いわき・うぶすな広場だより

セカンドライフの生き方を書いています。

山村墓鳥が歩いた街平をバーシャルで巡る!!・・・いわきゆかりの文学最終回

2021-12-19 09:29:20 | いわきの歴史

11月から12月にかけて
いわきゆかりの文学
~図書館資料を活用して~
5回シリーズで行われ
最後が
「いわき市平の文学探訪」

~バーシャルで街を巡る~
講師は
長谷川由美先生(いわき市立草野心平記念文学館専門学芸員)でした。

大正期にいわき市平に来た山村墓鳥が歩いた街・平を
Googleストリートビューを使い
先生が説明を加えた楽しい講座になりました。

前半は
山村暮鳥が平に来てから特に詩が全国的に有名になり

戦前大正時代から約20年
いわきは詩人たちでいっぱいになった!!

と言われるほどでした
それら
今ではうずもれた若き詩人たちの発行した雑誌を紹介された後

山村暮鳥が歩いた街を
バーシャルで歩いてみました。


地図の中に今回、
バーシャルで歩く番号が振られました。


山村暮鳥や若き詩人たちが歩いた
お店やたまった場所の紹介です。


平の町は
磐城平城の城下町でした。

今回は夜の講座でしたので
バーシャルでの散策になりましたが、
昼間、歩いてみたいですね。

以前
山村暮鳥の歩いた街を歩いた記録がありますので
次回で紹介してみます。

長谷川先生、いわき市生涯学習プラザの副館長さん
パソコンでの散策
ありがとうございました。

☆いわきゆかりの詩人
☆いわきゆかりの作家
☆文学作品の中のいわき
☆いわきゆかりの歌人、俳人
☆いわき平の文学探訪
など5回学びました。

日めくりカレンダーより
☆分母が大きくなるから
    短く感じるのは
 当たり前やん!
     大阪府 会社員の方

「今年は短かったなー」と言った筆者に
めいが上記の一言を。

「今年の一年は私にとって9分の1だけど、
おじさんにとっては26分の1
と。
当時分数の勉強をしていためい。
時間の大切さを学んだと。

高齢者は
時間が過ぎるのがはやい!!
なんですね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「磐城騒動記」を読む・2回目に参加

2021-12-18 14:31:26 | いわきの歴史

庭の処々に南天がいくつか咲いています。


その内、鳥に食べてしまわれます。


磐城騒動記の今回の原文の一部です。
なかなか我々では読めません。
「磐城騒動記」を読む・2回目に参加
講師は
上妻又四郎先生です。


上妻先生が
このように読めるようにしていただけるので
なんとかついていけます。
今回は
「前九年・後三年合戦と藤原一族」の
お話がかなり占めました。


続いて、後半は
いわきの
岩城家の話につながりました。


みちのく燃ゆ・・・別冊歴史読本 新人物往来社
30年近く前に読んだものが本棚に
残っていて、
今回再読して
奥州藤原家100年の歴史が
浅くですが理解できました。

特に高橋崇先生(当時岩手大学教授)の
書かれた
藤原秀衡 P107

~奥州藤原氏の栄光と終焉~
力作でした。


「前九年・後三年合戦と藤原一族と
平泉百年の栄華」
和泉竜一著 県南民報(秋田県)平成5年版です。

わかりやすく、理解できるよう書かれています。
本棚に残っていましたので
再読して、
律令制度からの最後の欧州藤原氏を滅ぼし
武士政権を立てた源頼朝への流れが理解できました。

前回後半からいわきのお話ですから
次回が楽しみです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

修験道の終焉!!・・・「いわきの修験道を探る」講座・最終回に参加

2021-12-18 11:35:31 | いわきの歴史

市民講座前期講座が
コロナ感染症で遅れて最終回に。
「いわきの修験道を探る」・・・5回講座
先生は
上妻又四郎先生でした。
先生は
磐城三藩の戊辰戦争の大著で有名です。
いのししも購入し、2回ほど読み
感銘を受けた本です。

大須賀筠軒著磐城誌料歳時民俗記」より
修行僧の書かれているの紹介されました。


高木誠一著「石城北神谷誌」より


いよいよ明治になり
1200年にわたる神仏習合
終わりを告げる時がき、
終了する時代が来ました。

☆「太政官布告」慶応4年3月13日(1868年)
  いわゆる神道国教化で祭政一致です。
☆「神祇官事務局ヨリ諸社へ達」慶応4年3月17日
  ・・・神と仏の分離
☆「神祇官事務局達」慶応4年3月28日 神仏判然令
 ・・・具体的神仏分離令


☆「神祇官達」慶応4年4月10日

などと速かったですね。
この辺の歴史は
なかなか教えられないので
自分でよく学びたいですね。


☆「社家寺院制法明治2年3月
☆「太政官布」明治5年9月15日・・・いわゆる修験道廃止例

それ以降の達のお話もされましたが
載せませんでした。


このような政策で、修験の多くは
神社、小祠、仏堂の別当職、収入の道が閉ざされた。
そこで
修験の復飾へ。


最後は
いわきにおける廃仏毀釈の最大。
泉地区にはほとんど今もお寺がほとんどない。

泉藩の廃仏毀釈をめぐる問題
今、わかる範囲で説明されました。

今後の研究が待たれますね。

いのししの親類も泉にいますが
お寺ではないのですね。
なぜか疑問に思っていました。

かなりわかりました。
民間宗教と言われた1000年以上続いてきた修験道。
そのいわき
の修験道の歴史を学び
なおかつ
その終焉を学びました。

今までの疑問がかなりわかりました。

なかなかこのようなテーマでの講座は
なかったと思われます。

参加された皆様、
企画された公民館の皆様、
講義された上妻先生
ありがとうございました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

庭の蠟梅(ろうばい)の花が見えるように!!

2021-12-18 10:24:26 | 家庭菜園

先日の強風で葉が落ちて
花が見えるようになりました。


かなり
咲きました。


少し日蔭ですが
こちらも咲き始めました。


南天の実も
きれいに。
その内鳥に食べられてしまうのでしょうが・・・

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

庭の蠟梅(ろうばい)の花が見えるように!!

2021-12-18 10:19:02 | 庭の花

先日の強風で葉が落ちて
花が見えるようになりました。


かなり
咲きました。


少し日蔭ですが
こちらも咲き始めました。


南天の実も
きれいに。
その内鳥に食べられてしまうのでしょうが・・・

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする