つわものたちの夢の跡・Ⅱ
(21)美穂と歩く

「長居し過ぎた。そろそろ車に戻る時間だな」
9時を過ぎたことを確認した勇作が、『どっこいしょ』と声を出し腰を上げる。
『そこまで送っていきます』と、すかさず美穂も立ち上がる。
「いいよ。疲れているんだろ、美穂ちゃんは。
今日は早く寝たほうが良い。睡眠不足は美容の大敵になるからね」
「それならもう、お肌の曲がり角を過ぎましたので、とっくに手遅れです。
うふふ。歩いて4~5分の距離でしょう。
往復しても10分程度です。いま寝ても10分後に寝ても、大差は有りません」
『それに例のお話の続きも有るし・・・』と、美穂が目配せをする。
『ご馳走様。じゃ、また明日』マフラーを手にした勇作が、不満そうな顔を
見せているすずに向って、ひと声かける。
玄関へ向かう勇作を、綿入れを羽織った美穂が小走りで追う。
すずの自宅から300メートルほどの処に、小じんまりとした公園が有る。
芝生に覆われた公園は、いまは、グランドゴルフの練習場として使われている。
その一角に、車が10台ほど止められる駐車場が有る。
勇作の乗る軽のキャンピングカーは、駐車場の最南端に停めてある。
すずは家の庭に停めろと言ったが、さすがに周りの眼を気にして申し出を断った。
「気になることって、いったい何だい?」
「母の様子を見ていて、あれっと思ったことは無い?。おじ様」
化粧っ気のない顔が背中から追いついてきた。
勇作の右手へ、いつものようにふわりとぶら下がる。
幼いころから美穂は、勇作と手をつないで歩くことが大好きだった。
猛勉強の末。県内有数の進学校へ入学したころから美穂は、勇作の右手に
ぶら下がるようして歩くようになった。
美穂に、父親の記憶は残っていない。
美穂が1歳の誕生日を迎える前、すずが男のもとから逃げ出した。
何も持たず家を出たすずと美穂は、深夜の京都駅から東へ向かう急行に乗り込む。
勇作の住む群馬へ向って、夜通しの旅をする。
傷心のすずを受け止めた勇作が折り返し、福井の実家まで車で送り届けたことは
執筆済みの第1部の中で詳しく書いた。
このとき。勇作はすやすやと眠る美穂に、ひとつの約束をした。
1年に1度だけ。3人で思い出作りのため、家族のように旅行することを誓った。
約束は美穂が高校を卒業するまで、1度も欠かさず実行された。
「少しばかり、忘れっぽくなったみたいだな。
歳をとれば誰にでもあることだ。
しっかり覚えたつもりでも、いつの間にか忘れてしまうことも有る。
思い出そうとしても、記憶の扉に鍵がかかったまま、開かないこともよく有る。
言いたい言葉がその場で出てこないで、『あれ』とか『それ』などの、
苦し紛れの代名詞を、良く使うようになった。
やっぱり、老化現象がはじまったと自分でも自覚している。
それはすずにも、同じことがいえるようだ」
「そうなの?、見たことないの、本当に・・・」
白い顔が、勇作を見上げてくる。
化粧や香水とは別の甘い体臭が、美穂の身体からほんのりと漂ってくる。
「記憶の引き出しが開かなくなったせいだろう。
急に無口になり、なんだか、困り果てているような顔を見たことはある。
話をしている最中、ふいに黙り込むことも有る。
あれと思ったけど、歳をとれば誰にでも有る現象だろう。その程度の事なら。
特に、何かを心配するほどの事ではないだろう」
「おじ様からは、心配するほどには見えないか、母は。
となるとやっぱり、わたしのただの、取り越し苦労かしら・・・
あら。これがオジ様の乗っているキャンピングカーですか。
可愛いですねぇ、小さくて。
でも。コンパクトなのはいいけれど、これじゃ少しばかり、狭くて窮屈ですねぇ。
2人で旅をするのには、なんだか小さすぎて少しばかり、
息がつまってしまいそう」
(22)へつづく
『つわものたちの夢の跡』第一部はこちら
