落合順平 作品集

現代小説の部屋。

つわものたちの夢の跡・Ⅱ (24)スバリストの終焉 

2015-04-29 10:34:14 | 現代小説
つわものたちの夢の跡・Ⅱ

(24)スバリストの終焉 





 「母のためにスバリストのポリシーを諦めるなんて、やっぱりお気の毒です。
 長かったんでしょ。おじ様のスバリストの経歴は?」


 
 「群馬工場へ赴任した時からだから、かれこれ30年になる。
 新田町は富士重工の城下町のひとつだからね。
 地元の自動車メーカとはいえ、車の人気はいまひとつだった。
 業界トップのトヨタと日産の車が人気を集めていた。
 水平対向エンジンという、富士重工の独自システムを愛していたのは、
 地元でもほんの一部の人たちだけさ」


 「水平対向エンジンですか?。初めて聞くエンジンの名前です」


 「セスナなどの軽飛行機は、ほとんどがこの水平対向のエンジンを積んでいる。
 1本のクランクシャフトをはさんで、左右水平にシリンダーが配置されている。
 左右対称の動きが、ボクシングのグローブを打ち合わせる様子に似ていることから
 ボクサーエンジンと呼ばれることも有る。
 振動を打ち消すエンジンは、横置きになるため車に搭載した場合、低重心になる。
 山道の多い群馬では、坂道を軽快に走れるスポーティな車として好まれる。
 だがまぁ。そういう意見は少数派だ。
 俺みたいに、エンジン畑ひとすじで生きてきた人間だけが好むエンジンなのさ。
 水平対向エンジンというやつは・・・」


 「スバリストとしての深い愛着が有りますねぇ、やっぱり。
 この車を残して、新しいキャンピングカーに乗るという選択肢も有ります。
 この軽は、可愛い車体でキビキビと走りそうです。
 私は、こちらの赤いエンジンのキャンピングカーにも乗ってみたいなぁ」



 「早期退職で失業中の身だからね。さすがに、そこまでの贅沢は出来ない。
 こいつを売却した金で、新しいキャンピングカーの支払いをするんだ。
 群馬と京都の間を1往復半走行しただけだが、それでも充分過ぎるほどの愛着が有る。
 手放すのは寂しいが、このあたりですべてをリセットする必要がある。
 全部新しくして、出直そうというメッセージなのだろう。
 すずからの・・・」



 『あら。いつの間に母が、そんな風におじ様に迫ったの?』
美穂の真剣な目が、勇作を見つめる。
『最近、母らしくない言動が目立ってきたの。
自分の意見を決して他人に押し付けない性格のはずの母が、ときどき壊れて、
突拍子もないことを口にすることがあるのよ』
失礼な言い方をしなかったでしょうね、母が、と美穂の白い顔が近づいてくる。



 「あ、いや。そういう意味じゃない。
 すずにひとことも相談しないで、勝手に早期退職したことと、
 軽トラックを改良して、キャンピングカーに変えたことが気に入らないんだろう。
 50歩譲って、すずの言う通りにしようと思っただけだ。
 これから先。すずと2人の長い人生が待っている。
 50歩ずつ譲りあって、残った人生を楽しく暮らしていきたいからね」


 「母が聞いたら喜びます。
 でも、いつものように、母には何も伝えていないんでしょ。おじ様は」




 「男は無口なほうが良い。それが俺の哲学だ」



 勇作の手が、冷え切ったキャンピングカーの車体に触れる。
『お母さんに喜んでもらいたくて、キャンピングカーを作ったけれど、早計だった。
なんで私にひとこと相談しないのよと、頭ごなしに怒られた。
朋花と言う女の子を群馬まで送り届けたあと、京都まで戻って来る車中、
ほんとに狭すぎて、あなたとの距離があまりにも近すぎると、さんざん愚痴られた・・・
失敗したなと思ったが、あとの祭りだ。
で。30年間守り続けてきたスバリストを、卒業する決心を固めたんだ』



 つるりと触れた車体は、すでに氷点下まで冷え込んでいる。
フロントガラスには、霜の白い結晶が咲いている。
綿入れの襟を掻き合わせた美穂が、『そろそろ戻ります。体が悲鳴をあげそうですから』
と白い顔をほほ笑ませる。


 

 (25)へつづく


『つわものたちの夢の跡』第一部はこちら