四季の彩り

季節の移ろい。その四季折々の彩りを、
写真とエッセーでつづって参ります。
お立ち寄り頂ければ嬉しいです。

「八代亜紀さんの銅像」除幕式へ

2024年12月22日 20時04分27秒 | お出かけ

 歌手の八代亜紀さんが昨年暮れに急逝して、今月30日で1周年になります。
先日、八代さんとご両親が眠る東京都品川区の「ひかり陵苑 安養院」にて行われた八代さんの銅像の除幕式に細君共々参加してきました。除幕式には約110名の方が参列し、在りし日の優しかった八代さんを皆さんと共に偲びました。


     「白い山茶花」

 八代さんの銅像は、日展特別会員の彫刻家堤直美さんによって制作され、箱根の別荘にあった八代さんの自作の詩の石碑が移築された陵苑の脇に、設置されていました。石碑には、
  「遠まわりでも つまずきながらでも ひとすじに生きる
    それがすばらしき人生」
の詞が彫り込まれていました。

     「安養院 景観」

 生前に八代さんが同寺院とモニュメント制作を約束していたことから、一周忌にあわせ所属事務所が主宰となり銅像建立となったとのことです。建立の発起人は、ヒット曲「なみだ恋」や遺作「想い出通り」でタッグを組んだ作詞家の悠木圭子さん、服部セイコーグループの代表取締役会長の服部真二さんをはじめ、生前八代さんと親交の深かった方が担い、その方達より、親交のあった友人の方々に呼びかけがあり、私達にもお話を頂き参加させて頂きました。
銅像建立に参加し、協力した方の名は石碑に書き込まれていましたが、法人8社、個人156名余でした。

     「八代亜紀さんの銅像」

 銅像は高さ160センチ、土台30センチで等身大の大きさとなっており、左の手のひらを天に向ける、八代さんの代表曲「雨の慕情」の歌唱の際の姿が再現されていました。
作詞家、悠木圭子さんは「亜紀ちゃんはたくさんの愛をくれました。素晴らしい像ができて会いに来ることができ嬉しい」とあいさつされました。
 銅像を制作された彫刻家、堤直美さんは「八代さんは誰とでも分け隔てなく接してくれました。ステージでの化粧した顔でなく、その優しさがにじむ愛に満ちた素顔を表現しました」と制作意図を語り、さらに、「ブロンズになった八代さんを触って偲んでほしい」と話されました。

 お寺の住職さんによる入魂式等も含めて、小一時間ほどで式典が終わりました。
当日は、都内でも小雪の降るとても寒い日でしたが、皆さんで八代さんがここにきている気がすると・・・、口々に話されていました。改めて八代さんに寄せる、それぞれの方の想いの深さを感じる心温まる式典でした。

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みかん狩へ

2024年10月28日 18時02分35秒 | お出かけ

 現在週二度ほど、公営の温水プールに細君共々通っています。そこで少なからぬ
水泳仲間ができ、スイミングの合間に色々お話しすることもあります。
 昨年、色々な話題から野菜の高騰と、無農薬の野菜の話になり盛り上がった
ことがありました。水泳仲間でミカン園を営み、無農薬の野菜も作っておられる
方から、お招きいただきお宅へ伺い、無農薬野菜を頂いたことがありました。
その後、諸々のやり取りから親しくお付き合いしてきました。

     「未だ咲くコスモス」

 今年はプールへ来られる曜日と時間帯が合わずに、お互いに中々お目にかかれ
ない日が続きましたが、先日たまたまお会いすることができ、ミカン園も営業を
開始した
ので「いらっしゃい」との連絡を頂きました。

 たまたまプールが休みの日、ミカン狩りを兼ねて農園をお訪ねしました。入園料は
要らないと言われましたが、今後の事もあり是非お支払いさせて下さいと
お願いして、
お支払いし、早速ミカン園へ向かいました。比較的小規模と言われていましたが、
ざっと見て600坪程度とかなり広く、みかんも黄色く熟れ始めてはいました。
若干早いとのことでしたが、園内を散策しつつ、もいだミカンを頂きました。
いずれもかなり甘く、まさに採りたての新鮮さと、酸っぱさのハーモニーもあり
美味しく頂きました。三浦ミカンのおいしさを改めて再認識しました。


     「みかんむ園の みかん」

 散策しつつ紅葉も始まった農園の景色を楽しみながら、園内に設けられたテーブルに
座って、休憩を繰り返して1時間ほど過ごしました。ミカン園の隣に位置するお宅の
庭先に柿がなっているので、その景観や庭に咲くガザニアの写真を撮らせて頂いたり
奥様も交えて楽しく
おしゃべりしました。

     「取り残された柿 木守り柿」

 おしとやかで素敵な印象の奥様にお会いするのは2回目なのに、以前からの友人の
ように
接して頂き、和やかで気持ちいい時間を過ごせました。帰りはご夫婦で摘んで
頂いた野菜や、
枝付きの柿もお土産として持たせて頂き恐縮するばかりでした。


     「頂いた無農薬野菜」

「ミカンはもう少ししたら、もっと甘くなるのでもう一度いらして下さい」と奥様から
おっしゃって頂き、再度の来園を約束しつつお別れして来ました。
こんな秋の日のひと時も良いものと、しみじみと感じました。

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秋薔薇を

2024年10月24日 09時21分28秒 | お出かけ

 10月初旬から今週にかけては季節柄、関りをもつ公立中学校の体育祭や、
地域の行事、
各種ボランティア関連の会議、イベント等々が集中し精神的にも
物理的にも余裕のない日々の連続でした。
 そんな日が続く秋晴れの一日、細君ともどもヴェルニー公園の秋薔薇を
見に行ってきました。
この公園では先週末に「2024秋のローズフェスタ」が
予定され、
かなりの混雑が予測されることから、その前にゆったりと
薔薇見物をしようと繰り出したところです。

     「秋薔薇 ポニカ’82」

 この公園の名前は、このブログでも何度か触れていますが…、
フランス人技師ヴェルニーが建設に貢献した横須賀製鉄所跡地が望める
ことが出来ることから「ヴェルニー公園」と名付けられました。

フランス庭園様式を取り入れた海辺の公園で、園内にはフランス式花壇や
あずま屋、噴水等が設けられ、フランス、アメリカ、日本の
種を中心とした
約1400株の薔薇も植えられています。
 四季咲きの品種の薔薇も多く、春、秋双方の季節に咲く薔薇が眺められ、
海辺のボードウオークで散策も
楽しめる優雅な雰囲気の薔薇園でもあります。


     「ヴェルニー公園の景観 (一部)」

 訪れた日には、秋晴れの下で秋薔薇が既に盛りを過ぎ、終焉に近い状態の
花が大半でしたが…、それでも何輪かは咲き残り、そんな薔薇を
愛おしみつつ
眺め、デジイチスケッチもしてきました。

五月の太陽の下で輝くように咲く、生命力に満ちた薔薇も見ごたえがありますが、
秋の陽ざしをまとい静かにうつむきがちに咲く薔薇も、
風情があって良いものと
改めて感じました。

     「秋薔薇 マダム・サチ」

 特に「マダム・サチ」という白薔薇がありますが、五月に咲いていた花とは
異なり秋薔薇の楚々とした雰囲気は、この花の真の姿かと思って
しまうほど
雅な趣をまとっていました。

また、「楽園」という名を持つオレンジ色の薔薇も、秋薔薇の方がこの名前の
雰囲気を醸し出しているとの印象を持ちました。

     「秋薔薇 楽園」

 折からの喧騒の日々の中、そんな薔薇たちを細君と共に眺めながら、
秋のひと時をのんびりと過ごすことができ、久しぶりに「命の洗濯」にも似た
想いを味わうことができました。

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兄妹食事会へ

2024年07月29日 13時55分39秒 | お出かけ

 このブログではあまり話題にしてきませんでしたが、私には二人の妹がおります。一人は東京郊外に住み、一人はいま郷里の信州に居を構えています。
 信州に居を構える妹は、かつて赤坂界隈で仕事をしていましたが、定年を前に仕事に早々にめどをつけ郷里に家を建て自適な生活を送っています。東京郊外に住む妹は、大学病院での看護師を皮切りに定年を超えても勤務を続けてきました。ご主人を病で亡くした後、仕事柄厳しい時間のやりくりを行い、女手一つで二人の幼子を育ててきましたが、辛く厳しい日々であったことは想像に難くはありません。そんな苦労をあまり語ることなく、淡々と凌ぎ乗り越え、現在は子育ても一段落し自適な生活を送っていますが、密かに誇りたい妹でもあります。

     「咲き競う ハマボウ」

 二人ともボランティアの傍ら、旅行が好きで一緒に海外旅行を楽しんでいるようです。海外の主な観光地は、ほとんど制覇したとのことでフランス、イタリア、スペイン、トルコ、ニューヨーク、ラスベガス、さらにモロッコと、結構マイナーな場所にも足を運んでいるようです。特にトルコのカッパドキアや、スペインのサクラダファミリアはお気に入りで何度か訪ねているようです。

 信州に住む妹は時々東京に出て来て、横浜、舞浜等東京周辺のホテルに宿泊し、その際私にも声がかかり、もう一人の妹と共に一泊したり、食事会をすることがあります。過日、横浜のホテルに二泊するとのことで、ディナーを共にすることになりました。細君もと誘われたのですが、細君の体調が、この暑さもありイマイチで今回は私のみ行くことにしました。

 ホテルは「アパホテル&リゾート横浜ベイタワー」で、夏休み中にも関わらず、比較的リーズナブルで眺望の良い部屋を予約できたとのこと。ホテル内の3階にある「LA Veranda」を予約し、食事会をしました。二人の妹はお酒はほとんど飲まないので、私も今回は軽くビールで乾杯としました。

  「アパホテル&リゾート横浜ベイタワー及びみなとみらい (ネットから借用)」

 ディナーはバイキング形式で神奈川県の地産地消をモットーに和食、中華、イタリアン等々と盛り沢山揃っていてリーズナブルな価格の割には味も、品質もかなり高い水準と感じました。このレストランは、壁のほとんどがガラス張りになっているので、食事をしながら、横浜みなとみらいの夜景をじっくり楽しむことができました。また、天井も高く空間が広々としているので、それほどの圧迫感を感じることなくゆったりと過ごすことができました。また、二十分おきぐらいに新たな料理の紹介があり、エンターティメント性と、食の楽しさをさりげなく演出していました。ここでも、ホテル側の客に対する温かな寄り添いが貫かれていると感じました。

     「アパホテルエントランス (ネットから借用)」

ソフトドリンクやスィーツも充実しており、お酒を飲めない妹たちは色々チョイスし楽しんでいました。窓の外で刻々とイメージを変える横浜みなとみらいの夜景を見ながら、美味しい料理とビール、ソフトドリンク等を味わいながら、時の過ぎるのも忘れ、父、母の思い出話や変わりゆく故郷の話をくつろいで話せたのは、久しぶりの経験であったと思っています。

     「アパホテル レストラン(部分) (ネットから借用)」

 そんな機会を作ってくれた妹たちには改めて感謝したいと思っています。特に今まで聞けなかった父、母への妹たちの想い、また印象深いエピソード等は初めて聞くものもあり、印象深く記憶に残りました。
 それぞれ、今は元気ではあるものの年齢を考えると身体の不調は避けがたく、そんな状況も抱えながら凌ぎつつ、一日一日を大切にし、悔いのない日々を過ごしていければと思っています。

     「咲き盛る ノウゼンカズラ」

 私にとっても二人の妹、そして兄はかけがのない兄弟ですので、残された日々の中で、そんな想いも十分伝え合っていけたらいいなとも思っています。中々面と向かっては言えませんが、そんな想いを伝えあえる機会を意識してつくっていきたいものと改めて思った次第です。

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横浜スタジアムへ

2024年05月27日 10時09分55秒 | お出かけ

 過日24日、久しぶりに横浜スタジアムで広島カープVS横浜ベイスターズのナイト試合があり、細君共々観戦に行ってきました。このブログでは阪神、ソフトバンク、さらに巨人フアンの方が多くいらっしゃって、フアンチームの名言は極力避けてきましたが…、私たちは広島カープが三連覇したころからのファンでした。さらに、メジャーリーグから日本球界に復帰した秋山 翔吾選手が広島カープに加わったことにより、さらに熱心なフアンになりました。
 このブログでも幾たびか記しましたが、かつて現役の時代業務の傍ら、ボランティアで地域の少年スポーツリーグに関わっていましたが、秋山 翔吾選手は、そのリーグの出身選手でもあります。そのころから、抜きんでた身体能力を持った選手でしたが、いまでもシーズンオフには、子供たちの為に小学生を中心に、200人規模の「野球教室」を毎年継続して開いてくれる地域想いの熱い心を持った選手でもあります。

     「横浜スタジアム 前景」

 試合当日、チケットが朝日新聞販売店の優待券ですので、事前にスタジアムの窓口で観戦用チケットと交換する必要があり、早めに家を出ました。窓口が開設されるのは15:00からとのことでしたので、関内駅周辺を昼食を兼ねて散策してみました。久しぶりの日本大通りと馬車道でしたので懐かしさもあり青空の下、暑い盛りでしたが少し足を延ばしてみました。すると、昼食時間は大分過ぎていましたが、長い行列の出来ているお店を見つけました。通常であれば昼食時に10人を越える行列には、並ばないでスルーすることにしてきましたが、今回はスタジアムの窓口が開くまでにかなりの時間もあり、細君と相談し、並んで待つことにしました。既に20組以上の方が順番表にサインしていましたが、その最後尾にサインして待つことにしました。


     「天ぷら割烹「天吉」」の行列

 店は老舗天ぷら割烹「天吉」で、明治五年、創業150年の老舗のようです。私達は約45分ほど待ち、二階の掘り炬燵様式の座敷に案内して頂くことができました。
「伝統の技と現代の技を折り合わせた絶品の江戸前天ぷらを提供」と銘打っていましたので、名物と言われている「天丼セット」頂きました。看板に偽りはなく、魚介、野菜はいずれもその時季に旬なものを用いて丁寧に天ぷらとしており、カラッとしながらも、濃厚な嫌味のない味でこの上なく美味しく味わうことが出来ました。
 かつて小田原で、その地域随一と謳われていた丼専門店の味を遥かに超えているとの印象をもちました。さらに、価格もリーズナブルで、天丼、サラダ、お漬物、シジミのお味噌汁、アイスのセットで税込み990円でした。横浜関内駅前という立地でこの値段に店主の心意気を感じ、行列の長さも納得しました。

