四季の彩り

季節の移ろい。その四季折々の彩りを、
写真とエッセーでつづって参ります。
お立ち寄り頂ければ嬉しいです。

八代亜紀さん「お別れ会」

2024年07月07日 10時20分42秒 | 鎮魂

 八代亜紀さんの「お別れの会」が、去る2024年3月26日に東京都蒲田にて
「 ~ありがとう・・・これからも~」と題して開催されました。

 その旨は、先にこのブログでも触れさせて頂きましたが、
そのダイジェスト映像がユーチューブに公開されましたので、
ここに改めて掲載させて頂きます。
 既にご覧になった方もいらっしゃると思いますが、ご視聴頂ければ
幸いです。

 

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 13年目の「3.11」へ

2024年03月10日 09時36分24秒 | 鎮魂

―東日本大震災で被災された皆様へ―

 2011年(平成2 3年)3月11日14時46分に発生した東日本大震災は、明日で13年目となります。
TBSの3月9日の報道によりますと、この東日本大震災での死者は15,900人、行方不明者は6県で2,523人とのことで、死者・行方不明者ともに去年の3月から増減はなく、いずれの数字も更新されなかったのは今回が初めてとのことです。
 この大震災で被害に遭われ身罷った御霊に哀悼の誠をささげるとともに、未だ行方不明となっている方と、そのご家族の皆様に改めてお見舞いを申し上げたいと思います。
この間、被災された皆さんの筆舌に尽くしがたい労苦と闘いの日々を、そしてそこから立ち上がり前を向く多くの皆さんの歩みを、私たちも改めて想い起したいと思います。

     「未だ咲く 河津桜」

 昨年も、このブログで掲載させて頂いた内容ですが、再び巡りくる3.11を前に、改めて「共にある」ことの確認を込めて、重複となりますがこの記事を掲載いたしと思います。なお、福島第一原子力発電所では燃料が溶けた1~3号機は、安定的に冷却されているとは言え、原子炉内の溶融した燃料(燃料デブリ)の取り出しは、未だ1グラムも取り出されていない状況にあります。従って廃炉も、さらに遠い道のりになると考えています。

 今から13年前、多少でも手助けになればとボランティアで訪れた福島の海辺の町は、すべてを破壊しつくされた瓦礫の街でした。今回の能登地震の惨状が重なりますが、その廃墟とも言えるその地で、 しっかりと日々の生活を立て直し、明日を見据えて踏ん張る多くの方たちに接し、 私たち自身が励まされる思いがしました。
 お手伝いの合間に、現地の皆さんのお話を聞くことが出来ました。言葉少なに、自らの現状に折り合いをつけつつ、 絞り出すように語ってくれた多くの方達の言葉は、 私たちの想像を遥かに超えていました。目の前で、大津波にご主人も、お子さんもさらわれたと言われる一人の女性。立ち直ることも出来ないであろう厳しい状況に直面し、涙も枯れ果てたと言いながら、それでも気丈にふるまう方。
  その方の想いに寄り添い「あの子の分も」との題で、私なりに詞に紡いでみました。ずーと心に留め、しまっておいた歌詞ですが、昨年、東日本大震災から12年目の節目に当たって「共にある」ことを再認識するとともに、 あの想像を絶する事態を改めて心に刻む意味で、詞を少しブラッシュアップしてみました。

 その詞の作曲・歌唱依頼を含めてYokiさんに提案させて頂きました。今回もYokiさん、じいじさんの多大なご尽力で、歌詞に命が吹き込まれました。先に本ホームページで紹介させて頂いた、Yokiさん作曲・歌唱の二曲の延長に、「あの子の分も」の楽曲を、皆さんにお披露目出来ることに感謝したいと思います。

「あの子の分も」の楽曲公開に当たっては、工藤慎太郎さんの楽曲「旅の途上(なか)」の作詞の際、 ペンネームとして「ショー・ジロー」を頂きましたので、今回も前二曲に続いて、それを踏襲させて頂きました。 作曲&歌はyokiさん、ギター&ハーモニカはじいじさんに担って頂きました。改めて感謝申し上げます。

