いわき・うぶすな広場だより

セカンドライフの生き方を書いています。

庭を散策・・・いわき

2021-12-21 09:43:15 | 家庭菜園

今朝は
いわきも少し寒さが和らいだので
庭を散策してみました。
一部草むしりが残っているのですが・・・


あじさいが青々していましたが、
寒さで枯れてしまいましたが、
春になると新芽が出てくれます。


雪柳も紅葉から次のステップへ。


蠟梅(ろうばい)が咲かりです。


毎日撮影してもあきないです。


こちらの蠟梅も咲いてきました。
昨年、枝を大幅に剪定したので
花の咲きは今一つです。


 

 

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手帳はどれだけ書いても重くならない・・・高橋の日めくりカレンダーから

2021-12-21 09:26:02 | 日記

庭に、友人からいただいた
「ニンニク」の大きな種類を植えてみました。

12月と2月に肥料をやるようで、
12っ月初めに肥料を施しました。
16個を出しているので
来年5月が収穫のようですので
愉しみながら観測していきます。


高橋の日めくりカレンダーから

☆手帳はどれだけ書いても重くならない
       岡山県 学生の方

来年度から社会人になるので
初めて手帳を買ってはみたが、
面倒くさがり、なかなか書けなかった。
そんな時
「せっかく書いたのだから使いなさい」という言葉とともに
上記の一言を!!

いい一言で
若い方は特に
実行したいですね。

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いわき平の歴史の質問を考える!!

2021-12-20 10:23:28 | いわきの講演会

昨日、17年前に山村暮鳥が大正時代に散策した平の街を、
歩いた時、
平に関する質問(クイズ)を聞かれました。
いくつか考えて見ましょう。

1)言い伝えでは岩城公がこの地の領主だっところ、
  現在の紺屋町は別のところにあったと。
  どこ?

2)江戸時代の小名浜は平より賑わいを見せていました。
  戦国時代末期、小名浜を訪れて将来の繁栄ぶりを予想した
  著名な武将がいます。
  それは誰?

3)「釜屋」という屋号4は、幕末に」「椎名家」から養子に入った
  初代 諸橋久太郎が実家の屋号にちなんでつけました。
  「椎名家」の屋号は何?

4)電灯がついたばかりのこの頃、
  炭鉱成金の中には、夜間、足元が暗いときにあるものに火をつけて
  灯りにしたという逸話があります。
  何を燃やしたのでしょうか?

5)松ヶ丘公園は、東京の安藤公の屋敷に植えてあったツツジを移植するなど、
  整備を進め、大正2年に完成した平町最初の都市公園です。
  この公園は、明治40年に整備に着手しましたが、
  ある戦争の勝利を記念して造られることになったと。
  その戦争は何?

6)山村暮鳥は、
  大正3年5月にいわき地方最初の文芸誌「風景」を発刊しました。

  果たして、この雑誌、売れ行きはいかが?

のようないわきの歴史のクイズを出されました。
なかなか当時、わからない部分がありました。

皆さんはいかがでしょうか?

答えです

1)現在の「八幡小路」辺りです。
2)「石田三成」と言われています。
3)「鍋屋」です。
4)「お札(紙幣)」を燃やしたそうです。
5)「日露戦争」です。
6)「あまり売れませんでした」
  平の人たちにはちょっと難しい雑誌だったとのことです。

自分の古い資料を見直すのも
面白いですね。

 

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高橋の新年度・日めくりカレンダーを準備する・・・いわき

2021-12-20 10:07:50 | いのしし君一家

今朝も寒いいわきです。
庭の蠟梅(ろうばい)を見るのは気持ちがいいです。
寒さが吹き飛んでしまいます。


冬の黄色の花は目立ちます。


高橋の来年のカレンダー
を残り少なくなった
今年のカレンダーの裏に飾りました。

来年令和4年は
どうなるのかなと。

日めくりカレンダーより
☆大人なのに
 正直なんだね
    岐阜県 公務員の方

家に遊びに来た小学2年の息子の友人が
「ねぇ、おじさん○○知っる?」と聞いてきました。
「知らないなぁ」と答えると
上記の一言が・・・

子どもは大人をちゃんと見てるんですね。
正直が一番!!
実行したいです。

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山村暮鳥の歩いた街・平を歩く・・・2005年(平成17年)12月10日

2021-12-19 10:45:29 | いわきの歴史

山村暮鳥と磐城平の浜街道
平町市街全図・大正5年清光堂発行を基に
松本令子さんがイラストしました。

大正時代にタイムスリップできそうですね。


17年前の12月10日に
平地区まちづくり懇談会主催で
山村墓町が歩いた街・大正時代に思いをはせて
歩きました。

1時間ほど歴史(磐城平の成り立ち、大正期の平、山村暮鳥、)を学んで
約2時間半ほど
大正時代に思いをはせ墓鳥を感じながら歩きました。


☆磐城平は城下町。


☆掻槌小路土橋界隈
☆浜街道~商人のまち


☆小名浜街道
☆延命地蔵堂
☆首切り地蔵


☆観音堂と味岡家
☆新川街道~磐城平城の外堀として~


☆蔵づくりの店かまえ
☆大正前期の平


☆山村暮鳥と磐城平
☆山村暮鳥が暮らした界隈


まちなかウオーク
~山村暮鳥と磐城平の浜街道~

17年前、大正期のいわきを感じながら
歩きました。

3.11で、かなりの建物がなくなりました。
再度、
3.11後の
今の風景を感じながら
また元文一揆の歴史が残された街を
歩いてみたいですね。

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