@川越・喜多院(屋内は重要文化財の為撮影不可)で見つけた春日局が見ていた庭。 穏やかで物静かな遠州流庭園(枯山水)。徳川家光もここで生まれ育った。1611年家康が川越を訪れたときに天海に眼じて建立し、喜多院と命名した。無量寿寺自体は830年に建立したが何度かの家事で焼失している。
@川越・喜多院(屋内は重要文化財の為撮影不可)で見つけた春日局が見ていた庭。 穏やかで物静かな遠州流庭園(枯山水)。徳川家光もここで生まれ育った。1611年家康が川越を訪れたときに天海に眼じて建立し、喜多院と命名した。無量寿寺自体は830年に建立したが何度かの家事で焼失している。
@「故郷貢献」、昭和の時代までは故郷へ貢献(成功者・立身者)できることは家族、親戚への大いなる喜び以上に、名声が広がることで場合によっては町村を起こし歓待される場合もあった。この徳山道助、陸軍中将まで上り詰めた村一番の出世者は家族の自慢の立身者となり、兄弟、家族の待遇は様変わりした。ところが後年、その名声があることで苦悩する。人は成功した後がどのような結果をもたらすのか知る由もない。 名声は継続するが、地位立場などは変化する。花弁が散って後退・衰退した場合のその待遇は真逆となる。 人はもてはやされている時が「花」、その時に何をしておくべきか準備する必要がある。
『徳山道助の帰郷』柏原兵三