今回は、2022年3月11日に、改めて Yokiさんに歌って頂いた曲を掲載させて頂きます。

画像をクリックしますと「Youtube」を視聴できます。

ユーチューブの背景画像はYokiさんに選んで頂いた「ニゲラ」という花で、
花言葉は「未来」です。

 「あの子の分も」
     作詞*ショー・ジロー  作曲&歌*yoki  ギター*じいじ

  1.あの子の声がこだまとなって 
    今でもはっきり響いてくる  
    目の前で波に呑まれ さらわれた
    あの子が今でも目に浮かぶ
    あんなに身近な海なのに
    今は見るのも つらい 
    切なくて 悲しくて 
    眠れぬ夜をいくつ重ねたことだろう
    でも・・・涙はお日様に預け
    もう泣かない   
    あの子にもらったこの命 
    抱えてしっかり 生きて行くわ

     2.あなたの声がこだまとなって 
       今でもはっきり響いてくる
       目の前で波に呑まれ さらわれた 
       あなたが今でも目に浮かぶ
       あんなに好きな海なのに
       今は見るのもきらい
       寂しくて 苦しくて
       眠れぬ夜をいくつ重ねたことだろう
       でも・・・涙はお日様にあずけ
       もう泣かない
       あなたにもらったこの命 
       抱えてしっかり生きて行くわ

  3.あれからもう10年たつのね 
    やっと探した写真には
    あの子とあなたの笑顔が写ってる  
    家も町も光の中輝いてる
    津波が全てを奪っていった
    あの日々が 愛おしいまでによみがえる
    辛いけど 寂しいけれど
    私の愛したあなたと あの子の思い出を
    抱えてしっかり生きて行くわ
    あなたの分も あの子の分も
    私のこの胸にずっと ずっと

 「あの子の分も」の楽曲作成に当たって作曲&歌はyokさん、ギター&ハーモニカはじいじさんに担って頂いた旨は先に申し上げました。ギター&ハーモニカを担って頂いた、じいじさんに「あの子の分も」をカバーして頂きましたので、一挙に公開させて頂きます。

 画像をクリックしますと「Youtube」を視聴できます。

 なお、拙い詩ですが、著作権は放棄していません。
無断転載等はご遠慮願います。転載いただけるのであれば、あらかじめ当方へ
連絡を頂き「ポエット・M」の作者名を明記して頂ければ嬉しいです。
                        了

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追悼 坂本龍一さん

2023年04月09日 09時46分07秒 | 鎮魂

 先月3月28日、多くの方に惜しまれつつ71歳でこの世を去った坂本龍一さん。
2014年に中咽頭がんと診断されて以降は闘病生活が続いていましたが、最後まで
音楽家、社会活動家として闘い続けた方でした。

 マドンナや「BTS」のSUGA、さらには、たけしなど、世界有数のアーティストから
寄せられた追悼文の数々に象徴されるように、尊敬を集めるゆえんは、音楽活動での
実績だけではないと考えます。

 環境・平和問題についても自らの影響力を自認し、先頭に立って発言してきました。
特に、2011年の東日本大震災後には積極的に支援活動に携わり、
“脱・原発”を目指した
活動も行いました。
さらに、ウクライナのヴァイオリニスト
であるイリア・ボンダレンコとの
コラボレーション曲「Piece for Illia」を、
破壊されたウクライナの地で演奏し、戦争反対と
人々の癒しを求める感情的な
叫び声を表現しました。

また、根源的な「自由」への想いも強く、それを力をもってねじ伏せるものへの
怒り、さらには「非戦」への想いを抱き、その実践の先頭に立ち闘った人でも
あったと考えます。

