四季の彩り

季節の移ろい。その四季折々の彩りを、
写真とエッセーでつづって参ります。
お立ち寄り頂ければ嬉しいです。

「三浦桜祭り」へ

2025年03月02日 21時23分24秒 | お出かけ

 第二派に及んだ最強寒波の影響か、三浦海岸の河津桜も開花時期が平年に比べ10日ほど遅れました。ここ三~四日の春を思わせる温かな気象の中で、一気に開花する状況になっているとのブログ友のお知らせがありました。こんな知らせに促され過日、細君共々「三浦桜祭り」に出かけて来ました。

     「三浦海岸駅周辺で咲き盛る 河津桜」

 このブログでも度々触れてきましたが、京急線の三浦海岸駅から小松ヶ池公園までの線路沿い約1kmにわたり、早咲きで知られる河津桜約1,000本が植樹されています。これは「桜の咲く里づくり」を目指した「三浦海岸まちなみ事業協議会」の方々が中心となり、平成11年度に苗木の植栽が始められたことが契機となっています。その後、三浦市内外の多くの協力者によって増殖され今日に至っています。
 今では毎年種をまく菜の花とともに、黄色と薄紅の彩どりの映える景色や、春の香りが漂い、早春の風物詩として定着しています。祭りの期間中30万人前後の観光客が訪れるメジャーな観光地にもなっています。

 私たちが訪れたのは、寒波も緩んだウィークデーでしたが、観光客の方が歩道を埋め尽くすほどに混雑していました。その二割程度は外国人のツアー客と感じました。菜の花の黄色と薄紅に咲き競う河津桜、さらに時々通過する京急電車の赤い車体とが格好の「映え」景色となっていました。

     「京急電車と河津桜」

 私達も、観光客の皆さんに押されるように、京急三浦海岸駅から小松が池までの片道1km程の距離を桜と菜の花の景観を楽しみながら、またデジイチでのスケッチも行いながら往復してみました。なお、沿線の河津桜は8分咲きで見ごろでしたが、小松が池周辺は既に散り時を迎えていました。

 昼食はいずこの店も混雑して行列が出来ており、待ち時間も半端でないため、いつも訪れるお馴染みの店で済ませました。また、駅周辺の出店も大分賑わっていましたが、細君の大好きなあんぽ柿と、生ワカメ、テングサ等を土産として購入しました。テングサは帰宅後細君はさっそく「ところてん」をつくり冷蔵後おやつとして頂きました。「ところてん」はお店で購入するものの味に比べ、仄かな甘さもあり美味しく頂きました。

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誕生日

2025年01月19日 10時07分32秒 | お出かけ

 過日は私の誕生日でした。
私達の年代になると、この日は必ずしも楽しい日ではありませんが…。
ただ、細君には日帰り天然温泉と、食事をセットした、心温まる祝いの
宴を催して頂きました。


     「咲き初める 菜の花」

 最近は細君と共に、ボランティア等々の合間を縫って、公立の
温水プール通いを週三回程度行っている
こともあり日帰り温泉へは、
中々行く機会も少なくなっていました。

久しぶりの温泉に、その良さを実感してきました。露天風呂からは
180度の海の眺望が臨め、少し北風はあったもののゆったりとした
癒しのひと時を過ごすことが出来ました。温泉から出た後は、
海の見えるお食事処で、この店のお勧め「ご膳」を二人で頂きながら、
シェフの心をこめた料理を堪能させて頂き、祝膳に感謝しました。

 前にも触れましたが、私には3人の息子がいますが、受験期の子供も
おり、また、長引いたコロナ禍で少なからず影響を受けていることも
あり、精神的にも、経済的にも、大変なこともあり、誕生日など
諸々の贈物はもういらないと細君と共に宣言してきました。


     「咲き初める 日本水仙」

 しかし、子供達のお嫁さんの心遣いもあり、Golden Bearの
ダウンブルゾンやシャツ、さらには、日本酒大吟醸の飲み比べセット
等の祝いの品が届き、恐縮するばかりでした。
そして、何よりも嬉しかったのは孫たちのお誕生日祝いメッセージでした。
改めて感謝した次第です。

