四季の彩り

季節の移ろい。その四季折々の彩りを、
写真とエッセーでつづって参ります。
お立ち寄り頂ければ嬉しいです。

「口語短歌・水曜サロンの会」(その16)

2021年12月29日 05時18分57秒 | 短歌
「口語短歌・水曜サロンの会」(その16)   短歌の投稿を歓迎します!!

     ☆☆☆ 今回の掲載をもって2021年の「水曜サロン」は完了となります。    ☆☆☆
     ☆☆☆ 2022年の「水曜サロン」は2022年 1月12日(水)から開始致します。 ☆☆☆
     ☆☆☆ 出詠頂き、またお立ち寄り頂いた皆様に感謝申し上げます。       ☆☆☆
     ☆☆☆ 皆様も良いお年をお迎えください。                  ☆☆☆


 「口語短歌・水曜サロンの会」は、このブログにお立ちより頂いている
 皆様の詠まれた短歌を掲載し、その作品の鑑賞を行うサロンです。

 短歌の初心者の方から、ベテランの方まで、所属する短歌会等を越えて、
 自由に短歌を投稿し、鑑賞しあえる「賑わいのあるサロン」を目指したいと
 思っています。皆様の投稿を歓迎します。

【年末年始の投稿】
 年末年始の日程につき、各位の諸々のご都合もあるでしょうから詠草等の
 投稿は以下の日程にて執り行いたいと思います。ご協力頂ければ幸いです。
  ・2021年12月29日(水) 2021年「水曜サロン」最終掲載日
  ・2022年 1月11日(火) 17:00 2022年 最初の短歌投稿締め切り 
  ・2022年 1月12日(水) 2022年「水曜サロン」最初の掲載日

 なお、運営等につきましては、末尾に記させて頂きますので宜しくお願い致します。




「ブログ友の投稿歌 交流コーナー」

☆太陽が 新雪照らし 朝焼けの 白い野原に 轍くっきり
☆あしひきのくれない燃ゆる浅間山冬支度急ぐ麓の家も
☆楽しみは ハルニレテラス 遊歩道 語らいながら 散歩するとき

                         浅間山明鏡止水(knsw0805)さん

【解説】
 浅間山が麓まで白銀に覆われると、軽井沢をはじめ佐久平にも白雪が降りますね。
 そして高原の地は結構厳しい寒さも襲ってきますが、気持ちまでシャキッとした
 記憶があります。いずれも冬に真向かう高原の地の光景を詠んだ素敵な短歌です。
 二首目の「あしひきの」は「山」を導く枕詞ですが、この場合「浅間山」に掛かりますが、
 「くれない燃ゆる」が間に挟まれているため、枕詞の機能を少し弱めているように見えます。
 五音はもったいないので「夕焼けの浅間山」にフォーカスし、次のように詠んでみましたが、
 いかがでしょうか。
【ご参考】
  ★白銀(しろがね)の浅間の峰も夕映えに 染まり燃えるや 木枯らしのなか

☆整列の頭しばりの白菜がきらきら光る冬至の朝に
                         あんりママさん

【自己注釈】あんりママさんご自身の注釈です。
 朝畑道を歩くと、広い畑は頭をひもで縛った白菜が規則正しくどこまでも並んでいて、
 一面の真っ白な霜が朝日に照らされきらきらと光るのがきれいでした。
【解説】
 「真っ白な霜が朝日に照らされ」耀いてみえる畑に、一列に並んだ白菜。「頭縛り」された白菜は、
 冬の寒さに耐えながら糖分が増す、通称「越冬白菜」と言われているようですね。
 そんな「風物詩」とも言える光景を詠んだ短歌は、確かな写生となっています。
 ただ、光るのは白菜でなく、朝日に照らされた霜ですので表現を少し工夫してみました。
 いかがでしょうか。ただ「冬至の朝に」の句も良いので、捨てがたいのですが・・・。
【ご参考】
 ★初霜の光る畑に整然と 頭しばりの白菜ならぶ


☆食べるのが遅いわたしは食堂で早く食べよと叱られたりし
☆歩くこと遅くなりせば回数を増やすべからずのろのろ散歩の
☆嗚呼やはり歳はとりたくあらざるよ歩くにしても食べるにしても

                         びこさん

【解説】
 「食べるのが遅い」「歩くこと遅く」は、個人差はあるでしょうが年齢と共に誰しもが通る道。
 その状態に批判的な目を向ける方も、やがて自ら納得する日が来ますので、堂々と胸を張り、
 楽しく歩き、美味しく頂きましょう。
 「想像力に欠ける」方は、いつの世にも、いずこにもおられますが、やがて自分の不明に
 恥じることになるでしょうから、笑ってスルーしましょう。
 「年をとること」が誇りとなるような先輩も数多いますので…、寂聴さん、佐藤愛子さんしかりですね。



☆都会は孤独
  ーー誰もが別の顔ーー
    地下鉄の音がただ こだまする

                         自閑 (jikan314)さん

短歌説明】自閑 (jikan314)さんご自身の説明です。
 YouTubeの曲や映像のイメージから自由律短歌を作っております。今回の題は、
 「都会の孤独 ストレンジャー」で、曲はビリー・ジョエルのストレンジャーです。曲の最初に口笛を吹き、
 私には、ニューヨークの孤独な風景に聞こえました。
 「ーー」で区切られた部分は、よく歌手が歌う歌詞とは別に、バックコーラスが歌う歌詞的イメージです。
 拙blogにYouTubeを張り付けておりますので、ビリー・ジョエルの曲と共に、愚詠も御覧頂ければ幸いです。
 https://blog.goo.ne.jp/jikan314/e/074e3e5776ff4e0fd4bcad9257cc28bf
【補足】ポエット・M
 アメリカのシンガーソングライター、ビリー・ジョエルは「ストレンジャー」のアルバム中の
 「素顔のままで」でグラミー賞もとっていますが、シングル盤も出されていますね。
 シングル盤「ストレンジャー」では、おっしゃるように「都会は孤独」を、曲の最初の口笛で
 象徴的に表現していますね。
 何気ない日常に現れる、深い孤独を表現する、詩情の滲む自由律短歌と思います。


☆長い旅 初めて一緒の 里帰り
   車窓の雪を クロは楽しむ
☆コロナ渦で久々の帰省 門前で
   待つはずの義母(はは) 介護施設に

                         クロママさん

【解説】
 ご実家への帰省。愛犬クロちゃんにとっては、初めての長旅とのことでしたが心配する事はなく、
 むしろ車窓から雪景色を楽しんだ様子が、短歌から窺えます。
 クロちゃんに注がれる温かな眼差しが溢れる、好感の持てる短歌と思います。
 二首目を散文調から、少し調べを加えてみましたが、いかがでしょうか。
【ご参考】
 ★コロナ禍の 帰省叶わぬ日々の後
   出迎えくれる 義母(はは)は施設に


☆夜遅く帰宅の吾の布団敷く夫の優しさ心にしみる
☆真っ直ぐに吾(あ)の目を見つめ「ミャー」と鳴く猫のミー姫信頼の瞳

                         リコさん

【解説】
 作者の所属する短歌会は歌会始の儀に3名の方が入選されているとのこと。
 それだけ優れた歌人の方が在籍されていることと思います。
 それらは、お互いに刺激になり、切磋琢磨の場となっていることと思います。
 一首目は、作者ご夫妻の日ごろの思いやりが垣間見える、温かなお歌と思います。
 このような短歌が自然に詠める関係性。それをお互いに築いてこられた、お二人の
 絆の強さをしみじみと感じます。
 この歌に表現されたご夫妻のあり方を、私達シニアも目指したいと思います。


☆冬凪の海原すべる鴨の群れ 舞いゆく果てに漁り灯も揺れ
                         ポエット・M

【解説】
 夕凪の海の寒さをものともせずに、鴨の群れが滑るように進み、一斉に舞い立っていきます。
 その舞い立つ果てに、微かに灯り始めた漁火が揺れています。正に漁火を目指すかに飛び立つ鴨たちの、
 一糸乱れぬ舞姿に見惚れて詠んでみました。



「五行詩」「痛みの変奏曲」鑑賞 (17)

4.戸隠山無情 (4)

  戸渡りを 
    渡りてさらに
      刃渡りを
     越えて楽しさ
       八方睨

    蟻のごと
      登りきたりて
        山頂の 
       八方睨の
         風に立つ我れ

     峰を超え
       峰を渡れば
         次々と
        戸隠山の
          振袖模様
 
    はるかなる
      空の彼方を
        ゆく雲に
       君を思えば
         戸隠無情

   なにもかも
      急に哀しく
        切なくて
       身も世もあらず
         涙をながす




【短歌入門・質問・提案コーナー】
 この「水曜サロン」に集う皆様の直近のコメント等に記された、短歌を作るうえでのヒント、
 さらに質問、諸々の疑問点等にいて、触れていきたいと思います。
 皆様からのご提案、さらに素朴な疑問も含めて、コメント欄にお寄せいただければ幸いです。
 なお、私の「質問への回答」は、あくまでも一つの「解」でありますので、他の回答、反論、
 ご意見等もありましたら、このコーナーで大いに議論して参りましょう。
 それが学びに繋がれば嬉しいです。

