政府は今、教育基本法を「改正」しようとしています。
教育基本法とは、「教育の憲法」と呼ばれ、学校・図書館・児童館などなど、教育のあり方の大本を定める大変重要な法律です。 当然、国民の納得のいく話し合いがおこなわれなければなりませんがそうはなっていません。 与党は少数の担当者で、少数の官僚と、密室で検討を続け(「3年検討した」そうですが)ただけで、「もう結論が出た」と今国会に法案を提案してきたものです。
私が特に問題と思うのは、「愛国心」の問題です。 「国を愛する態度」を持たせることを教育目標・学校の目標にするというのです。 そうすると「到達度」が点検されることになります。福岡市や町田市では、通知票に「愛国心」の評価の欄があったそうです。(その後、保護者・教職員組合の運動で削除されました) 今でも卒業式で生徒が歌う君が代の「声量測定」をおこなう学校があるそうです。歌わない先生は処分されています。
「国を愛する心」自体は、大事なことだと思います。 しかしそれは、仲間を、地域を愛する気持ちの延長線に自然に育っていくものであるハズです。 愛したくなるような国がつくられていく中で、初めて多くの国民の中に育っていくべきものではないかと思います。
国が「国を愛せ」と強制する、それも「勝ち組・負け組」の格差社会、自衛隊海外派兵の軍事大国化の、今の国を愛せと。 大変危険なことだと思います。
先日、視察で熊本に行き、「特攻平和ミュージアム」という施設を見学してきました。 特攻作戦で亡くなった方々の遺書・遺品・写真などが展示されていましたが、「国のために命を捨てた」ことを尊いことと賛美しているように思われ、違和感を禁じ得ませんでした。
間違った戦争を「正しい戦争」と教え込まれ、「お国のために命を捨てる」ことが正しいことと教え込まれ、それに反対することができない社会の中での「強制された死」であるという事実(当初は「志願」であった特攻作戦は、ほどなく「命令」となりました)から目を背けてはならないと思いました。
私は、小泉首相のように「感動の涙」は流しませんでした。悲惨さに胸が痛み、彼らの命を奪った者への怒りが湧きました。
今の教育基本法「改正」は、そういう社会につながるものだと思います。
二つ目に、教育基本法は、「政府や政治家は、教育内容に口出しならない」と定めています(10条「教育は不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきものである」。不当な支配とは、国家権力による支配です) そして、教育条件の整備が行政の責任であると定めています。
ところが、「改正」案はこの条項を削除し、「教育振興基本計画」を定めることによって、教育で何をするかを政府が決める・いくらでも介入できるようにしようとしています。「国民の権利」としての教育から、「国家の権限」としての教育への転換です。
「振興計画」でまずやりたいことが「全国一斉学力テスト」です。 それは、1960年代に導入され、過度な競争を発生させて学校を荒廃させたことから、4年足らずで廃止されたものです。それを承知でまたおこなおうというのです。
東京都足立区では、既に学力テストがおこなわれ、学校別の「成績」が区のHPに掲載されています。学校は「平均点」のノルマに追われ、「点を下げる」と休む生徒も出ているそうです。 その結果、多くの保護者が「成績の良い学校へ」と流れているということです。保護者・地域住民が教職員と一緒に良い学校をつくるという努力が無くなってしまいます。 東京都では、三つの区で「新入生ゼロ」の学校が出たそうです。その学校の2年生、3年生はどんな気持ちでしょうか・・。
それなのになぜ「改正」なのか? この続きはまた後日。