今日、午前中甲府市民グループ、かふふ歴史倶楽部の面々で、県指定文化財の高室家住宅の見学会に行ってきました。
小雨降る中、高室家整備活用委員会委員の羽中田氏や高室家の方の案内での見学です。
集合は高室家のすぐ前にある菩提寺の瑞龍寺です。
まずは、高室家墓地の見学です。
<高室家墓地>
それから、高室家に入ります。
高室氏はもと甲斐源氏の一族、小笠原氏を名乗り、曲輪田(現南アルプス市)に居を構えていました。
享録4年(1531)、小笠原次郎民部少輔政秀が武田信虎から現在地(甲府市高室町)を与えられ、高室姓に改めたと伝わるそうです。
それ以後、江戸時代初期から明治期まで医薬業を代々世襲してきた家系です。
約1500坪の敷地は堀と土塁に囲まれ、18世紀から19世紀にかけて建てられた主屋・長屋門・土蔵および庭園など、旧家の屋敷構えを現在に伝える甲府でも数少ない貴重な遺構です。
<土塀に囲まれ、その周りを堀がめぐらされています。>
<正面入り口にあたる長屋門。文久3年(1863年)建築>
<長屋門の手前には堀にかかった石橋がある。>
<長屋門から見た主屋玄関と右横の薬屋入口>
<主屋に「高室五香湯」と書かれた薬屋入口>
<薬屋の看板。有名な五種類の薬を売っていたそうです。>
<薬屋内部。奥の薬棚には薬が入っていてここで薬を調合したり、外来患者を診察する。>
<薬屋内部。たくさんの薬棚がある。薬の保管は主屋に二階で行う。そのため、主屋の屋根には通風口がある。>
<主屋の正面玄関。昔偉い人は輿に乗ってきたので、輿のまま、玄関口に入れるようにひさしが長くなっている。主屋の建築年代は天明8年(1788年)>
<主屋の左側には離れの書院。江戸後期の建築。>
<書院の内部。>
<書院の天井。紙が貼ってあるそうです。>
<書院の欄間>
<書院に面した庭園。昔はさぞ風流だったと思わせる造り>
<風流な庭園を囲む土塀の傷みがはげしい>
<書院裏にある新蔵。明治41年(1908年)建築>
<新蔵の側面>
<新蔵の白壁に墨を塗った後がある。第二次世界大戦時に空爆の目標にならぬように黒く塗ることを強制させされたとのこと。>
<書院裏、新蔵の並びにある文庫蔵。部屋の奥に蔵がある。弘化3年(1846年)建築>
<文庫蔵の内部。昔は蔵の前には水瓶と味噌瓶があり、火事になると蔵の扉を閉め、水瓶の水をかけ、味噌を扉や窓の縁に塗り、火が入るのを防いでいたそうです。>
<新蔵、文庫蔵の裏>
<文庫蔵の裏、左方向には主屋と裏庭がある。>
<裏庭にある弁財天堂。明治中期建築>
<裏庭にある味噌蔵。明治24年建築>
<味噌蔵の扉の金具>
<味噌蔵の内部。味噌作りの道具がたくさん残っている>
<どの建物とも接していない独立して建っている籾蔵(側面)>
<倒れそうなのか後ろにつっかえ棒がある籾蔵。安政4年(1857年)建築>
<籾蔵の窓>
<主屋の裏側。煮炊きする窯や炊事場がある。昔は主屋の中に炊事場があったので、今見えている炊事場は昭和時代のものか?>
<主屋の手押し井戸の跡。このあたりは地下水が豊富で川の水ではなく、地下水を利用していたそうです。でも、鉄分が多くて洗濯物がすぐ赤くなってしまったのだとか>
<主屋の部屋。ここにも蔵がある。>
<主屋の部屋>
<主屋の部屋>
<薬草園の跡>
<前蔵と外便所の裏側>
<前蔵と外便所の裏。外便所裏の前が薬草園になっている。もしかして、すぐ肥料として使っていたのではないでしょうか>
<正面入り口の土塀裏>
<この土塀も傷んでいます。時代劇に出てきそうな趣です。>
<外便所>
<外便所の中。朝顔便器もおしゃれです。>
<お約束のぼっとん便所>
<外便所の瓦。瓦にも模様が。>
<裏庭、薬草園から、主屋正面に入る門>
<長屋門の右横にある前蔵。明治20年建築>
長年人が住んでいなかったため、かなり傷んでいますが、昔の趣をよく残しています。
先日観た、黒澤明監督の「赤ひげ」に出てくる小石川療養所でも、薬草が入った薬引出しがある部屋で加山雄三が薬を調合しているシーンがありましたが、それとよく似た造りです。
この高室家でも、医術・薬術を学ぶ人たちが寄宿しながら学んだそうですが、薬草園もあり、診療もしたりと、まるで映画のセットに入りこんだ感じです。
しかし、建物は傷みが進んでいて、早期の修復が望まれますが、相当費用がかかるようでなかなか整備が進まないようです。
貴重な文化遺産、なくしてしまえば二度と作ることはできません。
甲府が誇れるすばらしい文化遺産です。早く修復され、多くの方に観ていただけるようになることを期待します。
このような見学会が行われ、ブログでも取り上げていただけるといつまでも風化することなく
遺産の一部でも残してゆくことできるので有意義だと思います。
高室家の関係者の方でしたか。
見学した際は高室家の近くにお住まいの親族の方にご案内いただきました。
現在この高室家にはどなたもお住まいになっておらず、傷みが激しくなっているが、費用の問題で、なかなか修復することができないとお聞きしました。
これだけすばらしい史蹟は山梨にはなかなか残っていません。
後世に残していかなければならない遺産だと思います。
なんとか修復して一般に公開していただけるようになればと願っております。
ですので、親戚の方から伝え聞いたこと、そしてインターネットなどが主な情報源です。
親戚でして、私が集めた情報を母がまとめ、陽二郎氏に手紙を出していたようです。こちらのサイトも間接的にですが役に立ったようです。
ありがとうございました。
本当に良かったですね。
早々に修復されよみがえった高室家を見るのが待ち遠しいです。
楽しみに待つことにしましょう。