落合順平 作品集

現代小説の部屋。

からっ風と、繭の郷の子守唄(122)

2013-10-24 10:32:59 | 現代小説
からっ風と、繭の郷の子守唄(122)
「貞園に運は有るのか。生死をかけたドアまでの脱出の道」




 壁を伝いカウンターから店内に出た貞園は、岡本の指示を守って素早く四つん這いの体勢をとります。
暗闇に順応をしはじめたとは言え、まだ視界はそれほど回復してきません。
『電気を消す前から、片目をつぶって暗闇に順応する準備をしておくように」という
岡本の事前のアドバイスも、あまり効力を発揮していません。



 入口のドアが見張りによって開け放たれているものの、場末に近いこのあたりに
暗闇を救うほどの大きなビルの光も、強い街灯もありません。
真っ暗闇の状態を維持するために、総長の顔を見た瞬間からすでに、
太陽光で充電をしていくタイプの常夜灯の配線は、ナイフによって切断をしてあります。
2段階の切り替え用スイッチがついていて、フル充電をしておけば6時間あまりも点灯する優れものです。
「強」で使用しても2時間以上も店内を明るく照らし出してくれるという、厄介なシロモノです。
照明スイッチのすべてが、出入り口から最も遠いカウンター内へ設置をされているため、
ママが長年愛用を続けてきた、安全のための光源です。


 「ママさん大丈夫ですか。怪我はないですか。貞園です。
 唯一の明かりの常夜灯まで故障をしたのか、切れてしまって真っ暗ですね」



 「あたしゃ大丈夫。そういう貞ちゃんこそ怪我などしていないかい。
 動いちゃいけないよ。電気が点くまでこらえておくれ。動くと危険だからね」


 「その通りだ。いいか。誰も動くなよ。
 俺が行って電気を点けてくるから、それまでは全員が頭を下げたまま床に伏せていろ。
 たしか、カウンターの内側に、店の照明のスイッチがあるはずだ。
 誰も動くな。物音がしたらすかさずその場に向けて発砲をすることになるからな。
 身動きをせずに、そのままの体勢を保ったままで、電気が点くのを待つんだぜ」


 身体を張って総長を守りぬいた男が、のそりとして立ち上がる気配が聞こえてきます。
その瞬間、パンという乾いた音と閃光が走り、護衛の男を狙って闇の中を突き抜けていきます。
再び女性たちのあいだから湧き上がった悲鳴が、鋭く室内の空気を切り裂いていく中、うめき声とともに、
誰かが倒れこんでいくような物音が聞こえてきます。


 『大丈夫か、おい!』暗闇からの呼びかけに、倒れた人間から
『大丈夫だ。至近距離をいきなり弾がかすめたようだ。驚ろいて転倒しただけだ。怪我はねぇと思う』
闇のなかから、うろたえたままの返事が返ってきます。
不意を突かれたことへの怒りからか、護衛役の子分たちの高ぶっている気持ちが、
どうにも収まりがつかないようです。左右に離れていた2人の護衛から、2発3発と
拳銃が相次いで反撃の火を吹いてしまいます。



 「ばかやろう。むやみに撃つんじゃねぇ、お前らも。
 真っ暗闇の中で、やみくもに発砲したって、相手に当たるはずがねぇ。
 だいいち。ここにいる関係のない人たちへ、多大な迷惑をかけるだけだ。
 そっちの襲撃犯も、いい加減に、つまらねぇ無駄な発砲をするんじゃねぇ!。
 関係ない堅気の人間に迷惑をかけるだけで、本末転倒の結果になっちまうだけだ。
 無駄に弾を使うんじゃねぇぞ。冷静になれ、そっちも」



 『修羅場を何度もくぐり抜けてきた連中ほど、どんな時でも常に沈着で冷静な行動をとる。
 シャカリキニになったままテンションを上げて、無謀や無茶を何度も繰り返すのは、
 ただの意気地なしの証拠で、経験不足を丸出しの連中だけだ。
 慣れた連中は、冷静に敵を観察したまま、ひたすら相手の隙と弱点を執拗なまでに探り出す。
 自分が傷つかずに、相手の息の根を止めるチャンスが来るまでをひたすら待つ。
 相手の弱みを見つけるまでは、プロの連中は、自分からは仕掛けねぇ。
 命のやり取りをする喧嘩場において、常に勝ち抜いてきた連中はしたたかだぜ。
 お前さんがこれから相手にするのは、そういう場面を何度も生き抜いてきたプロの連中だ。
 素人のお前さんが対抗できる手段は、まず急がないことと、絶対に慌てないことだ。
 万にひとつ、襲撃犯を表に連れ出せるチャンスが運良く巡ってきても、決してことを急ぐな。
 時間が無いというのに急ぐなというのは矛盾した話だが、すべてお前さんのためだ。
 襲撃犯の協力者か、内通者と思われてしまったら、お前さんの立場が後ですこぶる悪くなる。
 痛くもない腹までも探られることになるからだ。
 見破られないために、常に、慎重に行動をすることがいちばん重要な事になる』

 
 あの日の岡本の言葉が、また貞園の耳へ蘇ってきます。
そろりそろりと前進をしていく貞園の後方で、護衛の男がカウンターのスイッチへたどり着きます。
『おかしいなぁ。電気が点かねぇところをみると、ブレーカーの方が落ちたかな。
 ママさんよ。ブレーカーはどこだ。裏口かい、それとも厨房の奥か、どっちだ?』