     「天ぷら割烹「天吉」」の内部

 食事の後、スタジアムの窓口でチケット交換のための行列に並びました。比較的前の方でしたが既に10数人の行列ができ、私たちが並んだ後も次々人が増え時間と共に80mを越える行列となっていました。早めに並んだ甲斐もあり、内野席が確保できました。ただ、球場に入れるのは試合開始2時間前とのことで、4時までは、スタジアム周辺を散策することにしました。

     「スタジアム周辺の街並み」

 いままで、「みなとみらい」や元町周辺は結構散策していますが、関内駅周辺を散策する機会はあまりなかったのですが、日本大通りと隣接する日本庭園「彼我庭園」等をゆっくりと散策することにしました。途中のオープンカフェでコーヒーを購入し、木漏れ日の下、通路の椅子で、のんびりくつろぐことが出来ました。なお、街は週末からはじまる「GREENROOM FESTIVAL」に向けて諸々の飾り付けが始まっていて、活気が感じられました。

     「日本大通り」

 くつろぎながらも、午後4時近くになったので球場に向かいました。先ずは楽しみだった広島カープの選手の練習風景を見学出来ました。横浜スタジアムはオリンピックの会場になったこともあり、収容人数が35,000人を越える大規模な球場となり、新たにボックス席も作られ、かつてのイメージがかなり一新されていました。

     「広島カープの選手の練習風景」

 いよいよ試合開始となりました。東京ドームや神宮球場でも幾たびか経験しましたが、各球場ではイニングの合間にいろいろなイベントが企画されていて、ショーとしても十分愉しめる内容になっています。各イニングごとに子供達を楽しませたり、観客への写真撮影と写真提供、さらには会場の照明を消してペンライトと青く輝くハッピースターダンスが盛り上がる、ブルーライトの景観は圧巻でもありました。

     「スタジアムを埋めるブルーライト」

 試合は、まず横浜ベイスターズが先取点1を取りそのまま0が続く展開でしたが、途中で同点になり結局延長戦にもつれ込みました。双方のチーム状況と貧打が続く中で12回まで行く可能性もあり、楽しいけど帰りの電車時間を考え、細君と話し合い帰ろうかとなりました。しかし、せめて広島カープの攻撃を見てからにしようと・・・腰を落ち着けました。その瞬間、小園のホームランが出て広島側は大盛り上がり、次のバッター末包も続いて二者連続のホームランとなりました。さらに、次の坂倉のヒットに続き、代打の野間にもホームランと、漫画的な展開となり広島フアンは大盛り上がりで、出来過ぎの試合となりました。

     「風船とばし」

 ここまで確認し会場をあとにしました。やはり負けを察した横浜フアンの方はぞろぞろと退場される方が多くいて、通路は既に満杯状況になっていました。家に帰ってネットで試合結果を確認しましたが、広島カープの勝利でした。やはり球場での観戦は臨場感と共に、フアンの方と一体感も感じられ愉しいものです。たまにはこういう横浜もいいねと、細君と語り合ったところです。

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薔薇の公園へ

2024年05月05日 10時29分16秒 | お出かけ

 最長10連休と言われた今年のゴールデンウイークも今日を含めて2日を残すのみとなりました。昨日4日は、5月にして全国23の地点で真夏日となり、東京都心でも27.8度を観測し夏日となりました。
 5月5日の今日は「子どもの日」ですね。五月晴れの空の下、久しぶりに子供たちの歓声が聞こえてきます。また、街路には萌えだした新芽と共に新緑が光をはねています。

     「薔薇 ピース」

 連休前半に息子たち二家族が我が家に揃い、久しぶりに我が家が満杯状態になりました。その合間を縫って、ヴェルニー公園へ細君共々薔薇を見に行って参りました。
連休後半には、その公園で「春のローズフェスタ2024」が開催され、混雑が予測されますので、混雑を避けて前半の晴れの日を選んで出かけました。

     「ヴェルニー公園 景観 一部」

 ヴェルニー公園は、このブログでも幾たびか触れましたが、今回は薔薇の写真と共に公園の名前の由来となったヴェルニーについて、少し触れたいと思います。

 フランソワ・レオンス・ヴェルニー(1837~1908)はフランス人の造船技師で、海軍増強を目指した徳川幕府の要請により、横須賀製鉄所(造船所)建設の責任者として1865年に来日しました。明治維新後も引き続きその建設と運営の任にあたり、観音埼灯台や走水の水道の建設、レンガの製造のほか、製鉄所内に技術学校を設けて日本人技術者の養成に努めるなど、造船以外の分野でも広く活躍した後、1876年に帰国しました。

