柴田典子の終活ブログ「エンディングノート知恵袋」

エンディングデザインコンサルタント柴田典子のブログ。
葬儀に関わらず「賢い老い支度」として終活全般のお話もしています。

お墓でおしゃべりしましょう!

2013年09月22日 | 
8月23日にNHKで「亡き人との再会 ~被災地 三度目の夏に」という
番組があったそうです

私は見ていませんが、先日、その番組の記事を見つけました。

東日本大震災の被災地で
「亡くなった人が家族に会いに来る」という話が
有るそうです。


津波にのまれて義母の手が離れ、水中に沈んでいった義母の顔が忘れられない女性は
明け方、穏やかな顔で現れた義母を見たそうです

父親の遺体を2週間後に見つけた女性は、遺体の傷みがひどくて
触ることが許されなかった時、父親の胸に置かれた白い花に目が留まったそうです

一週間後に鍵付の靴箱からブーツを取り出し、はこうとしたら
ブーツの中に白い花が一輪あったそうです

又9月20日のNHKでは谷中霊園に来ているお墓参りの人達を取材した番組がありました

皆、墓参りをしながら話しかけているんです
「元気でね、気を付けてね」
「お父さん、お待たせ」
「有難う、見守ってください」
「淋しかったでしょう」
「孫を見せてあげたかった」
「何もしてあげられなくてごめん」

長年、お墓のスケッチをしている男性がいます
この方が最後に言った言葉です

「お墓っていうと暗い感じがするけど、明るいんだよ
 あの世と、この世の人がここで会話できるんだもの」


死んだら無、というのとちょっと違う気がします

そうそう、今はお彼岸ですね
明日は墓参りしてきます

映画「エンディングノート」を見ました

2012年10月18日 | 
営業畑で40年過ごした男性が
退職して受けた検診で癌が見つかり
余命の中で、人生最後のプロジェクトを企画する

自分の死を段どる、それを娘がカメラに納めた映画が
「エンディングノート」です

67才の死は、想像しただけでも重い題材ですが
見終わって素直に「いい映画だった」「見てよかった」
と、思いましたし
変ないい方ですが「楽しい映画」でした

ステージ4の癌が発見され
死の可能性を感じた途端に、死のマニュアル作り
「エンディングノート」の作成を始めたお父さん

カラッと見せているけど
真剣で全てに気遣いをし、なおかつ明るくてユーモアがある

この家族の関係が素敵だし
決して特別ではないけど
良くありのままを見せてくれたと、感激してしまいます。

今世に出ているエンディングノートの項目を追っているのではなく
この男性と家族の生き方を、閉じ方を、見せてくれています
こんな風に死を迎えられたら、いいなーと思いました