 「厨房の奥。あんたが今いる場所から、壁伝いに進んだ突き当たり。
 背伸びをすれば、あんたの身長なら、そのままブレーカーまで届くはずだよ」


 『こいつらは些細なことから、敵と味方を本能的に瞬時にして見破る能力をもっている。
 従って、内通者や協力者と思われるような痕跡は、一切、あとには残すな。
 例えば、ブレーカーを落とすために使用した踏み台も、普段置かれている場所へ
 ちゃんといつものように戻しておく必要がある。
 四つん這いで前進していくときも、その気配は感づかれるなよ。
 あせらず黙々と息を潜めながら、亀のように前進をゆっくりと繰り返せ。
 途中で電気が点いてしまったら、作戦は即中止だ。その場へ伏せて涼しい顔で知らんふりをしろ。
 実行犯が銃撃を受けていた場合は、女のお前さん一人ではどうにもならん。
 女の力で、外まで運び出すだけの時間もない。
 途中で電気が点いてしまったら、お前の協力する姿がみんなに晒される結果になる。
 つまり、実行犯が傷ついている場合、作戦Cはその場で当然中止ということになる。
 お前さんは自分自身を守るために、実行犯は見殺しにしろ。
 いいな、つまらないことは考えるな。仏心はかえってお前さんの身の破滅を呼ぶことになる。
 すぐに頭を切り替えて、何もせず、じっとしていることがお前さんの対応だ。
 実行犯は、助からなくても構わないが、お前さんには無事に帰ってきてもらいたい。
 まぁ、いろいろその他にも最善の手を尽くしておくが、お前さんに助言できるのはここまでだ。
 全部を頭にしっかりと入れて、俺との約束を守って行動をしてくれよ。
 無事に再会することができたら、今度は春物の新作ゴルフウェアーを、
 トラック1台ぶん山積みで、丸ごと買ってやる」


 『うまくいったら、トラック一台分のご褒美。うふふ、いやでも全身に力がはいります!』


 『ばかやろう。うまく生きて帰って来られたらという話だ。
 そのくらい、危険きわまりないし、すこぶる困難がつきまとう仕事という意味だ。
 だが、俺も男だ・・・・約束をしちまった以上は、リャカー1台分くらいのゴルフウェアなら、
 いつでも喜んで買ってやるさ』


 『約束をした途端、いきなり、トラックへ山積みからリャカーへの格下げかぁ・・・
 しょぼい不良ですねぇ。金には糸目をつけないと豪語していたくせに。
 いいわよそれでも。それで手を打ちましょう、おじさま』



 『やけに自信たっぷりに言い切るなぁ、お前さんも。
 よし。両手で抱えて持てる範囲の新作ということで妥協をしょう。それで俺も手をうとう。
 だいぶ不足をした分は、おじさんが感謝の気持ちを込めて熱いキスで補填をするから、
 どうだ。そういう約束ということで、今回は納得してくれ』


 『・・・。いいわよ、春の新作を上下セットで買ってくれるなら。
 自分の娘のように、あたしのことを心配をしてくれるんだもの、全部が無事に終わったら、
 あたしの方から、おじさまへキスをさしあげます。
 ただし、ほっぺ限定ということになりますが、それでもよければ契約成立です』


 『契約の成立か。なんだか嬉しい響きのある言葉だな。
 よし、分かった。俺も是非ともほっぺにキスしてもらいたいから、絶対無事に帰ってこいよ。
 ただし、あまり無茶はしないという前提つきでな』

 『わかりました。春の新作のために精一杯頑張ってきます。うふふ』



 『なんだかうまくいきそうに見えてきたから、不思議な気がする。
 なんだかんだと説明をしてきたが、俺のできる助言もここまでだ。
 ひとつやり方を間違えると、総長の組と俺たちの組のあいだで、戦争が始まる羽目になる。
 俺も、ここは一番、ふんどしを締め直して気合を入れておくが、お前も、ふんどしを・・・・
 いや、だめだ。女は、ふんどしなんか締めないもんな』


 『Tバックという便利なものがあります。おじさま。うふふっ』


 『やれやれ・・・・お前さんにはお手上げだ。あっはっは!』



 
 しかし時間は刻々として過ぎ去り、護衛の男がブレーカーへ迫りつつあるいまの局面、
事態は、まったく予断を許しません。
床を四つん這いで進んでいく貞園の指先へ、そこへ横たわって居るはずの銃撃犯の感触は
いまだに伝わってきません。さきほど発砲をした銃撃犯の彼はいったい、
どこへ消えたのでしょう・・・・






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からっ風と、繭の郷の子守唄(121)

2013-10-23 10:02:02 | 現代小説
からっ風と、繭の郷の子守唄(121)
「極度の緊張が続く中、必死に作戦Cを成し遂げようとする貞園」




 「ご苦労さま。あら、あまり見かけない顔だわねぇ、あんた」


 花束が君来夜のママへ手渡されてしまうと、
それまで隠れていた花屋の男の顔が、全員に向かって露わになります。
目深にかぶられている帽子のひさしの下から、怪しい光を放つ男の両目が現れます。
護衛の男たちが、それぞれの懐の中で危険な武器を握り締めていきます。
瞬時にして漂ってきたきな臭い匂いの空気と雰囲気が、壁際で立ちすくんでいる貞園のところまで
はっきりと伝わってきます。



 「受け取りの、サインをいただきたいのですが・・・・」と、男がママへ一歩近づきます。
「そうだったわねぇ。じゃ、こちらで」。ママがカウンターへ花束を置き、筆記用具を探すために
くるりと男に無防備の背中を見せてしまいます。
その瞬間が来ることを想定し、狙いすませて待ち構えていた男が、素早く距離を詰めます。
左手で背後からママをあっというまに羽交い絞めにすると、右手は、ベルト内へ隠してきた
拳銃を素早く引き抜きます。



 
 「誰も動くな。動くと、このママと総長が一緒に仲良くあの世へいくことになるぞ!」



 ママを人質にとった男がその銃口を、総長へ向かってゆっくりと定めていきます。
右と左で身構えた護衛のふたりは、懐から応戦用の黒光りしている拳銃を早くも取り出しています。
背後に控えてたもうひとりの男は、顔色一つ変えずに総長の前へ一歩踏み出してくると
そのまま、壁のように立ちふさがってしまいます。
その手にも同じように、やはり冷たい光を放つ拳銃がすでに握られています。