【枕詞(まくらことば)】2021年10月13日 付けで掲載しましたが、再録します。
 枕詞とは短歌(和歌)にみられる修辞用語のひとつで、一定の語の上にかかって、ある種の
 情緒的な色彩を添えたり、句調を整えたりするのに用いられます。ただ、主題とは直接に
 意味的な関連はありません。
 簡単に言うなら、「あしびきの」とくれば、その下は「山」、「ひさかたの」とくれば
 その下には「空」や「光」などがくるわけです。

 枕詞は、口誦時代には一定の語句を引き出す役目をしていました。ただ、現代では短歌は
 文字に書いて発表されることが大半のために、このような効力は失われつつあります。それでも、
 枕詞の多くの語句が五音から出来ているため、現代短歌の世界においても韻律を整えるうえで
 有効であることは確かですので、挑戦してみましょう。

 枕詞とその枕詞が引き出す語句の例がネットに掲載されていますので、一例を「ご参考」として
 URL(ネットのアドレス)を以下に記しておきます。
 http://makurakotoba-ichiran.seesaa.net/




【運営にあたって】
 注)文頭から移しました。
 (1) 投稿期間は毎週水曜日から翌週火曜日17:00までと致します。
    注)投稿に当たっては、ご自身のブログのアドレス(url)も記入願います。
 (2) おひとり様 3首まで(1首でも可)コメント欄に投稿願います。
 (3) 口語短歌を基本としますが、文語混じりでも構いません。
   仮名遣いは新仮名遣いとし、旧仮名遣いは極力避けて頂ければ幸いです。
 (4) 投稿頂いた短歌は、そのまま掲載します。皆様から感想等頂ければ幸いです。
 (5) 作者名は投稿頂いたペンネーム等を、そのまま掲載します。
 (6) 掲載順序は、原則本ブログのコメント欄への到着順と致します。
 (7) 掲載された短歌の著作権は、投稿者に帰属します。

                            了
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ささやかなクリスマス・パーティー

2021年12月24日 21時17分55秒 | 日々の歩み
過日、息子の勤務の関係もあり、少し早かったのですが、イブイブのささやかなクリスマス・パーティーを
我が家で催しました。この催しは、ここ数年の恒例行事となっています。
お昼過ぎにやってきた息子夫婦と先ずはお買い物に行き、お刺身やサラダ、そして女性たちの要望で甘口の
シャンパン等を購入し、予約してあるというクリスマスケーキと、チキン等を受け取りに行ってきました。



我が家では集まるたびに、お料理は息子たちがすべてやってくれて、細君は見守ることに徹しています。
早めにそれぞれ入浴を済ませ、先ずはサラダ、お刺身、チキン等々と盛り付けが進んでいきます。
マグロが好きな細君のため、今日は本マグロの中トロをプラスし、お嫁さんの好きなイクラ、さらに
私の好きなチキンの揚げ物などがこたつの上に並びました。



先ずは、シャンパンはチンザノ アスティ・スプマンテ (イタリア・スパークリングワイン)で、
乾杯(^^♪。シャンパングラスは過日長男が用意してくれた、クリスタルグラスを早速使いました。
次男は歌うのが大好きで・・・この日もホワイトクリスマスを(^-^)アカペラで熱唱してくれました。
日ごろお酒はあまり飲まない細君ですが、この甘口のシャンパンは美味しかったと見えて飲み乾していました。
お嫁さんもお気に入りのようでした。



また、マグロ好きな細君はトロのお刺身を美味しそうに食べ、日ごろあまり食べないイクラも
お嫁さん共々美味しそうに食べていました。
クライマックスのクリスマスケーキは、ナッツといちごにデコレーションされた大人の味で、
私から見てもかなり美味しいものでした。


お刺身用の山葵は、先月の旅行で安曇野で買い求めた、「大王わさび農場」産のものをすりおろして頂きました。
我が家では「わさび丼」にして即食べてしまいましたが、この日の為に次男が保存し持ってきてくれ、
ちょっぴり感動し、感謝して頂きました。
また、日ごろ時間もなくじっくりと話の出来ない場合が多いのですが、お酒も入りくつろぎながらの
語らいも中々いいものと、改めて感じました。



あと1週間ほどで新年になりますが、オミクロン株による市中感染の状況もあり、警戒を一段と
強めていく必要がありますね。引き続き基本的な感染対策を行いながら、新年を迎えたいものと
思っています。
コメント (10)
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「口語短歌・水曜サロンの会」(その15)

2021年12月22日 05時49分08秒 | 短歌
「口語短歌・水曜サロンの会」(その15)   短歌の投稿を歓迎します!!

 「口語短歌・水曜サロンの会」は、このブログにお立ちより頂いている
 皆様の詠まれた短歌を掲載し、その作品の鑑賞を行うサロンです。

 短歌の初心者の方から、ベテランの方まで、所属する短歌会等を越えて、
 自由に短歌を投稿し、鑑賞しあえる「賑わいのあるサロン」を目指したいと
 思っています。皆様の投稿を歓迎します。

【運営にあたって】
 本件は、「水曜サロン」も既に14回を重ね、皆様にもご理解されてきていることと
 考えますので、末尾に記させて頂きます。


    「咲き初める ヒマラヤ雪ノ下」

「ブログ友の投稿歌 交流コーナー」

「悲しみのラプソディ~椿山荘の思い出③」
 ☆起きてすぐ 朝の身支度 する時に 愛の抱擁 寂しさ漂う
 ☆駅送る タクシー車中 無言なり 愛の切なさ 別れの時に
 ☆ある朝に 別れのメール 切なくて 激しい眩暈 一人悲しむ

                         浅間山明鏡止水(knsw0805)さん

【解説】
 『「想像の翼」に乗って思い切り冒険』された「椿山荘物語」は、今回の作品をもって終了とのことです。
 後朝(きぬぎぬ)の後の「別れのメール」をもって、劇的なフィナーレとなったことは、読者として少し
 残念ですが・・・。短歌の連作によって物語を紡ぐことは、古今から多くの方によって試みられてきました。
 作者の歌物語も悲しい結末でしたが、余韻に満ちた素敵な物語だったと思っています。一首目を、
 ラプソディのフィナーレに向けての前奏曲として、少し工夫してみましたが、いかがでしょうか。
【ご参考】
 ★ルージュひく 君に一夜の名残なく 朝の抱擁 なぜか寂しく


☆青空に 遮るもの無し 浅間山
      見事冠雪 凛と佇む
☆木枯らしの 風に向かって 走るクロ
     なびく耳毛に 枯葉がまわる

                         クロママさん

【解説】
 最近の作者の短歌の進化には、眼を見張るものがあります。
 愛犬クロちゃんに注ぐ確かな眼差しが、歌にも表れていると考えます。
 「木枯らしの 風に」は、「風」の重複となりますので、少し整理してみましたが、
 いかがでしょうか。
【ご参考】
 ★木枯らしに 向かって走る クロの背と
        なびく耳毛を 枯葉も追うや


☆戦いに疲れた男たちゆっくり眠れ
          ここは休息の場所

                         自閑(jikan314)さん

【短歌説明】自閑(jikan314)さんご自身の説明です。
 YouTubeの映像と音楽から短歌を作っております。
 題は、「YouTube短歌:男たちの休息(ロード・オブ・ザ・リング エンヤ)」で、
 映画やエンヤの曲May It Beを知ってらっしゃる方も多いかと存じます。
 私は英語が大の苦手で、この曲の歌詞も意味も知りませんが、そう言う風に
 聞こえたと言う事で御容赦願います。
 「男たち」で一旦切ろうかと悩み、今も迷っております。
 映画の映像と音楽を下記URLに作っておりますので、御覧頂き、愚詠も併せて
 笑覧頂ければ幸いです。
 https://blog.goo.ne.jp/jikan314/e/c7afaaf7272df08d6f0273a5fdd90b9d
【投稿外コメント】
 新古今和歌集を学んでおりますが、新古今調として体言止めが有り、昔2千首を
 数え、古今集の1千百首と比較した事が有り、明らかに多くなっておりました。
 又三句切れも多く、後の宗祇などの連歌師が新古今和歌集を学んでいました。
 さらに句切れも多く、2か所、3か所と切れている和歌も有りました。
 ピカソのコラージュに通じるものが有り、現代語訳に苦労しております。


【補足】ポエット・M
 作者の短歌から、かつて、岩崎宏美さんが詠った「聖母たちのララバイ」の
 歌詞「さあ、眠りなさい~・・・この都会(まち)は 戦場だから 男はみんな
    傷を負った戦士」が、思い浮かびます。
 また、エンヤの曲May It Beの中に、
   "Darkness has come Believe and
    you will find your way Mornie alantie"
   「暗闇に包まれた時にも あなたの心は真実と共にありますよう」とありますが、
 戦いに傷ついた男たちへのララバイであるとともに、人生の旅を続ける男たちへの、
 祈りをうたっていると考えます。これは、作者の短歌のもつ喚起力の強さと考えます。
 なお、「男たち」で一旦切ろうかとのことですが、このままの方が物語性があると考えます。