私が説明するより絶対に見た方がいいです


どこかで上映していたら、迷わず見てください


親を送るって、当たり前だけど辛いですね

2012年10月07日 | 
いくつになっても、親を亡くすことは悲しいことです

先日、親友が母親を亡くしました

そんな気配は何もなかったそうです
『お腹が痛い、いつもと違う』そう言って病院へ行き
その2日後に亡くなったのです

見舞いに行ってから1週間で全てを終えて帰ってきたそうです
私の処に来たのは、その後でした

ちょっと聞いてもらいたいことがある・・・
尋ねてきたときには、またご主人とケンカしたかな?
と思って、迎えましたが
第一声が「母が死んでしまった・・・」でした

ここに来たら、聞いてもらえる
メールでなんかで言えなかった
自分の気持ちが受けきれない

今までも悲しい事がいっぱいあった親友です

必死で母親を送り出した親友を私は何度も何度も褒めました


「若くしても未亡人になって、母もずっと辛い人生だった
 それでも、いつも人の為に尽くすのが嬉しい人で
 いい加減に辞めればいのに、って聞くたびに思っていた」

その親友が母親の安置された部屋で見聞きしたのは
近所の人や友人たちが
慌てて駆けつけてくれて
母親の体を抱きながら、泣いてくれた姿だったそうです

自分があきれていた母は、こんなにも周りの人に慕われていたのだ、と
気が付いたのだそうです

その他にも多くの人達の愛を感じて帰ってきたと言います

これからしばらくの間
親友の涙を見ることでしょう

私は、ただ聞くことしかできません



そして先日、もう一人の方から、突然電話がありました
以前にお母様を送らせていただいた方からです

今、お父様が危篤です

前から柴田さんに助けてもらおうと思っていた、と言われました
もう私は葬儀社ではありませんが
それを承知で、電話をくれた人です
私でよければ、力を貸します

この方も今、心配な日々を過ごしていると思います

親はいずれ死ぬ、と解っていても
「理屈」と「心」は違います


自分の死を考える集い、にいきました

2012年08月24日 | 
三鷹の「自分の死を考える集い」に行ってきました
前回は「大往生したけりゃ医療とかかわるな」の著者、中村仁一氏の講演でした

今回は、主催されている醤野良子さんの講演でした
「父の死 親の住まいをかたづけて」です

親を自然のまま見送る体験を話されました
夜中に心筋梗塞で倒れたお父様は救急病院に担ぎ込まれ
ペースメーカーの手術が必要と言われたそうです
これを拒否し
また、治療的な見解から人工呼吸器をつける、と言われたのも拒否

醤野さんは看護士でケアマネージャをされています
その体験上から、
「おしっこが出なくなったら、後数時間・・」と解っていたので
その状態になった時に、お父様の点滴を外してほしい、と頼んだそうです

いよいよ、その時が来た、と思ったそうです


駆けつけた妹さんと、介護施設から連れてきたお母様と
それぞれの家族が集まる中
妹さんの「もう頑張らなくていいよ」との声掛けに
意識のないお父様の両目からすーと、涙が流れて
息を引き取ったそうです



醤野さんは、実際に介護される患者さんの身になって
介護状態の体験をしたそうです
そして、この日もその状態を再現してくれました

施設では脳梗塞などで手にマヒが残る患者さんが大勢います
紙おむつをして片手が動けない状態を作り
呑み込みの悪い患者さんが付ける鼻から栄養を直接胃に入れる
チューブを実際に鼻から挿入させます
その長さは50センチ以上です

そしてチューブを嫌がる人が多いため
利き手をベッドに縛り付けます

この状態を何時間か体験するのだそうですが
3時間くらいで音をあげたそうです

紙おむつにおしっこをすることの難しさ
出そうと思っても出ないそうです

トイレでおしっこをすることは
人間の尊厳なのですね

身動きできない辛さ
食欲があるとなかろうと
定期的に流される流動食

介護される身は、決して楽ではない
是非、家族の人達に、一度体験してほしい、と
話してくれました


どの時点で、治療(?)や介護を止めるのか・・・
難しい判断ですが
欧米の高齢者には「胃ろう」は見られない状況で
これは日本独特の治療法だそうです

また、本人が自力で食べられるように調理を工夫して出すが
本人が手を出さなければ、食事は下げてしまうのが欧米では
当たり前のようです

考えさせられますね・・・




お迎え現象

2012年07月08日 | 
宮城県の緩和ケア医師、岡部健医師のグループが
患者遺族へのアンケート調査で「お迎え現象」を調査しました

死に臨んで、すでに亡くなっている人物や
通常見ることができない事物を見る「お迎え」現象を
2000年から3度にわたって調査した結果42.3%の人が
「そういうことがあった」と答えたそうです

岡部医師によると「お迎え現象」があると1,2週間で旅立つことが多いそうで
やはりお迎えはナチュラル・ダイイング・プロセスにおけるワンステップなのではないかと
といわれています

「お迎え現象」を体験した場所は「自宅」が87.1%
「一般病院」は5.2%にとどまるそうです

見えたものは
すでに亡くなった家族や知り合いが、52.9%
その他の人物が、を体験した34.2%
その他にはお花畑、仏、光、川などが10%以下で続きます

「お迎え現象」を体験した故人の様子は
普段通りだったが、40%
不安そうだったが、9%
悲しそうだったが15.5%
落ち着いたようだが、14.8%
安心したようだが、10.3%