      「ヴェルニーと小栗上野介忠順の胸像のある広場」

 このヴェルニーの支援の下に、横須賀製鉄所(造船所)建設を推進しましたのが、小栗上野介忠順(1827~1868)でした。彼は、勘定奉行、江戸町奉行、外国奉行を歴任しましたが、軍政の改革、フランス語学校の設立など日本の近代化に大きく貢献しました。その後、大政奉還後に徹底抗戦を主張したために役職を解かれ領地の上野国権田村(群馬県倉渕村)に隠遁していましたが、官軍により捕縛され斬首されました。

     「薔薇 ホワイトクリスマス」

 この経緯には徳川埋蔵金説等を含めて未だ謎が多く、明確な背景は明らかにされないまま今日に至っております。いずれにしましても、先見の明を持ち、日本の近代化に邁進した政治家というより、優れた財政家であり、テクノクラートを抹殺した歴史の闇は深いと考えます。なお、司馬遼太郎は小栗上野介忠順を「明治国家の父の一人」と記しています。

     「薔薇 プリンセスアイコ」

 ヴェルニー公園は、ヴェルニーと小栗上野介忠順の胸像、広場を中心にフランス式花壇や噴水、洋風あずまやなどが設けられ、今の季節フランスの品種を中心とした約130品種・約1,300株の薔薇が彩りを添えています。皐月の空の下、色とりどりの薔薇が咲き競い、花の命の艶やかさをいかんなく発揮しているさまに出会うことができました。

     「薔薇と米軍の基地と艦船」

 海沿いにはボードウォークがあり、潮風の中で散歩を楽しめますし、横須賀本港を一望でき、係留されている艦船を見ることができます。公園から見て、右手に米海軍基地、左手に海上自衛隊地方総監部が望めますが、「ピース」との名をもつ薔薇と、戦艦、潜水艦の並び立つ公園の景観には未だなじめないものを感じてしまいます。

 公園の汐入側の入り口近くに、正岡子規の文学碑が立っており
  ☆横須賀や 只帆檣の 冬木立
 と、書かれています。
 明治21年(1888年)8月、正岡子規は夏季休暇を利用して、友人と汽船で浦賀に着き、横須賀・鎌倉で過ごしています。碑の句は、横須賀港内に連なる、はんしょう帆檣(ほばしら)の印象を詠んだもので、句集「寒山落木」に収録されています。

     「正岡子規の文学碑」

 今の季節、美しく咲き競う薔薇の花を眺めつつゆったりと公園を散策するのもいいものと感じました。

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ささやかな誕生祝い

2024年04月28日 13時26分44秒 | お出かけ

 四月は細君の誕生月で、過日ささやかな「お祝い」をして参りました。
ニ、三年前から、息子達には子供たちの受験期でもあり色々財政的にも
大変になるから、私達には気を使わないようにと言ってきました。
従って私達二人だけの祝いをと計画し、当日は日帰り温泉と、軽めの
ディナーをセットし済ませました。
翌日には、それでも・・・と、次男夫婦が計画し誕生日会を開いてくれ、
二日続きのお祝いとなりました。

     「咲き盛る 西洋シャクナゲ」

 誕生日当日は、朝からの雨も止んで、少し肌寒い日となりましたが、
計画通り海辺の日帰り温泉施設「湯楽の里」へ向かいました。
この施設は、海の眺望も良く、いつ来てもそれなりに混雑していますが、
今回は比較的空いておりゆったりくつろぐことができました。
細君とは2時間後のお食事処での待ち合わせを約束しそれぞれの温泉に
向かいました。

     「湯楽の里 景観」

 180度の海の眺望。それが望める露天風呂は、この施設の「売り」でも
ありますが、いつも満杯で中々割り込めない状態でした。しかし、今回は
天候の関係もありあまり混雑せずに、すんなりと入ることができました。
そこをメインにサウナと、寝湯を交互に繰り返しゆったりと過ごすことが
できました。
 ここのサウナは、ドライサウナと「塩サウナ」と二種類あり、塩サウナは
全身に塩をまとい、じっくりと発汗を促すものですが、肌への刺激も結構あり
はまると癖になります。

 当日は、生憎の空模様で露天風呂からは群青の海ではなく、重い鈍色の
海が目の前に広がっていました。それでも、そんな海も風情があり遠くに
霞む房総半島を想像して目を凝らし眺めながら冥想していました。
二時間という時間は、身体と精神を寛ぎに程よい時間と改めて感じひとり至福
ひと時を過ごすことができました。その後、約束の時間となりましたので、
お食事処に向かいました。

