関とおるの鶴岡・山形県政通信

安心して住み続けられる山形県をめざして、住民の暮らし、県政の動き、そして私の考えと活動をお知らせします。

「紳助引退惜しむ」、にムカッ 

2011年08月25日 | よろず

 タレントの島田紳助氏(親しみが感じられる「島田さん」という呼び方には違和感を持ちます)が暴力団との交際を理由に突然芸能界引退を表明したことがマスコミの最大のニュースになっています。
 
 私は、報道の多くが「引退を惜しむ」的なものになっていることに強い憤りを感じています。

 暴力団とは、「その団体の構成員が集団的に又は常習的に暴力的不法行為等を行うことを助長するおそれがある団体」と定義(暴力団対策法)され、「威力を示しての民事介入暴力などの暴力的要求行為」(同)をおこない、その存在そのものが「付近住民に不安を与え」、平穏な市民生活を脅かす反社会的集団です。
 たとえば、人格と生活を破壊し、親族縁者をも地獄に引き込む覚醒剤中毒について見ても、覚醒剤取締法違反で検挙される人数が年間一万人超(H19年度12211人。その内308人が少年!)にも達しています(もちろん氷山の一角です)が、それは覚醒剤を重要な資金源とする暴力団の密売によってもたらされているものです。

 暴力団は、人間の尊重を基本的価値とする市民社会とはまったく相容れない存在であり、それに対する対応は、「排除し、撲滅を図る」ことしかありません。
 この集団と厳しく対決することが社会に求められる中、島田氏のような著名人が「関係を持つ」ことは、絶対に容認されるものではありません。

  マスコミは、島田氏と暴力団の関係の糾明とともに、その行為の重大性を徹底的に明らかにすべきであり、個人的な感情から引退を惜しむ芸能人などの声を垂れ流すことは、やめるべきです。

 暴力団のニュースを浅はかな芸能ニュースの基準で扱うことは、報道機関としての使命の放棄でしょう。
 そもそも、「使命」の自覚があるのかどうかすら定かではありませんが・・。

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 「まちキネ」にて「一枚のハガキ」に感動

2011年08月17日 | よろず

 まちなかキネマで、映画「一枚のハガキ」を観ました。公式HPhttp://www.ichimai-no-hagaki.jp/
 実にすばらしい映画でした。
 
 赤紙一枚でかり出された海軍二等兵松山啓太(豊川悦司)の一枚のハガキとの出会いとそれからの人生と、
 ハガキを書いた森川友子(大竹しのぶ)の人生が同時並行のように進み、そして破滅の縁での二人の出会い。
 
 百名の部隊の中で、くじ運によって生き残った6人の一人としての松山の苦渋、
 死んだ(殺された)94人の恨みであるかのような、松山に対する友子の罵倒、
  重く、息を呑むシーンが続きます。
 
 戦中の農民の極貧の暮らし、「家」の奴隷としての嫁、
 その中にも存在した夫婦の情愛、
 それを理不尽にも踏みにじる戦争、

 設定はリアリティーがあり、かつ人間と社会の本質的テーマを幾重にも重ねた分厚いものであり、それを、今を生きる私たちにどっぷり感情移入させる演出と演技。

 極限的な状況の中で見せるユーモアも特別な力を持っていました。
 それは何も上品なものでは無く、素朴な、愚直な笑いが、
 重苦しい状況から、最後に示される希望のシーンに、観る者の心を橋渡ししてくれたように感じられました。

  大竹しのぶの演技がスゴかった。
 運命に虐げられて、人間の感情を無くした貧農の嫁の姿
 巨大な運命の力に対して遂に激しい怒りを吐く鬼の形相、
 感情が破綻し炎に焼かれようとするおどろおどろしい姿。
 ずたずたになった自分を「こんなぼろくずみたいな女」と言うシーンがありますが
 どん底の暮らしの中でも亡夫への愛情をそこはかとなく漂わせる姿には、松山を(男心を)引きつけるものが確かに表現されていました。
 私は、強烈に惹きつけられましたね、正直言って。

 映画を観て心に残ったものは、「戦争」と「(庶民の)幸せ」ですね。
 前者が絶対的な権力であり、最悪の人間破壊であることが暴かれるとともに、
 後者が戦争に簡単に踏みにじられる儚いものであるけれども、美しく希望に溢れたものとして力強く復活します。
 
 夫婦が、一歩いっぽ踏みしめながら生み出そうとしている「幸せ」の姿は、私が観てきた数ある映画の中でも出色のシーンでした。

 感動したという他ありません。
 
 以上、映画評論(?)をしようとは毛頭思っていませんで、多くの方に是非とも観て頂きたいというメッセージにさせて頂きます。

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地域労連20周年祝賀会で自分を振り返る

2011年08月07日 | 活動報告

  5日(金)夜、鶴岡田川地域労連の結成20周年記念祝賀会が5日、鶴岡市勤労者会館でおこなわれました。

 私は、前地域労連事務局長としてスピーチをおこないました。
 湯田川病院を守るたたかい、庄交バス運転士過労死裁判闘争、労働相談活動、イラク戦争反対闘争など、地域労連が労働者・市民の要求に基づく運動の共同の中心となって進めてきた、諸闘争についての私の思い出を語らせてもらいました。

