細君の姉、私にとっては義姉になりますが一昨日身罷りました。
昨年の三月、兄を見送ったばかりで細君の淋しさは察して余りあります。
義姉は製菓業を営む傍ら農家も行う兼業の家に嫁ぎ、長女ながら忙しさから、
比較的近くにあった実家にも、中々里帰りできない状況に長い事ありました。
私たちにとって、結婚当初から頼りになる「お姉さん」で、また穏やかな性格と
懐の深さから、お会いするとホッとして細君にとってもよい相談相手であったと
記憶しています。また、私たちの子供達にも慕われる優しいお姉さんでもありました。
数年前に細君の計画で、郷里の名店と言われるお蕎麦屋さんで、それぞれの夫婦
同伴で「姉妹会」が催されたことがありました。
その席上で、義姉の言われた言葉が今でも鮮明に思い出されます。それは…、
「私は今が一番幸せよ。先日も病気になったとき、私をおんぶして病院に連れて行って
くれたの。優しさや思いやりが日々実感できるし、夫婦の良さを改めて感じたから…」
との言葉を控えめに語ったことでした。
義姉の家は近郊都市にあって、味の良さから評判の良い菓子店でしたが、子育てと、
待ったなしの農業の合間を縫って、ご主人と共に毎日早朝から始まる仕込みと、菓子造りに
身を粉にして対応してきた、半生であったのではないかと思っています。
そして…、三年ほど前から体調を壊し認知症の兆候も見られ、さらに昨年末肺炎を患い、
幾たびか危篤状態を経ながら、最近までなんとか持ちこたえてきました。
「身罷った」との連絡をいただいたときに、悲しさや淋しさもありましたが、
「いままで本当にお疲れ様でした」との思いのほうが、正直まさっていました。
義兄と共に、天国で楽しい語らいをされるであろうことを祈りたいと思います。
昨年の三月、兄を見送ったばかりで細君の淋しさは察して余りあります。
義姉は製菓業を営む傍ら農家も行う兼業の家に嫁ぎ、長女ながら忙しさから、
比較的近くにあった実家にも、中々里帰りできない状況に長い事ありました。
私たちにとって、結婚当初から頼りになる「お姉さん」で、また穏やかな性格と
懐の深さから、お会いするとホッとして細君にとってもよい相談相手であったと
記憶しています。また、私たちの子供達にも慕われる優しいお姉さんでもありました。
数年前に細君の計画で、郷里の名店と言われるお蕎麦屋さんで、それぞれの夫婦
同伴で「姉妹会」が催されたことがありました。
その席上で、義姉の言われた言葉が今でも鮮明に思い出されます。それは…、
「私は今が一番幸せよ。先日も病気になったとき、私をおんぶして病院に連れて行って
くれたの。優しさや思いやりが日々実感できるし、夫婦の良さを改めて感じたから…」
との言葉を控えめに語ったことでした。
義姉の家は近郊都市にあって、味の良さから評判の良い菓子店でしたが、子育てと、
待ったなしの農業の合間を縫って、ご主人と共に毎日早朝から始まる仕込みと、菓子造りに
身を粉にして対応してきた、半生であったのではないかと思っています。
そして…、三年ほど前から体調を壊し認知症の兆候も見られ、さらに昨年末肺炎を患い、
幾たびか危篤状態を経ながら、最近までなんとか持ちこたえてきました。
「身罷った」との連絡をいただいたときに、悲しさや淋しさもありましたが、
「いままで本当にお疲れ様でした」との思いのほうが、正直まさっていました。
義兄と共に、天国で楽しい語らいをされるであろうことを祈りたいと思います。