「お迎え現象」の体験に対する遺族の感じ方は
故人に死が近いと思ったが、47.7%
幻覚だと思ったが、40%
悲しかったが、30.3%
驚いたが、28.4%
不安になったが、28.4%
死後の世界に思いをはせたが14.2%



死期が近づくと脱水症状になって、脳循環の機能が低下した結果
ある種の〝幻覚″として「お迎え」を体験するようになっているのかもしれない
と、岡部医師は指摘しますが
しかし、お迎えがせん妄や幻覚によるものと論じるよりも
「お迎え」体験をした患者が、ほぼ例外なく穏やかな最後を迎えることに着目しています


「お迎え」は日本独自の現象ではなく、精神科医で臨死体験にまつわる研究で有名な
エリザベス・キュープラー・ロスは『死の瞬間と死後の生』の中で
≪死ぬ時は一人ではないという二つ目の理由は、必ず先に死んだ人、それも私たちが愛した人、
その他私たちの人生において大事だった人たちが出迎えてくれるからです≫と記しています

つまりキリスト圏でも、お迎えに来るのはキリストではなく、亡くなった家族や知人だそうで
それは宗教ではなく、人間の根源が生み出すようだ。と岡部医師は言っています

自宅で死ぬのが当たり前の時代は、故人の周りに親戚が集まり、夜通しで故人について語りあかし
「お迎え」の話も自然に語られた
やがて病院での死亡、葬儀社による葬儀がの時代になり「お迎え」は特殊な出来事になった

病院から在宅での介護が増えてくると、患者を最後に看取るのは家族になる
その中で
亡くなる過程を受け止められない家族は「お迎え現象」を受け入れられずに
死が迫った時に病院へ搬送してしまい、自宅での死を迎えることができなくなる

岡部医師は、
最後の日が近づく中で
その人の深層意識の中にある宗教性に触れずにケアすることは不可能に近い
ところが「日本では緩和医療学会のスピリチュアルケアに宗教的ケアを入れていない」
これが終末期を難しくしていると、言い

既存の宗教を信じていないだけで、お盆に帰省し墓参りを欠かさないように、
祖霊神を信じている日本人は沢山いる
岡部医師は、こうした祖霊神信仰に基づいたケアプログラムを、終末期医療に取り入れるべきだ、と

これを無視すれば「死にゆく道しるべ」を持たない団塊の世代が大量死する時代になった時
在宅地獄になるだろうと、警告をし
すでにその兆候は表れていると訴えています



以上が文芸春秋7月号の 「大特集 尊厳ある死」の中に
 死の床で見える「お迎え現象」調査報告
として掲載されました
一部ですが、抜粋してご紹介しました



私の叔母も、父も「お迎えの体験」をしています
それは死の間近というより、数か月前でした
それを聞いた私が「そう遠くない死」を感じたのは事実です
そして、なんとなく心の準備に入ったのを覚えています






尊厳ある死

2012年07月05日 | 
文芸春秋7月号に「尊厳ある死」という特集が組まれました

その中の記事は大変に興味ある物ばかりでした

カリスマ看取り医として
東京大学名誉教授の大井玄先生
芦花ホーム医の石飛幸三先生
同和園医師の中村仁一先生
の三氏が「自然な死」の対談をしています

抜粋ですが・・・ご紹介します

長年、一秒でも長く生かすことだけを考えている医者だったが
老人ホームの医者になりショックを覚えた
そこにいたのは胃ろうや経鼻胃管を付けて
ムンクの叫びのように手足を硬直させ
口を半分開けたお年寄りだった
平均年齢90歳、痴呆症が9割
自分たちが治してきたと思っていた患者さんたちは
こうして最期を迎えようとしているのか、という思いでした


私が多くの自然死を看取る中で経験したのは
人間には安らかに死ぬための仕組みが本来、備わっているという事です
寝たきりの患者で体がむくんでいることはよくあります
つまり栄養が偏って中途半端に溜まっているんです
それが、ものが口から入らなくなって一週間から十日すると
全部むくみが引いていく
末期がんで腹水がたまっていた患者も、きれいにペッシャンコになる
全部使い果たして枯れるように死んでいく

