今の状況はよく知らないが 当時は国立二期校、募集人員たった30名という家政学科に入学して4年間、苦楽を共にした仲間。その集まりに2ヶ月も前から出席の返事を出していた。(記事アップ後加筆。~実は一期校と二期校の二つの合格通知を頂いたために、たった1日だけの猶予で、どちらに入学するかの選択をした。これが「運命」というよりも自分で選んだ人生の岐れ道。母の後押しもあって決断できたのであったと、今思う。お母さんありがとう!)
教師として主に活躍する地区、三河地方(岡崎市)は徳川様生地の岡崎城下に建つ校舎と、尾張地方(名古屋市)は信長、家康ゆかりの名古屋城下にあり、初めの1、2年はそれぞれ(分校)の校舎で学んだ。そして後期2年間、すなわち3、4年生は本校岡崎市に集合した。まだ統合されていない時期の友情溢れる温かな思い出の詰まった時代の友達に会う。 現在大学は刈谷に統合されている。
今回の会場は幹事のお住まいの近くでもある豊橋市。駅前通りはまさに校歌を彷彿とさせるような山波が遠くに見えて、思わずカメラを取り出した。こちら豊橋はJRの駅と名鉄の駅が同じビル内にあり一層便利。私はあまり豊橋には馴染みがないが、名鉄電車の警笛メロディーは懐かしい。名鉄パノラマカー。昔から真っ赤な車体で「ピポーピポーピロロ~ン」と華やかに警笛を鳴らして走り抜けていたが、今も何気におしゃれだと感じて嬉しく思い出していた。
この専攻学科は女性のみであるが、皆さんのうち90%の方は教職に就かれた体験をもつ。定年まで勤務されていた方も50%以上と言える。なかには高校の校長、もしくは小中学校の教頭になられたり、県の収入役など要職に就かれて、まだまだ嘱託でお勤め中の方も居られる、ご立派な皆さん方だ。私たちが入学の頃は、『女子大生亡国論』なるものを大宅壮一が唱えていたけれどネ。
〔女子は社会の役に立つことを目的とせず、単に家庭に入るだけ、花嫁道具のひとつとして女子大生となっている女子が多いから「亡国に繋がる」と言いたい。大学でしか出来ない勉強をして大会社に入り、日本を発展させる道を選ぶ男子に譲れ、男子に大学の門を広げよ…〕という論だ。
とくに国費に負う国立大学の女子は、学んだことを「社会に還元せよ」と。私も父に厳しくそう言われて、「女子の名に甘えない」という気持ちを強くもったこと、人生を通してそうありたいと思い続けているのだ。しかし、充分には果たせてはいないと反省する機会が、今回もまた与えられて…焦る気持ちも今更ながらではあるけれど!
ホテルアソシア豊橋 5階 日本料理「華雲」
↓前菜:蟹湯葉巻き、子持ち鮎煮、しめじ白和え、栗土佐煮、銀杏、川海老
造り:盛り合わせ、あしらい 煮物:南京、小芋、蛸、青味
焼き物:さわら 台物:三河豚豆乳小鍋 お食事 水菓
勢ぞろいの女史面々11名は今日の出席者。あとの17名の方は欠席。既にこの世に居ない方も二人…そしてお住まいが遠方だったり、家庭の何方かが病気であったりして介護その他の事情で目が離せなかったりなどで 惜しくも会えなかった方々、身内を亡くされてこの日が法事に当たってしまった方もいらして心残りの思いを抱いたが、幹事のSさんが返信の一言をプリントしてメンバーの住所録も付けてのファイルが配られた。だから皆さんの近況は朧気ではあるが察せられた。
次回は是非とも欠席のメンバーに会いたいと願っている。何しろ親や夫や身近な人々を失ったという体験を聞くにつけ、自分自身の限りある命を感じつつ、しんみり…だった。
そして今を生き甲斐として、小さくともそれを幸福感に満たされたり、見いだしたりの生活と、またその幸せを分かち合えるという雰囲気が、それとなく匂うが如くに醸しだされて、この場に来て良かったとしみじみ思った。
今までは4年に1回、オリンピックの年に同期会を開こうという申し合わせだったが、偶数年・すなわち2年に1回の再会を約束して解散となった。
*岡崎分校組は、ほかに奇数年7月7日に開こうということであったが、名古屋分校組は今まで他に韓国へ行ったが、今は国内での親睦旅行などを実施しているという。