 孫たちも全員揃って年末年始に訪れてくれ、その成長を目の当たり
にし、頼もしさと共に、眩ささえ感じました。じいじ、ばあば冥利を
十分感じ、さらに心優しいコメントまで届けられ、この上ない幸せな
想いに浸りました。
今回はかなり甘々な文章で恥ずかしい限りですが、晴れの日に免じて
ご容赦頂ければ嬉しいです。

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映画『グランメゾン・パリ』

2025年01月12日 14時30分08秒 | お出かけ

 今、木村拓哉主演の映画『グランメゾン・パリ』が公開中で、12月30日公開から1月5日までの公開7日間の累計動員は96万人と、好スタートを切っているとのことです。私も12月30日の初公開日に細君共々横須賀の映画館で鑑賞してきました。暮れのテレビで「グランメゾン東京」のスペシャルドラマを見ていましたので、導入部から背景のストーリーも含めて違和感なく楽しめました。


     「咲き満る 山茶花」

 既にご覧になっている方も多いかと思いますが…、簡潔に触れて見ます。
今回は、フランス・パリでの大規模なロケ撮影も行われた本編で、監督は、映画「ラストマイル」ほか、TVドラマでは「MIU404」「アンナチュラル」など、話題作を手掛ける塚原あゆ子氏がTVドラマに引き続き担当されています。また、韓国のアイドルグループ「2PM」のオク・テギョン、アイドルグループ「Aぇ! group」の正門良規が新キャストとして参加していました。さらに実際に2020年に、アジア人初となるフランスの三つ星を獲得した「Restaurant KEI」の小林圭シェフが、映画の料理監修を務める等本物志向が随所に感じられる作品との印象がありました。

 異国の地でシェフが個人店で三つ星を獲ることは奇跡と言っても過言ではなく、2020年から2024年と5年経った今でも、ミシュランガイド・フランスでのアジア人店舗の三つ星は「Restaurant KEI」一店舗のみとの厳しい現実があります。そんな世界最高峰と称されるフランス料理の本場・パリを舞台に、アジア人初となる“三つ星”獲得へと挑むストーリーです。
 料理に人生をかけるフランス料理のシェフ・尾花夏樹(木村拓哉)が、女性シェフ・早見倫子(鈴木京香)と出会い、周囲と衝突しながらも日本で三つ星レストラン「グランメゾン東京」を作り上げました。
 それから時が経ち、尾花は早見と、フランス料理の本場・パリで、新店舗「グランメゾン・パリ」を立ち上げ、アジア人初となるミシュラン“三つ星”を獲得するために奮闘していました。

 名だたる巨匠たちがしのぎを削る本場フランス。そのフランス料理で “三つ星”を獲得することは、尾花にとっての人生をかけた悲願でした。しかし、異国の地のシェフにとっては、満足のいく肉や、野菜などの食材を手に入れることにすら高い壁があり、“三つ星”に選ばれるなど夢のまた夢の結果を出せない日々が続いていました。そしてあるガラディナーでの失態が原因で、かつての師と「次のミシュランで三つ星を獲れなければ、店を辞めフランスから出ていく」という約束を交わさざるを得ない状況に追い込まれます。カリスマシェフと称された尾花夏樹は、挫折や人種、さらには文化の高い壁を乗り越え、仲間と共に世界最高峰の“三つ星”を手に入れる熱き挑戦に挑みました。料理に注ぐ情熱と、あきらめない想いが次々に襲ってくる難関を乗り越え“三つ星”に到達する感動的な物語でもありました。

 ネタバレとなりますのでこれ以上の記述は控えますが、前作で「一滴のソースにも料理人は命を削り注ぐ」との尾花の台詞がありました。この想いが食材選びから、料理の隅々にに余すところなく注がれた本物志向の作品との印象をさらに深くしました。
 また、木村拓哉の舞台あいさつではありませんが「美味しく味わい深い」作品とも感じました。見終わった細君の感想も、今までの木村拓哉主演の映画の中で最高!と言っていました。