みなさんに是非、知っておいてもらいたいことは
自然の死というものは苦しくないとういうことです
ご家族もそれを一番心配するのですが、私の経験上、自然死で
苦痛を訴える患者はほとんどいなかったですね

認知症も暗い嫌なイメージばかりですが
痛みの緩和という点では、プラスの面もあり癌などの傷みがなくなる
認知症も典型的な老衰の一形態ですから
自然に苦痛なく死を迎えられるように、人間はできているとしか思えない

ただ終末期になると、どうしても呼吸が苦しそうに見えるんです
だから病院ではすぐに酸素吸入器を付けてしまう
しかしそれは自然に息を引き取る前に、誰でも起きることで苦しいわけではない
それを前もって家族に伝えておくのも必要です

自然な死を妨げているのは、日本人が死というものから目をそらしているからだと思う
家族は身内に死が迫っていることをなかなか認められず
医療にすがれば何とかなる、と思いたがっている

もう一つ、自然な看取りができない原因の一つが「遠くの親戚現象」がある
患者さんをお世話をしていると、家族も医者も最期の看取りの時期が解ってくる
ところが、介護に携わっていない身内がやってきて
「何で病院に入れないんだ、見殺しにする気か」と言い出す
しばしば彼らの言い分が通ってしまう

死に向けての看取りだ、という線をどこで引いたらいいのか?

結局、体に気持ちを合わせたら、もっと楽に生きられるはず
体は立派に衰えているのに、気持ちは置き去りにされ体についていっていない
社会全体が若さや健康を強要している

我々、年寄の医者が勇気を出して「何もしないのも医者の仕事だ 
人間の自然で平穏な最後の過ごし方なんだ」と言わなければならない
それは、病気を治すことに匹敵するくらい、需要な医師の仕事になってくると思う

死んでいく人は、その死にざまによって、看取っている人たちに
自分の人生とはなんだったのか、を教えるんですね
そして看取った人たちは、また次の人に伝えていく「看取りの文化」なんです

うちも他の老人ホーム同様、病気になったらみんな病院に送り、最後は病院で迎えていた
そのころは介護士も挫折感があるのかどんどん辞めていった
看取りをするとガラッと変わる
最期を看取った時に「有難うございました」という言葉が出るようになる

そうそう、患者が医師やスタッフを育てるんですね

最後に一言いっておきたいのは、日本の介護は非常にレベルが高い
ケアの質が高い
その良さを生かしながら、より良き死を迎えられる体制つくりが必要になってくる



今日はとても長くなってしまいましたが
先月発売の本だったので、どうしてもご紹介したいと
思いました

実はまだ他にも興味ある特集が載っていました
また続きを書きます

「死亡場所は自宅を希望」が8割

2012年07月02日 | 
新聞に余命が限られた場合「自宅で過ごしたい」と
希望する人は81.4%に達する、という記事が載っていました
これは60年前の人びとの希望と変わりません

しかし「自宅で過ごしたいが、実現は難しい」と考える人が63.1%
「自宅で過ごしたいし、実現可能だ」と思っている人が18・3%です

実際には、自宅で死を迎える人は2010年で12.6%に過ぎず
80%の人が病院で亡くなります


オランダでは
病院での死亡が35.3%
ケア付き住宅での死亡が32.5%
自宅での死亡が31% です

フランスでは
病院での死亡が58.1%
ケア付き住宅での死亡が10.8%
自宅での死亡が24.2% です

核家族が多い外国での、この数値は驚きです


日本で病院死亡が多いのは、在宅医療と介護の体制、と
住宅の質が整っていないのが大きな理由と書かれています

ケア付き住宅も、数が足りず、満足な入居はできません


街にある一般診療所の12.5%が在宅療養支援診療所の届け出をしているそうです
しかしこれらの診療所の47%しか、自宅での死亡を看取っていません

自宅にいても危険な状態になると病院へ搬送され、結局病院で亡くなるケースも多いようです

そういえば、以前に色々な講演会で
最近の医者は「看取りに慣れていず、危なくなるとすぐ病院に運ぶ」とか
「在宅医療を医者は好まず、患者は医師の元へ来るものと思っている」
等と聞いた覚えがあります

