昨日の午前中、荘内神社参集殿でおこなわれた、戦没者追悼式に出席しました。
会場は、先の大戦で亡くなられた方々のご遺族、関係者の方々で埋まり、会場正面に設けられた慰霊塔に向かって祈りを捧げる姿に、60年以上の歳月を経ても癒されることのない悲しみの深さが伝わってきました。
ところで、会の最初におこなわれた鶴岡市社会福祉協議会、鶴岡市、鶴岡市戦没者遺族会の三者の主催者挨拶の中で、富塚鶴岡市長と榎本政規市議会議長は、「英霊を追悼し」と述べました。
「英霊」とは、一般的に「亡くなられた方への尊称」という使い方もあるようですが、「天皇陛下のために命を捧げた人」を讃える言葉として広く使用されています。
それは、先のアジア・太平洋戦争が、天皇の名の下におこなわれた侵略戦争であり、アジアの人々に大変な災厄をもたらしたものであって、日本が犯した重大な過ちであることを否定する言葉に他なりません。
実際に、「英霊」の言葉を使う方が、先の大戦での日本の過ちを認めることは少ないようです。
元平政クラブ(自民党)の市議会議員であった遺族連合会会長に至っては「今日の会の目的は英霊を顕彰すること。・・首相の靖国参拝を続けてもらいたい」などと述べていました。
~市役所前に学童疎開の記念碑があります~
日本は、小泉内閣の時期からアメリカのイラク侵略戦争に深く荷担してしまいました。数万~十数万人と言われるイラク国民が命を奪われたこの戦争に重い責任を負うという状況に至っています。
そして今、安倍首相・自公政権は、従軍慰安婦問題などの過ちを否定するなど、あの戦争の侵略性を否定するとともに、九条を中心とする現憲法の改悪をおこなおうとしています。そのための国民投票法案が衆議院を通過して参議院の審議が始まっています。
彼の戦争で亡くなられた方々を「お国のため(=天皇のため)に命を捨てた」と「顕彰」し、政府がおこなっている新たな過ちを正当化することに利用しようという動きが強まっています。
しかしそうではなく、「誤った戦争の犠牲者」として「悼む」ことによってこそ、本当の慰霊がなされるのではないかと思います。
~内川の桜が綺麗でした~
私の子どもが通っている鶴岡市立朝暘第一小学校では、この日を待つまでもなく、読書活動(を含む図書館活用教育)が日常的に位置づけられ、「言葉を学び、感性を磨き、表現力を高め、創造力を豊かなものにし、人生をより深く生きる力を身につける」という「子ども読書推進法」の目的が最高の水準で達成されています。
私も、保護者として11年、一小の取り組みを目の当たりにし、読み聞かせボランティアとして少しだけ(2年ばかり)関わっても来て、本当に素晴らしいものだと実感しています。
すべての学校・家庭・地域で、今日の「子ども読書の日」が読書活動に関する注目が高められるきっかけになってほしいものだと思いますが、実際にはそういう情報が(今日も)なかなか聞こえて来ないことは残念です。
やはりこの手の「一日キャンペーン」には限界があるのではないでしょうか。政治・行政・教育関係者に一層の努力を求めたいと思いますが、ともかく、家庭でお子さんに、お孫さんに本を読んであげたり、プレゼントしたり、何でもいいから読書に親しむということをお勧めしたいと思います。
特に、良い絵本を読むことは、子どもにも、大人自身にも、子どもと大人の絆を深めるためにも、実に素晴らしいことだと思います。
そこで最後に、最近図書館から借りて来て良かった本を紹介します。
「ともだち」 谷川俊太郎・文 和田誠・絵 玉川大学出版部
~ともだちとは何か、子どもに分かり易く書かれていますが、それは大人にとってもとても深い内容です。ともだちとは、人生でもっとも大事なものであることが心の沁みてきます。同時に、すべての人とともだちの心で接しようという呼びかけにも感じられました。今、日本でも、恐らく世界でも痛切に求められている呼びかけのように。~
「絵本ナビ」での紹介
http://www.ehonnavi.net/ehon00.asp?no=4251
