時間が経ってしまいましたが、なかなか日記に書くという気持ちになれませんでした
事が大きすぎて言うべき言葉出てこないというのが正直な気持ち
刻々と変わる状況の中でいろんな事は感じ考えてるけど今はまだちゃんとした言葉には出来ないでいます。
だから自分への記録として震災からの自分の近況を残しておこう。
平和な金曜日の午後のオフィスで突然の揺れでした。
最初はじわじわと小さかったしすぐに治まると思いまだ笑ってたけど
治まるどころかどんどん激しくなる永久にに続くかと思うほど長く感じられた
会社の机の下に潜るこむがぺたりと座り込んだら恐怖で腰が抜けた様になった。
ちなみにオフィスはビルの7F建物が揺れてるのが判った。
隣の席のK君が冷静で大丈夫、大丈夫って大きく構えた感じがありがたかった。
すぐにビルの外に避難した人、ビルに残った人いろいろ、会社として特に指示はない。(普段に避難訓練は役にたってない)
窓下には全員ヘルメットで外に避難してる会社も見える
向かいのマンションで赤ちゃんを抱いた女性が部屋を出ようかどうしようか迷ってるのが見える不安だろうな~
こんなとき本当にどうすればいいんだろう?
2度目の大きな余震の時は館内放送でそのままビルに待機してくださいと放送があった。
河の向こうにお台場で起こった火災の煙が見えた、ただ事じゃない事を感じた。
よだっちとは携帯ですぐに無事を確認出来てひとまず安心。
直後は東京が一番ひどいのだと思ってが
回りの人もPCや携帯でいろいろ情報を取り始め、宮城が震源地とわかった。
ワンセグで津波の映像が目に飛び込んだ。
すぐに窓から見える隅田川にも津波警報がでていた。河の水位もかなり上がってたし流れが逆流していた。
震災直後から街を歩く人がどんどん増える。都内の道を多くの人が歩いてるが異様な光景。
電車も不通なんでたぶん今日中に復旧するのは無理そう。
会社周辺のコンビニから食べ物、飲み物が消えた。
すぐに行動を起こすのは懸命でない気がした。
会社が水とカンパンを会議室に設置して会社で待機する人の為に備えた。
とにかくよだっちと落ち合った都内に留まる事を考えたが、
よだっちは社員の安否確認などどう考えても動ける状態でなかった・・
すぐに会社から一駅のFさんと大崎のNAGANOちゃんが家に避難しますか?ってありがたい連絡をくれた。
余震が怖くて歩いて20分のFさんに甘えさせてもらうことにした。
向かう途中も見たことのない数の人が道を歩いてる・・・
東京駅に向かう人、隅田川を超える人、永代通りのバスは超満員・空車のタクシーはまったくない。
暖かい食事に暖かい部屋や布団本当にありがたかったです。感謝でいっぱいです。
どんどん更新されるニュースの映像を観て愕然とする。
携帯にどんどん連絡が入ってきた。家族、姉弟、US姉からも、、、
特に普段めったにMAILない弟は地震直後から津波注意とかいろいろ指示や心配のMAILありがたかった。
友達もいっぱいMAILをくれた。
歩いて帰った人、途中で都内の避難所に避難した人、会社に泊まり込んだ人、様々。
震災の一昨日にドイツから一時帰国で会ってたE子さん
地震2時間前に日本を離陸していた・・・ミュンヘンでこのニュースを知ったとMAILが着た
KOTAも一緒だったので本当によかった~~
年末に最愛の夫を亡くしたKANMIが心配してメッセージもくれた、ほんと嬉しかった。
自分も不安な気持ちをどうしていいかわからずmixiにもいっぱコメントした。