☆原稿のメール添付に失敗しファックス送るコンビニに行く
☆原稿を郵送でなくコンビニのファックス使うIT老人

                         リコさん

【作者 注】リコさん ご自身の注釈です。
 月刊の短歌誌の編集のお手伝いをしています。
 毎月3名の方に「自歌自注」の原稿の依頼をします。その中のお一人がパソコンで
 原稿を添付出来なくてコンビニのファックスで原稿を送ってみえました。老齢の方が
 郵送でなくセブンイレブンのファックスを使われたのが面白くて詠草しました。


【補足】ポエット・M
 「月刊の短歌誌の編集」は、原稿依頼、原稿作成から印刷まで、待ったなしの
 日程で行われるため、大変なご尽力と思います。いきおい郵送でなく、メールや
 ファックスとなるでしょうが、それを懸命に使うお仲間のご努力に、温かな眼差しも
 注がれる、作者の想いも垣間見れる短歌と思います。
 「口語短歌」の題材としては意欲的な作品と考えます。



☆降り積もる冬将軍の贈り物 行く人の声励みになって
                         あんりママさん

【作者 注】あんりママさん ご自身の注釈です。 
 強風の後は、近くの樹木からの落ち葉が山のようになります。掃除をしていると、
 通りを歩く人がみんな声をかけてくれてあたたかい気持ちになりました。


【解説】
 降り積もる落ち葉の掃除は結構大変ですが、その際に行きかう人たちの励ましの
 声もまた、嬉しいものです。そんな一齣を詠った短歌ですが、ほのぼのとした
 光景が短歌から伺えます。
 なお、「冬将軍の贈り物」が落ち葉であることを、解らせる工夫をしてみましたが、
 いかがでしょうか。
【ご参考】
 ★積もる葉は冬将軍の贈り物 掃除の吾に励ましの声


☆精神薬飲んでゐたから無罪とふ判決無茶苦茶なれどよくある
☆殺された人は殺され損といふそんな判決この世にありて
☆泣き寝入りする遺族らの涙より医薬利権の威張るこの国

                         びこさん

【解説】
 処方された薬の副作用は、人により現れ方が異なり、時には犯罪を誘発する
 悲劇も少なからず生まれているのも事実ですね。
 この悲劇の裏に、現代の医療と製薬会社の利権の闇も、垣間見える現実が
 あります。その矛盾を鋭く突いた短歌と考えます。
 「遺族らの涙」に寄り添う作者の想いに、学んで行きたいと思います。


☆寒空にひらひらと舞う雪の華地に触れ溶けて生を終わらん
☆儚さを残すことなく今を生き思いの丈を成す日々として

                         和輪(warincafe2010)さん

【作者解説】 和輪(warincafe2010)さんご自身の解説です。
 こちらの詩は…突然飛び込んできたニュースをもとに生きるということと、命の儚さに思いを
 めぐらし詩に詠みました。時も冬ということで…雪に例えて詩を作りました。命というものは…
 本当に儚いものなのだ!と痛感致しました。
 儚いからこそしっかりと今を生き、喜びを感じ、幸せを感じ、思い残すことなく散れる様な
 日々をおくりたいと感じ、詠んでみました。

【補足】ポエット・M
 突然飛び込んできたニュースとは、大阪市北新地のクリニックで起きた事件、あるいは、
 神田沙也加さんの事件でしょうか。何れにしましてもあまりに痛ましい事件で言葉に
 表現しきれません。改めて哀悼の誠をささげたいと思います。
 厳しく、痛ましい事件ですが、作者らしい詠いぶりに感動しました。


☆月影を映し散りゆく もみじ葉よ 仕舞いの舞は かくも静かに
                         ポエット・M

【解説】
 今年の12月19日はコールドムーンとも言われる満月でした。この月の光にもみじ葉が照らされて静かに
 散っています。艶やかに燃えるように紅に染まったもみじ葉も、闇に散る様はまさに静寂そのもので、
 まさに、すり足で「仕舞」を舞っているかに感じました。そんな様子を詠ってみました。




「五行詩」「痛みの変奏曲」鑑賞 (16)

4.戸隠山無情 (3)

  戸隠の 
    蟻の戸渡り
      渡るとき 
    ふいに誰かが
      我れの名を呼ぶ

   幻聴と
     知りつつ我は
       愚かにも
      声にふり向く
        蟻の戸渡り

      ふりむけば
        右も左も
          絶壁の
         蟻の戸渡り
           ただ風ばかり

       目をあげて
          さても剣の
             刃渡りを
         登りゆかんと
            鎖をつかむ

     鎖場の
       鎖をつかむ
         己の手の
        白さに浮かぶ
         かすかな不安




【短歌入門・質問・提案コーナー】
 この「水曜サロン」に集う皆様の直近のコメント等に記された、短歌を作るうえでのヒント、
 さらに質問、諸々の疑問点等にいて、触れていきたいと思います。
 皆様からのご提案、さらに素朴な疑問も含めて、コメント欄にお寄せいただければ幸いです。
 なお、私の「質問への回答」は、あくまでも一つの「解」でありますので、他の回答、反論、
 ご意見等もありましたら、このコーナーで大いに議論して参りましょう。
 それが学びに繋がれば嬉しいです。

【ご参考】びこさんより寄せられ文章を掲載致します。
 自由律短歌ですけれども、実は、私の所属しています短歌会の前主宰、永田和宏氏は
 一時ものすごい破調の歌を作っておりました。それを見て、私の最初の師であった
 「心の花」所属の先生が「最近の永田和宏氏の歌の破調はすごいわね」と申しておりました。
 その頃、まだご存命だった奥様の河野裕子氏も破調の多い歌を詠まれておりました。
 で、河野裕子氏に言わせれば、定型があるからこそ破調の短歌も許されると。ということで、
 一時、私の所属する短歌結社「塔」は、破調の歌が闊歩しておりました。が、真中朋久氏、
 この方も破調の多い選者先生ですが、は、選歌にあたっては、やはり定型に収まっている
 歌のほうを選歌すると言っておりました。破調にするには破調にするだけの止むに止まれぬ
 理由が要るということなのでしょう。私の最初の師であった先生の持論は短歌の定型には
 不思議な力が宿っているというものでしたから、破調の歌は許せなかったようでした。
【補足】ポエット・M
 「塔」短歌会の前主宰、永田和宏氏と、奥様の 故河野裕子氏のご活躍と、短歌界の発展に
 果たされた功績には大なるものがあると考えています。このお二人は、破調の短歌のみならず
 「口語自由律」の短歌へも、深い理解を示されていたと伺ったことが在ります。
 なお、歌人 馬場あき子さんは「河野裕子は短歌の世界に口語を導入した歌人であり、
 最後まで文語の美質を香らせながら口語で歌を詠んでいた」と評しています。
 びこさんの記された「定型があるからこそ破調の短歌も許される」等の記述は
 「水曜サロン」に集う、歌友たちの参考になると考え、掲載させて頂きました。



【運営にあたって】 注)文頭から移しました。
 (1) 投稿期間は毎週水曜日から翌週火曜日17:00までと致します。
    注)投稿に当たっては、ご自身のブログのアドレス(url)も記入願います。
 (2) おひとり様 3首まで(1首でも可)コメント欄に投稿願います。
 (3) 口語短歌を基本としますが、文語混じりでも構いません。
   仮名遣いは新仮名遣いとし、旧仮名遣いは極力避けて頂ければ幸いです。
 (4) 投稿頂いた短歌は、そのまま掲載します。皆様から感想等頂ければ幸いです。
 (5) 作者名は投稿頂いたペンネーム等を、そのまま掲載します。
 (6) 掲載順序は、原則本ブログのコメント欄への到着順と致します。
                            了
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挽歌  - 善磨 と ふく -

2021年12月18日 09時47分50秒 | 短歌
   挽歌
      - 善磨 と ふく -


この稿は、ある短歌誌に載せたものですが、私と短歌との関わりの一齣ともなっていますので
少々古いものですが掲載させて頂きます。
私を短歌の世界へ導いてくれた義理の叔母に当たる(細君の母の妹)、荒川ふくへの挽歌も
含まれていますので掲載したいと思います。



  ☆遺棄死体数百といひ数千といふ
          いのちふたつもちしものなし
  


 の歌、一首を含む土岐善磨の歌集「六月」は太平洋戦争前夜に刊行されました。これは朝日新聞の論説委員としてリベラルな論説を掲げ続けた氏の、退社記念として編まれた歌集でもあります。この一首は、当時の時代背景の下、ヒューマニズムの極致として大きな反響を呼びました。しかしこれによって、時局非協力者として氏が運営にあたっていた「大日本歌人協会」は解散を余儀なくされ、氏自身も歌壇を追われることになりました。