     「咲き初める クレマチス」

 細君はサウナが大好きで、5回ほどサウナ、水風呂と繰り返したとのことで、
火照った顔で待っていました。
今回は、細君の誕生日の「祝い膳」でもあり、少し奮発してオーダーを
しましたが、それでも慎ましやかなものでした。
運ばれて来たお食事はお腹が空いていたこともあり、写真を撮るのを忘れて
食べ始めてしまいました。途中で思い出して撮りましたが、料理のイメージを
毀すと申し訳ありませんので、公開は控えますね。
 今回は、季節の「旬菜」料理と銘打ったものでしたが、看板に偽りはなく、
文字通り三浦半島産の旬な食材をふんだんに使った料理で、サブの小鉢も含めて
いつもここで味わう料理の中では群を抜いた「美味さ」との印象をうけました。

     「咲き満る なにわ茨」

 お食事処では、暮れなずむ海を見ながら、ふろ上がりのけだるさも感じ、改めて
二人で歩んできた日々の思い出に話が及びました。細君は語らいのなかで
「ありがとう(^^♪」とも言ってくれましたので、ささやかでも、こんな淡々と
した「祝いの日」もまた良いものと感じました。
 翌日の次男の計画してくれた誕生日会では、大好きなケーキと、お嫁さんの
心の篭もったプレゼント、さらに息子の料理に細君は目を潤ませていました。

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「走水水源地」への花見

2024年04月06日 07時41分18秒 | お出かけ

 今年の染井吉野の東京での開花は3月29日と、昨年より10日近く遅れているようですが、開花後満開までの日数が、かなり短くなっていますね。そんな日々の中、何とか晴天に恵まれた過日、横須賀走水水源地の花見に細君ともども行って参りました。

     「咲き染める 染井吉野桜」

 この公園は、前にもこのブログで触れさせて頂きましたが…、明治9年、横須賀造船所のためにフランス人技術者ヴェルニーが築造した水源地の一部を、公園として開放した場所でもあります。市内唯一の水源地であり、横須賀水道施設発祥の地でもあり、自然海岸の走水海岸に隣接し設けられています。東京湾を一望することができる、桜の名所のひとつにもなっており、100本を超える桜が咲き誇っています。また、ここは「ヴェルニーの水」として市民にも提供され、私たちもポリタンク持参で、車で定期的に水汲みに来ております。この水は硬水ですが、コーヒーには最適です!!。

     「走水水源地 全景」

 スーパーで昼食用のお弁当を購入し現地へ向かいました。馬堀遊歩道、海岸道路を経由し現地まで片道4kmほどの道のりを、散策を兼ねて徒歩で向かうことにしました。折から、寒冷前線も近づいていることから北風も吹き、かなりの寒さを感じましたが、歩いていると結構汗ばんできました。

     「花咲く 馬堀遊歩道」

 徒歩で、約30分ほどで到着しましたが、桜はほぼ4~5分咲きで思っていたよりも咲き誇こっており見ごろと感じました。平日にも関わらず、折から春休みでもあり走水水源地は多くの家族ずれで賑わっていました。私達も水源地に咲く染井吉野や大島桜、さらに山桜等々の花を一通り見て回り、デジイチでのスケッチをしました。晴れなのに黄砂の影響かすっきりとした青空ではありませんが、何とか桜の咲く様をカメラにおさめることができました。

 日当たりの良い、開けた場所を選んで昼食をとろうと用意していますと、監視員の方が近づいてきて「ここはトンビに狙われるから、場所を変えた方がいいですよ」と教えてくれました。空を見上げると3~4羽のトンビが獲物を狙って旋回していました。桜の木の下に移動し、枝に覆われた場所を選んで昼食をとり始めました。おにぎりを食べ始めると、いきなりバサッと音がしましたので見上げるとトンビが飛び去って行きました。

     「走水水源地の 花見の人々」

 おにぎりを狙ったのでしょうが、枝に邪魔され狙いが外れ、おにぎりをゲットできなかったようです。それにもめげずにトンビは旋回しつつ狙っていましたが、しばらくしてあきらめて去っていきました。監視員の方のアドバイスを受けて、場所を移動して良かったと細君と話し合ったところですが、狙われた衝撃は感じましたので、要注意ですね。

     「走水水源地の 花見の賑わい」

 満開までには少し日にちを要しますが、海沿いに咲く見事な桜を今年も二人そろって元気に楽しむことが出来、良かったとしみじみ思った次第です。公園には、1時間ほど居てバスに乗る予定でしたが、何とか余力もあり歩いて戻ることにしました。

     「馬堀海岸遊歩道 この奥手が水源地です」


 途中、「湯楽の里」という日帰り温泉の市場に立ち寄り、焼き芋と副菜等を買い求めました。この温泉のチケットを過日購入しましたが、今回は持参してきていませんでしたので入浴はスルーしました。海岸道路と遊歩道を通って徒歩で帰路につきました。歩数は15,000歩近くになっていました。それなりに疲れましたが…、久しぶりの長距離の散策に達成感も味わいました。

