下根岸「お行の松」通りを抜けると、小野照神社、小野篁を主祭神とし、相殿に菅原道真を祀る。852年この地の住民が上野照崎の地に小野篁を奉斎したのが起源。
1624-43年、寛永寺の建立のため幕府より移転を命じられ、現社地に遷座した。江戸末期、回向院より菅原道真自刻と伝わる像を迎えて相殿に祀り、
江戸二十五天神の一つに数えられた。
樋口一葉の「たけくらべ」に「小野照さま」の名で出ている。
文化財の、 下谷富士塚 - 小野照崎神社の敷地内にある富士塚は、1828年建造。
重要有形民俗文化財。毎年富士山の開山に合わせて6月30日と7月1日に一般の登拝出来るという。
一の鳥居 神木 境内

土地の人に小野輝様と尊崇されている小野照崎神社の3年に1度の例大祭本祭りの宵宮には大祭式が行われ、町会によっては夕刻、町内神輿が町内を渡御する。
日曜日には神幸祭が催され、宮惣の昭和初期の作品で、3尺8寸5分の立派な宮神輿が氏子町を巡幸する。
年番町役員の先導に続き、鉄杖、神官、猿田彦、お囃子のあと、本社御輿が続く。さらに御輿のあとに、宮司、白馬に乗った別当(馬係)と続く。
陰の年には氏子15カ町の町神輿の連合渡御が行われ威勢のいい声が町内に響きわたり、江戸情緒ゆたかな賑わいを見せる。
林屋正蔵・三平氏の襲名披露の行進は、この神社から浅草寺まで。
る組の碑 浅間神社 富士塚

「酉の市」11月の酉の日に行われる、鷲神社の祭礼に立つ市で、最初が一の酉、二・三で三の酉のある歳は火災が多いという。
金銀を掻き集める事から熊手が縁起物となった。
江戸時代は、鷲神社お詣りと称して近い吉原へ直行、参拝帰りで大賑わいだったという。それでも売れない遊女を「酉の市の売れ残り」と云った。
大熊手

鷲神社は、日本武尊を祀り、武運長久、開運、商売繁盛の神として信仰。大鳥大社(大阪府堺市西区)が鷲神社の本社とされる。
鷲宮神社の祭神は、天穂日命、武夷鳥命、大己貴命。日本武尊が東征の際、この神社で戦勝を祈願したとされる。古くからこの神社を中心に「酉の日精進」
の信仰が広まり、12月の初酉の日には大酉祭が行われる。
鷲神社付近町内 神社入口 寄贈樽酒と提灯

浅草の鷲大明神は妙見大菩薩とも呼ばれて、鷲に乗った「妙見菩薩」の姿として描かれ、長国寺境内の番神堂(鷲大明神社)に安置された。
11月の酉の日には鷲妙見大菩薩が開帳され、酉の市が盛大に行われるようになる。
鷲大明神社は「鷲宮」、長国寺は「酉の寺」とも呼ばれた。明治初年には神仏分離令により、長国寺と鷲神社とに引き分けられた。
現在の鷲神社の祭神は、天日鷲命と日本武尊。
本殿前の参拝客 1000円の熊手が飛ぶように売れていた 参拝者の行列

「酉の日」は、毎日に十干十二支を当てて定める日付け法で、「酉」に当たる日のこと。これは、12日おきに巡ってくる。ひと月は30日なので、日の巡り合わせにより、
11月の酉の日は2回の年と3回の年がある。
「三の酉」まである年は火事が多いとの俗説。そのため、三の酉がある年には平年にもまして、歳末にかけて、社会一般で火の用心が心がけられ、
熊手商の多くは縁起熊手に「火の用心」のシールを貼って売りだす。
三の酉は、およそ一年おきにあるため、さほど珍しいわけではない。
久し振りの鷲神社のお酉様であるが、昭和20年~30年頃のお酉さまを知っているだけに、規模が小さく寂しい。
思い出を一つ
昭和23年の一の酉で、5歳上のケチな兄貴と三ノ輪から夜店を歩いたことがあり、アルバイトで金が少々入ったので買ってやるから言ってみろと
びっくりする事を言い出した。皮の手袋を買ってもらった、3日後には、縫い目の糸がほぐれだし、皮が破れだした。
兄は、あの夜店に騙されたと怒っていたのを思い出す。
境内は隙間のない熊手の店舗 境内に三々手拍子の音

