syuの日記・気まま旅

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伏見の戦い 伏見の酒

2014-02-14 | 気まま旅
「十石舟」「三十石船」は、江戸時代に伏見からの酒や米などの搬出および旅客を大阪と行き来させるため、宇治川派流と宇治川・淀川の間を航行する輸送船としてはじまり、明治時代末期まで存続した重要交通手段であった。

1998年、京都市および月桂冠など55法人の出資によるTMO「株式会社伏見夢工房」が、かつての港町伏見を偲ぶ屋形船仕様の遊覧船として運航を開始したことで、再び濠川に航路が開設された。
同法人が2012年をもって解散したことから、運営が伏見観光協会に移管されている。

伏見十石舟は、伏見観光協会 が運航する遊覧船。「十石舟」「三十石船」は、江戸時代に伏見からの酒や米 などの搬出および旅客を大阪と行き来させるため、宇治川派流と宇治川・淀川...伏見。
    

「伏見大手筋商店街」は、大手筋通りのうち、京阪電鉄伏見桃山駅から風呂屋町通(納屋町通)の間がアーケードになっている。
このアーケードには、日本で初めて太陽光発電パネルが設置され、アーケード内の照明に利用。

東側より南北の通りを境界として、一番街から四番街の順にブロック分けされている。
一番街、京阪伏見桃山駅 - 新町通。 二番街、新町通 - 瀬戸物町。 三番街、瀬戸物町 - 南部町。 四番街、南部町 - 風呂屋町通

2009年「新・がんばる商店街77選」に選ばれた。

「京阪本線」は、起点駅は京都の三条駅であり、京都から大阪に向かう列車が「下り」、その逆が「上り」となる。
路線名の通り大阪と京都を結ぶ路線であるが、淀川の南側を通る。大阪市内の淀屋橋駅 - 天満橋駅間と京都市内の七条駅 - 三条駅間は地下線、東福寺駅 - 三条駅間は軌道法に基づく軌道となっている。
路線距離 淀屋橋駅 - 三条駅間 49.3km、 駅数:40駅。「伏見桃山駅」。
「近鉄京都線」は、JRと連絡の京都ー奈良「桃山御陵前駅」。JR奈良線「桃山駅」の三本が乗り入れている。

賑わいを見せる駅前通り
  

「鳥羽・伏見での戦闘」
下鳥羽や小枝橋付近で街道を封鎖する薩摩藩兵と大目付の滝川具挙の問答から軍事的衝突が起こり、鳥羽方面での銃声が聞こえると
伏見(御香宮)でも衝突、戦端が開かれた。
このときの京都周辺の兵力は新政府軍の5,000名(主力は薩摩藩兵)に対して旧幕府軍は15,000名を擁していた。
鳥羽では総指揮官の竹中重固の不在や滝川具挙の逃亡などで混乱し、旧幕府軍は狭い街道での縦隊突破を図るのみで、優勢な兵力を生かしきれず、新政府軍の弾幕射撃によって前進を阻まれ、伏見では奉行所付近で幕府歩兵隊、会津藩兵、土方歳三率いる新選組の兵が新政府軍
(薩摩小銃隊)の大隊規模(約800名)に敗れ、奉行所は炎上した。

「鳥羽・伏見の戦い」1868年、戊辰戦争の緒戦となった戦である。戦いは京都南郊の上鳥羽、下鳥羽、竹田、伏見で行われた。
    

開戦に積極的でなかったといわれる徳川慶喜は、大坂城におり、旧幕府軍へ大坂城での徹底交戦を説いたが、その夜僅かな側近と老中板倉勝静、老中酒井忠惇、会津藩主松平容保・桑名藩主松平定敬と共に密かに城を脱し、大坂湾に停泊中の幕府軍艦開陽丸で江戸に退却した。
総大将が逃亡したことにより旧幕府軍は継戦意欲を失い、大坂を放棄して各自江戸や自領等へ帰還した。
会津藩軍事総督の神保長輝は戦況の不利を予見しており、ついに錦の御旗が翻るのを目の当たりにして将軍慶喜と主君容保に恭順策を進言したとされ、これが将軍の逃亡劇の要因を作ったともいわれる。
だが長輝にとっても、よもや総大将がこのような形で逃亡するとは思いもしなかったという向きもある。陣営には長輝が残ることとなったが、元来、主戦派ではなかったため、会津藩内の抗戦派から睨まれるかたちとなり敗戦の責任を一身に受け、後に自刃することになる。

会津藩兵を先鋒とする旧幕府軍が伏見に 集結し、幕府陸軍奉行の竹中重固を指揮官。政権の主導 権 争奪戦。
    

1868年戊辰戦争の緒戦となる。

鳥羽・伏見 - 阿波沖 - 甲州勝沼 - 宇都宮城 - 今市 - 市川・船橋 - 五井 - 上野 - 北越戦争 - 八丁沖 - 寺泊沖 - 会津戦争 - 白河口 -
磐城 - 二本松 - 母成峠 - 旗巻峠 - 秋田戦争 - 弘道館 - 松山 - 宮古湾 - 野辺地 - 箱館戦争 - 二股口 - 箱館湾。

1868年、江戸幕府 最後の将軍となった徳川慶喜が、会津藩主・松平容保に江戸城への登城を禁止。
    

平成5年度で京都は、醸造元77社・銘柄数162種  (うち伏見区で35社を占めている。)
      兵庫は、   107社   233種。

黄桜酒造
  

「伏見の水」は、一升の酒に、八升の水がいるといわれる酒づくり。
中でも良質の豊富な水に恵まれることが、酒造地の条件という。
伏見は、かつて“伏水”とも書かれていたほどに、質の高い伏流水が豊富な地。
桃山丘陵をくぐった清冽な水が、水脈となって地下に深く息づき、山麓近くで湧き水となってあらわれます。
日本を代表する酒どころとなったのも、この天然の良水に恵まれていたことが大きな要因という。

御香宮神社の湧水伝説
千数百年前、境内に香り高い清泉が湧きだし、朝廷から「御香宮」の名を賜ったのがそもそもの起こり。
現代、この名水は「日本名水百選」のひとつにも選ばれ、訪れる人たちに親しまれている。

月桂冠
    

「酒の話」
水・酒によい水は、鉄分・アンモニア・重金属が無く、カリウム・リン酸・カルシュウムが適度に含むと、、、一般に言われている。
  鉄は、酒のデフエりフエリクリシン反応して赤褐色、香味を害します。鉄分ー0.02ppm以下、有機物ー5ppm以下、
                                  マンガンー0.02ppm以下の基準があります。
カリウム、カリシュウムは、麹菌・酵母を助けます。仕込み水で良い水は、リン酸・カリウムの多い仕込み水は、醗酵が強く、切れが良いと云います。酒造りでは、出来るだけ鉄分と接触するもの、容器・ポンプ・配水管等は注意します。
  
次回は、奈良県へ入ります。