「ジオジオのかんむり」 作: 岸田 衿子 絵: 中谷千代子 福音館書店 ~ジオジオは、百獣の王であり、世の中のすべての生き物に怖れられてきましたが、ある日、かわいそうな鳥の卵を自分の冠の中で守ってやることになりました。それから・・。強さと裏腹の孤独、年老いていく中で育った優しさ、そして最後に得たものは・・。 私のコメントでは、とても伝わりません。是非、読んでみて下さい。
「絵本ナビ」での紹介
http://www.ehonnavi.net/ehon00.asp?no=895
最後になりましたが、どちらも鶴岡市立図書館の絵本コーナーで、「おすすめの本」として紹介されていました。
「おすすめ」はその時々に選ばれているようですが、本当にすばらしい本が紹介されています。さすが、プロだといつも思っています。
文部科学省2002/04/10 子どもの読書活動の推進
http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/14/04/020418fs.htm
昨日16日、私は翌日の臨時議会の準備でせっぱ詰まっていたのですが、テレビから流れた「長崎市長撃たれる」のニュースに凍りついてしまいました。
銃撃された伊藤一長市長は、被爆都市長崎の市長として、核兵器廃絶を求める毅然とした主張で知られていました。日本政府にも、アメリカ政府にもハッキリともの申す政治活動は、計り知れない圧力・妨害とのたたかいの上に立ってのものであったことが推測されます。
犯行は、暴力団幹部によるものであり、金銭がらみの行政への恨みによるものでは無いかと見られることなどが伝えられていますが、いかなる理由によるものであっても、暴力は絶対に許されません。
「特定の政治的目的を達成するための組織的暴力行為」はテロと呼ばれていますが(末尾資料参照)、それは、自由と民主主義を破壊する最悪の行動です。ましてや、選挙活動中の犯行は、民主政治の根幹を揺るがす暴挙として、断じて許されないものです。
昨年の加藤紘一代議士宅放火事件では、「問答無用の風潮が広がっているのではないか。小泉政治のもとでそういう風潮が助長されているのではないか」と危ぶむ声が広がりましたが、事件の記憶も生々しいこの時期に引き起こされた凶行は、その危惧を一層深いものにさせます。(その後、伊藤市長は、亡くなられました。心から哀悼の意を表します)。
すべての人の人権を尊重する優しさと、それを侵害する者への毅然とした態度、しっかりとした市民の連帯、そうしたものを併せ持つ、優しく強い社会、そういう社会を守り育てていくことが、真剣に問われる時だと思います。それは、職場、家庭、地域、学校、あらゆる日常生活の場面で試されるのではないでしょうか。
17日の鶴岡公園。記事にそぐわない写真のように思われるかもしれませんが、守るべき平和な鶴岡の光景として。
長崎市長銃撃事件についての日本共産党志位委員長の記者会見http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-04-19/2007041901_01_0.html
「テロとは」 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%AD
「テロ事件の一覧」 出典:同上http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%AD%E4%BA%8B%E4%BB%B6%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E5.8F.B3.E7.BF.BC.E9.81.8E.E6.BF.80.E6.B4.BE
8日(日)、いっせい地方選挙前半戦、13都道県知事選、44道府県議選、政令市長選、15政令市議選が投開票されました。 山形県議選では、日本共産党が鶴岡市区で笹山一夫候補、山形市区で新人の渡辺ゆり子候補が当選、20年振りに複数議席を回復しました。
鶴岡公園北広場の梅
選挙で問われたもの
「県民が行政に頼り過ぎている」(?)などと言って、医療・介護・福祉・教育を切り捨ててきた2年間の斎藤県政、定数46中45議席が「知事の提案何でも賛成」というオール与党体制の議会、議員自身の「領収書も無い政務調査費(議員一人年間372万円)」「視察と称した議員の海外旅行(一人百万円)」など、地方自治体の役割と、行政をチェックするべき議会のあり方が問われる選挙でした。