 戦後の日本は、戦争協力の手垢のつかぬ文化人として土岐善磨に出番を与え、多くの文化的な事業、仕事が持ち込まれました。この一つに氏を講師とする大短歌教室がありました。戦前から「生涯の歌の師」と善麿を慕い続けた荒川ふくは、ためらわずこの教室の受講者となりました。荒川はお腹を痛めた四人の何れの子も、自ら看取るという逆縁の辛さを抱えた方でした。荒川はそんな思いを秘めながらも、辛さも、寂しさも、悲しみも昇華し、おおらかに包み込んでくれる歌の世界があることを、この教室で善磨を通して、さらに学び深めた一人でした。善磨の説く「市井に暮らす人々。その生活と思いに寄り添う歌」に没頭し、精進を重ねる真摯な生徒の一人でもありました。荒川の半生は、この辛さと、哀しみに耐えつつ、師と仰ぐ土岐善磨に歌を学び、憧れと慕う心の相克を歌に結実させた歩みでもあったと考えています。

  ☆師の君の申されし事いまにして 険しき歌の道に戸惑う

 この歌は、この当時の荒川の心情を映して余りあるものと考えます。また、荒川の歌は四季の移ろいを敏感に捉え、花々に、一木一草に寄せた、たおやかで、豊な感性を滲ませ、身内びいきを差し引いても、少なからぬ感動を与えてくれました。
 私は、30代の初め、たまたま義理の叔母にあたる荒川に差し上げた手紙が縁になって、歌の世界に参加させて戴きました。気負わず淡々と詠み続け、しかも行間に溢れる情感と、抑えた情念を滲ませた歌には、歌の先輩として多くを学んで参りました。

 師、土岐善磨の三年忌の墓前に捧げるとの思いから出版された、荒川の第一歌集「かずら集」は、黄泉の国で先に暮らす、師への何よりの土産になったのではないかと、考えています。師と共に歌を詠み、語らう荒川の姿を思い浮かべつつ、御冥福を祈りたいと思います。
 今回は、これらの思いと共に、荒川への挽歌として詠って見ました。「それでいいんだよ。気負わず自然に詠みなさい」との荒川の、かの日の言葉を励みとして、拙い歌を挽歌として墓前に捧げたいと思います。



        風花の舞い行く街を黄泉に向け 一人旅発つふくの幻

        叔母偲ぶ心に香るしだれ梅 導きくれし歌を抱くも

        一樹なき街に舞いたる風花に 叔母と歩みし高野偲ばん

        善磨をただひたすらに慕いたる ふくの生涯清清しく

        師の君のお傍に行くが望みとう 在りし日語る叔母を偲ばん

        慕いたる 激しさ故の純情を 歌に託せし叔母の旅立ち

        啄木を庇いし善磨 その想い 継ぐに険しき叔母の思いも

        憧れと慕う想いの相克を 歌にぶつけしふくの境涯

        なしたる子いずれも見送る叔母の耳 師の君語る歌は響くと

        天翔ける師の君追いて旅立つや 叔母の一途の思いかなうも


          
                       初稿 平成13年3月20日

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「口語短歌・水曜サロンの会」(その14) 

2021年12月15日 05時45分03秒 | 短歌
「口語短歌・水曜サロンの会」(その14)   短歌の投稿を歓迎します!!

 「口語短歌・水曜サロンの会」は、このブログにお立ちより頂いている
 皆様の詠まれた短歌を掲載し、その作品の鑑賞を行うサロンです。

 短歌の初心者の方から、ベテランの方まで、所属する短歌会等を越えて、
 自由に短歌を投稿し、鑑賞しあえる「賑わいのあるサロン」を目指したいと
 思っています。皆様の投稿を歓迎します。

【運営にあたって】
 本件は、「水曜サロン」も既に12回を重ね、皆様にもご理解されてきていることと
 考えますので、末尾に記させて頂きます。



    「咲き初める日本水仙」

「ブログ友の投稿歌 交流コーナー」

「悲しみのラプソディ~椿山荘の思い出②」
 ☆ル・マーキー お洒落なバーが お気に入り
         ハバナ葉巻に バーボンウイスキー
 ☆イタリアン 舞台のような イル・テアトル 
         白トリフのパスタに 舌鼓打つ
 ☆夕闇の 帳が落ちて 漆黒の
         闇夜が来れば 愛のささやき

                         浅間山明鏡止水さん

【解説】
 おしゃれなバーにレストラン、さらに漆黒の闇に交わされるささやきと、「ラプソディ」も
 佳境に入ってきましたが、短歌のテンポの良さに惹かれます。
 一首目は、ホテルのメインバー「ル・マーキー」で、ハバナ葉巻を燻らすカッコいい作者が
 浮かぶ素敵な短歌です。作者の行動を少し詠み込んでみましたが、いかがでしょうか。
【ご参考】
 ★ル・マーキー お洒落なバーに ゆったりと
         ハバナ燻らし バーボンを飲む


☆しめやかな宿雨の朝をひとりじめ あかさび色の落ち葉踏みしめ
                         あんりママさん

【解説】
 ひっそりと降り続く長雨の朝。訪れる人のいない公園で、メタセコイアの
 落葉の絨毯を歩みながら、その感触を静かに味わう作者。その満ち足りた
 表情が歌から読み取れます。
 「赤さび色の落ち葉」の表現に、作者の鋭い観察眼が光っています。

☆享楽という時代に確かに私は生きていた。青春時代
                         自閑(jikan314)さん

【短歌説明】自閑さんご自身の説明です。
 YouTubeの映像音楽を聴きながら、短歌を作っております。
 題は、「享楽への郷愁(山下達郎 JR東海)」で、この時期になると
 毎年流れていたJR東海の山下達郎のクリスマスイブです。
 10年前に作った短歌ですが、先日銀座を歩いていて、きらびやかな世界に、
 バブル時代を思い出し、以前作ったのですが、投稿します。
 何かがおかしかった時代ですが、そこに私の青春時代に生きていたんだと
 言うものです。YouTubeの映像と最近の銀座の写真を下記urlに載せておりますので、
 愚詠もご覧頂ければ幸いです。女優たちの衣装がいかにもバブルだなあと。
 https://blog.goo.ne.jp/jikan314/e/10da09f770f6965b0dc24780b1d74a15
【投稿外コメント】
 自由律短歌について、詳しく教えて頂き有り難うございます。定型であれ、自由律であれ、
 自分の思った事を表現でき、相手に伝わればなあと。でも独善的にもなり勝ちなので、
 十分注意しないとと思っております。

【補足】ポエット・M
 「自由律短歌」等も100年を超える歴史の中で試され、多くの歌人の方によって磨かれ、今日に
 至っています。これらは、定型や韻律に囚われず、最終的には短詩型の中に想いと共に、詩情を
 いかに盛り込み、表現仕切るかだと考えています。
 定型や韻律に寄りかからずに、読者の方に納得して頂く作品を紡ぐ。その営みは、少なからぬ
 困難も伴うものとの思いもあります。
 これらの短歌からも学び、納得のいく短歌をお互いに追及して行ければと思っています。
 この「水曜サロン」が、そんなジャンルを超えた交流の場になれば幸いと考えています。



☆つかの間の コロナ休息 倍返し
        気を抜く隙を 狙って撃つか
☆ゆく秋の 名残惜しむか もみじ葉は
        燃やし尽くして 艶やかに舞う

                         クロママさん

【解説】
いずれも完成度の高い短歌に、仕上がっていると感じます。
一首目の「コロナ休息 倍返し」は示唆に富んだ短歌ですね。心してかからねばとの、
警句も含んでいます。二首目の「燃やし尽くして」の表現も、もみじの終焉の輝きを
うまく表現していると感じます。

☆ハイヒール今も履けると大切に仕舞つてあるよ七十路(ななそじ)なれど
☆流行に乗り遅れむと服を買ふこともあるわれ老いを忘れて
☆老い忘れゐるから老いに兆したるもろもろ認めがたきわれかも

                         びこさん

【解説】
 「老い忘れゐる」と詠える作者は、精神的にも、身体的にも十分お若いのだと思います。
 そんな覇気も歌から立ち登ってきますが、「ハイヒール今も履けると」は、素敵ですね。
 なお、自らの想いに真摯に向き合い、歌を紡ぎ出す。そんな歌詠みの原点を、作者から
 学んで参りたいと思っています。

☆察するを磨く心の俳句かな
    作りしものの瞬間(とき)を楽しむ
☆いにしえに学ぶ心の俳句かな思考を重ねひとり喜ぶ

                         和輪(warincafe2010)さん

【解説】
 作者のブログで、ブログ友同士の短歌の「相聞」をしばしば拝見しています。
 言葉での交流以上に、深い想いも盛ることが出来るとの可能性を感じています。
 平安時代に和歌を介して想いを交わし合った歴史が、ネットを介して蘇える現実を
 みた想いが致します。
 出詠の短歌は、季語はないものの上の句のみで「俳句」として成り立つ完成度と考えます。

☆森深く 落ち葉踏む音 木霊して 残るもみじの葉擦れの音も
                         ポエット・M

【解説】
 三浦半島の突端に位置する観音崎公園は、標高差60mほどの台地にある森林公園でもあります。
 それはブナをはじめ多くの広葉樹に覆われた深い森となっています。
 その森は訪れる方も少なく静寂に包まれており、落ち葉を踏む微かな音さえも響き、木霊と
 なって帰ってくるかのような錯覚にとらわれます。
 さらに、未だ残るもみじの葉擦れの音も、舞い落ちる枯れ葉の音も、その木霊に和するように
 聞こえてきます。そんな様子を「落ち葉踏む音 木霊して」と詠ってみました。




