さきたま自然日記(別館)

埼玉中心になんでもありの写真日記です。
花鳥風月、自然を中心に撮ってます。

大洗海岸を早朝散歩

2017年09月05日 | 旅行
孫姫連れての海水浴。 さて次の日は・・・・
水平線に登る朝日を見ようと、早朝に起きだしてみたものの、空は薄い雲がかかった状態で期待外れ!!
仕方なく、のんびりと海岸線を歩いてみることにします。

昨日宿の部屋から見えた那珂川にかかる赤い橋(海門橋)、海岸方向から望むとこんな感じです。
奥が上流で、手前側が河口になります。 風が冷たく寒いくらいですが、朝早くから釣り人でにぎわってました。


橋の奥には「那珂湊マリーナ」があって、頻繁にスマートなクルーザーが往来しています。この日は日曜日なので特に多いのかもしれませんね。




「アクアワールド大洗水族館」の建物に沿ってさらに進むと、外海を望むことができます。


風も少し強くて、大きな波が押し寄せてますが、防波堤に沿ってチラホラ釣り人の姿も見えます。
海岸線に、シギチやカモメなどを期待して、ミラーレス望遠も持参したのですが、こちらも期待外れ。
ウミネコでしょうか?   時折、頭の上を通過していくだけ・・・・・・


遠くの海に、クルーザーと小さな漁船・大型船がうまく縦に並んでくれました。


約1時間ほど、海岸線を散歩して宿に戻る途中に見つけた「願入寺(がんにゅうじ)」
親鸞の孫である如信により福島県石川郡古殿町に鎌倉時代に開かれ、当初は大網御坊と言いましたが、空如の代に至って、願入寺と号するようになりました。
その後、移転を繰り返し、江戸時代の延宝(1673~1681年)以降に 常陸国水戸藩第2代藩主の「徳川光圀」により、大洗の祝町に移されたそうです。


山門の扉には、その時の名残でしょうか葵の御紋が彫られています。


願入寺の本堂や開基堂には、本尊の阿弥陀如来立像の他、親鸞聖人の画像や香合などの県指定文化財が保管されていますが、今は工事中のため柵があり近くには行けません。
柵越しに撮ってみました。



さすがにこのころになると、お腹も空いて来て、朝食タイムが待ち遠しくなってきました。
朝食を済ませると、こんどは水族館巡りです。


今回は連載のため、コメント欄を閉じてます。



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サンフラワー号がバックで接岸

2017年09月02日 | 旅行
孫姫たちの夏休み中にどこかへ連れて行ってやろうと企画したのは6月。
「今年も海がいい!!」ということで、今年は茨城の海を探すことに・・・・・(ちなみに昨年は新潟の海)
茨城の海と云えば、息子たちがまだ小さい頃阿字ヶ浦に連れて行ったことがあり、遠浅で綺麗な水が印象的だったことを思い出し、少し南の大洗海岸
息子夫婦の都合などを聞きながら、やっと宿が取れたのは、子供の夏休みが終わるギリギリの8月26・27日。

幸い、前日までグズグズしていた天気もこの日は薄曇りで、現地の天気は午後から晴れるとの予想!
息子の車で、午前9時ごろ自宅を出発。常磐道・東関東自動車道を走って現地まで約2時間の行程です。
途中SAで休憩しながら、現地に着いたのはお昼前。
大洗港の近くで昼食をとって、すぐそばの「大洗サンビーチ」で海水浴。
さすがに8月の末になると、海水浴場も空いていて、この時期にしては波も穏やかで、子供たちにはちょうど良かったようです。


孫姫たちのお守りは息子夫婦に任せて、ジジババは、大洗港近くにある展望台「大洗マリンタワー」までウォーキングです。
地上60メートルの展望台から見た「大洗サンビーチ」の海岸線です。孫姫たちのいる海水浴場が見えます。


反対側には「大洗港」があります。この当りでは一番大きな港だと思います。


のんびり外を眺めてると、遠くから港に入ってきた大型船が見えます。北海道ー大洗港を結んでるサンフラワー号ですね。


ゆっくり、港に入ってきたかと思うと、狭い港内で、突然転回を始めました。 14000トン級の船を、こんな風に操る操船術、すごい!!



180度展開が終わると、今度はゆっくり後退し始めます。??????
よく見ると、ゆっくり後退しながら接岸してるようです。 
船の接岸シーンは、何度か見たことありますが、このようにバックで接岸するところは初めて見ました。


わたしには珍しい場面だったので、動画でも撮ってみました。手持ちのため水平もとれてないのですが・・・・・
あまりにもゆっくりなので、2倍速にしてアップしてみました。




海水浴をたっぷり楽しんだ後は、宿に・・・・・・孫姫たちはさすがに疲れたようです。
途中朝日で有名な「大洗磯前神社」の鳥居も見たかったのですが・・・・・次回にお預け!