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「八代亜紀さんの銅像」除幕式へ

2024年12月22日 20時04分27秒 | お出かけ

 歌手の八代亜紀さんが昨年暮れに急逝して、今月30日で1周年になります。
先日、八代さんとご両親が眠る東京都品川区の「ひかり陵苑 安養院」にて行われた八代さんの銅像の除幕式に細君共々参加してきました。除幕式には約110名の方が参列し、在りし日の優しかった八代さんを皆さんと共に偲びました。


     「白い山茶花」

 八代さんの銅像は、日展特別会員の彫刻家堤直美さんによって制作され、箱根の別荘にあった八代さんの自作の詩の石碑が移築された陵苑の脇に、設置されていました。石碑には、
  「遠まわりでも つまずきながらでも ひとすじに生きる
    それがすばらしき人生」
の詞が彫り込まれていました。

     「安養院 景観」

 生前に八代さんが同寺院とモニュメント制作を約束していたことから、一周忌にあわせ所属事務所が主宰となり銅像建立となったとのことです。建立の発起人は、ヒット曲「なみだ恋」や遺作「想い出通り」でタッグを組んだ作詞家の悠木圭子さん、服部セイコーグループの代表取締役会長の服部真二さんをはじめ、生前八代さんと親交の深かった方が担い、その方達より、親交のあった友人の方々に呼びかけがあり、私達にもお話を頂き参加させて頂きました。
銅像建立に参加し、協力した方の名は石碑に書き込まれていましたが、法人8社、個人156名余でした。

     「八代亜紀さんの銅像」

 銅像は高さ160センチ、土台30センチで等身大の大きさとなっており、左の手のひらを天に向ける、八代さんの代表曲「雨の慕情」の歌唱の際の姿が再現されていました。
作詞家、悠木圭子さんは「亜紀ちゃんはたくさんの愛をくれました。素晴らしい像ができて会いに来ることができ嬉しい」とあいさつされました。
 銅像を制作された彫刻家、堤直美さんは「八代さんは誰とでも分け隔てなく接してくれました。ステージでの化粧した顔でなく、その優しさがにじむ愛に満ちた素顔を表現しました」と制作意図を語り、さらに、「ブロンズになった八代さんを触って偲んでほしい」と話されました。

 お寺の住職さんによる入魂式等も含めて、小一時間ほどで式典が終わりました。
当日は、都内でも小雪の降るとても寒い日でしたが、皆さんで八代さんがここにきている気がすると・・・、口々に話されていました。改めて八代さんに寄せる、それぞれの方の想いの深さを感じる心温まる式典でした。

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みかん狩へ

2024年10月28日 18時02分35秒 | お出かけ

 現在週二度ほど、公営の温水プールに細君共々通っています。そこで少なからぬ
水泳仲間ができ、スイミングの合間に色々お話しすることもあります。
 昨年、色々な話題から野菜の高騰と、無農薬の野菜の話になり盛り上がった
ことがありました。水泳仲間でミカン園を営み、無農薬の野菜も作っておられる
方から、お招きいただきお宅へ伺い、無農薬野菜を頂いたことがありました。
その後、諸々のやり取りから親しくお付き合いしてきました。

     「未だ咲くコスモス」

 今年はプールへ来られる曜日と時間帯が合わずに、お互いに中々お目にかかれ
ない日が続きましたが、先日たまたまお会いすることができ、ミカン園も営業を
開始した
ので「いらっしゃい」との連絡を頂きました。

 たまたまプールが休みの日、ミカン狩りを兼ねて農園をお訪ねしました。入園料は
要らないと言われましたが、今後の事もあり是非お支払いさせて下さいと
お願いして、
お支払いし、早速ミカン園へ向かいました。比較的小規模と言われていましたが、
ざっと見て600坪程度とかなり広く、みかんも黄色く熟れ始めてはいました。
若干早いとのことでしたが、園内を散策しつつ、もいだミカンを頂きました。
いずれもかなり甘く、まさに採りたての新鮮さと、酸っぱさのハーモニーもあり
美味しく頂きました。三浦ミカンのおいしさを改めて再認識しました。


