昨日は夏の様な蒸し暑さ、、、電車の中が不快だったが
今日は東京14度・・・寒さ対策
同じ雨模様でもこうも違う。
自然は人の思うようにはいかないもの・・・
海や山で遊んでると特にその時の自然の条件・環境によって気分が最高からどん底まで突き放されることもある
自然相手に遊ばしてもらっってる(暮らさせてもらってる) 安全の為にも
季節や気候には敏感でいたい。
朝から目が冷めて頭でないなんとなくぼんやり思う・・・
GW前に自宅と実家の母に協力してもらって岩手のKOJI君の実家に送った物資の報告をもらった・・・
声をかけたお友達もめちゃ沢山協力してくれた。
私が送ったのは新品のタオル(新品)・Tシャツ(新品)・子供本・ぬいぐるみ・おもちゃ
実家からはきょうだいが子供の時から読んでいた本 大量
KOJIくん、拙い物資に同封したメッセージをラジオで読んでくれてありがとう。
KOJIくん初めご実家のみなさん、恩師の先生、岩手の方の心温まる行動力感謝です。
日々状況が変わる状況にこちらの支援が追いつけない歯がゆさもありますが
これからも自分の出来ることやって行きたいです。
赤十字の義援金がちゃんと分配されるのかな~~
==KOJIくんのMAILから==
4月30日
皆さんから送ってもらった支援物資の仕分け作業を姉と姪の3人で行いました。
姉は以前、今回と同じように仕分けのボランティアをやったということで、段取りがある程度分かっていたので
2~3時間で作業終了できました。
この支援物資、皆さんに呼びかけたときは3月終わり頃でした。
その頃は子供向けのものが足りないということで、衣類やおもちゃ中心に集めました。
が、被災地で必要とするものは日々変わっているようで、集めた物をどこに持っていくか、この時点では決まっていませんでした。
事前に、恩師が色々と聞いてくれていたみたいですが、今は移動(避難所⇒仮設住宅など)の時期で、
物をもらっても置き場所に困ると言うこと。
場所によっては物資が行き届いていない場所もあるのでしょうけど、そういう場所の情報を持っている訳でもなく。
5月2日
ひょんなことから、地元のFMラジオ(http://fm-one.net/)に出演することに。
もともとは中学のときの恩師が「3B体操」(http://www.nihon3btaisoukyoukai.jp/)というものの普及活動をやっていて、その紹介をラジオで放送するということだったんですが、先生が局の人に救援物資について話していいか訪ねたところ、「ではコーナーを設けます」と言うはこびになり、俺が話したほうが良いのでは?ということで出ることに。
パーソナリティとの会話形式での内容で、約7分のコーナーで、放送の内容は大雑把に言うと
・救援物資を集めて持ってきた人がいる(俺)
・支援物資の内容
・実は物資があふれている(場所によるのだと思うけど)
・その物資を必要としている方(そういう人を知っている)がいればお譲りします
ってな感じの内容。
初めてのラジオ出演でした。
このとき、志穂さんのメッセージを紹介させていただきました。
超ローカル局なので反響がどうかわかりませんが、なかなか出来ない経験出来ました。
5月4日
3日にラジオ局の人から、
「岩手県立図書館で本を受け取ってくれるのでは?」
という連絡があって、連絡してみたら図書館では受け入れておらず、盛岡の中央公民館で「3.11絵本プロジェクトいわて」(http://www.ehonproject.org/iwate/index.html)というのをやっているのでそこに持って行ってみては?と教えてくれました。
ということで、本は中央公民館で持って行き、渡してきました。
5月5日
朝、先生から陸前高田で必要としている人がいるので先生が集めたものと一緒に持っていってくれないかという連絡が来たので、急遽父親タウンエースに残りの物資を積み込み、陸前高田へ。
家から沿岸部へ向かう国道沿いには、色々なメッセージボードが。
・救援隊の皆様ありがとう
・お疲れ様です
・顔晴ろう(がんばろう)
などなど、自衛隊や全国から集まってくる警察や支援に訪れる人達に向けたメッセージが沢山ありました。
川沿いの国道を行ったんですが、まずはある地点から急に川原にがれきが散乱し始め、しばらく行くとすさまじい光景が目に入ってきました。
TVで見た光景と同じなんだけど、その光景を実際に見ると感じ方が違いました。
その光景を見た瞬間、目頭が熱くなってきました。
でも、ある程度道はちゃんとしていたし、がれきの山、津波に流されて壊れた車の山など撤去作業が進んでいました。
それでも建物が無いので、あたり一面を見渡せる。
ナビを見ながら行ったんですが、地図にのっているものが実際には無くなってしまっているし、高田松原という景勝地には松の木は1本しか残っていなかったり、凄まじかったです。
肝心の物資は、樋の口避難所というところに持って行き、必要そうなものだけ受け取ってもらい、残りは持ち帰ってきました。
そこには子供があまりいないということで、おもちゃ類は持ち帰ってきました。
6日に神奈川に戻ってきましたが、今日先生から連絡があり、昨日(7日)釜石・宮古・陸前高田から花巻(私の実家)に避難してきている方で、子供や孫がいる方たちが先生のところに来て、子供服やおもちゃを持ち帰ったそうです。
皆さん、喜んでいたようです。
先生からも、くれぐれも皆さんへ「ありがとうございました」とお伝えくださいとの伝言を頂いてきました。
ありがとうございました。
支援は今だけではなく、長い目で見なければいけないと思います。
またご協力いただける方がいたら、お願いします。
直接会って話せる方には見てきたことを話したいと思います。
との事でした。
以前からいつかこの目で観て見たいと思ってた岩手山の風景。