大型の台風18号が本土を縦断しそうである。
台風18号は風も強く、雨も1日に1か月分も降っている所もあるそうだ。
昨年の映像をもちだして見る。
子供の頃、私は必要以上に風が恐かった。(以前も話題に出した気がするが。)
一人で留守番などする時は、窓ガラスをカタカタ揺らす風が嫌だった。
関東地方に大きな被害をもたらした「ジェーン台風」の時だったと思う。
母屋から2,3メートルくらい離れた所にお風呂の小屋が建てられていた。
それが、台風の一吹き?で、飛ばされ壊れた。
まるで、「ぶーふーうー」のお話みたいに…。
その頃であったか?
「屋敷」と呼ばれていた友達の家は、裏の崖が崩れて家が埋まったとの話も聞いた。
家にお風呂を備えても税金を掛けようとする時代であった。
その時から風の恐さが身に沁みた。
そんな私を見て、父は「風」の歌を歌ってくれた。
クリスティナ・ロセッティ詞 西条八十訳詞
「風」
誰(だれ)が風を 見たでしょう
僕(ぼく)もあなたも 見やしない
けれど木(こ)の葉を 顫(ふる)わせて
風は通りぬけてゆく
誰が風を 見たでしょう
あなたも僕も 見やしない
けれど樹立(こだち)が 頭をさげて
風は通りすぎてゆく
男親の声なので細く優しく美しく…の声ではなかったけれど
気持ちの優しさは胸に沁み渡った。
まだ青々した麦畑に眼をやると、風の通って行く様を見ることができた。
それからは必要以上に恐いと思わなくなっていた。
もっとも今では風雨による被害は近隣辺りではあまり聞かれなくなっているが。
これも昨年の台風の時の写真。
会報「いちよう」を宅急便(メール便)で出そうと、
一刻もはやく皆さんのお手元に届くようにと、
クロネコヤマトの広尾にあるキー・ステイションまで運ぶために、
車を運転していた時のもの。
今写真を見ると、思いのほか激しく降っていたものだ。
あの頃は目標の期日までに、会報がなかなか出来なくて……、
焦ることもないのに自分の中での期日が、過ぎていることばかりが
気になっていたようだった。
全てに一生懸命だった気がしているが、今、現在は……?
たった1年で、こちらの思いが変わってきている。
作る側が考えているほどには 熱くはないらしいのだと思われたり、
会報到着が6時間や12時間の遅れも気にする人は
それほど居ないということを悟っている。
編集最中でも原稿が上がったと寄せて来て下さる方や
「まだ会報が届かない」と言ってくださる、
貴重な方を私は有難く思っているし、知っているのだ。
ちょっとお天気のせいで恨み節??
…ではないのですよ。
そういう貴重な存在を忘れてはならないと自重しているのです。