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「お別れの会」へ

2024年03月31日 10時15分55秒 | お出かけ

 八代亜紀さんについては、1月のブログでも触れさせて頂きました。昨年12月30日に急速進行性間質性肺炎のため死去していたことを所属事務所が公式サイトで発表しましたが、その際、別途「お別れ会」を開催する旨の発表もありました。

     「咲き初める あんずの花」

 その「お別れの会」が『八代亜紀 お別れの会 ~ありがとう…これからも~』と題して、蒲田にある「日本工学院大学・日本工学院専門学校」の「片柳アリーナ」で開催されました。このアリーナは約4,000名を収容できコンサート等で活用されているとのこと。

     「片柳アリーナ」 (ネットから拝借いたしました)
 
 たまたま休日だった近くに住む次男夫婦と共に車で出かけました。この日は朝から「春の嵐」にも似た土砂降りの雨。「雨の慕情」で「あめあめ、ふれふれ」と歌っていた八代さんにふさわしい「涙雨」の下での式となりました。12時開場に合わせて出発しましたが、着いた時には、もう芸能関係の方も含め沢山の方が集まっていました。

 
 この日は2回に分けての「お別れ会」でしたが、総勢で約3,000名の方が集まったとのことでした。私たちは「1部の会」に参加できましたが、この会には里見浩太朗、研ナオコ、小林幸子、山本譲二、五木ひろし、高見沢俊彦らをはじめ多くの芸能関係者の方が、出席されるとのことで、多くのテレビ局や、メディアの方々がカメラを構えて待ち受けていました。
 身分証明書を提示して中に入りましたが、式場までの通路に八代亜紀さんが着ておられた舞台衣装の数々、そして写真パネルが展示されていました。それを眺めながら涙する方が多く見受けられました。
 
 この「お別れ会」は平服で、さらに香典は受け取りませんとのことでした。細君はその香典分の「グッズを買わせて」とのことで、バック等も含めて思い出の品を買い求めていました。
なお、この売上金は地震などの被災地支援等を続けてきた八代亜紀さんの想いを継ぎ、今回も「能登地震」支援に活用させて頂きますとのことでした。

 席に着くといろいろな方にお会いし、ご挨拶することが出来ました。お会いしたいと思いながら中々会えずにいた人にも、思いがけなく20数年ぶりに出会うことができました。長男は若いころ「俳優座劇場」、「シアターVアカサカ」等を拠点に、劇団を率いて、自らも舞台演劇をしていました。その時代、良く舞台演劇を観に出かけていましたので、多くの役者さんにお会いしてきました。その時に出会った人たちにも会えて、それぞれの道で頑張っている様子も伺え嬉しく、懐かしく感じました。始まる1時近くになると芸能人、特に歌手の方たちが沢山入って来られ、会場もほぼ埋まりました。

      「ネモヒラ」

 祭壇には、八代亜紀さんのピンク色のドレス姿の写真が遺影として飾られ、八代さんが生前コンサートで使用していた美術セットや、愛した花で埋め尽くされていました。
 そして…、1時にまるでコンサートかと錯覚するような演出で始まりました。「皆さんお元気ですか、八代亜紀です。昨年残念ながら歌手人生に終止符を打ちました…」との八代さんの声が会場に流れました。一瞬、八代さんが舞台に立ったのかとの錯覚に陥りました…。
 これは、八代さんが4年前、400余の文章を朗読した際の音声を残していましたが、これを基にAI音声合成技術を用いて新たに生成された八代さんの“肉声”とのことでした。

 舞台中央に飾られた八代さんの舞台衣装を着たひと形に、ライトが当たり楽団の人たちによる生演奏が始まりました。「舟唄」を皮切りに、八代さんのヒット曲が次々流れ…八代さんが出てくるのではと錯覚するほどでした。八代さんの生い立ち、歌手人生を映像と、ヒット曲等により紹介しながら、コンサートさながらの演出で、しみじみとしながらも、心に沁みる舞台に思わず涙を誘われる場面もありました。

 途中、献花の時間になり、先ずは芸能関係者の人たちでテレビで見知った方々が次々献花して席に戻りました。私達も、それぞれピンクのカーネーションを受け取り献花させて頂きました。出席の皆さんの献花が終わるのには1時間ほどかかりましたが、その間は八代さんの歌がずっと流れていました。皆さんの献花が終わるといよいよコンサートの後半・・・何曲か思い出深い曲が流れ、締めの曲は「ダンチョネ節」でした。この日に会場で流れた曲は20曲とのことです。