 「お前さんが乱入してくる事は、察知済みだ。
 襲撃を実行するどころか、お前さんのほうが『飛んで火に入る夏の虫』だ。
 くだらないことは今すぐにやめろ。関係のないママさんは巻き添えにするな。
 すぐに、手は離せ。生命まで取るとは言わないから、遅くねぇからあきらめろ。
 どのみち3対1の拳銃だ。お前さんに、万にひとつの勝ち目もねぇ」



 総長の前に立ちふさがった男が、静かな声で男を諭します。
しかしその静かな口調とはうらはらに、男の構えた銃口はあくまでも揺るぎを見せません。
ママの背後へ隠れている男の顔へ、ピタリとしたままの照準を保っています。
左右で身構えている2人にもそれは同じことがいえます。中腰に身構えたまま、ママもろとも男を
打ち抜くつもりで、ひたすら拳銃を構えています。
どうにもならない膠着状態の中、男たちの銃口よる対峙が静かなままにはじまります。
スイッチを探し当てた貞園の指先も、先程から『どうしたものか』と
タイミングを戸惑ったまま止まっています。



 男のほうが、先にしびれを切らしてしまいます。
『やかましい・・・・』吐き出すようにつぶやいたあと、ママを床へ突き放します。
両腕で拳銃を構え直すと、口をついて出た怒号とともにパンという乾いた銃声が店内に響きわたります。
ほぼ同時に、左右に身構えた男と総長の前に立ちはだかった男も、その銃口を開きます。
パン、という短い銃撃の音が、女性たちの悲鳴とともに店の外まで響きわたります。


 『しまった!遅れた。』貞園の指先が、あわてて照明のスイッチを切ります。



一瞬にして闇の底へと変わってしまった店内に、女性たちの甲高い悲鳴がまた湧き上がります。
2発目、3発目の乾いた銃声が、さらに店内に響きわたっていきます。
うめき声にも似た、腹のそこから絞り出されてくるような襲撃犯の悲鳴と怒号が、真っ暗闇の中から
カウンター内にいる貞園の耳へ、かすかにながら聞こえてきます。


 テーブルからグラスと食器が床へ飛び散ります。
激しく割れて砕ける音とともに、行き場を失ってしまった足音が激しく床を踏み鳴らします。
誰かが床へ倒れ込むような気配があり、鈍い衝撃の音が足元から聞こえてきます。
椅子が倒されテーブルが傾いていきます。あとを追うように、更に大量のグラスと食器が
激しい音をたてて床にばらまかれていきます。



 「大丈夫か、総長は」

 「停電だ!。流れ弾に気をつけろ。敵はどうした!」

 「みんな頭を上げるな。床へ伏せろ。電気はどうした、早く明かりをつけろ」

 「誰も動くな。撃つんじゃない、同士打ちになるから気をつけろ」




 女性客たちの黄色い悲鳴が、ドアの外に待機していた見張り役を呼び込みます。
乱暴に開け放たれたドアから、わずかばかりの外の光が差し込んできました。
窓を一切持たない遮蔽されたスナックの造りは、照明が落とされてしまうと、あっというまに
海の底のような、奈落の闇に変わってしまいます。
開け放たれたドアにより、わずかに差し込んできただけの外からの淡い光だけでは、
店内の様子を、浮かび上がらせる事態にはなりません。
真っ暗闇の支配がいまだに続く中、貞園が壁を伝いながら次の行動へ移っています。



 『スイッチを切っても、誰かが入れ直せばすぐに照明は元へ戻ってしまう。
 肝心なのは、照明のスイッチを切ったその直後の行動だ。
 テナントには、裏の出入口か厨房の奥に必ずといっていいほど、配電盤が設置してある。
 その配電盤こそが、今回の作戦の可否を握っている。
 まずは、その場所をちゃんと確認をしておいて、必ず頭の中にたたきこんでおけ。
 次に、設置してある高さも問題になる。
 ほとんどの場合が、背伸びをしただけでは届かない高い位置に設置されている。
 ママには気づかれないように、そのための踏み台か、代用品を用意しておけ。
 真っ暗闇にしたら壁伝いにすみやかに移動をして、配電盤のブレーカーを落とす。
 暗闇の中でも配電盤の位置が正確に分かっていれば、対応の仕方は簡単だ。
 ブレーカーは暗闇でも判るように、平らな部分に、そこだけがポツンと突起をしている。
 手探りで場所を探し当てたら、あとはその突起物を下側へ押し下げるだけで済む。
 こうすることで、ブレーカを復活させないかぎり、店内は真っ暗闇の状態がいつまでも続く。
 ここまでが、真っ暗闇を維持するための一連の手順だ。
 Xデーのその日まで、この手順をひたすら繰り返し、お前さんの目と手で
 しっかりとこれだけを、覚え込んでおけ。
 たぶんそれが、お前さんと実行犯の命を助けることになるだろうな』



 『作戦Cになってしまった場合でも、手だけが無いわけではない。
 ただし十二分に危険がつきまとうから、くれぐれも慎重に行動をしてくれ』
あの日の岡本の言葉が、壁を伝って進む貞園の耳元へ、はっきりと蘇ってきています。