(21)美穂と歩く

「長居し過ぎた。そろそろ車に戻る時間だな」
9時を過ぎたことを確認した勇作が、『どっこいしょ』と声を出し腰を上げる。
『そこまで送っていきます』と、すかさず美穂も立ち上がる。
「いいよ。疲れているんだろ、美穂ちゃんは。
今日は早く寝たほうが良い。睡眠不足は美容の大敵になるからね」
「それならもう、お肌の曲がり角を過ぎましたので、とっくに手遅れです。
うふふ。歩いて4~5分の距離でしょう。
往復しても10分程度です。いま寝ても10分後に寝ても、大差は有りません」
『それに例のお話の続きも有るし・・・』と、美穂が目配せをする。
『ご馳走様。じゃ、また明日』マフラーを手にした勇作が、不満そうな顔を
見せているすずに向って、ひと声かける。
玄関へ向かう勇作を、綿入れを羽織った美穂が小走りで追う。
すずの自宅から300メートルほどの処に、小じんまりとした公園が有る。
芝生に覆われた公園は、いまは、グランドゴルフの練習場として使われている。
その一角に、車が10台ほど止められる駐車場が有る。
勇作の乗る軽のキャンピングカーは、駐車場の最南端に停めてある。
すずは家の庭に停めろと言ったが、さすがに周りの眼を気にして申し出を断った。
「気になることって、いったい何だい?」
「母の様子を見ていて、あれっと思ったことは無い?。おじ様」
化粧っ気のない顔が背中から追いついてきた。
勇作の右手へ、いつものようにふわりとぶら下がる。
幼いころから美穂は、勇作と手をつないで歩くことが大好きだった。
猛勉強の末。県内有数の進学校へ入学したころから美穂は、勇作の右手に
ぶら下がるようして歩くようになった。
美穂に、父親の記憶は残っていない。
美穂が1歳の誕生日を迎える前、すずが男のもとから逃げ出した。
何も持たず家を出たすずと美穂は、深夜の京都駅から東へ向かう急行に乗り込む。
勇作の住む群馬へ向って、夜通しの旅をする。
傷心のすずを受け止めた勇作が折り返し、福井の実家まで車で送り届けたことは
執筆済みの第1部の中で詳しく書いた。
このとき。勇作はすやすやと眠る美穂に、ひとつの約束をした。
1年に1度だけ。3人で思い出作りのため、家族のように旅行することを誓った。
約束は美穂が高校を卒業するまで、1度も欠かさず実行された。
「少しばかり、忘れっぽくなったみたいだな。
歳をとれば誰にでもあることだ。
しっかり覚えたつもりでも、いつの間にか忘れてしまうことも有る。
思い出そうとしても、記憶の扉に鍵がかかったまま、開かないこともよく有る。
言いたい言葉がその場で出てこないで、『あれ』とか『それ』などの、
苦し紛れの代名詞を、良く使うようになった。
やっぱり、老化現象がはじまったと自分でも自覚している。
それはすずにも、同じことがいえるようだ」
「そうなの?、見たことないの、本当に・・・」
白い顔が、勇作を見上げてくる。
化粧や香水とは別の甘い体臭が、美穂の身体からほんのりと漂ってくる。
「記憶の引き出しが開かなくなったせいだろう。
急に無口になり、なんだか、困り果てているような顔を見たことはある。
話をしている最中、ふいに黙り込むことも有る。
あれと思ったけど、歳をとれば誰にでも有る現象だろう。その程度の事なら。
特に、何かを心配するほどの事ではないだろう」
「おじ様からは、心配するほどには見えないか、母は。
となるとやっぱり、わたしのただの、取り越し苦労かしら・・・
あら。これがオジ様の乗っているキャンピングカーですか。
可愛いですねぇ、小さくて。
でも。コンパクトなのはいいけれど、これじゃ少しばかり、狭くて窮屈ですねぇ。
2人で旅をするのには、なんだか小さすぎて少しばかり、
息がつまってしまいそう」
(22)へつづく
『つわものたちの夢の跡』第一部はこちら