落合順平 作品集

現代小説の部屋。

つわものたちの夢の跡・Ⅱ    (8)森和裁塾

2015-04-05 11:41:19 | 現代小説
つわものたちの夢の跡・Ⅱ 
 
(8)森和裁塾




 翌日。いつもの時間に家を出たすずは、学校と逆の方向へ自転車を走らせる。
15分ほど走ると、北陸本線・丸岡駅の前に出る。
トイレで着替えをすませたすずは、なにくわぬ顔で通勤客たちと一緒に
朝の列車に乗り込む。
目指すのは、はじめての京都。


 北陸の丸岡駅から列車を3本乗り換えて、4時間あまりで京都に着く。
(遠いなぁ、京都は・・・)感想を漏らしつつ、すずが駅前の案内看板を覗き込む。
古い紙に書かれた、森和裁塾の上京区を探す。
上京区を確認したすずが、ターミナルから市営の市内循環バスに乗り込む。


 京都の住所表記に、一般的な番地番号は無い。
碁盤の目のように交差する東西と南北の通りを基準に、東西の道を西へ入る、
東へ入ると書き、南北の通りを、北へ上るか下るといて場所を表す。
交差する通りの名前を把握すれば、誰でも簡単に目的地へたどり着くことが出来る。



 北野天満宮にほど近く、正面に五山の送り火が一望できる場所に、
古い歴史をほこる和裁塾の建物は残っていた。
(有ったぁ・・・ついに、ここまでやって来た・・・)
黒々と墨で書かれた看板の前で、すずが深い溜息を洩らす。
(勢いで此処までやって来たけれど、もしも、駄目だと断られたらどうしましょう・・・)
「上京区寺之内千本西入ル下ル・森和裁塾」と書かれた古い紙きれを、
すずが手のひらの中で、ぎゅっと思わず握りしめる。
此処へ来るまでの意気込みと裏腹に、急に不安がこみあげてきたからだ。


 「入所希望の方どすか」



 いきなり背後から、声をかけられた。
驚いて振り向くすずの目に、封筒を抱いた初老の女性の笑顔が飛び込んできた。
事務服らしい様子から見ると、塾の関係者かもしれない。


 「お若いですねぇ、来春卒業の中学生かしら?」


 「あ、いえ、高校生です。この春、高校に入ったばかりですが」


 「珍しいですねぇ。ウチには色々な子が全国からお見えになります。
 けど現役の高校生がやって来るというのは、初めてどすなぁ。
 高校は、どちらどすか?」


 
 「丸岡高校です。あ、福井の北に有る、男女共学の普通高校です・・・」


 「福井に住む高校一年生が勉強してるはずの平日に、此処へお見えにならはった。
 ただ事ではあらしまへんねぇ。何ぞ訳がお有りのようどす。
 立ち話もなんどすなぁ、中へどうそ。
 事務員をしてる桜井と言います。
 塾生たちからは口うるさいババァだと、日ごろから敬遠されております」



 にっこりと笑った事務員が、どうぞと入り口のドアを開ける。



 「塾へ入る資格は、和裁を志す方であれば、あとは一切不問どす。
 手続きとして、成績証明書。入塾申込書。健康診断書を提出してもらいます。
 書類、および面接選考で入塾できるかどうかが決まります。
 入学金、授業料などは一切いただきまへん。
 ここでは和裁のお仕事を通して、お給料を払うというシステムをとっております。
 ほんまもんの技術を身に着ける、というのがウチのモットーどす。
 京都の西陣は、きわめて特殊な場所どす。
 一般の方々の仕立てのほかに、花街で働く舞妓はんや芸妓はんの着物の仕立てや、
 お直しのご依頼なども多数あります」


 「高価な素材を使って、舞妓さんたちの着物を縫うことも有るという事ですか。
 まったくの初心者の私でも、出来る仕事なのでしょうか。
 なんだか、だんだん、不安になってきました」

 
 「心配には及びません。
 ひとりではるばる福井から出てきたんどす。資格は十分過ぎるほどありますなぁ。
 せやけど入塾は来年の4月どす。
 それまでは高校で、本来の学業に励んでおくれやす。
 面接は不要どす。
 ウチから塾長に推薦しておきますさかい、来年の4月。
 親御はんと一緒に、こちらへお越しください。
 その日からあんさんは晴れて、森和裁塾の一員になれると思います。
 せやけど。ひとことだけ申し上げておきます。
 働きながら仕事を覚えて、 お給料までいただけるちゅうことは、
 それだけ厳しいことを意味します。
 途中で辞めていく子も、あとを絶ちまへん。
 覚悟をしっかりと決めて、来年の春、またお越しください。
 ウチもあんさんが来ることを、首を長くしてお待ちしております」



(9)につづく

つわものたち、第一部はこちら