 『真っ暗闇が効力を持つのは、時間にして数十秒から1分が限度だ。
 それ以上かかった場合は、人間は当初のパニック状態から落ち着きを取り戻して、
 いつものように平常心を取り戻すことになる。
 そうなると実行犯を救出のためのチャンスは、ほとんどなくなっちまうだろう。
 電気を消した瞬間から、配電盤のブレーカを落とし、実行犯を救出するための
 タイムリミットは、最大でも1分と考えろ。
 たかが1分が、生死をわける1分間という時間になるだろう。
 カウンター内で照明のスイッチを切り、配電盤のブレーカを落としてから
 実行犯を引きずって、手下が待ち構えているドアの外まで逃げ出す。
 『引きずり出す』とあえて言う意味は、われわれが襲撃の事実を知っているように、
 総長たちも、すでに襲撃の可能性を嗅ぎつけていりはずだ。
 そうなると、実戦に慣れている連中の方がはるかに優位に立つ。
 銃撃戦が始まれば未熟な腕の実行犯のほうが、先に撃たれてしまうだろうことは、
 当然すぎるほど予想できる。
 それも含んだ上での、作戦Cを越えていく荒業だ』



 貞園が暗闇の中で、密かに用意してあった踏み台を探り当てます。
その上に登り、指先をさしのべていくと配電盤のたしかな手応えが返ってきます。
貞園の指先が、ブレーカーの突起を探しはじめます。
簡単に見つかったブレーカーは、やがて貞園の指先によって音も立てずに下側へ倒れ込んできます
万全といえる暗闇の状態が回復されない、限り長い時間にわたって維持されることになります。



 『その先からが、もっとも困難をきわめる仕事になるだろう。
 無事に、店内から脱出するための行動がそれにあたる。
 配電盤から離れたら、あわてずに踏み台も元に戻しておく必要もある。
 そのままに残しておくと、お前さんが協力者だという証拠をそこに残すことになる。
 カウンターから店内に戻ったら躊躇うことなくいそいで四つん這いの体勢を取れ。
 余計なことはしないで、一直線にドアまで這っていけ。
 ここの部分が一番肝心だ。
 間違っても床に倒れている実行犯を探しだそうなどと、動き回ることは禁物だ。
 だいいち実行犯は、店内の奥深い部分まで侵入をしてこないだろう。
 臆病なやつほど出入り口近くにとどまって、あわてて銃撃を加えたあと、
 いちはやく出口へ向かって逃げ出そうとする。
 四つん這いになったお前が出口に向かって進んだとき、途中でぶつかった相手が居るとすれば、
 ほぼ間違いなく、そいつが、実行犯ということになるだろう」





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からっ風と、繭の郷の子守唄(120)

2013-10-22 07:07:10 | 現代小説
からっ風と、繭の郷の子守唄(120)
「2日目と3日目は無事に過ぎ、ついに、『Xデー』のその日がくる」




 Xデー(エックスデー)とは、起こることは確定的なのですが、
いつ起こるか予測ができない重大事件が起きる日を指している、俗称です。
2日目、3日目と招待客たちが順調に顔を出し、何ごともなく過ごしてきましたが、
4日目にはいった今日にかぎり、ママからはいつにない緊張感が漂ってきます。


 (どうやら今日が、Xデーになるような気配がしています。
 いまのうちに、あの2人にも『要注意』の一報をいれておきましょう・・・・)


 応答した向こう側からも、乾いた緊張した声が返ってきます。
万一のことを考えてボタンをひとつだけ押せば、相手へつながる設定に切り替えた貞園が
化粧室の片隅で、今夜もやってくる招待客たちのために笑顔を整えていきます。
客商売を主とする女性たちが日夜にわたって磨き上げるのが、この営業用の『作り笑顔』です。
接客嬢のプロたちは、魅惑的で雅な笑顔をものにするために、こうして鏡の前で
数千回から数万回もかけて、『微笑み方』を身につけていきます。


 こうした女性たちのプロの笑顔ほど、怖いものは他にありません。
その日の出来事や喜怒哀楽はもちろんのこと、当人の本性までも完璧に隠してしまうことさえ
可能なほど、この笑顔には極めて危険な『嘘』が存分に含まれているのですから・・・


 8時を過ぎ、やがて、その一瞬が訪れました。



 その瞬間だけ、『君来夜(いえらいしゃん)』の花で飾られた入口周辺には、
なぜか全く別次元ともいえる、緊張した空気が瞬時にして漂いはじめます。
しかしその後に貞園が実際に目にしたものは、自分の目を疑うような、実に平和的で
温和そのものとしか見えない人の良さそうな柔和な人物の登場です。
白髪頭の爺さんは、胸元に大きな花束を抱えたまま、ニコニコとしながら歩いてきます。
君来夜のママの顔を間近にした瞬間には、老人の顔からは目が皺の間に隠れて消えてしまいます。
(まるで飼い主に懐く小犬のようだ。本当にこれが、ヤクザの大幹部なのかしら?)


 しかし老人の背後に現れた屈強な3人の男の姿が、貞園の疑問を
あっというまに現実へ引き戻してしまいます。
鋭い目を持つ彼らは常に四方へ視線を配りながら、壁のように老人の背後を固めています。
一番奥へ案内をされた老人が、上機嫌なままにソファへ腰を下ろします。
『今日の日のために、お手伝いに来てくれた貞園ちゃんです』とママから紹介をされた瞬間、
貞園の緊張と胸の高鳴りは、その息苦しさとともに最高潮へ達してしまいます。



 「はじめまして貞園です。ようこそいらっしゃいませ」


 挨拶するのが精一杯で、男たちがどこへどう座ったのかを確認することさえできません。
カウンターへ一度戻った戻った貞園が、男達に気づかれないように、深い呼吸を何度も繰り返しています。
(ダメだ。持病の過呼吸が、爆発する寸前だ・・・・ドキドキが、いつまで経っても止まりません。)
目眩(めまい)にも似た感覚がひたすら続く中、つとめて冷静を装いながら、
ようやくの思いでテーブルまで戻った貞園が、男たちの希望する飲み物の準備に入ります。