部屋から見た那珂川にかかる赤い橋、そろそろ夕陽が当たるころです。


夜、部屋の窓枠にカメラを固定して、F:8で15秒開いて撮ってみましたが、さすがに手持ちではブレブレ、せめて雰囲気だけでも・・・・



宿の食事も美味しくて、久しぶりに深酒してしまいました。


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マリンピア日本海

2016年08月07日 | 旅行
岩室温泉で泊まった宿の湯は自家噴泉で、ほんのり硫黄臭のする塩化物温泉(弱アルカリ性低張高温泉)です。PH8.3の「美人の湯」。

硫黄を含んだ温泉独特の懐かしい香りがして、温泉情緒を満喫、カラスの行水の私でも2回入って、気分スッキリ!!

翌朝の早朝散歩は近くの「岩室神社」です。
岩室神社は弘化二年(1854)に、神明社・十二神社・諏訪社・御鉾神社・稲荷神社の5社を、現岩室神社の地にあった神明社に合祀したものです。
この神明社の祭神は、天照皇大神(伊勢神宮の内宮の神)と豊受大神(外宮の神)であったそうです。



車ですぐのところには、有名な「弥彦神社」もあるのですが、今回はパス!

さて、散歩と朝風呂の後、朝食を済ませ、いよいよ新潟市の中心部にある水族館「マリンピア日本海」に出発。
岩室温泉から、さらに北に約1時間程の行程です。
午前10時過ぎに付いたのですが、さすがに夏休みの日曜日、すでに駐車場がかなり混んでいて、少し離れた所しか止められませんでした。
並んで入場券を買って入館します。(大人1500円・子供600円・幼児200円)

次のイルカショーは午前11時半からなので、その間水族館内を見学することに・・・・・

入場して、まず目に留まったのは、このフグの仲間。トラフグかな??


孫姫たちも、大きな水族館は初めてだったようで、大きな水槽の前で目をクリクリ!!


さすが、ニモ人気は相変わらずで、孫姫たちも、なかなか水槽の前を離れようとしません。
(残念ながら、私も一緒に見ていて、ニモ(カクレクマノミ)の写真を撮り忘れました。)

ニモの代わりに撮ったのは、この魚です。
水の中を飛ぶ鳥?? やっぱり鳥のように見えるから不思議です。(笑)


クラゲも何種類かいましたが、展示数は少ないです。



そして、いよいよイルカショーの始まりです。
水がかからない場所に陣取って見るイルカショー、孫姫も含めて全員が初めてだったのですが、なかなか迫力があります。


バンドウイルカ2頭とカマイルカ1頭の演技です。
水族館で演技するイルカの種類では、一番ポピュラーなイルカとか・・・・・

そんなイルカの事を少し調べてみましたが、案外知らないことが多いですね。



バンドウイルカ(半道海豚)
標準和名とされる「ハンドウイルカ」は、北九州から能登方面で呼ばれていた名前で、「半道」とは「中途半端」という意味だそうです。
大きさがクジラとイルカの中間で、中途半端なことから昔から「半道海豚」と呼ばれていて、歌舞伎用語の「半道」からくるという説もあるそうです。



カマイルカ(鎌海豚)
背びれの形が草などを刈る鎌に似ていることに由来するそうですが、バンドウイルカに比べて小型で、白と黒のコントラストがお洒落なイルカです。


3頭揃って、こんなジャンプも見せてくれました。鳥を撮るより楽ですね。


結局、お土産などを買って水族館を出たのがお昼過ぎ。

途中事故渋滞などに会って、次男坊宅に付いたのは午後5時半を過ぎていました。
孫姫たちは、疲れて車中、グッスリ!かと思いきや・・・・・とんでもない!大はしゃぎです。

海に入って、温泉に浸かって、水族館を見ただけの旅行で、ジジ・ババにとっては、ちょっと退屈な急ぎ旅でしたが・・・・・・
次回は、のんびり散策しながらの温泉旅に行きたいものです。




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孫姫たちと新潟旅行(パート1)

2016年08月04日 | 旅行
6月のある日、孫姫たちとの話の中で、「まだ海に行ったことが無い!」という話になり・・・・
しからばと・・・・・夏休みに合わせて、計画することにしました。
当初、「三保の松原」の宿を予約したものの、途中の交通渋滞や梅雨明け予想などを考えて、急きょ温泉旅行も兼ねて新潟「岩室温泉」に変更。


そして夏休みが始まったばかりの7月23日(土)、次男宅で合流し、次男夫婦含めて合計6人で車1台・・・・・・いざ新潟へ出発!!
出掛ける時はどんよりの曇り空。(天気予報では、関東地方:曇り、新潟:晴れ)
関越道「みなかみ」をを抜けて、いよいよ谷川岳を貫通する関越トンネルに入ります。
このトンネルは国内第2位の長さ(下り10km・上り11km)で、さすがに長い!!


