今年4月24日に全国の中学3年生、小学6年生、「全員」を対象におこなわれた文科省による全国一斉学力テスト(国語と算数・数学)の結果が、10月24日に発表されました。
テストの結果は、
小6 国語A:81.7
B:63.0
算数A:82.1
B:63.6
中3 国語A:82.2
B:72.0
数学A:72.8
B:61.2
となりましたが、文科省はこの結果を「知識についてはおおむね理解している」が、「知識を活用する力」は「課題がある」とまとめています。
私は、今年3月議会で「このテストに参加すべきではないし、参加するとしても結果を公表すべきでない」と主張しました。
教育長は、「テストの目的は、競争ではなく、児童・生徒の指導に活かすことであり、競争を助長するような公表をしない。」と答弁しました。
しかし、中学校・小学校の最終学年のあと4ヶ月しか無い時期に結果を知らされて、どうやって指導をおこなうのでしょう?
また今回のテストに向けて、「テスト対策」で教育をゆがめる事態が始まりました。
京都府八幡市では、市教委がテストに向けての「プリント実施」「予備テスト」などの計画を学校につくらせました。
大分市では、「2011年度に(全国平均を100として)104以上に到達する」というテストの数値目標を設定。
(以上、10月23日付日刊赤旗)
また、先行して区独自のテストを実施し、その結果によって学校の予算に格差をつけるという方針を発表した東京都足立区では、校長を先頭に学校ぐるみでテストの不正をおこなうという事態が発生しています。
著名な教育評論家の尾木直樹さんは、
「これまでおこなわれていたサンプル調査や、現場の教師によるテストなどで十分(なので全国テストは不要)・・悉皆調査を続けていけば、いずれ競争主義が激しくなります」
「(文科省が『指導改善のポイント』まで示すことは)国家が指導方法まで指示していくことになってしまう。危険な方向です。」
「(家庭生活の面が正答率と相関関係があるという結果の強調は)親の責任で学力向上のために『生活改善』を求めたり、国民運動が展開されたりすることが危惧されます」と述べています。(上記記事)
私自身、自分の子どもたちのこととして考えると、「○○ちゃんに負けるな」などという競争で学力向上が図られるなどとは到底思えません。
一人ひとりの子どもを見て考えれば、自分の将来を考える力をつけ、自分の未来に希望をもって前に進もうと考えられるようになることのみが、勉強に取り組み、学力を身につけていくために必要なことではないかと思います。(それがまた、難しいことであり、頭の痛いことではありますが。)
そしてそれが十分におこなわれるための、教職員の増員など教育条件の整備こそが国がおこなうべき施策ではないかと考えます。
日本の公的支出全体の中に占める教育費の割合は、OECD(経済協力開発機構)30カ国中下から2番目と言います。
教育機関の費用の内、生徒・家庭が負担する割合は、25.8%。
学力世界一で知られるフィンランドでは、97%です。
教育の問題も、こういう国のあり方の大本のところから考えなければなりません。
銀座通りのセントナリー広場で「ぎんざ鍋対決」がおこなわれました。
2002年から始まって今年が第5回ということでしたが、私は今回初めて行ってみました。
午前中の用事が延びてしまい、1時過ぎに行った時には店も半分撤収してしまっていましたが、2店の鍋を食べることができました。
一つは「次世代あきんど会」のもので、中に入っている「おやき」(ごはんを餅みたいに円形にして両面を炙ったヤツ)がなかなかスグレモノで、きりたんぽのパクリのようでもありましたが(作っている方がおっしゃっていましたのでそのまま書いてしまいました。)、旨さと、空腹を満たしてくれるという一石二鳥の働きに感心しました。
もう一つは、庄内農業高校の生徒たちの鍋で、素朴な味わいながら、「これでもか!」と投入された野菜の旨味とともに、みんなで一生懸命やっている姿が、料理に感動を与えているように思われました。
話しを聞いてみると、彼らは学校の「農業クラブ」のメンバーで、鍋対決の主催者から要請され、「販売実習」「商品流通」などの勉強の場として参加しているということでした。
農業クラブとは、全国の農業高校につくられている組織で、学校での学習・研究・発表などの活動とともに、庄内農業では一般の高校で言う生徒会の活動もおこなっているとのこと。
参加者もみな楽しそうで、生き生としていて、自分たちならではの活動が、きっと高校生活を充実させているのだろうと思いました。