 (どこかに隠れているはずの襲撃犯さん。
 お願いだから、いま入ってきちゃ駄目です。ここから照明のスイッチは遠いのよ。
 奥のテーブルからは、真っ暗闇になると入口へ歩いていくだけでも困難です。
 お願いしますから、もう少しだけ待ってちょうだい。
 グラスの準備が出来て、私がスイッチの有るカウンター内へ戻るまで、あとほんの少しなの。
 お願いだから、飛び込んで来るのは、もう少しだけ待ってちょうだい。
 どこかに潜んでいる、あなた・・・・)


 はやる気持ちを抑えながら、貞園がグラスの準備をすすめます。
波のように押し寄せてくる緊張感のあまり、自分の指先が震えているのがはっきりとわかります。
(気取られないように。男達には決して悟られないように・・・・)
ひたすら祈るような気持ちを心に沈めたまま、ひとつずつのグラスの準備を進め、
やがて全員の分がようやくのことで完成します。


 「じぁあ。君来夜の開店20周年記念と、潔いのよいママの引退ぶりを祝って、
 とりあえずは乾杯と行こうか」



 満面笑みの総長が、受け取ったグラスを静かに持ち上げます。
総長の左右と背後を固めている3人もそれぞれに手を伸ばし、乾杯用のグラスを手にします。
そろりと立ち上がった貞園が、ママに席を譲るような形でそのままの後ずさりをします。
(間に合うかしら。もうすこし待って。飛び込んでこないで、お願いだから・・・・)
祈るような気持ちのまま、そろりそろりとカウンターまで下がります。


 (間にあったぁ~)・・・・痺れるような緊張感から解き放されて、
ようやく定位置のカウンター内へ戻った貞園の背中を、安堵の汗がしたたり落ちていきます。
コンコンと入口のドアが軽くノックをされたあと、表で警備にあたっている若い者が、
のそりと細くドアを開け、店内に顔だけを覗かせます。
『ママさん。今頃の時間、近所の花屋がお祝いの花を運んできやした。どうしやすか?』
全身で入口を塞ぐ防御の体勢をとりながら、店内にいるはずのママの姿を探しています。



 「今頃の時間にお祝いの花かい?。誰に頼まれたものなんだい。不思議だねぇ」


 「なんでも、古い昔馴染み客から、至急ということで頼まれたそうです。
 旅行中なもので、今夜は顔を出せないが、花だけでも是非に届けておいてくれと、
 ついさっき、花屋へ電話がかかってきたという話です。
 『K』という人から頼まれたと言えばママはわかるそうだと、花屋の男も言ってますが」


 「Kさんかい?。誰だろうね。まぁいい。じゃ、入ってもらってくださいな」


 Kという名前に思い当たらないまま、それでもママがドアに向かって歩き始めます。
乾杯の姿勢を取りながらも、総長を取り巻いている護衛役の3人は、それぞれの懐へ、
そろそろと利き手を忍ばせていきます。
『おい』。入口のドアを塞いでいた見張り役の男が、ママの同意を確認してから、
『OKだってよ、中へ入れ』と花屋を促しています。



 
 リボンのついた大きな花束がまず現れ、続いて顔を隠くすような形で花屋が姿を見せます。
被っている帽子が花束越しに揺れて見えるだけで、人相を確認することはできません。
花束へ向かって歩くママは、『ご苦労さま』と、警戒をする素振りさえ見せず、
ゆっくりと花束へ手を差し伸べていきます。


 スローモーションのワンシーンを見るように、きわめてゆっくりと
花束がママへ手渡されていくその瞬間、貞園からは、花屋の横顔がチラリとだけ見えました。
帽子の下にうごめいているその鋭い動物的な目に、はっきりとした見覚えがあります。
(銃撃犯だ!。あの時の、あの冷たそうな動物的なあの目だ。ついに、その瞬間がやって来た!)
一瞬にして貞園の胸の鼓動は高鳴り、その緊張がピークへ達します。


 カウンター内で背中を向けたまま、貞園の指先が照明のスイッチを探しはじめます。
震える指先が壁を伝いながら、そこへあるはずのスイッチへ向かって移動を続けていきます。
何度も目で覚え、記憶に刻んできたはずのスイッチの場所が、何度探しても
貞園の指先に伝わってきません。



『あせるんじやないぞ。タイミングも肝心だからな。
 いきなり電気を消しても早すぎる。しかし、犯人が発砲してからでは遅すぎる。
 大切なことは、空気をしっかりと呼んで、落ち着いてその頃合を待つことだ』


 あの時の岡本の言葉が、背中に冷たい汗を感じている貞園の脳裏へ蘇ってきます。



 『有った!』。貞園の指先が、ようやくスイッチを探り当てます。
『早すぎてもまずいが、遅すぎてもまずい。勝負はたったの一瞬だ。誰かが先に必ず動き出す。
護衛の男たちが懐から手を出すか、拳銃らしきものを見たと思った瞬間に電気を消せ。
その一瞬だけが電気を消すためのタイミングだ。あせるなよ、急ぐなよ。
ひたすら耐えて、待つことも大切だ』


 噛んで含めるように一言ひとことをゆっくりと、語り続けていたあの日の岡本のアドバイスが、
汗をかきながら震えて続けている貞園の指先と脳裏に、鮮明に克明に蘇ってきます・・・・




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からっ風と、繭の郷の子守唄(119)

2013-10-20 10:34:55 | 現代小説
からっ風と、繭の郷の子守唄(119)
「駐車場に2人乗りの白いベンツが停り、緊張の一週間がはじまる」




 スナック『君来夜(いえらいしゃん)』の、20周年祝賀の一週間が始まりました。
不況が長引く中で客の姿がめっきりと減ってきた繁華街の一角が、この一週間だけにかぎり、
すこしばかり華やかに見えてきました。
気風の良さと面倒見のよさだけで、20年間も歓楽街に君臨をしてきた『君来夜』のママの
唐突とも言える引退は、夜の街に大きな波紋を広げています。


