@情緒に耽る長旅をするのも良いかもしれない。忙しい世の中、時間ばかり気にした現世代に必要な贅沢かもしれない。平安朝時代のゆったりとした時が流れる「すらすら読める土佐日記」を読んだ感想だ。 IT技術の発達のおかげで距離を身近に感じ、時間を節約できた現代、だがその裏に「せっかちな世界」をも作り出し気を休める事なく働き、動き続ける様を醸し出している。その結果、多くのストレスを感じ、病気を併発している輩も多い。携帯を終日利用しない、できない環境は既に無くなり、心のゆとりもないまま後ろ指を刺されたままである。 果たしてその未来はさらに過酷な、あるいは同様な時勢自体になっているだろうか。 「非効率」「非常識」「逆効果」などをトライし不思議な世界が有っても良いかも知れない。(似て非なるもの)
『すらすら読める土佐日記』林望
- 「土佐日記」
- 平安朝の時代背景、文化、習慣などその時代の文章構成であるが、男(紀貫之)が女性のたち位置から書いた旅日記である。赴任していた土佐から任を解かれ京都に戻る旅日記、年齢も64歳余り。宮中で活躍していた頃の親しい人々が亡くなり、5歳の娘も亡くし寂しく、侘しい土佐から京都への舟旅、同乗した様々な人々の歌を交え「京都に早く帰りたい」と言う思いがここには多く記されている。
- 流謫の地としていた土佐に赴任したのは930年から4年、5歳の最愛の娘を亡くし痛切な心情を残した土佐からようやく京都に戻る。長い船旅後も自分の家に辿り着くとその有様から亡くした娘を重ね合わせた心情(子を失った親の心の哀切さ)が伝わってくる。
- 昔の人々は迷信深い人も多く爪を切ることもいちいち日柄の吉凶を考えたとある。(夜発明を切るな・切るのは丑の日)
- 長い船旅(934年12月21日〜翌年2月16日)高知浦戸から京都山崎とある。鳴門海峡は当時は難所中の難所として多くの舟が遭難していたともある。また途中海賊も多く夜は出没しないことで舟は闇の夜出航が多かったともある。
- 「歌」
- 都出でて君に逢はむと来しものを来しか日もなく別れぬるかな
- 都へと思ふをものの悲しきは帰らぬ人のあればなりけり
- 行く先に立つ白波の声よりも遅れて泣かむ我や勝らむ
- 思いやる心は海を渡れども文しなければ知らずやあるらむ
- 世の中に思いやれども子を恋ふる思いに勝る思いきかな
- なほこそ国の方は見やらるれ我が父母ありとし思えば帰らや
- 吹く風の絶えぬ限りし立ち来れば波路はいとど遥けかりけり
- 忘れ貝拾いしもせじ白珠を恋ふるをだにも形見と思うはむ
- 世の中に絶えて桜の咲かざれば春の心はのどけからまし
- 君恋いて世を経る宿の梅の花昔の香にぞなほ匂いける
- 見し人の松の千年に見ましかば遠く悲しき別れせましや