ここで下町散歩は終わり、北海道に戻ります。
1624-43年、寛永寺の建立のため幕府より移転を命じられ、現社地に遷座した。江戸末期、回向院より菅原道真自刻と伝わる像を迎えて相殿に祀り、
江戸二十五天神の一つに数えられた。
樋口一葉の「たけくらべ」に「小野照さま」の名で出ている。
文化財の、 下谷富士塚 - 小野照崎神社の敷地内にある富士塚は、1828年建造。
重要有形民俗文化財。毎年富士山の開山に合わせて6月30日と7月1日に一般の登拝出来るという。
一の鳥居 神木 境内



土地の人に小野輝様と尊崇されている小野照崎神社の3年に1度の例大祭本祭りの宵宮には大祭式が行われ、町会によっては夕刻、町内神輿が町内を渡御する。
日曜日には神幸祭が催され、宮惣の昭和初期の作品で、3尺8寸5分の立派な宮神輿が氏子町を巡幸する。
年番町役員の先導に続き、鉄杖、神官、猿田彦、お囃子のあと、本社御輿が続く。さらに御輿のあとに、宮司、白馬に乗った別当(馬係)と続く。
陰の年には氏子15カ町の町神輿の連合渡御が行われ威勢のいい声が町内に響きわたり、江戸情緒ゆたかな賑わいを見せる。
林屋正蔵・三平氏の襲名披露の行進は、この神社から浅草寺まで。
る組の碑 浅間神社 富士塚



「酉の市」11月の酉の日に行われる、鷲神社の祭礼に立つ市で、最初が一の酉、二・三で三の酉のある歳は火災が多いという。
金銀を掻き集める事から熊手が縁起物となった。
江戸時代は、鷲神社お詣りと称して近い吉原へ直行、参拝帰りで大賑わいだったという。それでも売れない遊女を「酉の市の売れ残り」と云った。
大熊手

鷲神社は、日本武尊を祀り、武運長久、開運、商売繁盛の神として信仰。大鳥大社(大阪府堺市西区)が鷲神社の本社とされる。
鷲宮神社の祭神は、天穂日命、武夷鳥命、大己貴命。日本武尊が東征の際、この神社で戦勝を祈願したとされる。古くからこの神社を中心に「酉の日精進」
の信仰が広まり、12月の初酉の日には大酉祭が行われる。
鷲神社付近町内 神社入口 寄贈樽酒と提灯



浅草の鷲大明神は妙見大菩薩とも呼ばれて、鷲に乗った「妙見菩薩」の姿として描かれ、長国寺境内の番神堂(鷲大明神社)に安置された。
11月の酉の日には鷲妙見大菩薩が開帳され、酉の市が盛大に行われるようになる。
鷲大明神社は「鷲宮」、長国寺は「酉の寺」とも呼ばれた。明治初年には神仏分離令により、長国寺と鷲神社とに引き分けられた。
現在の鷲神社の祭神は、天日鷲命と日本武尊。
本殿前の参拝客 1000円の熊手が飛ぶように売れていた 参拝者の行列



「酉の日」は、毎日に十干十二支を当てて定める日付け法で、「酉」に当たる日のこと。これは、12日おきに巡ってくる。ひと月は30日なので、日の巡り合わせにより、
11月の酉の日は2回の年と3回の年がある。
「三の酉」まである年は火事が多いとの俗説。そのため、三の酉がある年には平年にもまして、歳末にかけて、社会一般で火の用心が心がけられ、
熊手商の多くは縁起熊手に「火の用心」のシールを貼って売りだす。
三の酉は、およそ一年おきにあるため、さほど珍しいわけではない。
久し振りの鷲神社のお酉様であるが、昭和20年~30年頃のお酉さまを知っているだけに、規模が小さく寂しい。
思い出を一つ
昭和23年の一の酉で、5歳上のケチな兄貴と三ノ輪から夜店を歩いたことがあり、アルバイトで金が少々入ったので買ってやるから言ってみろと
びっくりする事を言い出した。皮の手袋を買ってもらった、3日後には、縫い目の糸がほぐれだし、皮が破れだした。
兄は、あの夜店に騙されたと怒っていたのを思い出す。
境内は隙間のない熊手の店舗 境内に三々手拍子の音



ここで下町散歩は終わり、北海道に戻ります。