落合順平 作品集

現代小説の部屋。

つわものたちの夢の跡・Ⅱ   (9)見送るのが親の仕事

2015-04-06 11:03:30 | 現代小説
つわものたちの夢の跡・Ⅱ  

(9)見送るのが親の仕事



 
 「我が子を見送るのが、親の仕事ですからねぇ」と母はまったく動じない。
森和裁塾を訪ねた翌日。すずは無断で京都へ行ったことを、母に謝る。



 「来年の春まではいまのまんま、高校へ行くわけやざ。
 あと半年もあるちゅうでの。
 その間にうらは、娘を手放す決心をすればええだけのことやざ。
 楽勝やざ。それにしてもあんたが、和裁の世界へ行くとは予想もせんかったな。
 なんかあったのか。ビビッと来るような出来事が?」


 すずが、称念寺で見かけた羽二重のことを、母に素直に伝える。
「へぇぇ。いつの間にかいっぱしの福井の女だね、おまえも」と母が目を
丸くして驚く。
「宿題の雑巾も、縫ったことがないくせに」と、ひとこと付け加える。



 「でもね。針仕事ちゅーのは、半端じゃない。
 たった1本の針で、40メートルの糸をつこうて縫い上げるものや。
 着物というものは、そうして出来上がるものやざ」


 1枚のきものを縫いあげるのに、およそ40メートルの糸が使われる。 
40メートルは、お店に並ぶ一般的な手縫い糸(厚紙に巻かれている)1巻の長さだ。 
立て続けに手で縫っていくと、相当の距離になる。



 「昔は家での、自分たちのきものを縫ったそうやざ。 
 針が貴重やったんこともあり、複雑な道具を使わなくても縫い上がるように、
 着物には、いろんな工夫がされていたでの。 
 きものが日常着やった時代は、夏が終わると解いて洗い 巻いて仕舞ったでの。 
 仕舞ってあった冬のきものを取り出し、あらためて着物に仕立てて着たというでの。
 その当時のプロの仕立て屋さんちゅーのは、宿賃を払う代わりにも、
 『仕立てるものはないか』と聞いたそうやざ。 
 腕に自信があれば、懐に針1本で日本中の旅が来たそうや、ひと昔前は」


 「針一本持って、旅に出るわけじゃありません。あたしは」



 「似たようなものさ。
 和裁士になるというのは、針一本でご飯を食べていくことになるちゅうでの。
 昔からね。手に職をつけると喰うには困らないと言われているのぉ。
 手に職を着けるのはええことやざ。
 だけどの。女が手に職をつけると、人生においてロクなことがねぇ。
 女が経済力を持つと、男なんかアテにしなくなるちゅうでの。
 男に縁が薄くなるから、あんたもせいぜい気をつけな」


 「お母さんったら、嫁入り前の娘に向って、なんてことを言うの。
 夢も希望もなくなるじゃないの!」


 「人生を切り開くちゅーのは、自分自身やざ。
 だけどの、無理しすぎるのは禁物や。駄目だと思ったら、いつでも此処へ帰っておいで。
 いまどき、着物を着る人は少なくなったからね。
 女たちにとって、着物を着るという文化が終わった訳じゃないけど、
 着る機会いうっちゅうと、いまどきは、結婚式か葬式くらいなものや。
 だけどねぇ。針一本持ったことのないあんたが、和裁士になるとは思わなかった。
 誰に似たんやろうねぇ、いったいあんたって子は・・・」


 (お母さんです)といいたい気持を、すずが味噌汁と一緒に飲みこんだ。
翌年の春。母が一張羅の着物を着込み、すずと一緒に京都行きの列車へ乗り込む。
「どうしたの、その着物?」と聞くすずの耳へ、母が小さく答える。



 「おばあちゃんの形見さ。
 あんたが結婚したら、あんたに譲るはずの着物です。
 あんたの晴れの門出だ。親として、このくらいの盛り上げは必要やろう。
 だけどさ。東京へ行った勇作ちゃんは、うらが思うに、もう帰ってこないやざ。
 あんたはあんたで和裁士の道を歩き出しちゃうし、
 いったいどうなっちゃうんやろうねぇ、この先の、あんたたち2人は・・・」



(10)へつづく

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