あいにくの雨天で、しかも終わりシナでしたので、お客さんもほとんどいなくなって閑散としていましたが、参加したそれぞれの店と主催者の銀座通り商店街の皆さんの情熱で、閉会式は暖かい雰囲気のある感じの良いものでした。
こういうガンバリを行政としてもきちんと応援していくべきと改めて思いました。
今日は、レインボー杯グランドゴルフ大会に参加しました。
この大会は、私が一小学区唯一の市議会議員になったことから、学区グランドゴルフクラブの方々が開いて下さるようになったもので、今回が第4回、これまで同様40名を超える参加をいただきました。
私は大したご協力をする訳でも無いのですが、開会式でご挨拶をさせていただくとともに競技にも参加させていただいて恐縮しています。
参加者は70才前後の方ばかりですが、ほとんどの方が週3回の練習日に参加しているとあってどなたも上手です。
私は、「球を使うスポーツなら何でも人並み以上」などと自認しているのですが、この大会はどうもいけません。自分の親ぐらいの方々に敵わないのですからガッカリです。
まあ、こんなところで勝ち負けにこだわってはいけません。
クラブの皆さんが、身体が丈夫なだけでなく、豊かな人間関係と、生活の張りを得て生き生きと過ごしている様子は、健康づくりの望ましいあり方を示唆しているように思われます。
私もこの日は、その輪の中に入れていただいて、人生の大先輩の皆さんに色々なアドバイスをいただける、毎回本当に楽しみな行事です。
それにしても、もう少しスコアが伸びないものかなあ。
24日(水)国保運営協議会委員として、国民健康保険東北大会に参加、翌日は湯沢市の視察をおこないました。
東北大会とは、東北地方国保協議会と開催地の秋田県国民健康保険団体連合会が主催するもので、
国保の運営主体である市町村の要望を掲げ、その実現を国に迫ることを目的とする決起集会のようなものです。
(入り口)
今年の大会のスローガンは、
医療保険制度一本化の早期実現
国民健康保険制度に対する国庫負担の拡充強化
医療費適正化対策の強力な推進
介護保険制度・後期高齢者医療制度に対する財政措置の拡充強化
となっていました。
(立派なステージ)
「一本化(=使用者負担のある健保と、それが無い国保の統合も意味する)」や
「医療費適正化対策(=現在の医療費が高すぎるという認識にもとづいて、闇雲に削減しようとする考え)」
などの要求は、賛成できないものですが、
「国保の現状が深刻であり、国の財政措置が求められている」という大きな問題が大切と考えて、「大同団結」で参加しました。
東北六県と新潟県から1200名を超える参加者があり、一定の「迫力」も感じられる集会ではありました。
翌25日(木)は、湯沢市を訪問し、国保の現状について伺いました。
同市は鶴岡より半年余り早いH17年3月に1市2町1村が合併し、国保税を統一しているということで、鶴岡の参考になるのではないかということで視察しました。
(説明を聞く) (役場前。かなり古い、質素な庁舎でした)
湯沢市では資産割(資産に課税する)を廃止していましたが、合併後、他の3町村に資産割があるということから復活させたということでした。そうすると中小の商店などは、売り上げが少なくても(商売のための)資産に課税されることになりますから、相当の反発があったようでした。
もともと、資産割の廃止は中小の商店などの税を軽減しようということだったでしょうから、合併でそれが仇になってしまった形です。
しかし同市では、合併協議の中で国保税のあり方も協議して決めてきたということで、正しい対応が貫かれているようでした。
鶴岡では、合併協議が破綻することを恐れて税率統一を合併後に先送りし、新市発足後大幅値上げを持ち出したため市民の怒りを買っています。
基本姿勢が一番大事と改めて思いました。
(途中、こんな公共事業を見かけました。
「生け簀」として作られたが役に立っていないとか。)
(道の駅の、秋田の米販売コーナー)
21日(日)、鶴岡市立荘内看護専門学校の「看学祭」を見学しました。
同校は開学から57年の歴史を持つ一学年20名定員の3年課程の学校で、鶴岡を中心に多くの看護師を養成してきた、地域にとって欠くことのできない施設の一つです。
今年の看学祭の内容は,
「看護班」のメタボリックシンドロームをテーマにした展示や料理、献血、
「学校紹介班」の掲示
「地域交流班」ののり巻き=カラフルロール、貼り絵、フリマ、ゲームなど
「食事班」のレストラン(かな?)