 アカデミー賞の作曲賞を受賞するなど、数多くの名誉と栄光を手にしたアーティストで
ありながら、社会貢献への思いを抱きつつ実践に身を投ずる。
その姿勢は、ほかの音楽家
たちの模範的な存在であったばかりでなく、市井に
暮らす私たちにとっても「希望の灯」
でもありました。

改めて心からの尊敬と共に、その御霊に哀悼の誠をささげたいと思います。
一首捧げます。

  ☆ひたすらに「非戦」の想い曲にこめ 坂本龍一「清明」に逝く

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 「あの子の分も」みたび

2023年03月10日 15時22分17秒 | 鎮魂

 東日本大震災を被災された皆様へ―

  2011年(平成2 3年)3月11日14時46分に発生した東日本大震災は、明日で12年となり十二支の一周年となります。
朝日新聞の3月10日の報道によりますと、この東日本大震災での死者は15,900人、行方不明者は6県で2,523人とのことです。この大震災で被害に遭われ身罷った御霊に哀悼の誠をささげるとともに、未だ行方不明となっている方と、そのご家族に改めてお見舞いを申し上げたいと思います。
 この間、被災された皆さんの筆舌に尽くしがたい労苦と闘いの日々を、そしてそこから立ち上がり前を向く多くの皆さんの歩みを、私たちも改めて想い起したいと思います。


昨年も、このブログで掲載させて頂いた内容ですが、再び巡りくる3.11を前に、改めて「共にある」ことの確認を込めて、重複となりますがこの記事を掲載いたしと思います。

 今から12年前、多少でも手助けになればとボランティアで訪れた福島の海辺の町は、すべてを破壊しつくされた瓦礫の街でした。廃墟とも言えるその地で、 しっかりと日々の生活を立て直し、明日を見据えて踏ん張る多くの方たちに接し、 私たち自身が励まされる思いがしました。
 お手伝いの合間に、現地の皆さんのお話を聞くことが出来ました。言葉少なに、自らの現状に折り合いをつけつつ、 絞り出すように語ってくれた多くの方達の言葉は、 私たちの想像を遥かに超えていました。
 目の前で、大津波にご主人も、お子さんもさらわれたと言われる一人の女性。
立ち直ることも出来ないであろう厳しい状況に直面し、涙も枯れ果てたと言いながら、
それでも気丈にふるまう方。 その方の想いに寄り添い「あの子の分も」との題で、
私なりに詞に紡いでみました。 ずーとしまっておいた歌詞ですが、東日本大震災からの
節目に当たって「共にある」ことを再認識するとともに、 あの想像を絶する事態を改めて心に刻む意味で、詞を少しブラッシュアップしてみました。

 その詞の作曲・歌唱依頼を含めてYokiさんに提案させて頂きました。
今回もYokiさん、じいじさんの多大なご尽力で、歌詞に命が吹き込まれました。
先に本ホームページで紹介させて頂いた、Yokiさん作曲・歌唱の二曲の延長に、
「あの子の分も」の楽曲を、皆さんにお披露目出来ることに感謝したいと思います。

「あの子の分も」の楽曲公開に当たっては、工藤慎太郎さんの楽曲「旅の途上(なか)」の作詞の際、 ペンネームとして「ショー・ジロー」を頂きましたので、今回も前二曲に続いて、それを踏襲させて頂きました。 作曲&歌はyokiさん、ギター&ハーモニカはじいじさんに担って頂きました。改めて感謝申し上げます。

今回は、2022年3月11日に、改めて Yokiさんに歌って頂いた曲を掲載させて頂きます。

画像をクリックしますと「Youtube」を視聴できます。

ユーチューブの背景画像はYokiさんに選んで頂いた「ニゲラ」という花で、
花言葉は「未来」です。

 「あの子の分も」
     作詞*ショー・ジロー  作曲&歌*yoki  ギター*じいじ

  1.あの子の声がこだまとなって 
    今でもはっきり響いてくる  
    目の前で波に呑まれ さらわれた
    あの子が今でも目に浮かぶ
    あんなに身近な海なのに
    今は見るのも つらい 
    切なくて 悲しくて 
    眠れぬ夜をいくつ重ねたことだろう
    でも・・・涙はお日様に預け
    もう泣かない   
    あの子にもらったこの命 
    抱えてしっかり 生きて行くわ