     「みかんむ園の みかん」

 散策しつつ紅葉も始まった農園の景色を楽しみながら、園内に設けられたテーブルに
座って、休憩を繰り返して1時間ほど過ごしました。ミカン園の隣に位置するお宅の
庭先に柿がなっているので、その景観や庭に咲くガザニアの写真を撮らせて頂いたり
奥様も交えて楽しく
おしゃべりしました。

     「取り残された柿 木守り柿」

 おしとやかで素敵な印象の奥様にお会いするのは2回目なのに、以前からの友人の
ように
接して頂き、和やかで気持ちいい時間を過ごせました。帰りはご夫婦で摘んで
頂いた野菜や、
枝付きの柿もお土産として持たせて頂き恐縮するばかりでした。


     「頂いた無農薬野菜」

「ミカンはもう少ししたら、もっと甘くなるのでもう一度いらして下さい」と奥様から
おっしゃって頂き、再度の来園を約束しつつお別れして来ました。
こんな秋の日のひと時も良いものと、しみじみと感じました。

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秋薔薇を

2024年10月24日 09時21分28秒 | お出かけ

 10月初旬から今週にかけては季節柄、関りをもつ公立中学校の体育祭や、
地域の行事、
各種ボランティア関連の会議、イベント等々が集中し精神的にも
物理的にも余裕のない日々の連続でした。
 そんな日が続く秋晴れの一日、細君ともどもヴェルニー公園の秋薔薇を
見に行ってきました。
この公園では先週末に「2024秋のローズフェスタ」が
予定され、
かなりの混雑が予測されることから、その前にゆったりと
薔薇見物をしようと繰り出したところです。

     「秋薔薇 ポニカ’82」

 この公園の名前は、このブログでも何度か触れていますが…、
フランス人技師ヴェルニーが建設に貢献した横須賀製鉄所跡地が望める
ことが出来ることから「ヴェルニー公園」と名付けられました。

フランス庭園様式を取り入れた海辺の公園で、園内にはフランス式花壇や
あずま屋、噴水等が設けられ、フランス、アメリカ、日本の
種を中心とした
約1400株の薔薇も植えられています。
 四季咲きの品種の薔薇も多く、春、秋双方の季節に咲く薔薇が眺められ、
海辺のボードウオークで散策も
楽しめる優雅な雰囲気の薔薇園でもあります。


     「ヴェルニー公園の景観 (一部)」

 訪れた日には、秋晴れの下で秋薔薇が既に盛りを過ぎ、終焉に近い状態の
花が大半でしたが…、それでも何輪かは咲き残り、そんな薔薇を
愛おしみつつ
眺め、デジイチスケッチもしてきました。

五月の太陽の下で輝くように咲く、生命力に満ちた薔薇も見ごたえがありますが、
秋の陽ざしをまとい静かにうつむきがちに咲く薔薇も、
風情があって良いものと
改めて感じました。

     「秋薔薇 マダム・サチ」

 特に「マダム・サチ」という白薔薇がありますが、五月に咲いていた花とは
異なり秋薔薇の楚々とした雰囲気は、この花の真の姿かと思って
しまうほど
雅な趣をまとっていました。

また、「楽園」という名を持つオレンジ色の薔薇も、秋薔薇の方がこの名前の
雰囲気を醸し出しているとの印象を持ちました。

     「秋薔薇 楽園」

 折からの喧騒の日々の中、そんな薔薇たちを細君と共に眺めながら、
秋のひと時をのんびりと過ごすことができ、久しぶりに「命の洗濯」にも似た
想いを味わうことができました。

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兄妹食事会へ

2024年07月29日 13時55分39秒 | お出かけ

 このブログではあまり話題にしてきませんでしたが、私には二人の妹がおります。一人は東京郊外に住み、一人はいま郷里の信州に居を構えています。
 信州に居を構える妹は、かつて赤坂界隈で仕事をしていましたが、定年を前に仕事に早々にめどをつけ郷里に家を建て自適な生活を送っています。東京郊外に住む妹は、大学病院での看護師を皮切りに定年を超えても勤務を続けてきました。ご主人を病で亡くした後、仕事柄厳しい時間のやりくりを行い、女手一つで二人の幼子を育ててきましたが、辛く厳しい日々であったことは想像に難くはありません。そんな苦労をあまり語ることなく、淡々と凌ぎ乗り越え、現在は子育ても一段落し自適な生活を送っていますが、密かに誇りたい妹でもあります。