などでした。 概ね、毎年恒例の内容のようですが、その都度学生が話し合って決め、自分たちで準備するということで、相当の情熱を傾けてきたことが伺えました。
看護師の卵たちの前途は容易なものではありません。 就職後十人に一人は一年以内に辞めてしまう(看護協会調査など)、若手看護師で「十分な看護ができている」と思う人は十人に一人もいない(日本医労連調査)などなど、良い看護がしたいという看護師の卵たちの願いに立ちふさがる矛盾は深刻です。
しかし、どんな困難があっても、看護師の情熱は困難を乗り越えて燃え続けてきました。そこに病める人がいる限り、それを支えようとする看護の心は消えることがありません。
そして「仕事を続ける上で支えになるもの」の第一位は、「同僚との励まし合い」です(日本医労連調査)。
若い時期に、仲間と共に「盛り上がる能力(そう、能力です)」これを育むことは、良い看護師になっていく上でとても大事なことと思います。
(こういう友達が大事です。ゆいさん、まゆこさん、ゆいなさん、さおりさん。
3年生は「今は実習で頭がいっぱい」とのこと。みんな明るくさわやか、すてきな看護師になれそうでした。)
そういう面でも、こういう「お祭り」は貴重な行事と思いました。
学生さん、先生方、関係者の皆さま、大変ご苦労さまでした。
なお、ブログの冒頭はオモシロ写真になっていますが、看学祭自体は、大変真面目な、取り組みであることを強調しておきます。
荘内看護専門学校 http://www2.ocn.ne.jp/~sho-kan/
日本医労連 http://www.irouren.or.jp/
今日、朝暘第一小学校の学校祭がおこなわれました。
子どもたちはこの日に向けて、学年毎に歌・演奏・劇などの練習を重ね、学年が心を合わせて一つのことを成し遂げることの大切さを学んできました。
低学年ののびのびした楽しい劇から、5年生の高度な演奏、6年生の劇の演技力まで、いつ見ても楽しく、関心させられます。
一小では、4年生が「お話しと音楽のつどい」と言って、土田義晴さんの本を題材にしたシナリオ朗読にプロの音楽家の方が作曲して下さった歌を組み合わせた、力の入った出し物をおこないます。
地域の方々(現・元PTAです)がピアノ・フルートを演奏しますが、4年生に本の読み聞かせをしている「本のたからばこ」のメンバーから2人が朗読に加わります。今年は何と私が朗読の一人として参加しました。
今年の演目は「まほういろのえのぐ」と言って、絵描きの「きつねくん」が病院に絵を描く中で、お父さんを亡くして打ちひしがれている「うさぎちゃん」を知り、絵の楽しさを伝えることを通して、「うさぎちゃん」に元気を取り戻してあげる、といった内容のお話しで、「思いやり」というものを伝えてくれるすてきなお話しです。
私は「くま先生」の役でした。何しろ細面ですので、「くま先生ではなくて、きつねくんではないか?」というチャチャを入れる悪い人もいましたが、読み聞かせメンバーの黒一点ということから「抜擢」となりました。
体育館一杯の子どもと保護者を前にして眩しいライトを浴びながらの発表ですので、子どもらは相当緊張したものと思いますが、実に立派に発表することができて、その頑張りに胸が熱くなりました。
みんなでつくりあげたということ、特にこのお話しのテーマである「思いやり」をみんなで表現したということが、子どもらの心にきっと大きな宝ものを残してくれたものと思いました。私も参加できたことに感激しました。
4年生の発表。 くま先生は白衣です。
学年の発表は午前中で終わり、午後は学童保育所星の子などの発表が続きますが、並行して、PTA致道会が一生懸命準備した企画も各教室でおこなわれました。
輪ゴム鉄砲、牛乳パックのブーメランなどは男の子に人気、タオル人形は女の子が大勢参加していました。他にも色々ありました。
輪ゴム鉄砲作成。 試射! 各町育成会紹介
子ども、教職員、保護者が一緒に取り組む、とても良いスタイルの学校祭でした。
10.21(「じゅってんにいいち」と読みます)国際反戦デイとは、1966年10月21日にアメリカ軍のベトナム戦争介入に反対する全国的行動がおこなわれたことに始まった全国的行動で、以来、平和の問題を中心に全国各地で続けられています。
「10.21」が19日におこなわれるというのは、やや変な感じもありますが、「日曜日より集まり易い」ということでこの日になったようです。
主催は、共立社鶴岡生協、庄内医療生協、鶴岡田川地域労連、田川地区平和センター、高退協の5団体で、政治的方針の枠を超えて、一致点で共同しているということが重要です。
鶴岡のこの取り組みは、5年程前から共同の取り組みとして始まったもので、当時は私が地域労連の仕事をやってた関係で事務局を受け持っていましたので、思い入れのある取り組みです。