 地元著名人たちの生花が店の前に並び、店内には馴染みの客からの花が溢れています。
散り際をことさら大事にするという、上州人の気風のよさが如実に表れています。
商売敵(しょうばいがたき)の繁華街のママたちも、それぞれに寸暇を惜しんで駆けつけてきます。
県庁でトップを占めている馴染みの役人や、地元経済界の主だったメンバーたちも、
それぞれに別れを惜しんで顔を見せます。
一日に20人までと決めて招待状を準備したママの配慮はてきめんです。
指定された日時通りに、招待客たちが律儀なまでにめいめいが花束を抱えて顔を出していきます。


 この日のためにと、貞園は真っ赤なチャイナドレスを準備しました。
混雑をきわめる店内でスイスイと足取りも軽く泳ぎ回る貞園の赤いチャイナ服は、
名士たちからのことさらの注目を集めます。
『どうだ。いくらでも(金なら)援助をするから2代目君来夜のママにならないか』と、
何度も、繰り返し男たちから声などをかけられています。
しかし、当の貞園は、まったくそれどころではありません。


 見慣れているはずの店内の様子を、事細かに観察をすすめているからに他なりません。
今立ち止まっている此処からならば、出口までは、普通に歩けば10数歩。
途中に観葉の大きな植木鉢が置いてあるので、5歩を歩いたあとで要注意。
奥の座席に座ってしまうと、出口までの経路が煩雑すぎるから、座ることさえ危険過ぎ。
カウンターから外へ出る場合は、急に曲がると、足元に障害物があるから充分に気をつけること、
などなど、襲撃にそなえ、店内配置の確認に余念がありません。



 (とりあえず、初日の今日だけは無事に済みそうです・・・・)
ママから見せてもらった招待客の名簿の中に、それらしい名前は見当たりません。
10時も過ぎ店内の喧騒が一段落すると、赤いチャイナ服の貞園が小さな包みを持って
小走りのままに、表の通りへ姿を見せます。
周囲を何度か見回したあと、100メートルほど離れている駐車場へ向かって駆け出します。
うす暗い駐車場の一角には、見覚えのある白いベンツに乗った若者の2人組が
エンジンをかけたまま、ひたすらに待機をしています。



 「あんたら、バッカじゃないの」


 後部座席のドアを開けた貞園が、いきなり頭ごなしの大きな声をだします。
『はい。差し入れのケンタッキーです』良い匂いのするビニール袋を、慌てて振り向いてきた
助手席の男へ、頭ごなしのまま手渡します。



 「これ見よがしの白いベンツで、駐車場に待機をしていてどうすんの。
 誰が見ても、ここに不良が待機していますって、看板を上げているようなもんだわ。
 岡本さんから注意されたでしょうに。くれぐれ気をつけて見張れって」


 「おう、差し入れありがとうな。
 なるほど。組長が『うまくやれ』と言っていたのはそう言う意味か。
 確かにいわれてみればその通りだ。おい相棒。明日からはお前の車でやってこよう。
 白いベンツなら目立ちすぎるが、黒いベンツなら、あまり目立たないだろう」


 「少しばかり頼りないが、いざという時にはそれなりに役には立つ連中だとは聞いていたけど、
 どうやらそれも、あまり当てにはならないようね。無理がありすぎるもの。
 あんたたち。真面目に仕事をするつもりが、あるの?
 白か黒かの問題じゃなく、ようするに、目立つ車は駄目だということでしょ」


 「綺麗なお姉さん。頭が良くて気が利けば、このご時世に不良なんかやっておりやせん。
 おれら二人ともガキの頃から出来が悪く、そのうえ少年院帰りだけど、
 帰ってきた時から組長・・・いや、いまの社長には、お世話になりっぱなしです。
 うちの組にいるのは、少年院帰りや、高校を中退したワル餓鬼ばかりです。
 岡本組といえば、ある意味で、札付きの不良連中の更生施設などと呼ばれていやす。
 覚せい剤と売春だけはまったくもっての御法度。みかじめ料はとらないし、
 弱いものいじめは絶対にいたしやせん。
 そいつが、岡本組のモットというやつでござんす」


 「なんでそれで、組の経営が成り立つのよ。
 一般市民を脅かして金をまきあげなきゃ、成り立たない商売じゃないのさ、極道なんか」



 「お言葉ですが、綺麗なお姉さん。
 今の時代、原発という便利な金喰い虫が日本中にゴロゴロと転がっております。
 こいつが、べらぼうな利権と、ボロ儲けを生み出す代物なんです。
 動こうが、動くまいが、設備と核燃料を維持するだけで、膨大な経費とべらぼうな
 人件費というやつを発生させます。
 危険区域内での作業ともなれば、ひとりあたり5~6万円という高値がつく始末です。
 いまどきの頭のいい不良は、人材派遣だけで充分に食っていけやす。
 うちの親分、いや社長は、自慢じゃありませんが、東京6大学の出身ですから!」


 「なるほどね。そちらの実情はよくわかりました。
 ところで、今日の招待客の名簿の中に、それらしい名前は見当たらないから、
 初日の襲撃は回避できたみたいです。まだ簡単には、油断できませんけどね。
 明日も、暇を見つけてまた差し入れにやって来ます。じゃ、ね。
 頑張ってね、あんたたちも」



 後部座席から降りた貞園が、運転席をすり抜けて帰ろうとします。
運転席でハンドルを握っていた男が、そんな貞園に背後から遠慮がちに声をかけてきました。
スルスルと空いた窓からは、窮屈すぎるように座席に収まっていた男の顔が現れてきます。