返ってくるコメントがあるのがほんとにありがたかった。
(あの日からつぶやきが本当に支えになった。)
不安で携帯を握りしめて服のまま眠った夜。
翌朝、電車が動いた、避難させてくださったFさんには本当に感謝です。
長い長い時間をかけて昼過ぎにやっと逗子に到着。
東京からの満員の電車は殺気立った人がいっぱいで、声を荒げる人もあり
こういう時、女性・子供・老人など弱者が巻き込まれやすい人災に気をつけて
というアドバイスをすぐにくれたKINUちゃん、お陰で用心して行動できてありがたかった。ほんとに感謝です。
いけばなの専修会、授業と終業式は予定通り開催されたいのでびっくり。
連絡をくださったHさんYさん、昨夜同じように都内から帰れなかったにも係わらず一旦帰宅して遅れて出席されてるという。
私は半日かけてやっとの思いで逗子にたどり着いて、
この後にまたあの様な思いで新宿経由で代々木上原に出向くのは正気の沙汰ではないと判断し止む無く欠席しました。
楽しみにしていたその夜のエンボカでの女子会ももちろん中止・・・
震災当日の逗子は震災直後から夜中1時頃まで停電で大変だったみたいです。
家は無事。庭のボードラックも無事でした。
家の中はジャマイカで買った細長い木製のキリンの置物が倒れて、耳がポロっと取れてた。
可愛そうに阪神大震災でも倒れて耳が取れて今度で二回目だ。ボンドで修理。
2階のCDと本が床中に散乱していた・・・それを見たらここでも揺れの凄さを改めて実感
私は阪神大震災も経験してるが大阪でも揺れの少なかった地域だったので
地震の恐怖は今まで経験した中で最大だった。
東北地方の方々の恐怖を想像したら言葉も出ない。
夜になってやっとよだっちが帰ってきた。家によだっちがいるだけで安心度がかなり違う。
でも日曜日から都内に泊まりこみで会社待機の体制が決まる。
世の中のみんなが大変な時、一人は不安だけど仕方ない。
翌週になって月曜日、ほとんどの電車が不通で会社も自宅待機命令がでまhした。不安定な火曜日も同じく。
KOJIくんは実家の岩手は無事でほんとによかったが、
自身は土曜日から予定していた南米ぺルー旅行がキャンセルとなり代わりの国内旅行にも踏み切れず家にいた
まだまだ不安で落ち着かないし何も出来ない歯がゆさの境遇を一緒に共有すべく我が家まで来てくれた。
二人で節電しながらTVとPCと携帯から離れられない2日間だったが余震も何度もあったしほんと心強かった。
近所のスーパーマルエツの現状調査に出掛けもした。
生の食品は豊富だったので、料理を作った、KOJIくんは男の料理!超ウマ秘伝の豚カツを作ってくれた!
K見さんも会社帰りに立ち寄ってくれたり、心強い友人のありがたさを実感。
計画停電も始まりました。
地域の放送にこんなに耳を澄ませたのも初めてです。
水曜日は一日出社してみるがまだ自宅待機してる人が多かった。
その夜逗子は19:00~22:00まで停電だったので都内によだっちと宿泊しました。
久しぶりLAのSAYAKAの店 誠に行きました。
飲食はどこもやっぱり閑散としています。
スタッフ達と離してるとやっぱり私たちが景気よくお金を使うのも大事なのではと実感。
自粛と経済復興に貢献することをバランスよく取り入れたい。
結局、残り木曜日・金曜日も自宅待機っと決まった。
一人で節電を心かけた生活、どうせなら有意義に過ごそうと決意。
お陰さまで家はとても片付いた。
溜まりに溜まったアルバム整理をした。過去にタイムスリップいっぱいした!