在宅で診療していても最期の段階で病院に運ばれ
結果的に病院で亡くなるケースにも
在宅医療報酬を支払い
また在宅支援以外の一般の診療所が看取りを行った際にも
報酬を高くする仕組みに改定したとか

いずれも街の開業医に
看取りを積極的に関与してほしい狙いだそうです 



私の父の訪問診療をして下さった医師は
気軽に往信をして下さり
父が倒れて救急車が来た時も
いち早く、駆けつけてくれて、一緒に救急車へ乗り込んで
病院まで付き添ってくれました

その時に動揺する母は自宅待機でしたが
看護士さんに母のそばにいるよう配慮してくださいました

こんな先生は、稀なのでしょうか?


在宅介護への流れを国は求めていますが
自宅に安心していられる状況になるのでしょうか?


自分の死を考える集い

2012年04月22日 | 
三鷹で「自分の死を考える集い」がありました

そこは
「大往生したけりゃ医療と関わるな」の著者、中村仁一先生が
主催されている京都の「自分の死を考える集い」の東京支部です

自分の死に方を自分で決めていく
無駄な延命処置は必要ない
もっと自然に死んでいけばいいのだ

そんな話し合いをしている会です

三鷹の主催者は醤野良子さんという方で
看護師で介護支援専門員をされています

その集いで、今日は「後悔しないお葬式」の話をしてきました

65名の参加者の前で話す事ができるのは貴重な時間です

家族葬でいい、直葬でもいい
葬儀は簡単でいい、

そう考えている人が多い中で、葬儀の意味や
家族以外の人が故人に向ける想い等を
理解していただく場が与えられ得るのは、うれしいことです

そして、醤野さんからのたっての希望で
私の父を送った話をしました

脳死状態で2週間を過ごし
やっと逝けた父の話です

そして父をエンバーミングして
沢山の方々と別れの場を作った葬儀の話をしてきました

色々な反応がありました

参加して下さった方が
選択するのはどうであれ
多くの情報を得て帰って下さったのは、間違いがありません


そうそう、参加者の中に
女優の黒田福美さんも来られていました
とっても綺麗な方でした

この会では
6月24日に
中村仁一先生が講演に来られます

私の是非、参加しようと思います

目からうろこが落ちます、この本お薦めです

2012年03月06日 | 


「大往生したけりゃ 医療とかかわるな」
 ~「自然死」のすすめ~

著者  中村仁一
出版社 幻冬舎
定価  760円(税別)


中村仁一先生は京都の特別養護老人ホームの医師をされています
70歳代で現役の臨床医です
12年間に、自然死を数百例も見守ってこられました

その結果
「もし、高齢で癌になったら、一切の治療は行うな
そうすれば、まったく痛まず、穏やかに死んでいける」
「死ぬのは癌に限る」という持論に達しました

中村先生は高齢者の癌の自然死(治療は行わず、注射も点滴もしない)を
60~70例経験し『苦しまない死』の確信を得ています



以前、一度ですが中村仁一先生の講演を聞いたことがあります
長野県のご出身だそうですが
どう見ても、江戸っ子のような子気味のいい語り口です

その口調と言い分にほれぼれした記憶があります

人が老いてくことはごく自然で止めようがない
当然体にも故障が起きる
それが当たり前、と言う訳で

目次をみると

第一章 医療が“穏やかな死”を邪魔している
第二章 「できるだけの手を尽くす」は「できるだけ苦しめる」
第三章 ガンは完全放置すれば痛まない
第四章 自分の死について考えると生き方が変わる
第五章 「健康」には振り回されず、「死」には妙にあらがわず、医療は限定利用を心がける

延命治療が問題視され
尊厳死宣言を多くの人がしたいと思っています

先日新聞の大きな広告で
この本が出版され、大変な売れ行きと、知りました

早速買わなければ、と思った途端に
ある方からこの本が送られてきました
しかもそこには中村先生の一文が添えられており
「人生最後の作品としては、ほぼ満足のいく出来栄えになったかな」
と、思っています・・・
と書かれていました


