ある葬儀でのこと、出棺の際、葬祭業者の担当の方が、「私も身内をなくしたようで悲しい云々・・・」また、法話めいた話をしたりとまるでワンマンショー。
一生懸命やっているせいなのだと良く解釈するも明らかにしゃべりすぎ。二三度あっただけの人間を「身内をなくしたようで・・・」などというのもおかしな話。
出棺以外にも目に余ることも多く、明らかにやりすぎなので後で注意をしたのだけれど、きっと坊主が自分のお株を奪われて悔しがっているとでも思われているのだろう。(そういえば以前車の手配を間違えられてあやうく葬儀に間に合わなくなりそうなこともあったっけ。)
しかし、そうではない。
出棺の際に立ち会う人々というのは故人とは旧知の仲、それぞれがいろんな思いを抱え無言でお別れをしているのです。
お姿と向かい合うことが出来る最後の場、その別れを邪魔するような真似はするべきではない。
もし、私が喪主であったなら「黙れ」と言って即刻つまみ出しているところだ。
葬儀者(社)には葬儀を裏で支えるという大事な仕事がある。主役である故人を差し置いてワンマンショーを繰り広げてどうするのだろう?
また、 柩の釘打ちの際、柩の蓋の木材が固くて釘が打ち込めず苦労した時に「こんなに釘が打ち込めなかったのは初めてです」とか「故人はきっと釘を打たれたくないのでしょう」とも言っていましたが、そもそも柩に釘を打つというのは別の意味がちゃんとあるし、その葬祭場では柩が固くて釘がなかなか打てないという場面に遭遇したことは何度もある、逆にズブズブで釘がめり込んでしまうような時もあった。粗悪な木材でも使っているのかなと思うこともしばしばだ。
余計なことを言わなければいいのに・・・過ぎたるは及ばざるがごとし。
ちゃんと仕事をこなしている葬儀者さんも多いのに・・・。
故人のために粛々と荘厳に葬儀が執り行えるよう、もう一度初心に帰って考え直して欲しいものだ。