落合順平 作品集

現代小説の部屋。

つわものたちの夢の跡・Ⅱ   (17)あれから40年

2015-04-17 11:13:36 | 現代小説
つわものたちの夢の跡・Ⅱ
 
(17)あれから40年





 「毒舌漫談家の綾小路きみまろじゃないけど、あれから40年。
 ふふふ・・・あたしたちも、ずいぶんと、歳をとりましたねぇ」


 「まったくだ。
 今から思うと、18歳の時の君の訪問着姿は、涙が出るほど初々しかった」


 「あら。どうせもうわたしは、散る寸前の姥(うば)桜です」


 「そういう意味じゃない。君はまだ、充分に美しい・・・と、俺は思う」



 夕食を終えた勇作が、柱時計の時刻を見上げる。
針は、午後8時45分を指している。
この時間になると勇作は、決まってすずの家を出る。
公園通りに停めてある軽のキャンピングカーへ、戻っていくためだ。


 「誰も居ない家だもの。遠慮しないで泊まっていけばいいのに。
 ご飯だけ食べて、さっさと車へ帰っていくなんて、
 あなたは私のいったい何なのさ」


 「58年来の、幼なじみだろう。
 18歳のあの日。君がキスに応えてくれていれば、
 俺たちの人生はたぶん違っていた。
 鴨川の川辺を散歩したあの時。
 無理やりにでも、キスすればよかったな、俺たちは」


 「無理を言わないで。門限は9時だったのよ。
 キスなんかしたら私の気持ちに火が点いて、朝になっても寮へ帰れません。
 あの時、小袖ではなく訪問着を着せたのには、実は意味が有ったそうです」


 「先輩たちの悪知恵だろう?」



 「そうよ。ゆるりと着る小袖なら、多少は着崩れても気になりません。
 でも、しっかりと着付けた訪問着ではそういう訳にいきません。
 帯と紐で、幾重にも純潔が守られています。
 脱がせることはできても、お互いに素人では、着付けることができません。
 大切な純潔を守るのにはこれが一番だと、先輩たちが笑っていました」


 すずが、40年も前の思い出話を口にする。
3年ぶりに再会した幼なじみの2人は、加茂川のほとりをゆっくりと散策する。
歩きにくそうなすずをかばって、勇作がことさらゆっくりと足を運んでいく。
何事も起こらず、門限の間に合う午後9時前に2人は京都駅で別れる。
訪問着姿のすずが見送る中。
新幹線はあっというまに発車して、勇作を東京へ連れ去っていく。



 (勇作を見送るのは、これで2度目です。
 1度目は上京していくときの福井駅。2度目の今日は、京都駅の新幹線。
 もしかしたらウチの人生は、こんな風にして、ただ勇作の背中を、
 見送るだけで終わるかもしれません・・・)



 すずの予感が、的中をする。
その後も2人の関係は進展をしない。
着かず離れずの膠着状態が、その後、なん年も続いていく。
和裁塾の5年間を終えたすずは、アパートを借り、そのまま京都に住み着く。
福井へ帰っても、和裁の仕事が少ないためだ。
そのことを知ったすずが、福井へ帰る気力を失う。
勇作も東京の羽村工場から、新しく完成した群馬工場へ移動を命じられる。



 2人の仲が、自然消滅の気配を見せてきたころ。
25歳になったすずが、はじめて別の男性に心を惹かれる。
(勇作に申し訳ないけど・・・)と思いつつ、あたらしい交際が深みにはまっていく。
相手は、繊維業界を駆けまわる営業マンだ。
滑らかな口調とくったくのない笑顔に、いつの間にかすずが引き寄せられていく。
25歳の秋。押し切られた形で、すずが結婚に同意する。
だがあれほどまで優しかった男が、結婚を契機ににわかな豹変を見せる。


 働きもせず、ギャンブルに溺れるための借金を繰り返す。
酔うと暴力をふるいはじめる。
最初からすずの高収入を当てにしていただけと判明するが、すでに遅かった。
すず腹の中には、すでに一人娘の美穂が宿っていた。

 
(18)へつづく

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