@撮影が完全に許された歴史博物館「川越歴史博物館」は、安土・桃山・江戸初期に使われた遺品・道具など素晴らしい武家コレクションの博物館だ。川越城主(鎧・刀)・奥方(かんざし・香炉など)の品々始め全国からのコレクションもあり観る者を圧倒させる。織田信長の鎧、伊達政宗の鎧、奥方の鎧、忍者の様々な道具、武器、奉行所の時代別十手、手・足枷鎖など今まで見たことのない品々が陳列されている。他の博物館で戦国時代の武器、鎧、刀を観るよりここの品々はほぼ完璧な状態で保存展示されていることに驚く。今回館長のご好意で本物の武士の刀、江戸初期の火縄銃を実際持たせてもらった。館内にはその他「韋駄天」僧(NHKのドラマにある「いだてん」の元祖)、その他川越城の炎上絵・名宝小物など数百点もあるがここでは数点の写真をのせた。 日本ももっと広く「撮影許可」をするべき時代と感じて欲しい。
@川越・喜多院内にある五百羅漢1782年〜1825年、50年間に渡り建立されたと言う533尊者が鎮座している。その中でも何となく現代でもありそうなおだやかで、なんとなくうなずけそうな面白いポーズ像を撮ってみた。昔も今も人の仕草は変わらない。(東京目黒にある五百羅漢寺は屋内で撮影が不可となっている)
@人の「縁」とは不思議な世界をもたらす。この江戸時代初期、関ヶ原の戦いで敗戦した武将筑後柳川の立花宗茂もその不思議な「縁」と「立花の義」から生き延びた武将である。敗者で故郷を追われた身でありながら、「義」を貫き徳川3代将軍に仕えた最強の守りの武将となった。それは「人を裏切らない忠義」であり、亡き妻との約束を果たすべく苦労した結果、遠縁ではあったが妻の救った姫と最後に夫婦になる事であった。 人の出会い、様々な機会をどのように大切にし、生かしていくかはこの小説を読むとどこかに「縁」(繋がり)があることを悟らせるのは不思議だ。 平和・泰平の世が続くとどうしても権力者が貪欲になり国民を蔑ろにするようになる。人は時間が経つと満足の度合いを忘れてしまう。
『無双の花』葉室麟
- 筑後柳川の立花宗茂は、秀吉の九州攻めで勇名を馳せ、関ヶ原で西軍に属して改易となり、のち旧領に戻れた唯1人の武将である
- この小説は「西国無双」と言われた立花宗茂の波乱万丈の人生を生き抜いた戦国時代の物語である。朝鮮派兵、九州での戦乱から関ヶ原、大坂夏の陣をへて徳川家光(3代将軍)の側役として、武士の律儀と義を貫き、妻、誾千代との心ずくしが語られている。
- 「立花の義とは」決して裏ぎらない忠心を守ること。 そのことで関ヶ原の戦いの後徳川家康から時間がかかったが重用され、徳川の安泰を守る主と信頼された。
- 「真田の義とは」生き抜く事 義を貫き最後まで戦い続ける事(真田信繁)、「ただ生きているだけでは生きている心地がせぬ。生きた証として武名を遺したい」
- 宗茂の家臣、雪下は「生きて戻れるとわかっている戦いがあるのなら教えていただきたいものじゃ」(生きて戻れると思って戦いに赴いたことはない)
- 妻、誾千代の勝負の思い「武門に勝負はつきもの。負けた時にどう生きるかが何より大事じゃ」「必ずや返り咲いて、誰にも負けぬ無双の花を咲かせてくだりませ」
- 真田信繁と立花宗茂は双方とも戦いで何もかも失う身となる似通った武将であったが、真田は武門の勝負をとことん追求、最後まで戦い続け、宗茂は徳川家康・秀忠・家光への信頼を強固に戦いのない平和を貫く努力をした。 大坂夏の陣後、信繁の子を伊達政宗に口添えした宗茂であった。
- 妻、誾千代は宗茂を想う気持ちは最後まで添っていたが虚しく一人病死、その時に京都から一人の公家の姫を盗賊から救った。その姫が立花が旧領土柳川への領主として凱旋、後世にはその姫を妻にすることになる。(家康の死から4年後) 妻、誾千代との約束は「大名に返り咲き、凱旋する」は守れたが妻は既に亡く、代わりに助けた姫がその意志を持って嫁いで来た。「女子は大切に思う方が戻ってきてくださるのが何よりも嬉しいのでございます」
- 徳川家康が秀忠を跡継ぎにした理由は「秀忠が無用の戦いをせぬ男」(戦いが下手だから)だった。また、家康は立花の義を重んじ立花宗茂に秀忠の傍を離れるなと厳命した。
- 凱旋後、島原の乱が勃発してさいの宗茂の「戦国の世なれば、領民に背かれては大名は立ち行きできませぬ。それゆえ領民に心配りをいたしました。 されど泰平の世となり、油断が生じて気が緩みますれば、己の力を誇りて民を慈しむことを忘れまする」