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春日局が見ていた庭『喜多院』(家光誕生の間)川越

2019-11-06 08:18:57 | 旅行

@川越・喜多院(屋内は重要文化財の為撮影不可)で見つけた春日局が見ていた庭。 穏やかで物静かな遠州流庭園(枯山水)。徳川家光もここで生まれ育った。1611年家康が川越を訪れたときに天海に眼じて建立し、喜多院と命名した。無量寿寺自体は830年に建立したが何度かの家事で焼失している。

 


出世の喜びと衰退の苦しみ『徳山道助の帰郷』

2019-11-06 07:48:54 | 人生を「生かす」には

@「故郷貢献」、昭和の時代までは故郷へ貢献(成功者・立身者)できることは家族、親戚への大いなる喜び以上に、名声が広がることで場合によっては町村を起こし歓待される場合もあった。この徳山道助、陸軍中将まで上り詰めた村一番の出世者は家族の自慢の立身者となり、兄弟、家族の待遇は様変わりした。ところが後年、その名声があることで苦悩する。人は成功した後がどのような結果をもたらすのか知る由もない。 名声は継続するが、地位立場などは変化する。花弁が散って後退・衰退した場合のその待遇は真逆となる。 人はもてはやされている時が「花」、その時に何をしておくべきか準備する必要がある。

『徳山道助の帰郷』柏原兵三

  • 陸軍中将にまで昇りつめた華々しい経歴と、その後の不如意な暮らし―時代の転変とともに屈折していく出郷者の想いを追った芥川賞受賞作「徳山道助の帰郷」ほか、フランス人女性と結婚した画家の秘密めいた生活に迫る「殉愛」、祖母の葬儀の顛末を記す「坐棺」の三作品を収録。平明な文体で、人生の様々な局面をおおらかに描いた早世の作家・柏原兵三の世界をあますところなく示す。
  • 「徳山道助の帰郷」老人となった元軍人の人生回顧録である。決して母は軍人にはしたくはなかったが本人の希望で軍人の道を選び、日露戦争後の凱旋では上層部に着いたこともあり村では大歓迎を受けた。ところが恵まれなかったことは妻が発狂して表舞台に出せなく、帰郷を3回するが妻は一緒ではなかったことである。田舎で唯一軍人で陸軍中将まで上り大成したものは、この村では前代未聞で凱旋の度、地元の歓迎ぶりは英雄扱いだった。だが、支那事変では惨敗し、地位も剥奪されると、軍人年金も止められ帰郷するにも金の工面と対面的なことで苦渋を虐げられ、昔の晴れがましい凱旋帰郷とはいかなかった。また、老人になると、いつまでも支那事変等で多くの部下の犠牲者を出し、自分の勲章とその生き様が辛くのしかかっていた。母の残した言葉「手柄を立てんでもいいから、生きて帰ってきておくれ、勲章などもらえんでもいいぞ。お母さんはな、お前が軍人になるのを許したことを後悔してならん」
  • 「殉愛」日本人の画家がフランス人女性と結婚し、日本で間借りをしながら暮らすことになる。その暮らしぶりを観察模写した小説。 
  • 「座棺」祖母の生前の生活ぶり方、無くなったとの湯灌、座棺への納棺、火葬場での様子などを描いた小説。中でも叔母と祖母との姑問題などが集まった兄弟で昔懐かしく話している。