トンネルを抜けると、そこは青空!  まさに川端康成の「雪国」の世界の夏版のようです。

暫く進むと、左側に、「東京から日帰りスキー!」で知られる上越新幹線「ガーラ駅」が見えます。


途中のSAで早めの昼食をとりながら一途に「巻潟東IC]に向かいますが、さすがに孫姫たちは長いドライブで退屈そう!!
そして、鶴ヶ島ICから約270km・5時間弱のドライブで、やっと目的地の「角田浜海水浴場」に到着。
この辺りは、「越後七浦シ-サイドライン」の基点らしく、「角田浜海水浴場」はこのシーサイドライン沿いにあるいくつかの海水浴場の一つです。

孫姫たちは早速着替えて海へ・・・・・私と女房殿も水着に?・・・・・・まさか!!・・・・私たちは海の家でのんびり休憩です。

関東周辺の海と違い、人も少なく遠浅で、孫姫たちは初めての海で大はしゃぎです


海に向かって正面には佐渡島、後ろには角田山があり、また左手上の方には佐渡海峡を渡る船の重要な道標となる角田崎灯台があります。
海岸から灯台まで、急な細い階段道ありますが、かなりきつそうな勾配。

崖の横には、岬の向こう側に通じるトンネルがあり、私たち(私と女房殿)は、ズボラしてそのトンネルを抜けて岬の向こう側に出る事にします。

トンネルの前の説明板には、「名勝 判官舟かくし」とあり・・・・・・・

「文治3年3月(1187年)、源判官義経が兄頼朝に追われ、奥州平泉に海路落ちのがれる際、追手を避けて舟とともに身をかくした洞穴と伝えられています。
大小二つの洞穴があり、向かって右が奥行28m、幅4~5メートル、天井の高さは海面から6.6~2.5m。左側は奥行14m、幅2m、天井の高さは海面から4~5m。
現在は新潟市文化財に指定されています。」

暗いトンネルを抜けると、その先は、断崖沿いに細い道が続いています。


少し先に進んで後ろを振り向くと・・・・・・・・順光に輝く灯台が・・・・・



白い灯台も、夕方になると夕日に映えて、赤く染まる灯台になるんでしょうね。


こちら反対側からも、灯台に向かって階段が付いていて、こちらの方が勾配が緩やかそうなので自分が高所恐怖症なのも忘れて果敢に挑戦。
崖の中腹から少し上がったところは断崖絶壁! 手すりにしがみ付いてただ足元を見て登るだけで、辺りを見渡す余裕などありません。

それでもやっと頂上付近から振り返って撮った写真がこれです。
崖の傍を細い道が続いていていますが、その先は行き止まりのようで、釣りのスポットになってるとか。
この辺りから見る夕日は絶景だそうですよ。


頂上の灯台から見た「角田浜海水浴場」です。



灯台から海の家に戻っても、孫姫たちはまだ海の中。 帰り際も、まだ未練がありそう!!
結局、夕刻5時近くまで海にいて、この日の宿泊先、「岩室温泉」に向かいます。

北国街道の情緒が残る道端にある自家厳選のお宿。
早速、硫黄の匂いが漂う温泉で、疲れを癒します。
孫姫たちも、露天風呂が珍しいらしく、何度も出たり入ったりして楽しんだようです。

そして、6人そろって楽しい夕食、もちろん新潟名物で有名になった「ノドグロの塩焼き」も頂きましたよ!!

夕食後の「こどもビンゴ大会」では、ラッキーなことに孫姫二人が1・2位を独占。
司会の方に感想を聞かれて、てれた姿に大笑い!!

さて、翌日の目的地は、新潟市内にある「マリンピア日本海」です。・・・・・・・・・・続く!



*今回は連載のため、コメント欄を閉じてます。



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世界遺産「富岡製糸場」巡り

2016年07月05日 | 旅行
猛暑日が続いたと思ったら、今日は冷え冷えとした1日です。
でも、西日本では暑い日が続いてるようで、出張で東と西に移動される方は大変ですね。
今回は、1か月以上も前の出来事ですが、「富岡製糸場」巡りです。


6月2日、前日に突然思いついて、世界遺産「富岡製糸場」に行くことになりました。

何故行くことに・・・・???

