「家族葬ならゆっくりとしたお別れができる」と、言われますが本当でしょうか。
家族葬の流れは従来の葬儀の流れと一緒です。
葬式の決定事項は多く、打合せも喪主がすべき準備も何ら変わりません。
葬儀日程、宗教者連絡、祭壇内容、関与する参列者への連絡や対応、式中の動きや喪主、家族の役割、料理、返礼品、供花、車両関係、火葬場の動き等
葬儀情報を知らない喪主にお教えするのは簡単なことではありません。
葬儀担当者の良し悪しは喪主の不安や疑問をいかに支えられるかにかかっています。
打合せで詳細が知らされていても、進行する式の中で担当者から喪主への再度の確認が行われるはずです。
ゆっくりとした別れって何なのでしょうか。
ご遺体は、自宅でなく葬儀社に安置されることが当たり前になりましたね。
これによってご遺体を見ながら過ごす時間はとても減少してしまいました。
死亡診断書で亡くなったことは理解していても、姿があるうちは「寝ているみたい」と誰もが思うものです。
不思議なことですが、その姿を見ながら家族は口には出さずとも、心で話しかけているのです。
「穏やかな顔でよかった、もう苦しくないね」「今まで有難う」「早すぎるよ」
この時間があるからこそ十分なお別れができると、私は葬儀現場で学びました。
遺族が葬儀社に集まる時間は通夜式の2時間前が多いでしょうか。
葬儀会場に入れば担当者や宗教者との打ち合わせがあり納棺に立ち会うこともあります。たまに集まる人たちへの挨拶はこの時間に行われ、式後の会食が済めば、ご遺体と別れて家に戻る家族がほとんど。
葬儀告別式の集合時間は1時間前でしょう。移動が多く時間に左右される行程なので、喪主と葬儀担当者との打ち合わせはこの時間に行います。
あっという間ですね。
「会葬者がいなければ気遣いがない」という声も聞こえますが、今の葬儀社は遺族に負担がないように、会葬者の対応はすべてかかわってくれているのです。遺族は控室と式場を移動するのみと言ってもいいでしょう。それほど手厚い対応をする葬儀社が増えてきました。
従来の葬式では「悲しむ時間すら持てない」「葬式では遺族はしっかり悲しんでほしい」ともよく言われますね。
故人を送る立場にある喪主や遺族は、故人をしっかりと送ることが自分の役目であるという潜在的意識があります。
ご主人を亡くし喪主が悲しみに浸ることができる場合もありますが、自分の代わりに葬儀社や他の人への対応を代行してくれる人物がいる場合です。
葬儀社はたとえ小さな出来事でも喪主の了解を得ずに事を運ぶことはありません。
ではどうしたら故人と良い別れができるのでしょうか。
故人の姿を見れる、存在を感じる時間を持つ。「死んだけどまだここにいるよね」
故人のために自分ができることを探す。気づく。「好きだったお菓子買ってこよう」「愛犬の写真を入れてあげよう」
火葬が終わり遺骨になると、故人との距離は一挙に広がり諦めも感じます。
心に残る悲嘆はその後長く続く場合がありますが「よい別れ」ができるとそれも軽減されるのを私は遺族会の実施で知ることができました。
そのためには直葬であろうと、家族葬であろうと、従来の葬儀であろうと形式には関係ないのです。
葬儀の日程を急がない
通夜後は一緒に過ごす、など周囲が騒がしくない中で故人の姿を見る時間を増やすことだと思います。
葬式にかかわる人は、形式や規模、費用を問題視するだけでなく、本来の「人との絆」を見失いでほしいのです。
でもこのことは残念ですが気づきにくいことなんです。
家族葬の流れは従来の葬儀の流れと一緒です。
葬式の決定事項は多く、打合せも喪主がすべき準備も何ら変わりません。
葬儀日程、宗教者連絡、祭壇内容、関与する参列者への連絡や対応、式中の動きや喪主、家族の役割、料理、返礼品、供花、車両関係、火葬場の動き等
葬儀情報を知らない喪主にお教えするのは簡単なことではありません。
葬儀担当者の良し悪しは喪主の不安や疑問をいかに支えられるかにかかっています。
打合せで詳細が知らされていても、進行する式の中で担当者から喪主への再度の確認が行われるはずです。
ゆっくりとした別れって何なのでしょうか。
ご遺体は、自宅でなく葬儀社に安置されることが当たり前になりましたね。
これによってご遺体を見ながら過ごす時間はとても減少してしまいました。
死亡診断書で亡くなったことは理解していても、姿があるうちは「寝ているみたい」と誰もが思うものです。
不思議なことですが、その姿を見ながら家族は口には出さずとも、心で話しかけているのです。
「穏やかな顔でよかった、もう苦しくないね」「今まで有難う」「早すぎるよ」
この時間があるからこそ十分なお別れができると、私は葬儀現場で学びました。
遺族が葬儀社に集まる時間は通夜式の2時間前が多いでしょうか。
葬儀会場に入れば担当者や宗教者との打ち合わせがあり納棺に立ち会うこともあります。たまに集まる人たちへの挨拶はこの時間に行われ、式後の会食が済めば、ご遺体と別れて家に戻る家族がほとんど。
葬儀告別式の集合時間は1時間前でしょう。移動が多く時間に左右される行程なので、喪主と葬儀担当者との打ち合わせはこの時間に行います。
あっという間ですね。
「会葬者がいなければ気遣いがない」という声も聞こえますが、今の葬儀社は遺族に負担がないように、会葬者の対応はすべてかかわってくれているのです。遺族は控室と式場を移動するのみと言ってもいいでしょう。それほど手厚い対応をする葬儀社が増えてきました。
従来の葬式では「悲しむ時間すら持てない」「葬式では遺族はしっかり悲しんでほしい」ともよく言われますね。
故人を送る立場にある喪主や遺族は、故人をしっかりと送ることが自分の役目であるという潜在的意識があります。
ご主人を亡くし喪主が悲しみに浸ることができる場合もありますが、自分の代わりに葬儀社や他の人への対応を代行してくれる人物がいる場合です。
葬儀社はたとえ小さな出来事でも喪主の了解を得ずに事を運ぶことはありません。
ではどうしたら故人と良い別れができるのでしょうか。
故人の姿を見れる、存在を感じる時間を持つ。「死んだけどまだここにいるよね」
故人のために自分ができることを探す。気づく。「好きだったお菓子買ってこよう」「愛犬の写真を入れてあげよう」
火葬が終わり遺骨になると、故人との距離は一挙に広がり諦めも感じます。
心に残る悲嘆はその後長く続く場合がありますが「よい別れ」ができるとそれも軽減されるのを私は遺族会の実施で知ることができました。
そのためには直葬であろうと、家族葬であろうと、従来の葬儀であろうと形式には関係ないのです。
葬儀の日程を急がない
通夜後は一緒に過ごす、など周囲が騒がしくない中で故人の姿を見る時間を増やすことだと思います。
葬式にかかわる人は、形式や規模、費用を問題視するだけでなく、本来の「人との絆」を見失いでほしいのです。
でもこのことは残念ですが気づきにくいことなんです。