秒後に動き出した列車が、1分後には、すずの視界から完全に消えていく。
坂井市へ戻っていく、単線の電車の中。
同級生たちと別れたすずが、ぼんやりと窓の外を眺めている。
不思議なことに涙は出ない。
しかし心の中には、埋めようのない大きな穴がぽっかりと空いている。
(ひとことでいいから、淋しさを埋める言葉くらい、残してくれてもいいのに・・・)
ホロ苦い気分を噛みしめながら、すずが、明日からの自分に想いを馳せる。
桜の咲きほこる4月。
すずは、市内の普通高校へ進学する。
通学路は中学時代と同じように、また称念寺の山門前を通っていく。
3キロほど遠くなった高校に向かって、また自転車で通うすずの毎日がはじまる。
(6)につづく
つわものたち、第一部はこちら
(5)それぞれの出発
勇作が用水路へ落ちた日。その日を境に、2人の距離が遠くなった。
すずが校門の前で勇作を待つ習慣も、いつの間にか消えた。
通いなれた山門前の通学路を、すずがひとりで自転車を押しトボトボと
帰る日が自然に増えてきた。
「卒業したら、東京の日野学園へ行く」と言った意味は、
日野自動車と言う在京のトラックメーカへ就職することを意味する。
「勇作はもう、2度と福井へ帰ってこない」そう気づいた瞬間から、
すずの中で、何かが音を立てて崩れはじめた。
いつも一緒に居るのが、当たり前だった2人だ。
保育園から小学校まで、親同士でさえ2人を姉弟のように見つめてきた。
いつの日かプロポーズを受け、幸せな家庭を持ち、勇作と2人で子育てを始める。
自然の流れの中でそんな風になることを、すずは信じて疑わなかった。
それが音を立てて、根底から崩れてはじめた。
その日から、1年半。
2年生の冬が終わり、あたらしく迎えた中学最後の1年間は、
あっという間に終わりを告げる。
1年間のあいだに、勇作の身長が10センチほど伸びた。
この間まで見下ろしていた勇作が、廊下ですれ違うたび、逆にすずを見下ろしていく。
(大きくなったんだ。いつの間にか・・・)見送る勇作の背中も一回り大きくなり、
少しだけ、大人に近づいたように見える。
3月の半ばを過ぎると、すずと勇作の別れの日が近づいてくる。
いつものように山門前を歩いているすずを、後ろから駆けてきた勇作が呼び止める。
どうやら校門から、ずっとすずを追いかけて来たようだ。
必死で息を整えている勇作の姿に、そんな様子が垣間見える。
「3日後の見送りには、来んでもいい。お前の顔を見ると、俺が寂しくなる」
「分かったでの。行かん。
行けばうらももっと、寂しくなるちゅうでの。用件はそれだけか?」
「もうひとつ有る」
「何ね・・・」
「ずっと待っとれ。ウラは東京へ出て行くが、いつか必ずお前を迎えに来るでの。
だから、うらを信じて待っとれ。伝えたいのはそれだけじゃ」
くるりと背中を向けた勇作が、勢いよくあぜ道を駆けていく。
その3日後。勇作は福井駅から、東京行きの列車に乗り込む。
すずも同級生たちと一緒に、旅立っていく勇作を見送るために福井駅まで同行する。
すずと勇作の間に、特別な「さようなら」は無い。
うつむいた勇作が、すずにちょこんと頭を下げただけで、列車へ乗り込んでいく。
同級生たちと一緒にすずも、デッキで唇をかみしめている勇作に向かって小さく、
せいいっぱいの手を振るだけだ。
「サヨナラ」と、かすかにすずが唇を動かす。
だが勇作は、まったくそのことに、気がつかない。
勇作が一度もすずを見つめないまま、ホームに発車のベルが鳴り響く。
別れの時間は、あっという間にやってくる。
数秒後に動き出した列車が、1分後には、すずの視界から完全に消えていく。
坂井市へ戻っていく、単線の電車の中。
同級生たちと別れたすずが、ぼんやりと窓の外を眺めている。
不思議なことに涙は出ない。
しかし心の中には、埋めようのない大きな穴がぽっかりと空いている。
(ひとことでいいから、淋しさを埋める言葉くらい、残してくれてもいいのに・・・)
ホロ苦い気分を噛みしめながら、すずが、明日からの自分に想いを馳せる。
桜の咲きほこる4月。
すずは、市内の普通高校へ進学する。
通学路は中学時代と同じように、また称念寺の山門前を通っていく。
3キロほど遠くなった高校に向かって、また自転車で通うすずの毎日がはじまる。
(6)につづく
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