「五行詩」「痛みの変奏曲」鑑賞 (15)

4.戸隠山無情 (2)

  森林を
    抜けて間もなき
       奥社にて
     腰をおろして
       肩の荷を解く

     一杯の
       冷たき水を
          奥社にて
        いただき仰ぐ
          戸隠の山

        戸隠の
          山に隠れし
             人の碑に
           合掌すれば
             小鳥(とり)の鳴く声
    
       肘鉄を
         食うて転落
            死するとも
          我は恨まじ
            戸隠の山
     
     なめくじの
        戸渡りですと
           呟いて
         腹這いわたる
           蟻の戸渡り
  
      



【短歌入門・質問・提案コーナー】
 この「水曜サロン」に集う皆様の直近のコメント等に記された、短歌を作るうえでのヒント、
 さらに質問、諸々の疑問点等にいて、触れていきたいと思います。
 皆様からのご提案、さらに素朴な疑問も含めて、コメント欄にお寄せいただければ幸いです。
 なお、私の「質問への回答」は、あくまでも一つの「解」でありますので、他の回答、反論、
 ご意見等もありましたら、このコーナーで大いに議論して参りましょう。
 それが学びに繋がれば嬉しいです。

【区切れ】
 区切れとは、一首の中にある内容的な切れ目のことをいいます。
 短歌では、主に倒置や言い切った言葉などが区切れの部分です。万葉調と言われる五七調には、
 二句切れや四句切れ、あるいは二句四句切れ、「古今集型」あるいは「新古今集型」と言われる
 七五調には、初句切れや三句切れ、あるいは初句三句切れといったルールがそれぞれあります。
 句切れの把握は、短歌の構成やリズムを理解していく上で、役立つと考えます。

 なお、倒置とは、短歌や文章において通常の語順を変更させることであり、表現上の効果を
 狙ってなされる修辞技法の1つです。

【止め】
 短歌の結びを「止め」と言います。
  ・一般的に、印象を鮮烈にし、余情を表現する場合には体言止め
  ・感動の中心を示す場合には助言止め(助詞止め)
 を、それぞれ使用します。体言には名詞・代名詞・数詞が含まれます。
 助言止め(助詞止め)には「けり」や「かな」という言葉を使います。



【運営にあたって】 注)文頭から移しました。
 (1) 投稿期間は毎週水曜日から翌週火曜日17:00までと致します。
 (2) おひとり様 3首まで(1首でも可)コメント欄に投稿願います。
 (3) 口語短歌を基本としますが、文語混じりでも構いません。
   仮名遣いは新仮名遣いとし、旧仮名遣いは極力避けて頂ければ幸いです。
 (4) 投稿頂いた短歌は、そのまま掲載します。皆様から感想等頂ければ幸いです。
 (5) 作者名は投稿頂いたペンネーム等を、そのまま掲載します。
 (6) 掲載順序は、原則本ブログのコメント欄への到着順と致します。

                            了
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冠雪した富士山

2021年12月11日 21時08分16秒 | 短歌
過日、久しぶりに晴れ渡る空の蒼さに誘われて、観音崎公園に散策を兼ねて
行ってまいりました。

途中東京湾に突き出た岬から、冠雪した富士山を眺めることが出来ました。
横須賀から東京湾を挟んで富士山が眺められる不思議を、当初は理解できません
でしたが、今はすっかりおなじみの景観になっています。




今回は観音崎で、未だ咲く皇帝ダリアと草原、さらに東京湾の上にそびえる富士山の
写真を中心に載せたいと思います。


なお、森の静寂の中で、落ち葉を踏む音が木霊するかのように響き、なぜか荘厳な
想いに包まれましたが、そんな様子を詠ってみました。

 ☆冬の森 妻と歩むも木霊して 落ち葉踏みつつ陽だまりさがし
 ☆草原をわたる風にも潮の香の 微かにまぎれ冬も迫るや
 ☆小春日に妻と歩める岬森 木漏れ日に浮く 椿くれない
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「口語短歌・水曜サロンの会」(その13)

2021年12月08日 05時20分55秒 | 短歌
「口語短歌・水曜サロンの会」(その13)   短歌の投稿を歓迎します!!

 「口語短歌・水曜サロンの会」は、このブログにお立ちより頂いている
 皆様の詠まれた短歌を掲載し、その作品の鑑賞を行うサロンです。

 短歌の初心者の方から、ベテランの方まで、所属する短歌会等を越えて、
 自由に短歌を投稿し、鑑賞しあえる「賑わいのあるサロン」を目指したいと
 思っています。皆様の投稿を歓迎します。

【運営にあたって】
 本件は、「水曜サロン」も既に12回を重ね、皆様にもご理解されてきていることと
 考えますので、末尾に記させて頂きます。




「ブログ友の投稿歌 交流コーナー」

「悲しみのラプソディ~椿山荘の思い出①」
 ☆閑静な 目白通りは 洒落ていて
         緑豊かな デートスポット
 ☆タクシーを 降りるとすぐに ドアマンが
         礼儀正しく お辞儀出迎え
 ☆ホテルを 思わさせない 雰囲気は
         アールデコ風 ロココ家具調

                         浅間山明鏡止水(knsw0805)さん

【解説】
 目黒通りから神田川の畔を辿り、椿山荘に向う小径は青春の日の「憧れのデートスポット」でした。
 「ホテル椿山荘東京」を舞台にした「悲しみのラプソディ」の次の展開を楽しみにしています。
 一首目に、ラプソディとしての、デートの一齣も詠み込んでみましたが、いかがでしょうか。
【ご参考】
 ★緑濃き 目白通りは 洒落ていて
         腕組む君の 笑みも嬉しく


☆魔女たちの宴が始まる
    魔王の赤い月がかがやきをまして
☆おお!わずかだが光が増して魔に打ち勝っているぞ!そしてやすらぎ

                         自閑(jikan314)さん

【短歌説明】
 YouTubeの音楽のイメージを短歌にしております。題は「月食」、音楽は、
 ムソルグスキー交響詩 禿山の一夜です。
 11月19日に月食が有り、当地では薄曇りで良くは見えなかったのですが、
 月食の場合、真っ暗になる訳では無く、どす黒い赤い月となります。
 一首目は、これを魔王の月として魔女の饗宴ととらえました。
 二首目は、月食が終わりに近付くと月の辺から徐々に明かりを取り戻し、満月となり、
 同時に昨今の感染者数激減に少しやすらぎを覚えて来たと言うもの。早く世界中が、
 この疫病に打ち勝って欲しいものです。
 下記URLにYouTubeと愚詠を掲載しておりますので、御覧頂ければ幸いです。
 https://blog.goo.ne.jp/jikan314/e/0ba92979697f2995208fdc4e75890d97

【投稿外コメント】
 私も、短歌を作る際は、声に出して読んで、推敲します。短歌も歌であり、リズムが大事と
 素人ながら思っております。
 次に黙読で目で追い、漢字(旧字体も)にするかひらがな(カタカナ、英語)にするか?文語、
 歴史的仮名遣いにするか?改行、句読点を入れるか?読者になって、自分のイメージに近いか?
 をみます。素人考えですが、リコ様のご意見を拝見して。

【補足】
 「推敲」への具体的なアドバイスも頂きありがとうございました。
 「ご参考」として、「水曜サロン」に集う皆さんにも読んで頂ければ幸いです。
 なお、「口語自由律」短歌につきましては「質問コーナー」で少し触れたいと思います。

☆花びらを透かし光の溢れたり写真に映るバラの息吹が
☆薔薇(そうび)からあふるる光に息をのむ脈打つ花の命を見たり

                         リコさん

【解説】
 薔薇「ジュビレ デュ プリンス ドゥ モナコ」の写真に寄せて詠んだ短歌との
 ことですが、いずれの歌も、この秋薔薇の楚々とした風情を情趣深く表現されています。
 二首目の「脈打つ花の命を見たり」の、的を射た表現に学びたいと思います。


    薔薇「ジュビレ デュ プリンス ドゥ モナコ」

☆大勢に褒められなくても魂の珠に届けばよろし一人の
☆誰からも褒め得ざれども誰からも認め得ざれど腐ることなし

                         びこさん

【解説】
 いずれも、作者の短歌に真向かう姿勢の真摯さがうかがえる、凛とした短歌と考えます。
 短歌は突き詰めれば、相聞と挽歌に収れんすると考えますが、それらの歌もただ一人の方に
 向けて詠まれてきました。その意味では「珠に届けばよろし一人の」通りと考えます。
 また、短歌は「魂鎮め」のためにも詠まれたと理解しています。諸々の葛藤を抱える
 己に向けて、その魂の慰撫、さらに鎮めを「みそひともじ」に託して行う営みが、
 あっても良いと思っています。