目からうろこが落ちます
是非、この本をご覧になってみてください

義母が逝きました

2011年10月25日 | 
明け方入院した義母の病院に
主人が薬を届けに行き
帰宅すると同時に、病院から電話が入り
話があるからすぐ来てくれ、と言われ
急いで駆け付けると
検査結果が思ったより悪く、余談を許さない
と言われ、ひとまず帰ろうとした矢先に
携帯電話が鳴り
すぐ病室に戻れと言われ
あわてて戻ったら
義母は亡くなっていました

直前まで息子たちと孫、そして妹夫婦に
囲まれていたのに
その10分後に一人で亡くなりました

あっけにとられています
兄と主人とどう送るべきか話し合い
葬儀の準備をします

その前に
明日、福岡へ日帰りに変更して
出かけてきます

「人は死なない」を読みました

2011年10月16日 | 
前回の本の紹介は「死んだら終わりではなかった」でしたが
今回は「人は死なない」です
この本は新聞広告に載っていましたので、ご存知の方も多いかと思います

著者は矢作直樹氏で東京大学医学部附属病院救急部部長・集中治療部部長をされています

お医者様ですが、死後に霊が存在するのを確信されています
ご自身に、いくつかの体験がありますが、霊体に関わる多くの本を読まれ
また宗教書にも大変詳しい方です

この本の中で、葬儀社の事も書かれています
独居のお母様が入浴中に発作を起こされ亡くなっています
お体の傷みが激しく、一番故人の扱いにやさしい葬儀社を選ばれた、そうです
救急救命の集中治療室で亡くなった患者さんを見送る経験があり
いろいろな葬儀社の対応の違いを感じていらしたのかもしれませんね
さらに、葬儀社の仕事内容についても
大変な仕事であり、自分たちはささえられている、と書かれています
先生のお人柄に感激です

死を扱った本は良く見る機会がありますが
葬儀社をこのように表現された本は、初めて見ました

科学的な検証がなければ、全否定される学者が多い中
死後の霊体の存在を言われるのは、大変な勇気ではないでしょうか

また東大の救急救命の存在に
多くの医師が非協力的だった状況から
率先して治療に参加するまでの矢作先生の
想いや努力も、知る事ができ
ご本人の生い立ちや趣味にも興味深く読みました

面白かったです

子供に教えたい人の死

2010年03月29日 | 
近年、直葬が流行っている。色々な理由があるのは解るが
私は葬儀はすべきだと考える。
先日、祖父は親戚や親しい人の参列を受け葬儀をした。
祖父はさぞかし喜んでいたと思う。
その葬儀を通して「死とは消えて無くなることではなく
旅立ちだ」と感じた。
そう捉えることで残された者は故人の死を受け入れ
いつもの生活に戻ることが出来る。
その手段として葬儀は欠かせないものと考える

今日の新聞に投稿された20歳の女子大生の記事です。

葬儀からこんな感じを得る事は
きっと、形式を追う葬儀ではなかったのだと思います。
おじいさんを惜しむ人の姿がはっきり見えたのでしょう。
悲しみながらもおじいさんの姿が変わっていく過程を
見つめたのでしょう。

最近では、近所のお葬式に子供を連れて行く姿が見られなくなりました。
子供たちが葬式に出るのはごく一部の親戚の葬儀だけでしょう。

葬式を知らない子供が増えています。
以前、地元の中学生が職場見学で葬儀社に来たことが有ります。
そのときに気がついたのですが
葬式に遺体があることを子供たちは知りませんでした。
祭壇があって皆が写真に向ってお参りをする所だと思っていたようです。

これでは、人が死ぬことを想像することも困難でしょう。
死んだという実感は持てないでしょうね。

近所のお葬式は子供に死を教えるいい機会です。
でも、今の葬式では会葬に行って、故人を見る場面は
告別式の出棺前しかありません。

前に読んだ本に、小さい子供を残して死んだ父親は
自分の死を子供の友達に体験させようとある試みを家族に託したそうです。
牧師の協力の下、子供たちを葬式に招待して人が死ぬことを説明したそうです。
そして嫌でなければ遺体の側に行き身体を触ってもかまわない。
どんなことを聞いても構わないと子供たちに話したそうです。
子供たちはとても真剣にこの体験をしたそうです。

