落合順平 作品集

現代小説の部屋。

つわものたちの夢の跡・Ⅱ   (15)5月23日

2015-04-15 09:37:44 | 現代小説
つわものたちの夢の跡・Ⅱ
 
(15)5月23日




 勇作と寮母が電話で約束した、5月23日の朝。
朝食を終えて部屋へ戻るすずを、『ちょっと』と寮母が呼び止める。

 「すずちゃん。今日は何の用事もないんやろ。
 塾の仕事が終えたら、まっすぐ、あたしの部屋へおいで。
 袖を通したいと言っていた、小袖を着せてあげるから」


 「え・・・本当ですか!。
 だってあれは、娘さんが大切にしている袷の小袖でしょう。
 嬉しいけど、なんで今日のタイミングで、着せてもらえるのですか?」


 「袷の小袖が着られるのは、5月の末までや。
 それに今日は京都府民の日や。お天気も朝から絶好の好天どす。
 小袖を着るなら、いましかないと思うでぇ」



 「分かりました。楽しみにしています」と、すずが階段を駆け上がっていく。
日本の着物の原型は、「小袖」にある。
小袖は桃山時代から江戸時代にかけて、服飾の中心的な役割を担ってきた。
平安時代は、十二単衣の下着として小袖が着用された。
有名な「見返り美人」の絵と同じ着物と言えば、分かりやすいだろう。


 小袖には、おはしょりがない。
ゆったりと作られているため、自由に動いても着くずれしない。
着る時は、従来の襦袢(じゅばん)の代わりに、半着(はんぎ)を使う。
その上に小袖をゆったりと着る。
洋服に例えれば半着はシャツであり、小袖は、ワンピースのように
ふわりとその上に羽織るように着る。



 京都は国内きっての着物の生産地として、知られている。
最新の文様と最高の技術であつらえた小袖を、日本中に送り出してきた
長年の歴史を持っている。
小袖に洒落たデザインを配したことから、京友禅が生まれてきた。
祇園に、小袖の名前を冠した小路が有る。
花見小路通りから一本東へ入った裏通りに、その小袖小路が有る。
青柳小路から花見小路へ繋がる、石畳の細い路だ。


 午後5時。仕事を終えたすずが、寮母の部屋へ飛んできた。
夢にまで見た小袖が着られるという歓びに、すずの胸が弾んでいる。
だが寮母の部屋へ飛び込んだ瞬間、すずの眼が丸くなる。
部屋の壁に架かっているのは小袖ではなく、綺麗に仕立てあげられた
訪問着だ。

 
 訪問着は未婚、既婚を問わず着ることのできる、格式上位の着物だ。
紋を付ければ、色留袖と同格になる。
ゆるりと着る小袖とばかり思い込んでいたすずが、驚きのあまり目を見張る。
すずは、正式な着物を着たことが無い。
浴衣なら何度か着たことは有るが、格式のある着物に手を通すのは、
生まれて初めてのことになる。


 「小袖ではなく、訪問着ですなぁ。
 ええんですかぁ。こんな高価な着物に、ウチみたいな初心者が袖を通しても?」



 「心配おへん。あんたの先輩、和子ちゃんが自分の成人式用に、
 仕立てあげたもんや。
 すずちゃんに小袖を着せると言うたら、はじめての着物を着るんなら
 やっぱり、ちゃんとした訪問着がええでしょうと、快く貸してくれました。
 和ちゃんも着付けのために、まもなく、小物を持ってやって来る頃や」

 
 寮母の言葉が終わらないうち、先輩の和子が、小物を抱えて部屋のドアを開けた。
その後ろに、櫛やかんざしを持った、和子の同級生たちの顔も見える。
和装の必需品を抱えた上級生たちが、一斉に寮母の部屋へなだれ込んできた。


 すずに、抵抗する暇は無かった。
部屋の中央に立たされたまま、寄って集っての訪問着の着付けがはじまる。
洋服が手早く脱がされる。
素っ裸に近い状態で、肌襦袢が着せられる。
言われるままに両手を広げているだけで、訪問着の着付けが着々と進んでいく。
後ろに回った先輩が、すずの髪を、軽いアップにまとめていく。
集団作業の連携は、40分足らずですずを訪問着の似合う、女の子に仕立て上げた。


 「先輩・・・訳がわかりません。
 いきなりの訪問着なんて、これっていったい、どういう事ですか?」


 「今日は何の日や、すず」


 「23日やから、京都府民の日どす。
 語呂合せで、五(こ)二(ふ)三(み)というのも、有ります。
 浅田次郎原作の映画、『ラブ・レター』の公開初日であったことから
 5月23日は、恋文の日どす!」


 「それだけや無いやろう。胸に手を当てて、よう考えてみい。
 他にも、なにか有るはずや」


 「あ・・・
 本格的なキスシーンが話題を呼んだ、はたちの青春が封切られた日や。
 そうか、恋人たちのキスの日です。
 すっかり忘れていました。
 そういえば今日は勇作と約束をした、キスの日ですねぇ・・・」


 
(16)へつづく


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