「命と暮らし」の願いの現れ
鶴岡市区の笹山候補は、選挙戦の最初から最後まで「実績抜群の笹山さんは大丈夫」という楽観論とのたたかいでした。他陣営が意図的に流したものと思われますが、誰の目にも実績が鮮やかであるだけに「説得力」があり、なかなか払拭することができませんでした。共産党の議員が「落ちるパターン」と非常に苦慮しました。
しかしそれでも当選にこぎ着けたのは、生きていくこと、まともに暮らしていくことに対する不安と、国政でも地方政治でも庶民いじめの政治が進められることに対する怒りが、日本共産党への期待となって現れた結果と思います。
笹山県議自身が当選の弁で、「高齢者を始めとした沢山の市民の方々から、『生きて生けない、年寄りは死ねと言う政治だ』という訴えを頂いた。この声に応えたい」と述べていましたが、私の対話活動の中でも同じ感じを持ちました。
市民の命と暮らしを守るために、笹山県議と一緒にこれからも頑張っていきます。
公園は春、県政にも春風吹く
今月2日、文部科学省が計画している「全国一斉学力テスト」について、テストの中止を求めるとともに、内容を見直すように求めるアピールが発表されました。
これは、佐藤学日本教育学会会長、堀尾輝久元日本教育学会会長、小森陽一東大教授、津田玄児弁護士、村田智子弁護士、全日本教職員組合米浦正委員業、新日本婦人の会高田公子会長、元小学校長高橋昭一の8氏によるもので、署名を呼びかけるものになっています。
アピールは、テストが子どもと学校の序列化を進め、学力向上に役立たないものであるということとともに、個人情報保護上も問題があることを指摘しています。
これは、私が3月市議会でおこなった質問と趣旨が合致するものです。この機会に、質問の内容をお知らせします。(何とも遅くなりました)
日枝神社獅子舞~縁起物です。(先日、運転中に見かけて、撮影させてもらいました)~
関質問
来月24日に、全国のすべての小学6年生、中学3年生を対象に、「全国学力・学習状況調査」以下、学力テストと略しますけども、これが実施されます。
日本共産党は、子どもと学校の序列化をすすめ競争を一層激しくさせるこのテストにはもとより反対であり、本市としても参加すべきではないと考えています。
この競争は、子どもらの間の自然な健全な競い合いとは無縁のものであります。昨年一年間に警察の摘発に至ったいじめ事件は、前年比4割増となりました。
3年程前のものになりますが読売新聞東京本社がおこなった、アンケート調査(2003年)によると、小学生で「キレたりキレそうになったこと」が「よくある」とする子が17.6%、「ときどきある」という子が43.2%と、あわせて6割の子どもが「むかつく」子どもになっていると言われます。
またベネッセの調査では、「自分のことをあまり好きでない」又は「全然好きでない」と感じる小学生が3割もいて、そういう子では、「今日1日が楽しかった」と思えるのは4人に1人、「明日はきっといいことがある」と思えるのは6人に1人しかいないという結果でありました。
こうした子どもの苦しみの根本に、限られた範囲の学力によって、子どもを競争させ、序列化しようとする政府・文科省の教育思想があります。
それは、国連子どもの権利委員会が日本政府に出して「過度の競争主義的教育制度が子どもにストレスを与えている」と、2度に渡って教育制度の改善を勧告したことにも示されています。
こういう中で、今回の学力テストがおこなわれる訳でありますが、東京都など全国のいくつかの自治体が、既に自治体独自の一斉学力テストを実施しており、テストがどのような弊害をもたらすかということはここに示されていると思います。
例えば、小学校で『学力向上』ということで、夏休みを短縮してまで学習時間を増やしたり、中学校では、テスト前に過去の問題をやらせる事前対策をおこなったり、学校の『予備校化』と言われるような事態が進んでいるそうであります。
また、1960年代におこなわれた全国学力テストが多大な弊害をもたらしたために、4年で中止となったということは、この鶴岡でも体験した歴史の事実であります。