     「咲き競う ハマボウ」

 二人ともボランティアの傍ら、旅行が好きで一緒に海外旅行を楽しんでいるようです。海外の主な観光地は、ほとんど制覇したとのことでフランス、イタリア、スペイン、トルコ、ニューヨーク、ラスベガス、さらにモロッコと、結構マイナーな場所にも足を運んでいるようです。特にトルコのカッパドキアや、スペインのサクラダファミリアはお気に入りで何度か訪ねているようです。

 信州に住む妹は時々東京に出て来て、横浜、舞浜等東京周辺のホテルに宿泊し、その際私にも声がかかり、もう一人の妹と共に一泊したり、食事会をすることがあります。過日、横浜のホテルに二泊するとのことで、ディナーを共にすることになりました。細君もと誘われたのですが、細君の体調が、この暑さもありイマイチで今回は私のみ行くことにしました。

 ホテルは「アパホテル&リゾート横浜ベイタワー」で、夏休み中にも関わらず、比較的リーズナブルで眺望の良い部屋を予約できたとのこと。ホテル内の3階にある「LA Veranda」を予約し、食事会をしました。二人の妹はお酒はほとんど飲まないので、私も今回は軽くビールで乾杯としました。

  「アパホテル&リゾート横浜ベイタワー及びみなとみらい (ネットから借用)」

 ディナーはバイキング形式で神奈川県の地産地消をモットーに和食、中華、イタリアン等々と盛り沢山揃っていてリーズナブルな価格の割には味も、品質もかなり高い水準と感じました。このレストランは、壁のほとんどがガラス張りになっているので、食事をしながら、横浜みなとみらいの夜景をじっくり楽しむことができました。また、天井も高く空間が広々としているので、それほどの圧迫感を感じることなくゆったりと過ごすことができました。また、二十分おきぐらいに新たな料理の紹介があり、エンターティメント性と、食の楽しさをさりげなく演出していました。ここでも、ホテル側の客に対する温かな寄り添いが貫かれていると感じました。

     「アパホテルエントランス (ネットから借用)」

ソフトドリンクやスィーツも充実しており、お酒を飲めない妹たちは色々チョイスし楽しんでいました。窓の外で刻々とイメージを変える横浜みなとみらいの夜景を見ながら、美味しい料理とビール、ソフトドリンク等を味わいながら、時の過ぎるのも忘れ、父、母の思い出話や変わりゆく故郷の話をくつろいで話せたのは、久しぶりの経験であったと思っています。

     「アパホテル レストラン(部分) (ネットから借用)」

 そんな機会を作ってくれた妹たちには改めて感謝したいと思っています。特に今まで聞けなかった父、母への妹たちの想い、また印象深いエピソード等は初めて聞くものもあり、印象深く記憶に残りました。
 それぞれ、今は元気ではあるものの年齢を考えると身体の不調は避けがたく、そんな状況も抱えながら凌ぎつつ、一日一日を大切にし、悔いのない日々を過ごしていければと思っています。

     「咲き盛る ノウゼンカズラ」

 私にとっても二人の妹、そして兄はかけがのない兄弟ですので、残された日々の中で、そんな想いも十分伝え合っていけたらいいなとも思っています。中々面と向かっては言えませんが、そんな想いを伝えあえる機会を意識してつくっていきたいものと改めて思った次第です。

