「アヤルハーン」です。
写真禁止なので残念ですが。
直川先生が口琴の歴史と演奏の仕方を。
9月講演時での先生の演奏風景、
世界の口琴の種類。
「喜矢根(キヤコン)」については
大須賀筠軒(1841年~1912年)著「磐城誌料歳時民俗記」(明治二十五年)
一八九二年八月十五日・・・飯野八幡宮例祭の記事に書かれています。
いわきキヤコン(口琴)の夕べ
・・・100年以上ぶりにいわきでのキヤコンが聴えた
「ハチマンコウジノ ドウジャコウジノ
ヲミヤノマヘデ キヤコン キヤコン(〱)」
と歳時民俗記から。
「喜矢根(キヤコン)」については
大須賀筠軒(1841年~1912年)著「磐城誌料歳時民俗記」(明治二十五年)
=一八九二年八月十五日・・・飯野八幡宮例祭の記事に書かれています。
「<八月>
十五日(飯野八幡宮例祭)又きやこんトイウ物ヲ売ル。長サ二寸許、其形剣ノ如シ。
上下ノ唇ヘカケテ、右ノ指ニテ弾キ鳴ラス。
童謡アリ、八幡小路、道場小路、御宮の前できやこんきやこん 〱(きやこんきやこん)。
露沾俳句集に、飯野八幡宮、御朱印四百石。祭式八月十四日、流鏑馬あり。
馬場先武者屋敷商人多く出て、木太刀、生姜を売り、参詣の人、必是を求て家土産とす。
又、キヤコンを売る。図、左にあらわす。」
として
上記写真のような図が描かれています。
このキヤコンの事は長い間わからなかったが
山名先生の努力により
小島美子(こじまとみこ)先生・・・福島県出身、国立歴史民族博物館名誉教授
のご紹介により直川礼緒(ただかわれお)氏が来市され、その結果
キヤコンは口琴(口琴)であると。
磐城平の例は日本口琴史上、稀有であることが判明されました。
そんな経緯の中で
10月7日
いわきキヤコン(口琴)の夕べ
・・・鎮魂の祈り・復興の誓い
よみがえれ浜通り!! 口琴(こうきん)の音色と共に・・・
「アヤルハーン」公演会・・・ロシア・サハ共和国・・・女性口琴ヴォイストリオ
がいわき市文芸術文化交流館アリオス音楽小ホールで開かれました。
主催:一般財団法人國學院大學院友会 ・同福島県浜通り支部
参加者は
150名を超える聴衆で、
いわきにおいては
100年以上ぶりの口琴の音色に聞き惚れていました。
直川先生の口琴の歴史など紹介された後
(ちなみにサハ共和国では口琴は国民楽器のようです。
それほど盛んにに演奏されているそうです。)
演奏を。
☆祝福(アルグィス)の歌
☆スィーア タルドィ(口琴ホムスの伝統的な演奏法)
☆運命
☆神聖な聖堂の鐘
☆高き天の娘たち
☆祖母なる大河レナ
☆美しき装いの白樺
☆中の世界の創造
☆白い鳩
休憩
☆秋の渡り鳥の去就
☆クダイ バフスィ(鍛冶師の守り神)に捧げる
☆燃え盛るリズム
☆かっこう
☆白い静寂の歌
☆デイビールの歌
☆ヂョヒョギョィ(馬の守り神)への崇拝
☆北の息吹
☆私の思考の模様
を演奏され
アンコールでも2曲演奏されました。
いわきでも
300年~100年前まで
聴かれていたキヤコン(口琴)とは
こんな音だったのかに驚いた。
口琴は
基本的にたった一つの音(音程)しか出すことができないが、
演奏者の口=口腔という共鳴器により
容積や形状を変化させ、
また舌、鼻腔、高口蓋、声門などの調音器官を駆使して
ただ一つの音から
その中に含まれる豊饒性の音に驚いた。
感動を
ありがとうございました。
午後からシルバーリハビリ体操指導仕養成講座。
夜はいわき学で
今回がキヤコンのところを学ぶ。
偶然に。