☆紅葉も冷たき風に惜しげなく
      真っ赤に燃えて 晩秋に散る
☆落ち葉舞うメタセコイヤの散歩道
      そこはか淋し 冬の訪れ

                         クロママさん

【解説】
 山も里も紅に染めた紅葉も、幾たびかの木枯らしに耐えながら散り時を迎えています。
 一首目は、その散る様を「惜しげなく」と詠んだ表現が効いています。
 なお、二首目の「そこはか淋し 冬の訪れ」にも、作者の想いが滲んでいます。
 一首目は「惜しげなく」がはっきり「散る」にかかるように整理してみましたが、いかがでしょうか。

【ご参考】
 ★もみじ葉は くれない極め 燃えゆくも
          風なき夕べ 惜しげなく散る


☆書きかけの記事をやめては詩をねるおもいの先はサロンへの夢
☆ほのかなる光頼りに足元を見つめて進む箱入り娘
☆ひとつずつ進んだ先に悩みありされどこの先止まることなし

                         和輪(warin2020)さん

【解説】
 大切な記事を作成中にも関わらず、投稿歌を詠む事を優先している。そんな作者の
 想いの先には「水曜サロン」への希望がある…。と勝手に解釈させて頂きました。
 作者の鋭い感性と、豊かなユーモア精神に学びたいと思います。

☆暮れゆけば もみじ黄葉も闇に溶け 冬に真向かう支度急ぐや
                         ポエット・M

【解説】
 木々は夕映えの中、終焉の輝きをもみじや、黄葉に託して演じきり、既に散りつつあります。
 散りゆくもみじも、木々に残る黄葉もいつしか闇に溶け、冬の季節を前に「冬支度」を粛々と
 するかのように静寂の中にあります。そんな光景を「冬に真向かう」と詠んでみました。



五行詩」「痛みの変奏曲」鑑賞 (14)

4.戸隠山無情 (1)

  越水が
    原に仰げば
      戸隠の
    連山晴れて
      天に聳ゆる

    戸隠の
      山は紅
        紅は
      晴れの乙女の
        振袖模様

        紅の
         戸隠山は
           乙女らが
         振袖姿で
           並べるごとし

      森林の
        あふるる生気
          身に浴びて
        奥社に向う
          歩みは軽し
  
    随神門に
      今来た道を
        振り向けば
      かの伝説の
        比丘尼が浮かぶ




【短歌入門・質問・提案コーナー】
 この「水曜サロン」に集う皆様の直近のコメント等に記された、短歌を作るうえでのヒント、
 さらに質問、諸々の疑問点等にいて、触れていきたいと思います。
 皆様からのご提案、さらに素朴な疑問も含めて、コメント欄にお寄せいただければ幸いです。
 なお、私の「質問への回答」は、あくまでも一つの「解」でありますので、他の回答、反論、
 ご意見等もありましたら、このコーナーで大いに議論して参りましょう。
 それが学びに繋がれば嬉しいです。

【口語自由律短歌】
 自由律短歌は、五・七・五・七・七の定型や、韻律にとらわれずに作られた短歌を言います。
 なお、伝統的な形式に拘束されずに自由な音律で、現代の生活感情なり、詩的感動を表現しようと
 するところに、この名称が興りました。また、非定型短歌ともいわれています。

 歴史的には、
 1918年京都で「定型からの解放」を唱えた高草木暮風(たかくさきぼふう)等によってはじめられ、
 1924年に、石原純の発表した歌が、歌壇において注目を集めた自由律の最初と言われています。
 石原は、その後、自由律短歌論を展開し、やがて、この名称を定着させました。
 石原の自由律短歌は旧来の文語体ではなく口語体を採用していたため、自由律短歌はそのまま
 口語短歌運動と結び付き、口語自由律短歌として発展してきました。

 昭和時代になると、金子薫園、土岐善麿、前田夕暮も参加し、口語自由律短歌は興隆期を迎えます。
 特に、前田は、主宰していた「詩歌」全誌をあげて自由律を提唱し、自由律短歌集を次々と刊行して、
 口語自由律短歌の代表作を残しましたが、昭和十六年に定型回帰しています。

 敗戦後の1949年に宮崎信義により口語自由律短歌の雑誌「新短歌」が創刊され、同誌は2002年に
 廃刊されましたが、光本恵子によって1989年に創刊されていた「未来山脈」に継承されています。
 昭和末期、ライトヴァース短歌と呼ばれた、加藤治郎、荻原裕幸、穂村弘らが発表した記号短歌や、
 散文に近い、字余り・字足らずの多い短歌群は、昭和初期の口語自由律に通じるものとも言えます。
          出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』、日本大百科全書 等



【運営にあたって】 注)文頭から移しました。
 (1) 投稿期間は毎週水曜日から翌週火曜日17:00までと致します。
 (2) おひとり様 3首まで(1首でも可)コメント欄に投稿願います。
 (3) 口語短歌を基本としますが、文語混じりでも構いません。
   仮名遣いは新仮名遣いとし、旧仮名遣いは極力避けて頂ければ幸いです。
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 (5) 作者名は投稿頂いたペンネーム等を、そのまま掲載します。
 (6) 掲載順序は、原則本ブログのコメント欄への到着順と致します。
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-空白の短歌史- 「綜合詩歌」誌鑑賞(6)

2021年12月03日 15時54分44秒 | 短歌

 「戦時下、空白の短歌史を掘り起こす -その6-」
    「山茶花は散る」


 咲さ盛る山茶花が、はらはらと散り庭隅を薄紅色に染めている。散った後の彩どりは、冬に咲く花の命の見事さを語りかけてくる。 冬に真向かう厳しい季節の中で、その到来を静かに受け止めつつ凛と咲く山茶花。それは歳晩を飾る誇り高い花であり、おごりに遠い慎ましやかな花でもある。



 日本の長い歴史の中でも、最も酷しい冬の時代の一つとも言える昭和十九年が明け、その一月に十二巻目を数えた「綜合詩歌」一月号。
 「総員は戦闘配置へ」の戦時スローガンを載せたこの誌歌誌に、冬に咲く山茶花の矜持とともに、その裏に潜む痛ましさが重なる。冬の時代の谷間に咲きこぼれた詩歌誌。この鑑賞、紹介を前号に引続き行っていきたい。感傷に堕ちぬように・・・。



 本号は年頭を飾る新年号であり、かつ「重大な局面を迎えつつある戦局下に処する、歌人の覚悟を披瀝する」との趣旨から「歌人の信念と決意」と言う特集欄が設けられている。谷馨、相馬御風両氏をはじめ本誌の主要歌人十五名の方が稿を寄せているが、時局を反映した率直な「決意」文の一部を抜粋し、資料的な意味合いを含めて二名の方を掲載したい。

 心情の吐露          半田 良平
 自分の作る歌が、それを読む人に感動を与えて、それが直ちに何らかの意味で国力増強に役立つものでありたいと念願しております。そういう場合、意識的に力を入れずとも自然に詠み出されて、それがとりもなおさず皇国民としての心情を吐露したものになることは疑いありません。私はそういう歌を一首でも多く詠むことを心がけております・・・。

 精進の一路          村田 保定
 凡そ人の世の生活のあるところ常に詩心のあることは、花の咲きいずるが如く、鳥の歌いいずるが如くに当然のことであり、平常の時に於いてすら機に臨んで心の琴線に触れるものあれば、歌が詠まれ詩が生まれる。
 況して非常の時に際会しては、史上の事実に見るも常に雄心の発露として壮烈なる雄叫としての歌が成り、詩が作られるので、これは徒らなる作為ではなくして、厳粛なる真実の顕現なのである。斯く観ずるならば、歌人の信念と決意という事も、自ずから明らかであろう。昭和聖代の雄叫を千古の後に伝えるという事こそ、現代歌人に課せられた使命であり、その目標に向かって自らを空しくして、精進の一路あるのみと考えられる・・・。

 歌人が時代の先覚者たる使命を負わされ、その悲壮な志が歌を紡がせた時代。さらに、時局に真向かい自らの志を抑え、それと異なる「決意」を詠わざるを得なかった時代の在りよう。これらは、現代を生きる私達自身に、作歌姿勢を省みる視点をいやおうなく突きつけてくる。この時代の文字表現の行間に溢れる歌人としての心情を汲み取り、心に刻んで行きたい。



 本号に作品を寄せた主要歌人は、前田夕暮、大和資雄、中川武、谷山つる枝の各氏を含む十七名の方々である。これらの作品の中から時代に刻んだ生々しい足跡とも言える歌、さらには時代の流れに真向かい、己の思いとの葛藤の中から紡ぎだされた緊張感に満ちた歌を中心に抄出させて頂いた。

 山毛欅の木の歌        前田 夕暮
  木製航空機材として役立つブナの木の列み立つみつつ心ぞきほう
  みのかぎり谷うづめたる素材らは新雪なせる白ブナにして
  落葉せしこの白ブナは乾き烈し幹にふるれば火をふかむとす

 風塵居短歌抄         安藤 彦三郎
  たな底に籾をのせればこそばゆしこころ凪ぎゐて稔りをおもふ
  顔よせてたな底の籾をかたりゐるとほ世のひとら尊くもあるか
  身にしみて襟立つるほどの夕風に白く波立つ秋川をわたる