実は、前日のテレビで、「コンニャクパーク」の宣伝が放映されていて・・・・「面白そうだから、行ってみるか!」
「同じ行くなら、近くの富岡製糸場にも寄りたいね!」・・・・・てな訳で、女房殿と一緒に出かけることにした次第。

どちらがメインか分からなくなりましたが、まずは平成26年6月に世界遺産登録された「富岡製糸場」へ向かいます。
高速関越道から上信越道に入り富岡ICで降りると間もなく「富岡製糸場」に着きます。所要時間は1時間半ほど。


富岡製糸場は、明治5年(1872年)に明治政府が日本の近代化のために設立した模範器械製糸場です。

明治維新後、おもな輸出産業であった生糸の品質改善・生産向上と、技術指導者を育成するため、洋式の繰糸器械を備えた官営の模範工場をつくったそうです。
こうして富岡製糸場が建設され、現在までほぼ変わらぬ姿で残されています。

富岡製糸場の建設はフランス人指導者ポール・ブリュナの計画書をもとに明治4年(1871年)から始まり、翌年から操業が開始されました。
繭から生糸を取る繰糸所では、全国から集まった伝習工女たちが働き、本格的な器械製糸が始まったそうです。

その後、日本の製糸業の衰退とともに昭和62年(1987年)3月ついにその操業を停止しました。
操業停止後も片倉工業株式会社によってほとんどの建物は大切に保管され、平成17年(2005年)9月に建造物の一切が富岡市に寄贈され、その後は富岡市で保存管理を行っています。


入場料大人一人1000円を払って、まずは中へ・・・・・

入ってすぐに、「東置繭所(国宝)」の建物があります。



東置繭所(国宝)
主に繭を貯蔵していた建物です。2階に乾燥させた繭を貯蔵し、1階は事務所・作業場として使っていました。長さおよそ104mにもおよぶ巨大な繭倉庫です。

中に入ると、繭から糸を紡ぐ実演をしていました。



2階に上がると、その巨大な当時の繭倉庫の様子がよく分かります。



東置繭所の向かいには「西置繭所(国宝)」の建物がありますが、現在改修中でした。

改修状況などを館内に入ってみることが出来ますが、その中は撮影禁止です。
次の写真は、西置繭所から見た製糸所の全景です。



鉄水溜(重要文化財
明治8年頃に造られた製糸に必要な水を溜めておくための巨大な水槽です。
この鉄水溜の製造には軍艦の造船技術であるリベット止めが使われ、およそ400トンの水を溜めおくことが出来きたそうです。



繰糸所(国宝)
繭から糸を取る作業が行われていた建物です。
長さ約140mの巨大な工場で、創設時にフランスから導入した金属製の繰糸器300釜が設置され、世界最大規模の器械製糸工場だったそうです。



小屋組みにトラス構造を用いることで建物の中央に柱のない大空間を作り出しています。



中には、こんな機械がずらっと並んでいて、迫力満点。
当時はたくさんの女工さんたちが忙しく働いていたのでしょう。



繰糸所を出て、さらに進むと、少し広い所に出ます。

「寄宿舎」の建物がありますが、昔の学校のようですね。



「ブリュナー館」です。



女工館(重要文化財)
日本人工女に器械製糸の糸取の技術を教えるために雇われたフランス人女性教師の住居です。
コロニアル様式が採用され風通しの良い造りになっています。後に改修され食堂や会議室として使用されました。



東置繭所も西置繭所も煉瓦積みの建物ですが、煉瓦壁はフランス積みで積まれています。
この積み方は主にフランス南部のフランドル地方で用いられた工法で、フランドル積みとも呼ばれています。



この日も暑くて日差しが強かったのですが、比較的見学者の数も少なく、のんびり回ることが出来ました。

明治維新以降、重要な生糸製品産業を担ってきた当時の様子を想像しながらのひと時でした。

(記事内容については、富岡製糸場のHPを引用させて頂きました。)



帰り際に、製糸所の前にある「田島屋」で、人気のお土産「まゆこもり」(繭の形をした葛湯?)を買って、「コンニャクパーク」へ・・・・

事前にHPで確認して、中にレストランがあると思っていたのですが、大失敗!

レストランと思ったのは、無料の試食コーナー。

レストランのテイクアウト方式で、いろんなコンニャク製品が無料で試食できるので、昼食の代わりにコンニャク料理を頂くことにします。

コンニャクの唐揚げやラーメン・うどん・・・・など、不思議な感触の製品がいっぱい!結構お腹がいっぱいになりますよ。

もちろん、製造工程の見学もできて、コンニャク製品もたくさん販売されています。

もちろん、大好きなコンニャク刺身を何種類か買って帰りました。

「コンニャクパーク」のHPは・・・・・こちら

わざわざ行くところではありませんが、「富岡製糸場」とセットでいかが!!


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