ついでにPCの中の写真まで整理して。
着付けの練習もした。未だ袖を通してない着物のコーディネートを考えてみたり
着付けは必死になると汗ばむ程なので暖房いらず節電になります。
用事をしながら聞くFMラジオから流れる音楽とメッセージ本当に心に響きました。
音楽の偉大さと有り難味を実感。
家の用事をいっぱいするとお腹も空く、三食しっかり食べてる・・
午後、またスーパーに行ってみるがトイレットペーパが少な目なので買えればいいなと・・
普段より家にいるし寒いので回数が多いので消費するのだ・・
しかし、スーパーになかった。。米・ラーメン・卵・豆腐・保存食の類・・
肉や魚は豊富にあったので。。
自分のために牡蠣とシャブリを買って帰った・・・レジでそんなん出してる私くらい・・・
ちょっと地震に関するTVを止めて、桑田さんの新譜DVDを観た。
歌詞がいつも以上に心に染みた。つくづくええアルバムです。
週末になり土曜日、よだっちも家に帰ってきた。
KIYOMIちゃん、TP、KOJIくん、と元気を出す会!@藤沢
こんな時こそ、お花をアレンジしてKIYOMIちゃんに贈った。
大変だった一週間振り返ったり、飲んで食べてカラオケまでして・・・仲間は素晴らしい。
よだっちは仕事大変だけどちょっとは充電出来たかな。
私はまず自分の出来る事として 日本赤十字に義援金を送りました。
USに住むMAHO姉はNYグランドセントラル駅で日本ライオンズクラブ主催の募金活動に参加しています。
日本の私たちより即行動に頭が下がる思い。。。
いっぱい寄付があつまり沢山の暖かい言葉をかけてもらったそうです。
募金してくれた人には自前の折り鶴を渡したそうです。
募金活動はまだまだ続きます。
大阪の弟は報道カメラマンとしてこの週末から被災地に赴きます。
どうか被災者の方の為になるいい取材をして欲しいと思います。
自分自身もどうか気をつけて!
今こうしてPCに向かってこの様な事を書けてる事にも感謝し、当たり前に思ってた、衣食住に感謝し
回りの人たちみんなに感謝し、とりあえず自分の出来る事を息長く続けて行こう
今のこの気持ちを忘れないで続けること
写真はスーパームーンの月
震災で命を落とされた方のご冥福をお祈りし、
今なお被災地で困難な境遇に置かれてる方々の少しでも早い復興を祈ります。
事が大きすぎて言うべき言葉出てこないというのが正直な気持ち
刻々と変わる状況の中でいろんな事は感じ考えてるけど今はまだちゃんとした言葉には出来ないでいます。
だから自分への記録として震災からの自分の近況を残しておこう。
平和な金曜日の午後のオフィスで突然の揺れでした。
最初はじわじわと小さかったしすぐに治まると思いまだ笑ってたけど
治まるどころかどんどん激しくなる永久にに続くかと思うほど長く感じられた
会社の机の下に潜るこむがぺたりと座り込んだら恐怖で腰が抜けた様になった。
ちなみにオフィスはビルの7F建物が揺れてるのが判った。
隣の席のK君が冷静で大丈夫、大丈夫って大きく構えた感じがありがたかった。
すぐにビルの外に避難した人、ビルに残った人いろいろ、会社として特に指示はない。(普段に避難訓練は役にたってない)
窓下には全員ヘルメットで外に避難してる会社も見える
向かいのマンションで赤ちゃんを抱いた女性が部屋を出ようかどうしようか迷ってるのが見える不安だろうな~
こんなとき本当にどうすればいいんだろう?