     2.あなたの声がこだまとなって 
       今でもはっきり響いてくる
       目の前で波に呑まれ さらわれた 
       あなたが今でも目に浮かぶ
       あんなに好きな海なのに
       今は見るのもきらい
       寂しくて 苦しくて
       眠れぬ夜をいくつ重ねたことだろう
       でも・・・涙はお日様にあずけ
       もう泣かない
       あなたにもらったこの命 
       抱えてしっかり生きて行くわ

  3.あれからもう10年たつのね 
    やっと探した写真には
    あの子とあなたの笑顔が写ってる  
    家も町も光の中輝いてる
    津波が全てを奪っていった
    あの日々が 愛おしいまでによみがえる
    辛いけど 寂しいけれど
    私の愛したあなたと あの子の思い出を
    抱えてしっかり生きて行くわ
    あなたの分も あの子の分も
    私のこの胸にずっと ずっと

 「あの子の分も」の楽曲作成に当たって作曲&歌はyokさん、ギター&ハーモニカはじいじさんに担って頂いた旨は先に申し上げました。ギター&ハーモニカを担って頂いた、じいじさんに「あの子の分も」をカバーして頂きましたので、一挙に公開させて頂きます。

 画像をクリックしますと「Youtube」を視聴できます。

 なお、拙い詩ですが、著作権は放棄していません。
無断転載等はご遠慮願います。転載いただけるのであれば、あらかじめ当方へ
連絡を頂き「ポエット・M」の作者名を明記して頂ければ嬉しいです。
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― 君へのエール ― 「あの子の分も」再び

2022年03月10日 16時57分37秒 | 鎮魂

「あの子の分も」再び

昨年も、このブログで掲載させて頂いた内容ですが、再び巡りくる3.11を前に、改めて
「共にある」ことの確認を込めてこの記事を掲載いたしと思います。



 今から11年前、多少でも手助けになればとボランティアで訪れた福島の海辺の町は、
すべてを破壊しつくされた瓦礫の街でした。廃墟とも言えるその地で、 しっかりと日々の
生活を立て直し、明日を見据えて踏ん張る多くの方たちに接し、 私たち自身が励まされる
思いがしました。
 お手伝いの合間に、現地の皆さんのお話を聞くことが出来ました。言葉少なに、自らの
現状に折り合いをつけつつ、 絞り出すように語ってくれた多くの方達の言葉は、 私たちの
想像を遥かに超えていました。
 目の前で、大津波にご主人も、お子さんもさらわれたと言われる一人の女性。
立ち直ることも出来ないであろう厳しい状況に直面し、涙も枯れ果てたと言いながら、
それでも気丈にふるまう方。 その方の想いに寄り添い「あの子の分も」との題で、
私なりに詞に紡いでみました。 ずーとしまっておいた歌詞ですが、東日本大震災からの
節目に当たって「共にある」ことを再認識するとともに、 あの想像を絶する事態を改めて
心に刻む意味で、詞を少しブラッシュアップしてみました。



 その詞の作曲・歌唱依頼を含めてYokiさんに提案させて頂きました。
今回もYokiさん、じいじさんの多大なご尽力で、歌詞に命が吹き込まれました。
先に本ホームページで紹介させて頂いた、Yokiさん作曲・歌唱の二曲の延長に、
「あの子の分も」の楽曲を、皆さんにお披露目出来ることに感謝したいと思います。



「あの子の分も」の楽曲公開に当たっては、工藤慎太郎さんの楽曲「旅の途上(なか)」の
作詞の際、 ペンネームとして「ショー・ジロー」を頂きましたので、今回も前二曲に続いて、それを踏襲させて頂きました。 作曲&歌はyokiさん、ギター&ハーモニカはじいじさんに担って頂きました。改めて感謝申し上げます。
今回は、2022年3月11日に、改めて Yokiさんに歌って頂いた曲を掲載させて頂きます。

