8月10日、鶴岡市平和都市宣言関連事業としておこなわれた、「鶴岡市平和の集い」に参加、同じ会場に展示された戦争の資料も見学しました。
今年は、江戸川区からの学童疎開80周年にあたることから、朗読「疎開児童からの手紙」と「山疎開物語」の上映、学童疎開マップの展示、江戸川区と鶴岡市の交流の紹介、鶴岡江戸川合唱団による「空は今」「島唄」「永遠の花」の合唱などが企画されました。
昭和19年8月10日から1年3ヶ月ほどの期間に、4300名ものこどもたちが家族と離れて遙か遠い鶴岡に疎開。ゴミ箱に捨てられていた渋柿の皮を拾って食べた話、汽車の線路に耳をつけて、「このレールはお父さんお母さんのいる東京に繋がっているんだ」と言って涙を流した女の子の話し等々、空腹と寂しさの中で辛い日々を送った事が胸に迫ってきました。
また、学童疎開に関わる江戸川区の多くの資料が整理され、わかりやすい展示となってまとめられていました。
同区と鶴岡市の戦争体験を継承していくための非常に貴重な資料と思いました。
大変な労を惜しまず作業にあたって下さった有志の皆さまに深く感謝します。
https://www.city.tsuruoka.lg.jp/shisei/gaiyo/heiwatosi.files/map.pdf
暑い盛りに参加した60,70人位(数えていませんので印象に過ぎませんが)の方々には深く敬意を覚えましたし、心強く思いました。
しかし皆川市長も「こどもたちが参加できるように、市として取り組まねばならないと反省した」と言っていましたが、子どもを始めとして、より多くの市民が参加できるように、市としての取り組みの抜本的強化を求めたいと思います。
私は市議の時に、富塚市長の「行革」でこの事業の予算が約100万円から10万円に大幅削減されたことを厳しく批判し、予算の復活を求めてきました。
山形市などの事業との対比も示しました。
→https://www.city.yamagata-yamagata.lg.jp/shiseijoho/heiwajinken/1008371/1011282/index.html
来年は戦後80年の年になります。
この集いに取り組まれた市民の皆さんの熱意が市政に、県政に届くように、党市議団と協力して働き掛けていきたいと思います。