 「姉さん。悪かったなぁ、あんたの大事なお人をボコボコにしちまって。
 手加減はしたつもりなんだが、おやじの手前、暴力は嫌だと断れない立場なんだ。
 理不尽だとは思っているが、そいつもまた俺たちのしきたりなんだ。
 彼氏も殴られて痛かっただろうが、殴った俺の気持ちのほうも痛かった。
 そこまでされるのを承知の上で、彼氏が真剣に頼み込んできたのが、この一件だ。
 俺たちもなんとあんたたちの力になって、うまく事を運びてぇと思っている。
 姉さん。店の中から、襲撃犯の情報を提供してくるのはあんたひとりだけだ。
 うまく連携プレーでやりくりをしながら、銃撃犯をとっ捕まえて彼氏の期待に応えてやろうや。
 ありがとうよ、差し入れ。丁度、小腹がすいていたところだ。
 じゃあ、寒いから早く行け。いい女に風邪でもひかしたら、彼氏に申し訳がねぇ。」


 「うん。じゃ、また明日ね」


 「おう。またな。
 あ・・・・いや、ちょっと待て。まだ話が残っている。
 いいからここへ来て、姉ちゃんの綺麗な、その背中の様子を見せてみな」



 怪訝な顔をしたまま戻ってきた貞園が、言われた通りに運転席の男へ背中を向けます。


 「おっ、やっぱり良いスタイルだ。
 姉ちゃん、惚れ惚れするほどのナイスバディだね、見るだけでもゾクゾクとするぜ。
 だがよう。ただし、こいつだけはいけねぇや。
 沈着冷静を装っていても、思わぬところで、なんだっけか、足が出ちまうのは?」



 「馬脚。馬の足。」


 「そうそう。その馬の足ってやつが、こんなところへ着きっぱなしだぜ。
 ちゃんと取っておけよ、値段の札くらい。まったくもって、いい女がこれじゃ台無しだ」


 ほらよ、と長身の男が、貞園の襟元から正札をヒラヒラと取り外します。


 「あらぁ~。バレないようにと細心の注意をはらいながら、
 冷静を装っていたのに、舞い上がっているのが、これですっかりバレちゃったみたい!」


 振り返った貞園が、大きな声をあげて笑います。



 「安心をしろ、姉ちゃん。
 万が一の場合になったら、俺たち2人は躊躇せず、
 銃撃犯よりも、姉ちゃんの安全を最優先して確保しろと、おやじから命令を受けている。
 怪我の一つもさせるんじゃねぇと、口が酸っぱくなるほどに言われてきた。
 俺たちを頼りないと思っているんだろうが、俺たちもそのつもりでここに待機をしているんだ。
 まかせろ。何があっても姉ちゃんのことは、俺たちが命をかけても守ってやるから」





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からっ風と、繭の郷の子守唄(118)

2013-10-19 11:59:07 | 現代小説
からっ風と、繭の郷の子守唄(118)
「万一の場合もふくめ、作戦はBからCまで準備してある」




 「作戦Aはすべてが、こちらの筋書き通りに運んだ場合の想定だ。
 だが物事は、そう簡単にこちらの思惑通りに運ばせてはくれないものだ。
 そこで作戦Bの登場だが、これを実行するためにまずは、お前さんに繰り返し、
 シュミレーションしておいてもらいたい作業がある」

 「シュミレーション?。一体、何のためのシュミレーションですか・・・・」



 「暗闇の状態でも、確実に、出口まで到達できるためのシュミレーションだ。
 タイミングを失い、電気を消すのが遅れてしまう場合も有る。
 いきなり銃撃が始まる場合や、護衛役の連中が先に発砲をはじめる場合も考えられる。
 連中だって予備知識なしに『君来夜』へ乗り込んでくるとは思えない。
 当然のことに武装もしてくるだろうし、それなりに周到な下調べもして乗り込んでくるだろう。
 ということは予期しない段階で、前触れもなしに突然、銃撃がはじまっても
 おかしくないという事態も考えられる。
 その時でもやっぱり、一番先に実行するのは急いで電気を消すことだ。
 そうなった場合の用心のために、室内の正確な配置を把握しておく必要がある。
 どこにどんな障害物があり、どこに段差があるのかという事を正確に覚えておく必要がある。
 つまり、暗闇の中でも確実に出口へ辿りつけるための経路を、前もって
 正確に頭の中へ叩き込んでおけ、ということだ」


 「そうか。真っ暗闇という状態の中でも、いち早く銃撃犯を表に連れ出すために、
 出口までの経路を、いつでも頭の中に入れておけという意味ですね。
 でもできるのかしら、私に。だいいち、襲撃犯が私の言うことなんか聞くかしら」



 「修羅場では、信じさせるためのコツがある。
 まず最初に、耳元で『味方だ』とはっきり告げて警戒心を解き、安心をさせる。
 敵の真っ只中へ飛び込んできた奴でよほどの猛者でないかぎり、気持ちは動転をしている。
 『逃げ道を確保してあるから、案内します』と言えば、ほとんどの人間はそれに無条件で従う。
 それでも抵抗をしてダメならば、その時は、見殺しにすればいいだけだ。
 それ以上関わると、今度はお前さんまで立場が危うくなる。
 いいか。間違っても説得しょうなどと考えて、深追いをするんじゃないぞ。
 『逃げよう』と言って着いてくるようならば、そのまま表に飛び出して手下の車で一緒に逃げろ。
 従わない場合は、すぐに諦めて銃撃犯からはさっさと離れろ。
 くれぐれも説得をしょうなどと考えるな。
 大切なのは銃撃犯の救出よりも、最優先すべきは、あんた自身の安全の確保だ。
 修羅場のど真ん中にいると、自らもっている運と冷静な行動だけが結果を左右する。
 下手に粘り続ければお前さんの命まで、危なくなる。
 作戦Bは、土壇場では、素早い判断を間違うことなく下せというシュミレーションだ。
 それが、危険ギリギリでの、お互いの生死を分けることになる」