     「雪柳」

 そして、フィナーレ。八代さんの声で「八代亜紀は幸せでした。本当にありがとうございました」「それでは皆さんありがとうね・・・バイバイ」との言葉で幕が下りました。最初から、締めまで八代亜紀さんらしい「お別れの会」でした。悲しみと共に心に響く、心温まる時間が過ごせました。「八代亜紀さん…には、私たちはいつも元気をもらってきました。本当にありがとうございました。どうか安らかにお眠りください。そして、先に逝った愛してやまないお父様、お母様と楽しく語らい、歌い続けて下さい」・・・と祈らせて頂きました。
 会場内では全ての写真撮影はご遠慮くださいとのことで、写真はかろうじて入り口のみを撮ることができました。八代亜紀さんのピンク色のドレス姿の写真が、遺影として飾られた祭壇は素敵でしたが、この映像も残念ながら撮れませんでした。

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横浜「万葉の湯」へ

2024年03月02日 19時09分43秒 | お出かけ

 異常気象続きの2月も終わり、弥生3月となりました。
ロシアのウクライナの侵略戦争も2年を経て膠着状態が続き、ハマスイスラエル紛争の悲惨な状況も未だ続き、さらに、能登半島地震の復興も未だ厳しい途上にあります。
 このような中で行われた、国会の政倫審では政権党の裏金問題で、誰も責任ある真実の回答すらしていない哀しい現実が私達の前に晒されています。折から確定申告の時期であり、中小事業者泣かせのインボイス制度も適応される中で、国民の皆さんの怒りが沸点に達する状況にあると考えています。

     「咲き盛る河津桜」

 こんな日々の中、ボランティア関連の年度末行事も諸々計画されていますが、その合間を縫って細君共々、久しぶりに横浜へ行ってきました。実は、以前に息子たちから横浜の「万葉倶楽部」の入場券を貰っていたのです。有効期限も迫っており、日程の空いている日とのことで二人で出かけてきました。

     「横浜 みなと
みらいの一角」

 現役時代は、ゆったりとくつろげることもあり、宿泊も含めて結構訪れていた場所でしたが、コロナ感染症の蔓延もあり、しばらく遠のいていました。久しぶりの来訪でしたので、料金も含めて内容も大分替わったとの印象でした。

     「横浜の「万葉倶楽部」全景」

 ここは、「みなとみらい」の一角に「和の情緒あふれる温泉空間」とのコンセプトで、湯河原温泉から毎日タンクローリーで温泉の湯を運搬しているとのこと。館内も黒とダークブラウンの色彩で統一され落ち着いた癒される空間となっています。

    「「万葉倶楽部」エントランス」

 館内着は浴衣あるいは、作務衣を選べますので、私たちは作務衣に着替えて早速温泉に向かいました。露天風呂3か所、内風呂3か所、サウナもハーブサウナも含めて3か所と施設的にも結構充実しています。露天風呂のひとつはヒノキ風呂で、湯河原温泉の湯につかりながら横浜港や大黒ふ頭の眺望が楽しめます。サウナは低温サウナとハーブサウナを繰り返しながら、お昼の待ち合わせ時間に合わせて一旦お風呂を後にしました。

     「万葉庵入口」

 昼食は「万葉庵」で、天ぷらセイロとかつ丼をとり、お互いにシェアして頂きました。席は、ウイークデーでもあり比較的空いており、自由に選べましたので、オーシャンビューで海辺の景色を楽しめる席に落ち着きました。お料理が並んだら即食べ始めてしまって、途中で写真を撮り忘れたことに気が付き、食べかけの撮影となりましたので掲載は控えます。

 その後、万葉倶楽部最上階の横浜の街並みを見ながら入れる足湯に行きました。そこからは、横浜ベイブリッジや、みなとみらい、さらに山下公園が見渡せますが生憎の曇り空で奇麗な絵は撮れませんでした。足湯は若干ぬるく、折からの寒さですぐに退散しました。ほぐしどころ、読書コーナー、ゲーム室等々がありし、お客さんたちもそれぞれ楽しんでいました。アニメも含めて蔵書の数はかなり豊富との印象がありました。私たちは、リラックスルームで30分ほどくつろいだ後、再度温泉に向かいました。今度は露天風呂で帰りの予定時間までゆったりとした時間を過ごすことができました。

     「足湯からの横浜ベイブリッジの眺望」

 横浜駅まで送ってくれるシャトルバスに間に合ったので、そのバスに乗って帰路につきました。今回は、日帰りの予定で訪れましたが、夜景をゆっくり楽しめる宿泊もいいものと改めて細君と話をしたところです。近距離ながら、久しぶりに天然温泉にも入れ、ゆったりとした楽しいひと時を過ごすことができました。
 厳しい世情の中で、申し訳ない思いもしますが、精神の健康維持として甘えさせて頂きました。

     「みなとみらい寸景」

コメント (6)
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