江戸末期、文政年間に長崎のオランダ商館付きの医師として着任し、日本に近代医学を伝えた
シーボルトは、一方では熱心なプラントハンターでした。
彼はアジサイには特に深い関心を寄せ、植物に関する著書「日本植物誌(フローラ・ヤポニカ)」で、
日本のアジサイとして紹介していたのが、このシチダンカ(七段花)です。
ところが、明治時代に入ってもこのアジサイの所在は全くわからず、この花を見たと
いう情報や標本も存在しないことから、長い間「幻の紫陽花」と呼ばれていました。
昭和34年、神戸市立六甲山小学校の職員が、六甲山ケーブルの沿線で偶然に発見し、
採取して話題となりましたが、シーボルトがこの花を発見してから実に130年という長い歳月
を「幻の花」であり続けたのです。
この花は、その後、神戸森林植物園で挿木によって増やされ、現在では各地の庭園などに植えられています。