画像をクリックしますと「Youtube」を視聴できます。


ユーチューブの背景画像はニゲラという花で、花言葉は「未来」です。

 「あの子の分も」
     作詞*ショー・ジロー  作曲&歌*yoki  ギター*じいじ

  1.あの子の声がこだまとなって 
    今でもはっきり響いてくる  
    目の前で波に呑まれ さらわれた
    あの子が今でも目に浮かぶ
    あんなに身近な海なのに
    今は見るのも つらい 
    切なくて 悲しくて 
    眠れぬ夜をいくつ重ねたことだろう
    でも・・・涙はお日様に預け
    もう泣かない   
    あの子にもらったこの命 
    抱えてしっかり 生きて行くわ

     2.あなたの声がこだまとなって 
       今でもはっきり響いてくる
       目の前で波に呑まれ さらわれた 
       あなたが今でも目に浮かぶ
       あんなに好きな海なのに
       今は見るのもきらい
       寂しくて 苦しくて
       眠れぬ夜をいくつ重ねたことだろう
       でも・・・涙はお日様にあずけ
       もう泣かない
       あなたにもらったこの命 
       抱えてしっかり生きて行くわ

  3.あれからもう10年たつのね 
    やっと探した写真には
    あの子とあなたの笑顔が写ってる  
    家も町も光の中輝いてる
    津波が全てを奪っていった
    あの日々が 愛おしいまでによみがえる
    辛いけど 寂しいけれど
    私の愛したあなたと あの子の思い出を
    抱えてしっかり生きて行くわ
    あなたの分も あの子の分も
    私のこの胸にずっと ずっと


 「あの子の分も」の楽曲作成に当たって作曲&歌はyokさん、ギター&ハーモニカはじいじさんに担って頂いた旨は先に申し上げました。ギター&ハーモニカを担って頂いた、じいじさんに「あの子の分も」をカバーして頂きましたので、一挙に公開させて頂きます。

 画像をクリックしますと「Youtube」を視聴できます。


 なお、拙い詩ですが、著作権は放棄していません。
無断転載等はご遠慮願います。転載いただけるのであれば、あらかじめ当方へ
連絡を頂き「ポエット・M」の作者名を明記して頂ければ嬉しいです。
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中村医師 哀悼

2019年12月05日 07時21分22秒 | 鎮魂
アフガニスタン東部ジャラバードで4日朝、NGO「ペシャワールの会」現地代表
 中村 哲医師が、何者かに銃撃され殺害されました。

殺害に関わった者たちへの怒りが抑えきれません。
 中村哲医師の偉大な足跡への敬意と共に
     御霊に心からの哀悼を申し上げます。

一首短歌を捧げます。
 ☆火を運ぶプロメテウスの こころざし
    継ぎたる君を 奪う銃弾

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悲しみの極みに

2016年03月14日 09時50分11秒 | 鎮魂
弥生の11日。あの東日本大震災の日から5年。死者15,894名、行方不明者2,561名そして、
未だ174,471人の方が避難を余儀なくされている状況にあります。
共にあることを胸に刻みながらも、改めて記憶を新たに状況に真向かいたいと思っています。

この日は、私にとって、とりわけ細君にとって辛い、悲しい日となりました。
細君の兄が二年にわたる闘病の後、身罷りました。
私にとっては会社の先輩であり、入社以来公私にわたり世話になり、
さらに細君を紹介してくれた義兄であり、生涯の恩人とも言える方です。

転勤以来長いこと大阪暮らしが続きましたが、定年後郷里に近い埼玉県鴻巣に
居住を移され自適な日々を送っていました。二年前癌を患っていることが判明し
その時点で、かなり厳しい状況であったとのこと。厳しい状況である旨は
奥様のみに留め、兄弟姉妹にも明確に告げられない状況でした。
従って「危篤」の知らせは、まさに青天の霹靂にも似た状況でした。

