献花するご遺族が皆さん相当の高齢となっている姿に、戦後63年の月日の長さを感じましたし、沈痛なその表情からは、これだけの年月を経ても癒されない、肉親を失った悲しみの深さを痛感しました。
あの戦争によって、鶴岡(旧鶴岡市)でも1千名の市民が戦死したとされています。
今の市民のご家庭にも、戦死した先祖の遺影が飾られていることは珍しくありません。
再び悲劇を繰り返してはならない、そのことを市民みんなで胸に刻む日にしたいものだと思いました。
ところで、今年の追悼式では、最初に「迎魂の儀」、終わりに「送魂の儀」という儀式がおこなわれました。
何やら宗教的なニオイがプンプンとしていましたが、後で調べてみるとやっぱりそうでした。
「一般の慰霊とは違い、靖国神社の『慰霊』とは、『招魂』の儀をへて『神霊』と化した『忠魂』を慰めることである。その他一般の慰霊の対象とされる霊は、たとい慰霊祭によって祭られても、それはあくまでも人の霊であり、決して神の霊となることはない。人が神と化することができるのはきわめて稀で、特殊な場合を除いては『招魂』の儀を経て靖国神社に合祀されることによってのみ可能とされている」(大江志乃夫『靖国神社』)。
あの戦争で国民も悲惨な体験をしましたが、同時に戦争が、アジアの国々に甚大な災厄をもたらした侵略戦争であったという事実を忘れることはできません。
ところがそうではなく、「お国のため、アジア解放のための聖戦であった」などと主張するのが靖国神社です。
この靖国神社の思想にもとづく儀礼を戦没者追悼式に持ち込むことは許されません。
それから、追悼式の後に引き続きおこなわれる、戦没者遺族会大会では、「総理、閣僚等の靖国神社参拝の定着、国立の戦没者追悼施設新設構想断固阻止」などのスローガンが掲げられていましたが、富塚市長はこの会に出席し、挨拶をおこなったようです。
(「戦没者に対する国家補償、遺骨収集等を拡充強化する」などのスローガンは賛成です)
この件も、いつか問いたださなければなりません。
真の慰霊と不戦のために。