そこで伺います、
第一に、学力テストへの参加で、児童・生徒の比較、学校間の比較がおこなわれ、先行する他自治体に見られるような、学力競争が加熱をもたらす恐れが大であり、本市としては参加すべきではないと考えますが、いかがでしょうか。また、これ以上の学力による競争は本市の教育目標の達成にも決してプラスにはならないと考えますが教育委員会ではどうお考えでしょうか伺います。
第二に、競争拡大の弊害とともにもう一つの大きな問題が明らかになっています。
このテストが、民間企業に丸投げされており、子どもと家庭の個人情報の漏洩、プライバシーの侵害が懸念されるという問題であります。
学力テストは、小学校がベネッセコーポレーション、中学校はNTTデータという民間企業に委託をされます。学力テストに先立って行われた「予備調査」では、児童・生徒質問紙調査で「朝食を毎日食べているか」「家にコンピュータはあるか」「家の人は学校の行事によく来るか」というようなプライバシーにかかわる質問がありましたが、学校名、男女、組、出席番号、名前も書かせることになっていました。
委託企業は、問題用紙、教科の解答用紙、児童生徒質問・回答用紙の送付、回収、採点、分析のすべてから、教育委員会や学校からの問い合わせに対する対応まで行うことになっているといいます。
これでは、子どもたちの教科の点数、また多くのプライバシー情報が、すべて民間企業の手に渡ってしまうことになります。
こういうやり方で個人情報の保護が可能でしょうか。この観点からも学力テストへの参加は見送るべきと考えますがいかがでしょう。
教育長 最初に全国学力・学習状況調査についてお答えをいたします。この調査は、今年4月24日に文部科学省が実施するものであります。調査の目的としては、全国的な義務教育の機会均等と水準向上のため、全国レベルで児童生徒の学力、学習状況を把握・分析することにより、教育の結果を検証し、指導の改善に役立てていくとともに教育委員会、学校等が全国的な状況との関係において自らの教育及び教育施策の成果と課題を把握してその改善を図るというふうになっております。
調査内容としては、小学校6年生と中学校3年生が対象でありまして、国語と算数・数学の調査になります。加えて学習や生活に関するアンケートも実施の予定であります。実施後は国は全国的な状況を把握し、県は県レベル、市は市レベルで結果を分析し、最終的には学校を通じて一人ひとりの児童生徒の学習に活かせるようフィードバックできる仕組みになっています。従って、ただ合計点を競ったり、順位をつけたりするものではありませんし、また学校の序列化や競争につながるような、学校名を明らかにしてのデータを公表するものではありません。
市としましてもこの調査の目的でもある、児童生徒の実態を適格にとらえながら、今後どのように教育施策に活かしていけるか、客観的なデータとして有効であると捉えると共に、学校に対しても、一人ひとりの児童生徒の学習改善や学習意欲の向上につなげていくという観点でそれらを十分に考慮し、学力の伸びの把握とか、指導の改善など各学校の課題解決につながるよう活用を指導して参りたいと考えております。
また個人情報を含む調査の委託についてということでありますが、文部科学省では迅速な採点、結果の把握を実施し、学校等への負担を軽減するため、公平かつ透明な方法により選定した民間機関に委託をしているようであります。
委託先に対しては、契約書で機密の保持や個人情報の取り扱いにおいて遵守すべき事項を明示しており、委託先においてもこれに基づいて、個人情報取り扱いに関する内規の整備、安全確保のための研修、データベースへのアクセス制限等をおこなっているところであると示されております。
個人情報保護法の下で実施されるため、個人情報の取り扱いに関しての問題は生じないものと考えております。教育委員会といたしましても、調査データを一人ひとりの児童生徒の学習改善や、学習意欲の向上につなげていけるという観点を基本にしながら、個人情報の取り扱いについては特段の配慮を働きかけて参りたいと考えております。