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横浜スタジアムへ

2024年05月27日 10時09分55秒 | お出かけ

 過日24日、久しぶりに横浜スタジアムで広島カープVS横浜ベイスターズのナイト試合があり、細君共々観戦に行ってきました。このブログでは阪神、ソフトバンク、さらに巨人フアンの方が多くいらっしゃって、フアンチームの名言は極力避けてきましたが…、私たちは広島カープが三連覇したころからのファンでした。さらに、メジャーリーグから日本球界に復帰した秋山 翔吾選手が広島カープに加わったことにより、さらに熱心なフアンになりました。
 このブログでも幾たびか記しましたが、かつて現役の時代業務の傍ら、ボランティアで地域の少年スポーツリーグに関わっていましたが、秋山 翔吾選手は、そのリーグの出身選手でもあります。そのころから、抜きんでた身体能力を持った選手でしたが、いまでもシーズンオフには、子供たちの為に小学生を中心に、200人規模の「野球教室」を毎年継続して開いてくれる地域想いの熱い心を持った選手でもあります。

     「横浜スタジアム 前景」

 試合当日、チケットが朝日新聞販売店の優待券ですので、事前にスタジアムの窓口で観戦用チケットと交換する必要があり、早めに家を出ました。窓口が開設されるのは15:00からとのことでしたので、関内駅周辺を昼食を兼ねて散策してみました。久しぶりの日本大通りと馬車道でしたので懐かしさもあり青空の下、暑い盛りでしたが少し足を延ばしてみました。すると、昼食時間は大分過ぎていましたが、長い行列の出来ているお店を見つけました。通常であれば昼食時に10人を越える行列には、並ばないでスルーすることにしてきましたが、今回はスタジアムの窓口が開くまでにかなりの時間もあり、細君と相談し、並んで待つことにしました。既に20組以上の方が順番表にサインしていましたが、その最後尾にサインして待つことにしました。


     「天ぷら割烹「天吉」」の行列

 店は老舗天ぷら割烹「天吉」で、明治五年、創業150年の老舗のようです。私達は約45分ほど待ち、二階の掘り炬燵様式の座敷に案内して頂くことができました。
「伝統の技と現代の技を折り合わせた絶品の江戸前天ぷらを提供」と銘打っていましたので、名物と言われている「天丼セット」頂きました。看板に偽りはなく、魚介、野菜はいずれもその時季に旬なものを用いて丁寧に天ぷらとしており、カラッとしながらも、濃厚な嫌味のない味でこの上なく美味しく味わうことが出来ました。
 かつて小田原で、その地域随一と謳われていた丼専門店の味を遥かに超えているとの印象をもちました。さらに、価格もリーズナブルで、天丼、サラダ、お漬物、シジミのお味噌汁、アイスのセットで税込み990円でした。横浜関内駅前という立地でこの値段に店主の心意気を感じ、行列の長さも納得しました。

     「天ぷら割烹「天吉」」の内部

 食事の後、スタジアムの窓口でチケット交換のための行列に並びました。比較的前の方でしたが既に10数人の行列ができ、私たちが並んだ後も次々人が増え時間と共に80mを越える行列となっていました。早めに並んだ甲斐もあり、内野席が確保できました。ただ、球場に入れるのは試合開始2時間前とのことで、4時までは、スタジアム周辺を散策することにしました。

     「スタジアム周辺の街並み」

 いままで、「みなとみらい」や元町周辺は結構散策していますが、関内駅周辺を散策する機会はあまりなかったのですが、日本大通りと隣接する日本庭園「彼我庭園」等をゆっくりと散策することにしました。途中のオープンカフェでコーヒーを購入し、木漏れ日の下、通路の椅子で、のんびりくつろぐことが出来ました。なお、街は週末からはじまる「GREENROOM FESTIVAL」に向けて諸々の飾り付けが始まっていて、活気が感じられました。

     「日本大通り」

 くつろぎながらも、午後4時近くになったので球場に向かいました。先ずは楽しみだった広島カープの選手の練習風景を見学出来ました。横浜スタジアムはオリンピックの会場になったこともあり、収容人数が35,000人を越える大規模な球場となり、新たにボックス席も作られ、かつてのイメージがかなり一新されていました。

     「広島カープの選手の練習風景」

 いよいよ試合開始となりました。東京ドームや神宮球場でも幾たびか経験しましたが、各球場ではイニングの合間にいろいろなイベントが企画されていて、ショーとしても十分愉しめる内容になっています。各イニングごとに子供達を楽しませたり、観客への写真撮影と写真提供、さらには会場の照明を消してペンライトと青く輝くハッピースターダンスが盛り上がる、ブルーライトの景観は圧巻でもありました。