日中雨が降り、集会中も雨がパラつくあいにくの天気でしたが、50名余りの市民が集まり、主催者挨拶などの後に市内をデモ行進しました。かつては、最大300名を超える参加があったこともありましたが、今年はエラく少なくてちょっと残念でしたが、関係者の皆さんも色々忙しかったのでしょう。そういうこともあります。
アメリカの戦争を支援する「イラク特措法」を廃止させる取り組みが国政の大きな焦点になっており、これからの取り組みが大変重要です。
私も何度か街頭宣伝などに取り組んできましたが、今後一層力を入れていこうと決意を新たにしました。
スポーツの喜び、スポーツの価値に関わる貴重なコメントを頂き、改めて考えさせられました。
まず、「スポーツとは何か」ということを私見に基づいて乱暴に整理すると、「一定のルールの下に競争する、身体活動によるプレイ(遊び)」というようなことになります。
基本的に「遊び」ですが、真剣に取り組むことによって、向上心、勇気、自制心、忍耐力、責任感、友情などなど、様々な価値ある人間性を獲得することができる活動であると考えます。
身体能力を維持・向上させ、健康増進を図ることができるということももちろんです。
スポーツの中で求められる人間性が、フェアプレイ精神であり、それを備えた人がスポーツマンと呼ばれるべきです。
野球の松井選手、ちょっと古いですが、同じく野球の村田兆治氏、柔道の山下泰裕氏などを見ると、これぞスポーツマンの理想という感じがします。
「たかが遊び、されど遊び」です。
スポーツをするしないは個人の自由ですが、スポーツをすることは多くの人にとっての喜びであり、スポーツを通して肉体的精神的健康を獲得することが可能であることから、スポーツをすることは、基本的人権の重要な一部であると考えます。
国際的にも、ユネスコ「体育・スポーツ憲章」で「体育・スポーツの実践はすべての人にとって基本的権利である」とされ、日本でも憲法第一三条「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」、第二五条「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」によって保障される権利です。
同時に、しごきなどに見られる遅れた精神風土もまた根深く存在しています。
このような遅れた面を克服していくことが、スポーツの世界(トップスポーツから、スポ少に至るまで)の課題でしょう。
例えば、ボクシングの「亀田親子」に、JBCの処分が下されました。
この問題は、スポーツ界にとどまらず、日本社会の重要問題としてマスコミを賑わしていますが、ここに至るまでマスコミを中心にして彼らが持ち上げられてきたことに見られるように、スポーツの世界の問題とは、実はスポーツを取り巻く社会の問題でもあります。
そういうことも含めて、より良いスポーツのあり方、市民のスポーツの権利の保障をめざして私も取り組んでいきたいと思っています。
大変参考になるサイト「日本スポーツジャーナリズム研究会」をご覧下さい。
http://homepage2.nifty.com/FSJ/index.html
毎議会、開会中に1回目の会議が開かれて概要・日程を確認します。
議会閉会後1週間ぐらいの間に、議員各自が自分の質問(当局答弁含む)の内容の原稿を提出しますが、2回目、3回目の委員会ではその原稿についてチェックをします。
誤字・脱字、分かり易さはもちろん、正確さ、「品位」などという面からも精査します。
某若手議員の原稿は、委員会でもちょくちょく「引っかかる」ようです。今回も「(当局は)無策」という表現が問題になりました。私などは、「品位も含めて議員の報告であり、それを評価するのは市民だから、書きたいように書かせたら」と思いますが・・。
読んで頂くためには、できるだけ「面白い」ものにしたいところですが、限られた紙面の中でままならず、苦慮している、というか現行で仕方無いかと思いながらやっています。
しかしそれでも、「読んでるよ」と声をかけられることも多く、議会についてすべての市民の皆さんに知って頂く上で重要なものだなとも感じています。
議会だよりはどうあるべきか、できるだけ市民の皆さんのご意見を伺いたいと思います。
同センターは、現在34のサークルが登録して活動するなど、益々重要となる地域コミュニティー活動の拠点として、大きな役割を果たしてきました。
また、鶴岡市で初めて防災機能を備えたコミュニティーセンターとして設置され、自主防災組織も市の草分けとして歴史を重ねてきました。
会には、役員・元役員・理事・評議員・来賓など百名余りの方が集まり、貴重な歴史を振り返るとともに、今後の発展を願って楽しく交流しました。
参加者名簿を見ますと、私は若い方から3番目になるようで、このテの集まりでの来賓というのは、いつもながら何とも申し訳ないような、くすぐったいような、気を使うものですが、地域の発展のために出来る限りの努力をしていこうという思いを新たにしました。