 苅田             脇  須美
  稲刈りて夜毎を深く眠る子の知らぬ星座か冴えまさりつつ  女学生稲刈奉仕
  夕空の裾にしめらふ山脈の襞深うして吾子は遠しも
  兵の子が短きたより読みかへし温むおもひぞおのづからなる

 奈良にて           嘉納 とわ
  凛と反る御指の相にあふれたる直きみちからに頼る思ひあり
  仰げども視線にすがるよしもなし永遠に内部(うち)をみつめて 日光・月光菩薩
  内省の御眼尊しと仰ぎつつ微けきわれの思ひ悲しも

 海戦             中川 武
  想像を許さざるありたたかひは捷ちつつなほもソロモンの海に
  夥しく重油流るるみんなみの海むざとして浮かぶひととき
  更めて又憶ふかな北の海のアッツ桜とぞいへるうつしゑ


 世界遺産となった白神山地をはじめ、日本列島を北から南へ貫くブナの森。時局はこのブナすら航空機の素材とせざるを得ない末期的情況を深めつつあった。この戦局を踏まえ、そのブナの幹に託して詠んだ前田夕暮氏の心情。自由律短歌への強いられた惜別の情は「幹にふるれば火をふかむとす」ほどに滾っていたことと拝察する。また、永遠に裡をを見つめる半眼の菩薩に、なおすがる思いを寄せる嘉納とわ氏の思い。
それは酷しい戦局下、それにもめげず、ひたむきに生き抜いた女性達の抑えてもなお、胸奥から突き上げてくる叫びとも重なる。



本号には、前号に引続き古典抄として賀茂真淵の「邇飛麻那微」を初めとした、貴重かつ優れた歌論が掲載されている。
この中から入門的歌論とも言える「寸硯」より一部抜粋し歌友諸兄と共に学ぶ一助としたい。

 寸硯             野村 泰三
 作歌は修練道だと言われている。この言葉を繰り返しておきたい。作歌上達の過程においては、自己の能力をよく知悉して一歩一歩向上を期して行くべきである。また、作歌を志すものは歌道修練に並行して、刻苦勉励知徳育成に邁進したいものである。短歌作品は優れたる英知と人格を具備するところ、おのずから人をして感ぜしむるもの生じ得る。
 いきなり大家と同じような作歌をしようと焦ることは無益であり反って作歌上達を阻害するものである。作品の良否を識別することすらが、余程の能力が無ければ出来ないことを知り、名歌の鑑賞に努め、先進の指導を仰ぎつつ理解し得る範囲において、各自の水準を向上していくべきである。
 卑近な例を挙げれば、木工が立派な工芸品を製作するに当たり、如何に優れた構想を持っていても、板の削り方を知らず、またそれが満足でない時は、決して立派な作品を得ることは出来ない。即ち一通りの基礎技術を習得せねばならぬ所以である・・・。

 「優れた英知と人格の具備」「基礎技術の習得」は、私達としても短歌に取り組む基本的な姿勢として、心したい示唆でもある。



 本号に評論、随筆、論文等を寄せられた主要執筆人は安積卯一郎、大野勇二、谷馨、下村海南、平野宣紀の各氏である。また、「決戦下の作品」として原三郎氏が、折口信夫、斎藤茂吉、前田夕暮ら歌人の作品評を寄せている。戦時下に紡がれた、これらの歌人の作品評は資料的にも貴重であり、一部抜粋し掲載したい。

 決戦下の作品           原 三郎
  ○大東亜細亜全けからむとつどひたる国家代表の壮観ぞこれ     斎藤 茂吉
  ○かぎりなく澄みわたる高天(たかあめ)を飛び来ましたる五つ国びと  同上

 十一月六日読売紙の「大東亜会議の壮観」の五首中のはじめの二首である。未曾有の大会議は五日の午前秋気あくまで澄み渡っていた帝都で開かれた。その翌朝に発表されたのであるから、記者に急かされながらペンを握られた作者を容易に想像できる。この作品には青年のような覇気と元気が溢れている。新しい大東亜の激情を充分盛っている。一瞬を急がされながら作っているために或いは粗造に似たものを感じるが、読み返してみると、いかにもこの作者らしい張りを感じさせられる。
 題材の大きさを制御し得ないほどに時代の激しい息がこの作品に通っているいるのを見せられるのである・・・。

 「時代の激しい息」が、作品のどこに通っているのかを見い出し得ないもどかしさはあるが、戦時下におけるジャーナリズムと歌人の関わりを示す貴重な資料を提供している。歌人としても時代の寵児でありながら、時代の見えざる手に擁かれつつ、その「激情」に呑み込まれて行く一人の歌人の存在。その状況を現代に置き換えて改めて危機感を覚えた。



 戦局の進展により、空を覆う暗雲への予感が現実のものとなっていく中で、歌に託した否、託さざるを得なかった市井の歌人達の心情。その魂からの叫びにも似た歌、さらに、葛藤の果てに抑えてなお行間に溢れる思いの感じられる歌を、本号の投稿歌の中から紙面の許す限り抄出したい。

  ○ふる里に愛児の待つか傷兵が掌にしかと持つ小さき玩具や     笹川 祐資
  ○分別はためらひ易く成り果てて子は日につくる模型飛行機を    真崎 徹
  ○たたなはる幾山脈のさびしきをたたへてすでに暮るる       水城 秋歩
  ○身を飾る日は杳けくもたまはりし帯上の青に瞳はなぐさむ     斎藤 美代子
  ○中途にて学を捨てたる学び舎に山茶花の花散りつぐ頃か      秩父 ゆき子
  ○ある夜ふと星の話をきかせたるゑくぼ愛しきひとを思へり     小菅 嘉之

  ○まどかにも月は明るし対ひ居て嘆く思ひを君知るらむか      菅野 貞子
  ○悲しさを言ふべくもなき埴輪なれどつぶら眼にものな言はしめ   門脇 顕正
  ○征かむ日のいよよ近づき父母の生きます末を思ひみるかも     幸  秋雄
  ○ふるさとへ還りましけるみ遺骨に泥手を合はせおろがみにけり   廣田 博子
  ○身は果てて遺品といふはあらざれどなに嘆かなむ神なり兄は    佐藤 鈴子

  ○駅頭に散るコスモスを見つめつつ共に黙しゐき別れけるかも    古谷 秋良
  ○四次五次続く戦果のその陰にわが未還機の幾機を思ふ       田中 孝子
  ○死がいかに神秘にみちてゐやうともなほしそれより神秘なる生   久住 文哉
  ○白梅のごとく生きよとのたまひし師が幻ほのかにうかびぬ     木田 弘
  ○素枯たる雑草がなかりんどうの露を含みてさゆらぎもせず     河本 文子
  ○人の生命絶ゆるその時苦しみは果つると思ふさびしかれども    神谷 ツネ子


 どんなに鮮やかな花びらでも、散った後に再び咲き続けることは出来ない。淡い紅色に散り敷いた山茶花の花びらから、そんな言葉が幻聴のように響いてくる。
 学徒出陣に続き、演出された「聖戦」に恋人を、夫を、そしてわが子を捧げた人々の思いが、これらの歌群よりひしひしと伝わってくる。愛する兄を戦で失った悲しみに、人知れず昼夜泣き明かしたその後で「なに嘆かなむ」と詠った女性。「生命絶ゆるその時苦しみは果つると思ふさびしかれども」と詠い、悲しみの極みから立ち上がった女性の矜持。

そんな女性達の痛ましいまでの想いが、あるいは男達を「君を護るためにと」との悲しい決意を促し、戦場で「雄々しく散る」誇りへと駆り立てて行ったのではないだろうか。痛ましいまでの誇りと、悲しい決意を促す一翼を「歌」が担った事実を、私たち自身心に刻んでいかねばと考える。



 色鮮やかな彩りのままに散る山茶花。その散り行く様に、かつての男達の矜持を重ねてみた。「身捨つるほどの祖国」の存在と共に。また、それを食いものにして恥じない為政者達の存在と共に・・・。
悲しみを悲しみとして詠う。どんな情況の中でも生きぬくことを、その生の尊さを賛歌として詠う一表現者としてのあり方を。そしてその志を現在の状況の中で模索してみたい。
時代の喧騒と濁流に抗いながら・・・。             
                      了
                          初稿掲載 平成19年12月8日

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「口語短歌・水曜サロンの会」(その12)

2021年12月01日 04時52分47秒 | 短歌
「口語短歌・水曜サロンの会」(その12)   短歌の投稿を歓迎します!!