 「じゃあ、作戦のCというのは・・・・」



 「いっさい何もせずに、その場をやり過ごせということだ。
 電気を消すタイミングを失い、店内で銃撃戦が始まってしまったら、
 急いでカウンターの中へ隠れて体勢を低くしろ。
 または、急いで床に伏せて、どこから飛んでくるか分からない弾から自分を守れ。
 いいかい。そういう事態が始まったら、銃撃犯をたすけるどころか、
 まずは、自分の身を守ることが最優先だ。
 幹部が死のうが、巻き添えをくらって誰かが傷つこうが、いっさい動くんじゃない。
 耳を塞いで銃撃が通り過ぎるまで、ひたすら我慢をすることだ。
 生きて再び店から出てきたかったら、事件を聞きつけて警察がやって来るまで何にもするな。
 ひたすらただ、自分のみの安全だけを守る。それが作戦Cだ」


 貞園が、思わず自分の両肩を抱きしめます。
『遊びじゃないんだよ。姉ちゃん』岡本のギョロリとした眼が、貞園を覗き込んできます。
『無理にとは言わないさ。こんな危険な騒動の中へわざわざ自分から飛びこむんだ。
嫌なら、今すぐやめてもいいんだぜ』と、ニタリと笑って見せてから顔を遠ざけていきます。


 「無理をするこたぁねぇや。君来夜のママに依頼された通り、
 一週間を無事に乗り切れば、君のメンツも頼まれた役割も無事に果たしたことになる。
 銃撃戦が起こることは、その前からわかっていることだ。
 そのときが来たら、いち早く安全なところへ隠れて、警察が駆けつけてくるまで動くな。
 そうすれば怪我をすることもないだろうし、余計な巻き添えもくわないだろう。
 悪いことは言わねぇ。おとなしくしていることが、姉ちゃんの身のためになる」


 「でも、それじゃ、誰も助からなくなってしまいます」



 「気にすることはねぇ。世間ではよくある不良の抗争事件のひとつだ。
 誰が生きようが死のうが、結果がどうなろうが、姉ちゃんが気にする必要はねぇ。
 一般人には関係のないことだ。不良の幹部が死のうが、襲撃犯が打たれて死のうが、
 世間には、なんの影響も出ない話だ。
 ムキになって止めようとしたって、所詮は無理がある。
 けが人を出さずに済むなんて、俺もそんな風に甘く考えちゃいない。
 たしかに姉ちゃんが手伝ってくれれば、この作戦が成功するかもしれねぇ。
 だがそれだって、万にひとつか、もしかしたら上手くいくかもしれないと思う確率だ。
 お前さんは、俺の娘とひとつ違いだ。
 怪我どころか、危険な目にさえ合せたくはねぇ。悪いことは言わねぇからやめとけ。
 康平に相談をして、今回の件は無理だから降りたといえばそれで終わりだ。
 姉ちゃんがこの件から降りても、俺たちは約束通り出口で待ち構えていて、
 中から出てきた襲撃犯を捕まえる努力だけはする。
 そいつがうまくいったら、康平との約束通りに国外へ逃亡もさせてやる。
 大きな声じゃ言えないが、それがボコボコに痛めつけた康平への、俺たちからの仁義だ。
 それくらいのことはやってのけなければ、康平を痛い目にあわした意味すらもねぇ。
 群馬の不良は、けっこう義理堅いんだぜ。こう見えても」


 先程まで快活にキラキラと輝いていた貞園の黒い瞳が陰り、やがて首までがうなだれてしまいます。
(いかん。すこしばかり脅かしすぎちまったようだ・・・・。しかし油断は禁物だ。
若い娘というものは、調子に乗りすぎると、何をしでかすかまったく見当がつかないからな。
なにはともあれ、若いものに、これ以上危険な思いだけはさせたくはない・・・)
貞園の潤んだ黒い瞳が、下から岡本を見上げてきます。



 (まずい!。こいつの目が、妙に潤んできおったわい!。)


 充分に潤んできた貞園の黒い瞳から、やがてホロリと大粒の涙が、
ひとつ、頬を伝って流れ落ちてきました。
ピンク色の可愛い唇も、かすかに小刻みに震えはじめています。
ぷっくりと目頭にあふれてきた大きな涙のかたまりが、ふたたび目の淵へ溢れたあと
今流れ落ちたばかりの涙のあとを追って、ゆっくりと、また頬を伝って落ちていきます。


(まいったぜ。潤んだ瞳と涙という女の武器で、俺さまに反撃をしてきたぜ、こいつめ。
 外見は可愛い顔をしているくせに、中身はまるっきりの、相当な小悪魔だ・・・・)


 小悪魔の必須アイテムのひとつが、乙女の涙と潤んだ瞳です。
女子の涙に、男心はもろいうえに弱い部分があり、攻撃の矛先さえ鈍らせてしまいます。
あれほど饒舌だった岡本が、とたんに沈黙をしてしまいます。

 『なにがあっても私は、絶対に、康平と美和子のためにやりとげます』
貞園が、目に涙をいっぱいあふれさせたまま、健気に涙の声でそう小さく囁いたとき、
すでに岡本は、乙女の戦術に完全に翻弄をされています。


 (・・・・呆れた小娘だ。
 涙で男を弄ぶことを知っているとは、なかなかにしたたかなものまで持っている。
 だが、このくらい性根があれば修羅場でも、上手く立ち回ることができるかもしれん。
 だが、しょせんは、俺の娘と同じ年頃だ。
 成り行きとはいえ、あまり危険な目にはあまり合わせたくないのだがなぁ・・・・。
 そんな風に弱気にものを考えるのは、やっぱり俺が歳をとった証拠かな。
 この際だ、この姉ちゃんにまかせてみるか。
 唯一手にしている切り札は、この姉ちゃんしか居ないからなぁ)



 しかし岡本の心配は、まったくの杞憂です。
岡本からは死角になっている隠れた部分で、小さくペロリと赤い舌を出している貞園の
『してやったり』と微笑む様子に、もちろん一切気がついていないからです





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