細君も病の治療が始まったばかりで、体調はいまいちでしたが、知らせを受けて
勤務終了後に待ち合わせ、埼玉県の行田にある総合病院に駆けつけました。
駆けつける途中の電車の中で「逝去」のメールが入り、覚悟はしていたものの
愕然とした思いに囚われました。

病院のベットに、眠るように安らかな表情で横たわる義兄の姿に触れ、傍らでの
細君の号泣もあり、私も、入社以来の義兄との思い出が走馬灯のようによみがえり、
こらえても涙があふれました。

思えば「義弟」の立場に甘え、人生の節々で世話になりっぱなしで、満足なお礼も
また、感謝の言葉すら明確に伝えてこなかった事が重い悔いとして襲ってきました。
義兄には子供もなく、残された義姉の寂しさは私たちの想像を超えているとの思いが
あります。
今後、葬儀の日程等もあり、ゆっくり悲しんでもいられない日々が続きますが細君が
年齢的にも近いため、義姉とは何かと相談相手になっ行くことと思っています。

短歌に詠むにはあまりに生々しく、思いの整理もできていませんが即興で
義兄への思いを詠ってみました。

 ☆慟哭を呑みてまみえし君が顔 安らかなるも滲む寂しさ
 ☆悲しみの極みにありて甦る「妹頼む」とつぶやく君が
 ☆妻ともに冥福祈る祭壇に君がかんばせ笑むがに揺らぐ
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鎮魂の花

2014年03月10日 21時31分38秒 | 鎮魂
明日11日は東日本大震災から三年目となります。

「復興と再生の3月」に、「共にあること」の意味を改めて胸に
刻んで参りたいと思います。

鎮魂の意味を込めて、東京大空襲の中で半身を焼かれながら、
なお咲き継いだと言われる沈丁花の花を載せたいと思います。

 ☆空襲で半身焼かれし沈丁花
         なお咲き継ぐは花の矜持か
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「災害復興モニュメント」

2013年03月18日 19時26分29秒 | 鎮魂
東日本大震災から二年目となる3月11日。私が現在勤務する会社の管理する「くりはま花の国プール」併設の
園芸室(温室)で「災害復興モニュメント」の完成披露式が行われました。
同時に市民の皆さんに一般公開を開始しました。

大震災の被災地、宮城県東松島市から津波に遭い枯れた松の木を譲り受け、 横須賀建設業関連団体協議会の
皆さんを始め、多くの市民ボランティアの皆さんのご協力を頂き「災害復興モニュメント」が完成致しました。

松の木を譲り受けた経緯は、既に読売新聞、東京新聞を始め多くのメディアで報道されていますので省かせて
いただきますが、災害復興に寄せた有志の方々の熱い思いが横須賀の地と、東松島市を結ぶ確かな絆と
なったことは事実だと思っています。

モニュメントは全長約5メートルの松の木を防腐処理し、ランやカトレアなど約40種類の花々が枝に
着生するよう括り付け、黄色やピンクで彩り、鎮魂と復興に向けそれぞれの方の思いの篭った
「活きた芸術作品」とも言える素敵なオブジェに仕上がっています。

一般公開により、多くの市民の皆さんにもご覧頂いておりますが、ご覧頂いた皆様とともに、
この震災の辛く厳しい経験を教訓として、長く記憶にとどめ併せて被災地の一日も早い復興を
祈念したいと思っています。

写真は蘭の花を着生させた「災害復興モニュメント」です。
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一陽来復

2012年01月01日 19時44分47秒 | 鎮魂
一陽来復

今年もよろしくお願い致します。

今の思いのすべてを、掲載の写真に込めたいと思います。
(横須賀市大津諏訪神社 震災復興に込めた想いです)

みな様のご多幸とご健康を心からお祈り申し上げます。
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