先週、合併した旧町村毎の庁舎幹部職員と市議会議員との懇談会がおこなわれました。
対象となる市議会議員は、新政・黎明公明・連合・日本共産党の各会派代表者、総務・市民生活・厚生文教・産業建設の各常任委員会委員長、旧町村選挙区選出議員です。
私は、日本共産党の旧櫛引・朝日担当者として、同地域の懇談会に参加しました。
特に気になったことは、
櫛引地区では、
①「残留農薬のポジティブリスト制度」への対応が大変だ」ということ、
②「地域審議会で」藤沢周平記念館(仮称)についての質問が出たのに対し、「建設計画検討委員会に櫛引庁舎からは参加していないので詳細な回答はできない」と回答したこと
③基幹産業である農業の中軸となる果樹が、政府の新しい農業政策(品目横断的経営安定対策)の対象から除外される方向であること
朝日地区では、
①S50年からH17年の間に人口で29.3%、世帯数で17.1%の減少となり、自治組織としての機能を喪失しつつある集落が増加していること。
②山間地であることから、大雨など自然災害によって農道・村道損壊などが毎年繰り返されるなど、暮らしていくために特別の費用を要すること。(しかし、こういう自治体に対する国の支出は削減され続けている)
などです。
私は、櫛引では、
①「櫛引らしさ」を次の世代に伝えていくためにも、農業、取り分け果樹の生産の有り様・苦労を子ども達に伝える場を広げること(要望)、
②新農政の果樹への影響
朝日では、地域の衰退にあらゆる手を尽くしてブレーキをかける立場から、
①二つの診療所の地域社会における役割
②地域内の二つの郵便局が集配業務をやめることの影響
③大網放牧場の今後の方向性
などについて質問しました。
時間の関係で総合的・体系的な質疑はできず、当局の問題のある答弁にも再質問もできなかったのですが、両地域とも地方切り捨て、農業切り捨ての国の過去と現在の政策の痛みをもろに被って、存亡の危機に直面しつつあるとすら感じました。
同時に、住民が深い愛着を抱く特別の歴史と豊かな自然は、必ず光が当てられる時が(そういう政治が)いつか到来するに違いないと、私は思いを新たにしました。
そのために、微力ながら頑張っていこうと決意を新たにしました。
なお、櫛引の農業の雪害について、ブログ「林檎の嘆き」という記事を出していますので是非ご覧下さい。