出入り口付近も整然としていました。
式は撮影禁止。開会前です。
昨日、鶴岡市鶴岡地区(合併前の鶴岡市)成人式に出席。新成人のマナーが良く、「大人しすぎないか?」と心配になるぐらい(冗談です)整然とした式でした
きりっとしたスーツや羽織、美しい着物、恐らくこれまでの人生で最も晴れやかな衣装に身を包んだ新成人が、自覚を漂わせながら臨む式は、希望溢れる祝の式典です。
しかし、彼らが生まれ育ったこの20年程の間に、世界も日本も大きく変わり、新成人が厳しい現実に取り巻かれているということを思わずにはいられません。
長時間・低賃金な仕事、厳しいノルマに追われるような仕事が増え、20代では非正規で働いている人も過半に迫っています。
高卒後進学した人であれば、奨学金を背負いバイトに追われている人も大勢います。
更に、戦後71年間、どの国とも戦火を交えることの無かった日本の歩みも大きな岐路に立たされていることも感じているハズです。
マクロミルという会社が、毎年新成人におこなっているアンケートでは、「日本の未来は明るい」と感じる人は3年連続減少して33%。「やや暗い」「暗い」が67%。
同時に、「政治」「選挙」「経済」「外交」に対する、関心度合いは、東日本大震災後、年々低下し続けている。
新成人が希望を持てる社会を作っていかなければなりませんし、新成人自身がその重要な一翼を担う必要があるのだということを伝えなければなりません。
社会の先輩として式を準備した主催者、臨席する来賓は、新成人の夢や目標を励まし、これからの社会に担い手として期待を述べ、エールを送る。
これはもちろんです。心からの、熱いエールを送らなければなりません。
同時に、政治に携わる者は、彼らの苦労や不安に心を寄せ、彼らを取り巻く現実への責任感を持って、社会の将来の希望を差し示し、その実現の決意を改めて固める。
そのためにこの式に出席していると私は思っています。
そして、式辞や祝辞には(上記の言葉を述べよということではもちろんありませんが)そういう共感と責任感が無いのかなあと、いつも物足りなく思いながら聞いています。