syuの日記・気まま旅

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来宮神社 樹齢二千年の大楠

2014-02-01 | 気まま旅
このコンクリートのトンネルを潜ると右手に来宮神社。熱海駅から徒歩約20分、上り坂で良い運動になった。
 

「来宮神社」
来宮大明神・熱海郷の地主の神、伊豆の来宮の地に鎮座し、「来福・縁起の神」として古くから信仰され、
「延喜式神名帳」には「阿豆佐別神社」の名で記されている。
平安初期の「征夷大将軍坂上田村麻呂公」は、戦の勝利を神前で祈願し、各地に御分霊を祀ったとも伝えられ、現在では全国四十四社の総社として、信仰を集める。
御祭神五十猛命は熱海に鎮座される際、地元民と入来たる旅人を守護しようと神託をつげられたことから、伊豆に来る旅行者が多く参拝。

国指定天然記念物に選定されております来宮神社のご神木「大楠」は樹齢2千年を超え、平成4年度の環境省の調査で、全国2位の巨樹の認定を受け、幹周り約24米の迫力に人々は畏怖し、自然と手を合わせると云う。



「坂上田村麻呂」 758-811 奥州を平定した征夷大将軍。
坂上家は、東漢氏の一族、尚武の家柄、父苅田麻呂は朝廷の武官、田村麻呂は征東副使で蝦夷平定戦に参加し、武功を挙げている。
以降、事業に専念し、陸奥守・鎮守府将軍を経て、大将軍。
鎮守府を「多賀城」から進出させ、「胆沢城」の周辺に数千人の屯田兵を配置して固めるとともに蝦夷に農耕・養蚕を進めている。
兵部郷、大納言から正三位に上っており、京都の「清水寺」を創建している。



田村麻呂は、身の丈5尺8寸、約1・75m、胸1尺2寸、赤ら顔・黄金色の鬚・目は鷹の瞳・睨んだら猛獣も逃げたと云う。
笑えば赤ん坊も懐いたと云う。
死体は、山城国栗栖野に、甲冑・剣・鋒などと共に、平城京の東を向いて、立つた姿で埋められたと云う。(将軍塚)
国家に非常のことがあれば、雷が鳴るように鳴動したと云う。以降の将軍は、征討出発前に墓に詣でて武運を祈願したある。
東北には、田村麻呂創建神社が多い。





大楠は2千年を経て枝分かれした片方は切られているが健在。


    



国文学者で万葉集研究の第一人者「佐々木信綱」氏の旧居跡「凌寒荘」があります。土曜日曜に公開しています(無料)
今日は外から垣根越しに撮影。





次回は、熱海梅園へ。