2度目の大きな余震の時は館内放送でそのままビルに待機してくださいと放送があった。
河の向こうにお台場で起こった火災の煙が見えた、ただ事じゃない事を感じた。
よだっちとは携帯ですぐに無事を確認出来てひとまず安心。
直後は東京が一番ひどいのだと思ってが
回りの人もPCや携帯でいろいろ情報を取り始め、宮城が震源地とわかった。
ワンセグで津波の映像が目に飛び込んだ。
すぐに窓から見える隅田川にも津波警報がでていた。河の水位もかなり上がってたし流れが逆流していた。
震災直後から街を歩く人がどんどん増える。都内の道を多くの人が歩いてるが異様な光景。
電車も不通なんでたぶん今日中に復旧するのは無理そう。
会社周辺のコンビニから食べ物、飲み物が消えた。
すぐに行動を起こすのは懸命でない気がした。
会社が水とカンパンを会議室に設置して会社で待機する人の為に備えた。
とにかくよだっちと落ち合った都内に留まる事を考えたが、
よだっちは社員の安否確認などどう考えても動ける状態でなかった・・
すぐに会社から一駅のFさんと大崎のNAGANOちゃんが家に避難しますか?ってありがたい連絡をくれた。
余震が怖くて歩いて20分のFさんに甘えさせてもらうことにした。
向かう途中も見たことのない数の人が道を歩いてる・・・
東京駅に向かう人、隅田川を超える人、永代通りのバスは超満員・空車のタクシーはまったくない。
暖かい食事に暖かい部屋や布団本当にありがたかったです。感謝でいっぱいです。
どんどん更新されるニュースの映像を観て愕然とする。
携帯にどんどん連絡が入ってきた。家族、姉弟、US姉からも、、、
特に普段めったにMAILない弟は地震直後から津波注意とかいろいろ指示や心配のMAILありがたかった。
友達もいっぱいMAILをくれた。
歩いて帰った人、途中で都内の避難所に避難した人、会社に泊まり込んだ人、様々。
震災の一昨日にドイツから一時帰国で会ってたE子さん
地震2時間前に日本を離陸していた・・・ミュンヘンでこのニュースを知ったとMAILが着た
KOTAも一緒だったので本当によかった~~
年末に最愛の夫を亡くしたKANMIが心配してメッセージもくれた、ほんと嬉しかった。
自分も不安な気持ちをどうしていいかわからずmixiにもいっぱコメントした。
返ってくるコメントがあるのがほんとにありがたかった。
(あの日からつぶやきが本当に支えになった。)
不安で携帯を握りしめて服のまま眠った夜。
翌朝、電車が動いた、避難させてくださったFさんには本当に感謝です。
長い長い時間をかけて昼過ぎにやっと逗子に到着。
東京からの満員の電車は殺気立った人がいっぱいで、声を荒げる人もあり
こういう時、女性・子供・老人など弱者が巻き込まれやすい人災に気をつけて
というアドバイスをすぐにくれたKINUちゃん、お陰で用心して行動できてありがたかった。ほんとに感謝です。
いけばなの専修会、授業と終業式は予定通り開催されたいのでびっくり。
連絡をくださったHさんYさん、昨夜同じように都内から帰れなかったにも係わらず一旦帰宅して遅れて出席されてるという。
私は半日かけてやっとの思いで逗子にたどり着いて、
この後にまたあの様な思いで新宿経由で代々木上原に出向くのは正気の沙汰ではないと判断し止む無く欠席しました。
楽しみにしていたその夜のエンボカでの女子会ももちろん中止・・・
震災当日の逗子は震災直後から夜中1時頃まで停電で大変だったみたいです。
家は無事。庭のボードラックも無事でした。
家の中はジャマイカで買った細長い木製のキリンの置物が倒れて、耳がポロっと取れてた。
可愛そうに阪神大震災でも倒れて耳が取れて今度で二回目だ。ボンドで修理。
2階のCDと本が床中に散乱していた・・・それを見たらここでも揺れの凄さを改めて実感
私は阪神大震災も経験してるが大阪でも揺れの少なかった地域だったので
地震の恐怖は今まで経験した中で最大だった。
東北地方の方々の恐怖を想像したら言葉も出ない。
夜になってやっとよだっちが帰ってきた。家によだっちがいるだけで安心度がかなり違う。
でも日曜日から都内に泊まりこみで会社待機の体制が決まる。
世の中のみんなが大変な時、一人は不安だけど仕方ない。
翌週になって月曜日、ほとんどの電車が不通で会社も自宅待機命令がでまhした。不安定な火曜日も同じく。
KOJIくんは実家の岩手は無事でほんとによかったが、
自身は土曜日から予定していた南米ぺルー旅行がキャンセルとなり代わりの国内旅行にも踏み切れず家にいた
まだまだ不安で落ち着かないし何も出来ない歯がゆさの境遇を一緒に共有すべく我が家まで来てくれた。
二人で節電しながらTVとPCと携帯から離れられない2日間だったが余震も何度もあったしほんと心強かった。
近所のスーパーマルエツの現状調査に出掛けもした。
生の食品は豊富だったので、料理を作った、KOJIくんは男の料理!超ウマ秘伝の豚カツを作ってくれた!