 「口語短歌・水曜サロンの会」は、このブログにお立ちより頂いている
 皆様の詠まれた短歌を掲載し、その作品の鑑賞を行うサロンです。

 短歌の初心者の方から、ベテランの方まで、所属する短歌会等を越えて、
 自由に短歌を投稿し、鑑賞しあえる「賑わいのあるサロン」を目指したいと
 思っています。皆様の投稿を歓迎します。

【運営にあたって】
 本件は、「水曜サロン」も既に11回を重ね、皆様にもご理解されてきていることと
 考えますので、末尾に記させて頂きます。



    晩秋に咲く薔薇「ニュードーン」

「ブログ友の投稿歌 交流コーナー」

『ピサロ等印象派ローズに会えて感動』  注)『』は詞書 以下同様
☆軽井沢花の香りに誘われて咲くはフレンチローズ印象派
『レイクガーデンにて』
☆くれないの色鮮やかに染めている秋の絶景湖畔の景色
『大阪府立山田池公園にて』
☆おしどりの池のほとりに老夫婦明日は我が身と万感せまる
                         浅間山明鏡止水(knsw0805)さん

【解説】
 「山田池公園」の池のほとりに静かにたたずむ、老夫婦の後ろ姿は、この池で仲良く泳ぐ
 「おしどり夫婦」そのものです。その写真から詠んだ短歌は、仲睦まじい「おしどり夫婦」に、
 我が身を重ねる作者の想いが読み取れる、味わい深い短歌です。
 ただし、実際の「おしどり夫婦」は結構ドライとの、鳥類研究家の説もありますが…。
 「おしどりの池のほとりに」を少し分かりやすくしてみましたが、いかがでしょうか。
【ご参考】
 ★おしどりの つがいで泳ぐ池端(いけはた)に
          たたずむ老夫婦(めおと)に 我らを重ね 


☆ドライブの 前を走りし枯れ落ち葉 風に吹かれて右や左へ
☆羽広げ 飛び来る鷺の白さゆえ 川辺の錦さらに色濃く
☆ゴロリンと ころげし馬の土煙 秋の陽射しを楽しむがごと

                         さわやか♪さん

【解説】
 いずれも臨場感あふれる、楽しさの溢れる短歌と思います。場面の表現が的確で、
 作者の「詠み」の進化が著しいと感じます。
 一首目に「想い」を詠み込んでみましたが、いかがでしょうか。
【ご参考】
 ★枯れ落ち葉 車の前を滑りゆく コロコロ走り 命あるごと

☆虚ろ気な クロの見る目が 忍びない
       何をすべきか オロオロする母
☆食細く 餌に交えた 下剤をひとつ
         舌で選り分け ポツリとおとす

                         クロママさん

【解説】
 今回の歌も、愛犬クロちゃんが体調を崩し、手当に心砕くクロママさんの愛犬に
 寄せる、深い想いと、ユーモアも少し覗く良い歌と思います。
 一首目の「母」はクロままさんと解りますが、状況を知らない読者に解って頂くには
 少し無理がありますので、工夫してみました。いかがでしょうか。
【ご参考】
 ★体調の優れぬクロに 寄り添うも
       なすすべもたぬ われはオロオロ




☆散る前に炎えたつ龍野のもみぢばのごとく炎えむとしてゐるわたし
                         びこさん

【解説】
 龍野の紅葉は、まさに今が盛りと燃え立つように紅に染まっています。
 その燃え立つもみじに自分を重ねて「炎えむとしてゐるわたし」と詠む作者の密かな決意も滲む
 お歌です。
 散るを前にして、終焉の輝きが見せる紅葉の秘める哀しさも、通奏低音として響いています。

組曲「展覧会の絵」  注)『』はお題 
『グノーム』
  ☆心に小さな嵐が吹くとき
     何かが変わるとき

  そして次へ
『テュルリーの庭』
  ☆右から左へかけずり回るアヒルともに追い回す子供よ
『リモージュの市場』
  ☆子供達の駆けめぐるよ春いっぱいの野原どこまでも夢のまま
                         自閑さん(jikan314)さん

【短歌説明】自閑さんご自身の説明です。
 YouTubeの音楽を聴きながら、その曲のイメージを自由律短歌としております。
 組曲「展覧会の絵」は、ムソルグスキーが、親友の画家ヴィクトル・ハルトマンの遺作展の印象を、
 親友を失った悲しみの中ピアノ組曲にしたもので、ラベルが管弦楽に編曲して、有名になりました。
 絵と絵の間のプロムナードはとても有名です。
 下記URLにその他の曲の短歌を載せておりますので、カラヤン ベルリンフィルのYouTubeの曲と
 共に、愚詠も御覧頂ければ幸いです。
 https://blog.goo.ne.jp/jikan314/e/faac7af176727eb2a2d1a8618d59dcff

☆落日に朱く染まるや木守柿 孤高つらぬく矜持秘めもつ
                         ポエット・M

【解説】
 信州安曇野の白馬に向う道すがら、農家の柿の木に取り残された木守柿を見つけました。
 西に傾き始めた夕陽に染まる柿は鈍い光を放っていました。アルプスの白銀の嶺を背景に
 一つ残された柿は、まさに「孤高」を守るかのように、凛として朱く燃えていました。
 そんな柿に寄せて詠んでみました。



「五行詩」「痛みの変奏曲」鑑賞 (13)

3.別れ (7)

 潮騒を
   聞きつつ眠る
     砂浜の
   夢に薔薇もて
      ほほ笑む笙子

    ああ君を
      抱く砂上の
        夢さめて
      浜の夕べに
        潮騒ばかり

     死の波が
       心の浜に
         寄せてきて
       その優しさと
         甘さが滲みる

    目を閉じて
      我の泪を
        見るなかれ
      暗き波間に
        降る星たちよ

      




【短歌入門・質問・提案コーナー】
 この「水曜サロン」に集う皆様の直近のコメント等に記された、短歌を作るうえでのヒント、
 さらに質問、諸々の疑問点等にいて、触れていきたいと思います。
 皆様からのご提案、さらに素朴な疑問も含めて、コメント欄にお寄せいただければ幸いです。
 なお、私の「質問への回答」は、あくまでも一つの「解」でありますので、他の回答、反論、
 ご意見等もありましたら、このコーナーで大いに議論して参りましょう。
 それが学びに繋がれば嬉しいです。

【ご提案】リコさんより「短歌を詠む時の基本」に付いてご提案頂きました。
 (1) 「し」は過去の助動詞ですので、目の前の現在の景色を詠む場合には使いません。
  「見えし」は目の前の景色を詠んでるので「見えたる、見える」などの現在形にして
  もう一度語句(字足らずになる場合が在るので)を整えてみましょう。
 (2) 短歌は一人称が前提になりますので、「われ、わが」等の言葉を使わなくて良いように
   推敲してみましょう。
 (3) 短歌は五七五七七の31音で詠まれますので、1句から5句を入れ替えてより良い調べに
   なる様に、声に出して短歌を読んで推敲してみましょう。
 (4) 題詠に付いてですが、詠む対象と、視野を広げる一助として、日ごろ対象としない
  「お題」に挑戦し、詠むことで一層、ご自分の歌が見えてくると考えます。
 (5) 水曜サロンの文頭に投稿規定が載っていますが、直ぐに投稿歌の紹介をして、
  (投稿規定は文末に掲載してます)とカッコ書きで書かれたら良いかと思います。

【補足】
 (2)は「短歌は私が主人公」である旨と、「原則として」との注を加えたいと思います。
  次の短歌のように「我」を詠み込む、必然性もある場合もありますので…。
    ☆こころよく 我に働く仕事あれ それをし遂げて死なむと思ふ  石川啄木
    ☆わが胸の 燃ゆる思いに くらぶれば 煙はうすし 桜島山      平野国臣
 (5)は「水曜サロン」も既に11回を重ね、投稿規定も浸透したと考えますので…。
  今回から、おっしゃるように「文末」へ移動致しました。

【文語表現の短歌へのメモ】
 リコさんから「美しいものを詠むときは文語が合っていますね」とのコメントを頂きました。
 事実、流麗で品位ある表現は文語短歌の持つ強みと考えますが…。
 二葉亭四迷が1906年に「言文一致体」の、いわゆる口語体で新聞に小説を発表してから、
 「口語体」は既に110年以上の歳月を経ています。しかし、短歌の世界では文語が依然として大きな
 位置を占めています。ただ、俵万智さんの「サラダ記念日」のベストセラー以降、若者たちを中心に
 「口語短歌」が、多く詠まれることになったことも事実です。
 「水曜サロン」では、文語の「簡潔で歯切れのよい表現、さらに品位や品格を与える効果」を
 理解しつつも、「短歌の裾野を広げ、多くの方に短歌に親しんで頂く」ことを目指し、
 一人でも短歌のフアンを増やせたらとの想いで、このささやかな「サロン」を立ち上げた経緯があります。
 ここに集う皆さんが、それぞれの感性で日々の生活の中で生まれる驚きや、感動を31文字の短歌に表現し、
 それが自らの歩みの足跡に繋がっていければ嬉しい限りと思っています。



【運営にあたって】 注)文頭から移しました。
 (1) 投稿期間は毎週水曜日から翌週火曜日17:00までと致します。
 (2) おひとり様 3首まで(1首でも可)コメント欄に投稿願います。
 (3) 口語短歌を基本としますが、文語混じりでも構いません。
   仮名遣いは新仮名遣いとし、旧仮名遣いは極力避けて頂ければ幸いです。
 (4) 投稿頂いた短歌は、そのまま掲載します。皆様から感想等頂ければ幸いです。
 (5) 作者名は投稿頂いたペンネーム等を、そのまま掲載します。
 (6) 掲載順序は、原則本ブログのコメント欄への到着順と致します。

                            了
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