今、いとも簡単に人を死に追いやる世の中になってしまいました。
特に子供たちは人を傷つけることをなんとも思っていないような
悲惨なニュースを目にします。
いいえ、子供たちだけではなく大人も同じですね。

赤ちゃんが生まれて来るところを子供が見て
お母さんや赤ちゃんを思う気持ちが変わるように
身の周りのお年寄りが亡くなるのを見つめ
人がやがて死んでいくことやその時に周りの人がとても悲しむことを
教える事も大切なことだと思います。

死ぬ時に後悔する25のこと

2009年11月17日 | 
昨夜のTV「エチカの鏡}と言う番組を見ましたか?

「死ぬ時に後悔する25のこと」 を紹介していました。

<真っ先に後悔すること>
1 健康を大切にしなかったこと
2 遺産をどうするかを決めなかったこと
3 夢をかなえられなかったこと(夢をかなえるために全力を尽くさなかったこと)
4 故郷に帰らなかったこと(墓参りをしなかったこと)

<しておけばよかったと後悔すること>
5 行きたい場所に旅行しなかったこと
6 美味しいものを食べておかなかったこと
7 趣味に時間を割かなかったこと
8 会いたい人に会わなかったこと
9 自分の葬儀を考えなかったこと
10 やりたいことをやらなかったこと(人の為に時間をかけ自分の為にしなかった)
11 他人に優しくしなかったこと(人の為に生きてくれば良かった)
12 心に残る恋愛をしなかったこと
13 結婚をしなかったこと
14 子供を産み育てなかったこと
15 子供を結婚させなかったこと

<しなければ良かったと後悔すること>
16 悪事に手を染めたこと
17 たばこを止めなかったこと
18 感情に振り回された一生を過ごしたこと(些細なことでイライラしたこと)
19 自分が一番と信じて疑わなかったこと(人の言うことを聞かなかった)

<自分の死と向き合った時に後悔すること>
20 死を不幸だと思ってしまったこと
21 神仏の教えを知らなかったこと
22 生前の意思を示さなかったこと(延命治療、感謝を云えなかった)
23 残された時間を大切に過ごさなかったこと(治療に専念し家族との時間を作らなかった)
24 自分の生きた証を残さなかったこと(自伝や俳句や絵画や家族への手紙)

<最後に>
25 愛する人に「ありがとう」と伝えなかったこと


これを書いたのは
終末期医療の専門医師・大津秀一さんです。

この方は33歳と言う若さですが
1000人以上の看取りをされ
その中で見聞きしたことを記しています。

死を間近に感じた時
人はこんな気持ちになるのですね。

私も今、死が迫ってきたら
この中のいくつかは思い当たります。
悔いが残らぬ様に
今からでも実行できるかな?
やっぱり難しい・・・

ガンは痛くない、と教わりました

2009年03月27日 | 
母が先月まで入院していたが、食事ができず
毎日、点滴を受けていました。

それと同じ点滴液をこの前、ご馳走になりました?

