@「武士の一分」はよく聞くが、これは「女の一分」である。赤穂浪士47士の一人を夫にもつ妻「旦那様のご最期を見届けるまでは弱音を吐けぬ」を全うしたその努力と周りに対する姿勢を描いた小説である。武士の妻としての役割とその決断・意思は現代では想像を絶するほどである。武士としての定めと武士の嫁となり妻となった女性の定め・心理とその行動をきめ細かく描いた小説は、特に切腹を覚悟でもう二度と会えない夫と別れる時の心理、討ち入りが成功し屋敷で幕府の沙汰を待つ夫の心境、切腹後の知らせと夫の最後の手紙など自分より夫への思いと周りへの心配り、自分の力が尽きる最後までの気配りなど、この「女の一分」は感動ものである。(一寸の光陰軽んずべからず)
『白春』竹田真砂子
- 赤穂の小野寺十内秀和の京屋敷に女中奉公した、耳の不自由な「ろく」の一人称形式で語られる、女の視点から見られた忠臣蔵。 仲睦まじさが知られた十内とお丹夫妻の結婚は大石内蔵助が勧めたものだったとか、お丹と内蔵助の母親(作中では「久満(くま)女」と記されているが「熊」と書かれることが多いらしい)とが知り合いだったとか、どこまで史実なのだろうか。ろくという人物も、耳が聞こえない設定は小説的にはほとんど生かされておらず、それも史実に基づいているからこそかもしれないと想像される。
仇討ちが武士の一分を示すものならば、のが女の一分であるというテーマがしっかり描かれた作品である。 - 注目したことは男武士としての「武士の一分」、ここでは大石内蔵助始め47士の吉良上野介への討ち入りと、武士の妻としての「女の一分」、ここでは小野寺十内の妻お丹が最後まで武士の妻としての志を通し続けた強い意志である。お家断絶から始まった出来事、赤穂城明け渡しから夫切腹の決意、大石内蔵助始め赤穂浪士たちとの隠密裏の行動、親戚関係の諸待遇、財産・持ち物などの一切を売り払い引越し、奉公人などの整理から身の回りの整理、夫関係のあった赤穂浪士への供養など、最後の最後まで生きて生き抜いて、定命を使い尽くして逝ったことである。
- 夫、十内に対する気つかいと穏やかな姿勢、ろく(耳が不自由な奉公人)に対する優しい声掛け、大石内蔵助の母、お丹の母などに対するお世話介護から葬儀、お墓・墓石のお世話など関係する全ての人々に対する心優しい姿勢と思いやり、 決して弱音を吐かない信念を持っていたこと。また自分の死後のろくに対しての次のお世話先など、最後の最後まで周りに対する心配り、気つかいを怠らず、死が迫った自分に対しても周りに迷惑をかけまいとする気配りなど、素晴らしい「女の一分」をこの小説で知った。
- 十内がお丹に出した手紙の中には「宝尽きたらば、ともに飢え死にもうさるべく候」、最後の手紙には「むさし野の雪間も見へつ古郷の いもが垣根の草も萌ゆらん」。お丹の最後の歌が「妻や子の 待つらんものをいそがまし 何かこの世に思いおくべき」と遺した。