 しゃべりながら振り返ってみて、「仲間との交流の中で不満・つぶやきを耳にし、その中から要求を見つけ、実現の方向性を示す政策をつくり、話し合って共通の立場をわかり合い、みんなで運動し、交渉して実現を図る」、こうした運動を10年間やってきた(没頭しました)ことは、私の議員としての仕事に生きているんではないかナアと、改めて思って自己満足に浸りました。

 キーワードは、「要求」「権利」「仲間」「団結」。
 古めかしい用語のようですが、働く人々の生活と権利の向上、平和と民主主義のための永遠に変わらない命題であり、それらが私の魂です。

 それから、「労働組合はパブから始まった」などとうそぶいて、事あるごとに仲間と飲んで語り合い盛り上がった経験も、今の私の血潮に脈々と流れていることは否定できません。

参考 07年11月30日地域労連定期大会 http://blog.goo.ne.jp/sekitouru/e/0a98cda32fb1c0d08c659214cadb48ba

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どうする!?過疎地の保育~大網、大泉保育園調査中~

2011年08月03日 | 子育て・教育

市は、朝日保育園、本郷保育園の園舎の建て替え計画と同時に、大網保育園と大泉保育園の統廃合を打ち出しました。

5月に保護者を対象にした説明会がおこなわれましたが、当該地域の保護者の参加はわずかでした。
関係者に聞くと、「どうせ何を言ってもムダ」という、あきらめ感から、参加しなかった人が少なくなかったようです。

合併後のランドセル支給の廃止から、今春から実施された学校給食センターの民営化に至るまで、住民の声を無視して、旧朝日村時代からの子育て施策を次々と切り捨ててきたことが、保護者の意欲を大きく損ねています。

 私は、改めて大網・大泉両保育園も訪問しながら、関係者の方々から状況聞き取り、旧朝日村時代からの経過などを調査していますが、ここでは、特に大網保育園についてご報告します。

 園の概況(7月末現在)
    ☆園児
   2歳児2人(一人は里帰りで来ている子)、3才5人、4才1人、5才2人 計10人
  ☆同職員体制  
   園長(保育士業務あり)1、保育士1、調理員1、臨時保育士1、臨時保育補助員1
  ☆保育時間 AM8:30からPM3:45まで。
  ☆保育内容
   「森の保育」を掲げて、自然の中での保育。雨の日でも外に出たり。
   日常の保育と共に、七夕、巣箱作り、川遊び、きのこ汁など年6回の行事も実施。 
  ☆地域のお年寄りが「調整員」として、保育園の運営に参加。
   お年寄りが教えるきのこ・山菜取りや、巣箱作り、森遊びなどの中で、子ども達が
   「命の大切さ」「自然の中でのルール」など大切な学び。
   また、お年寄りは、園周辺の草を刈ったり、保育園に色んな協力も。
  ☆市内のいくつかの保育園も、年何回か訪れて「森の保育」を実施。
   非常に好評。
   大網保育園の子たちが、虫を捕まえたり、「やってみせる」。
  

 「森の保育」はまだ二年目、先生方にとっても模索の最中のようですが、すでに地域住民の参加の中で、古(いにしえ)からの森の文化の継承が始まっているようです。
  子どもたちは敬老会に行っても大歓迎。「歌ったり、踊ったりしなくてもいい。いてくれるだけで嬉しい」と、保護者はもちろん、地域の人みんなの「たからもの」です。
  「たからもの」として大切にしてくれる地域の中で育つということは、子どもにとって何よりの保育環境ではないかと思います。

 ところで市は、「森林文化都市」を掲げながら、森の整備をボランティアでやりたくてウズウズしているように見えます。
 それはそれで良いことではありますが、ボランティアで森を守るのはムリでしょう。
 山に暮らす人、山に集落があってこそ森は守られます。

 「森の保育」も、市内の子どもが、誰かが守ってくれる森に行っておこなうものではなく、地域の人が育てる森と、「森の保育園」=森の子どもがあればこそ可能なものに違いありません。
 
 もちろん、過疎地に住む保護者が、森の保育園を選ぶか、統合保育園を選ぶかは、保護者が子どもを思って決めることです。
 「森の保育」の理念を押しつけることもできなければ、ましてや市の財政事情で過疎地の保育園を奪ってしまうことがあってはなりません。
 
 私は、子どもらに最善の保育が与えられるように、力を尽くしていきます。 


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