「飲んで、美味しいですか?
ポカリスエットを何倍にも薄めたような味でしょう」

『自分の死を考える集い』を主催されている中村仁一先生の講演先でのことです。

先生は医師で、老人ホームで診療所長をされています。

その中で話されたことです。

老人が老化してくると、当然身体にもガタがくる。
だから故障して、病気になって死んでいく。
年老いてガンになるのも老化をしたから。

もう生殖期が終われば、役目も終わり。
いつ死んでも良いのです。
だから、ガンと戦ってはいけない。
がん治療はがん細胞をやっつけるだけでなく
身体全部をいためつける。
その上、ガンは仲間を殺された仇・・とばかりに
どんどん強くなる。
人は、ガンで死ぬのではない。
ガン治療の結果で死ぬ人がほとんど。
老人にガンが見つかったら、治療は一切拒否すると
痛みは出てこない。
ガンが痛い!と思っている人が多いが
わたしのホームではがん治療は一切しないが
全員が痛みもなく、安らかに死んでいく。
その上、死の直前まで意識はハッキリしている。
無理に点滴もしない。
死が近づくと自然に食べれなくなる。
点滴なんて、大した栄養がある訳ではない。
点滴で水分を多くとると
痰が出やすくなる。
吸引機で痰を取り出しているが
あれは死ぬほどの苦しみ。
今の医者は、ガンの自然死をみていない。
ガンは治療するのが当たり前になっている。
『自分の死を考える集い』に参加した人は
79歳で肺ガンが見つかった。
医者から80歳なら手術はしないが79歳だからやりましょう!と言われ
その1歳の差が納得いかないと、『自分の死を考える集い』に参加された。
話を聞いて、治療拒否を実践された。
そして85歳でなくなったが84歳まで卓球をしていたそうだ。
ガンはぎりぎりまで普通の生活が送れる。
だんだん体力が落ちてきた時
近所の医者に初めて診てもらった。
但し治療拒否は貫いた。
医師はガンの数値に驚き、慌てたそうだ。
しかし本人の強い意志のお陰で、この医者は
がん患者の自然死を見ることが出来
その安らかさに、驚いた。
歳をとり、最後に近づくと食が細ったり飲み込みが悪くなる
胃ろうや、鼻からのチューブ栄養は
死にゆく年寄りを痛めつけるだけ・・・


この他にも、色々なお話を聴かせて頂きました。
確かに、母のいた、病室では80歳前後の老人が8名
殆どが寝たきりで点滴をしてました。
そして、定期的に痰の吸引をしてました。
そのときのうめき声は本当に辛そうでした。
でも側に居る家族は「痰が切れて、楽になった」と思い込んでいます。

母の入院時に先生から
「決してよくない状態なので、もしもの時に呼吸器をつけるかどうか
家族で決めてください」と言われました。
そのとき「本人にとっては、呼吸器はとても苦しいものです」と
いわれました。
母が高齢だった為のアドバイスだとわたし達は感謝しました。
そして呼吸器はお断りしています。

おかげさまで、無事に退院し、そんな心配もなくなりなした。

わたし達は今まで、せめて1時間、1分でも長生きさせることが
家族の務めみたいに思ってきましたが
老化を受け入れ痛みだけをとるために医学の力を借りて
自然に死を受け入れたほうが良いような気がしてきました。

ここにも「おくりびと」の記事が

2009年03月05日 | 
SOGIという業界紙があります。

葬儀関係者なら誰でも知っている本です。

私もこの本から、沢山のものを学んできました。
まさに葬儀の世界を変えてきた本だと思います。

その本に青木新門氏の記事が載っています。
モックンが『おくりびと』を撮るきっかけになったという
「納棺夫日記」の著者です。

モックンが15年前にインドの旅を本にする時
「納棺夫日記」の一文を引用させて欲しいと連絡があったそうです。

インドのべレナスという場所はヒンズー教の聖地で
誰もがここで荼毘に付され、ガンジス川に流されるのを願うそうです。

ここには死者の家があり、死が近づくと
人はこの家に移され、親戚や友人が別れをしに集まってくるそうです。
「死が当たり前のように町中に存在し、人々はあっさりと
この世からあの世へ行くのだ」・・・と誰かが語っていた処です。

その川の岸辺でおくりびを手にしたモックンの写真に
その一文は添えられていました。


・・・・何も蛆の掃除までしなくてもいいのだが、ここで葬式を出すことに
なるかもしれないと、蛆を掃き集めていた。蛆を掃き集めているうちに、一匹一匹の蛆が鮮明に見えてきた。そして蛆たちが捕まるまいと必死に逃げているのが見えた。柱によじ登っているのまでいる。蛆も生命なのだ。そう思うと蛆が光って見えた・・・・


この文章を引用したモックンの感性に青木氏驚きを覚えたと書いている。

そして15年後に『おくりびと』刃作られたそうです。


インドは一度訪れると、はまる人が多いと聞きました。
きっと蛆も光れる国なのですね。