母の老人ホーム暮らしが始まって1年半がたちました。
母には長年お付合いのある友人が沢山いましたが
年と共に欠けていき
自宅を離れるときにはほんの数人になりました。
ホームから時折電話で話すことしかできなくなりましたが
お互いの不自由を棚に上げ「遊びに来てね」「行くわ」の会話が続いていました。
その方たちが、秋に1人。つい先月1人。
ご家族から亡くなった知らせが届きました。
このご時世に、訃報を知らせてくださったご家族に感謝しました。
長年、母が親しくしていただいた方の葬儀は子供としても無視できません。
周囲には「ショックを受けるから知らせない方が・・・」という声もありましたが
きちんと伝えることにしました。
母からは「私は行けないから代わりに行ってお香典を届けてね」という返事でした。
私は必ず葬式の様子や遺影写真を撮って母に見せます。
物忘れが激しくなった母からは
「あの方、亡くなっていないよね」とよく聞かれますが
その度に、写真を見せています。
母にとって「死」は縁起が悪いことでも、遠い世界のことでもないようです。
私も母との別れは「明日かもしれない」と覚悟しています。
人としてこの世に生まれれば「死は当り前の出来事」で
「寂しい」けれど「不幸なこと」ではありません。
母には長年お付合いのある友人が沢山いましたが
年と共に欠けていき
自宅を離れるときにはほんの数人になりました。
ホームから時折電話で話すことしかできなくなりましたが
お互いの不自由を棚に上げ「遊びに来てね」「行くわ」の会話が続いていました。
その方たちが、秋に1人。つい先月1人。
ご家族から亡くなった知らせが届きました。
このご時世に、訃報を知らせてくださったご家族に感謝しました。
長年、母が親しくしていただいた方の葬儀は子供としても無視できません。
周囲には「ショックを受けるから知らせない方が・・・」という声もありましたが
きちんと伝えることにしました。
母からは「私は行けないから代わりに行ってお香典を届けてね」という返事でした。
私は必ず葬式の様子や遺影写真を撮って母に見せます。
物忘れが激しくなった母からは
「あの方、亡くなっていないよね」とよく聞かれますが
その度に、写真を見せています。
母にとって「死」は縁起が悪いことでも、遠い世界のことでもないようです。
私も母との別れは「明日かもしれない」と覚悟しています。
人としてこの世に生まれれば「死は当り前の出来事」で
「寂しい」けれど「不幸なこと」ではありません。