K見さんも会社帰りに立ち寄ってくれたり、心強い友人のありがたさを実感。
計画停電も始まりました。
地域の放送にこんなに耳を澄ませたのも初めてです。
水曜日は一日出社してみるがまだ自宅待機してる人が多かった。
その夜逗子は19:00~22:00まで停電だったので都内によだっちと宿泊しました。
久しぶりLAのSAYAKAの店 誠に行きました。
飲食はどこもやっぱり閑散としています。
スタッフ達と離してるとやっぱり私たちが景気よくお金を使うのも大事なのではと実感。
自粛と経済復興に貢献することをバランスよく取り入れたい。
結局、残り木曜日・金曜日も自宅待機っと決まった。
一人で節電を心かけた生活、どうせなら有意義に過ごそうと決意。
お陰さまで家はとても片付いた。
溜まりに溜まったアルバム整理をした。過去にタイムスリップいっぱいした!
ついでにPCの中の写真まで整理して。
着付けの練習もした。未だ袖を通してない着物のコーディネートを考えてみたり
着付けは必死になると汗ばむ程なので暖房いらず節電になります。
用事をしながら聞くFMラジオから流れる音楽とメッセージ本当に心に響きました。
音楽の偉大さと有り難味を実感。
家の用事をいっぱいするとお腹も空く、三食しっかり食べてる・・
午後、またスーパーに行ってみるがトイレットペーパが少な目なので買えればいいなと・・
普段より家にいるし寒いので回数が多いので消費するのだ・・
しかし、スーパーになかった。。米・ラーメン・卵・豆腐・保存食の類・・
肉や魚は豊富にあったので。。
自分のために牡蠣とシャブリを買って帰った・・・レジでそんなん出してる私くらい・・・
ちょっと地震に関するTVを止めて、桑田さんの新譜DVDを観た。
歌詞がいつも以上に心に染みた。つくづくええアルバムです。
週末になり土曜日、よだっちも家に帰ってきた。
KIYOMIちゃん、TP、KOJIくん、と元気を出す会!@藤沢
こんな時こそ、お花をアレンジしてKIYOMIちゃんに贈った。
大変だった一週間振り返ったり、飲んで食べてカラオケまでして・・・仲間は素晴らしい。
よだっちは仕事大変だけどちょっとは充電出来たかな。
私はまず自分の出来る事として 日本赤十字に義援金を送りました。
USに住むMAHO姉はNYグランドセントラル駅で日本ライオンズクラブ主催の募金活動に参加しています。
日本の私たちより即行動に頭が下がる思い。。。
いっぱい寄付があつまり沢山の暖かい言葉をかけてもらったそうです。
募金してくれた人には自前の折り鶴を渡したそうです。
募金活動はまだまだ続きます。
大阪の弟は報道カメラマンとしてこの週末から被災地に赴きます。
どうか被災者の方の為になるいい取材をして欲しいと思います。
自分自身もどうか気をつけて!
今こうしてPCに向かってこの様な事を書けてる事にも感謝し、当たり前に思ってた、衣食住に感謝し
回りの人たちみんなに感謝し、とりあえず自分の出来る事を息長く続けて行こう
今のこの気持ちを忘れないで続けること
写真はスーパームーンの月
震災で命を落とされた方のご冥福をお祈りし、
今なお被災地で困難な境遇に置かれてる方々の少しでも早い復興を祈ります。