関 学力テストについてですけども、先ほどの質問で「競争によって鶴岡の教育目標達成が近づくだろうかということも伺いました。ご答弁なかった訳ですけども、私はそうは思わないので、そのことを避けるために、学力競争の加熱を避けるために、具体的な対処の問題として4つ伺いたい。
一つは、結果発表を学校ごとにおこなうということになりますと、どうしても圧力がかかって、「うちのも教えろ」ということになりまして、結局全部発表するのと同じようなことになるのだと思いますので、市の方針として学校ごとの発表はしないということが必要でないかと思います。
二つ目に、教育委員会としまして、先ほどのご答弁にもありましたので、全国で学力競争、序列化に参加するのではないのだと、子どもの指導に活かすのだという趣旨を保護者の方々に十分説明していって頂きたいということ。
それから三つ目に、さっき私いくつか挙げましたけども、まさに加熱と言われるような状態に陥っている自治体が全国に現れている訳で、そのような自体が発生していくならば、その時には、再来年度以降このテストへの参加も含めて検討していただきたいということ。
最後に、個人情報保護の保護についてですけども、個人情報保護法におきましても、第3条2項に、「特定された利用の目的の達成に必要な範囲を超えて、個人情報を所有してはならない」ということになっている訳でして、学力テストの文科省が言っている目的に照らしましても、子どもの固有名詞をいれる必要は無い訳です。
先に行われている東京でも固有名詞を書くことは求めていないそうですし、高校入試の答案でもその点に配慮して、受験番号のみの記入をしている、そういう県もあるそうであります。
希望者は無記名を認めるという方法もある訳ですけども、それは主に親の判断による無記名というものを子どもらがおこなうかどうかという、そんな困難もありますし、また教育長がおっしゃる「一人ひとりの指導に活かせない」ということも出てくるでしょうから、出席番号のような番号でもって記入し、もしそれが外に漏れるようであっても個人情報は漏れないと、こういうことが必要ではないかと思います。
念のため申し上げておきますけども、さっき私民間企業が悪いなどと一言も申し上げておりませんで、そこに情報が漏れるようになったら、行政として問題だということでありますので、誤解の無いようにお願いします。
教育長 テストと鶴岡市の教育目標との関わりですが、何もこのテスト、競争と序列化をするテストではありません。それから競争ということと子どもの成長とおいうことと、むしろ適度の競争は子どもの能力を高める、程度問題な訳です。ですから、すべて競い合いというものが悪だという考え方はやっぱり当たらないのではないか。競争が子どもの持ち味、それぞれの個性を引き出してくれるのではないかということは、十分に配慮しなければ教育は成り立たないのであろうと思います。
次に、色々取り扱いについては、議員さんご指摘の通り、教育委員会としても保護者への取り扱い、学校への教職員への取り扱い、結果の考え方については、十分趣旨を徹底するように努めて参りたいと思います。なお、番号制はということでありますが、これは全国的なシステムで走っている訳でありますので、そういう要望もあるということで承っておきたい。
関 適度の競い合い、子ども同士の自然な競い合い、これは私も否定するものではありません。ただ申し上げたいのは、先ほども言いましたけども、60年代の学力テストの中でも出たと思いますが、学校ごとに点数を競うという中で、成績の悪い子は休ませてしまうとこんなことまで事実としてあったということで、そういう競争は避けたいということ、これは宜しいかと思います。
~この世の「邪」を払え!~
関連するサイトです。
【アピール】2007/04/02
『「全国学力・学習状況調査」で子ども全員の個人情報を企業にゆだねることに反対し、個人情報保護法・憲法にもとづく対応を求める賛同アピール』http://www.zenkyo.biz/html/menu4/2007/20070404150434.html
自由法曹団「全国学力・学習状況調査の実施に反対する声明」
http://www.jlaf.jp/jlaf_file/070402gakute.pdf