     「スタジアムを埋めるブルーライト」

 試合は、まず横浜ベイスターズが先取点1を取りそのまま0が続く展開でしたが、途中で同点になり結局延長戦にもつれ込みました。双方のチーム状況と貧打が続く中で12回まで行く可能性もあり、楽しいけど帰りの電車時間を考え、細君と話し合い帰ろうかとなりました。しかし、せめて広島カープの攻撃を見てからにしようと・・・腰を落ち着けました。その瞬間、小園のホームランが出て広島側は大盛り上がり、次のバッター末包も続いて二者連続のホームランとなりました。さらに、次の坂倉のヒットに続き、代打の野間にもホームランと、漫画的な展開となり広島フアンは大盛り上がりで、出来過ぎの試合となりました。

     「風船とばし」

 ここまで確認し会場をあとにしました。やはり負けを察した横浜フアンの方はぞろぞろと退場される方が多くいて、通路は既に満杯状況になっていました。家に帰ってネットで試合結果を確認しましたが、広島カープの勝利でした。やはり球場での観戦は臨場感と共に、フアンの方と一体感も感じられ愉しいものです。たまにはこういう横浜もいいねと、細君と語り合ったところです。

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薔薇の公園へ

2024年05月05日 10時29分16秒 | お出かけ

 最長10連休と言われた今年のゴールデンウイークも今日を含めて2日を残すのみとなりました。昨日4日は、5月にして全国23の地点で真夏日となり、東京都心でも27.8度を観測し夏日となりました。
 5月5日の今日は「子どもの日」ですね。五月晴れの空の下、久しぶりに子供たちの歓声が聞こえてきます。また、街路には萌えだした新芽と共に新緑が光をはねています。

     「薔薇 ピース」

 連休前半に息子たち二家族が我が家に揃い、久しぶりに我が家が満杯状態になりました。その合間を縫って、ヴェルニー公園へ細君共々薔薇を見に行って参りました。
連休後半には、その公園で「春のローズフェスタ2024」が開催され、混雑が予測されますので、混雑を避けて前半の晴れの日を選んで出かけました。

     「ヴェルニー公園 景観 一部」

 ヴェルニー公園は、このブログでも幾たびか触れましたが、今回は薔薇の写真と共に公園の名前の由来となったヴェルニーについて、少し触れたいと思います。

 フランソワ・レオンス・ヴェルニー(1837~1908)はフランス人の造船技師で、海軍増強を目指した徳川幕府の要請により、横須賀製鉄所(造船所)建設の責任者として1865年に来日しました。明治維新後も引き続きその建設と運営の任にあたり、観音埼灯台や走水の水道の建設、レンガの製造のほか、製鉄所内に技術学校を設けて日本人技術者の養成に努めるなど、造船以外の分野でも広く活躍した後、1876年に帰国しました。

      「ヴェルニーと小栗上野介忠順の胸像のある広場」

 このヴェルニーの支援の下に、横須賀製鉄所(造船所)建設を推進しましたのが、小栗上野介忠順(1827~1868)でした。彼は、勘定奉行、江戸町奉行、外国奉行を歴任しましたが、軍政の改革、フランス語学校の設立など日本の近代化に大きく貢献しました。その後、大政奉還後に徹底抗戦を主張したために役職を解かれ領地の上野国権田村(群馬県倉渕村)に隠遁していましたが、官軍により捕縛され斬首されました。

     「薔薇 ホワイトクリスマス」

 この経緯には徳川埋蔵金説等を含めて未だ謎が多く、明確な背景は明らかにされないまま今日に至っております。いずれにしましても、先見の明を持ち、日本の近代化に邁進した政治家というより、優れた財政家であり、テクノクラートを抹殺した歴史の闇は深いと考えます。なお、司馬遼太郎は小栗上野介忠順を「明治国家の父の一人」と記しています。

     「薔薇 プリンセスアイコ」

 ヴェルニー公園は、ヴェルニーと小栗上野介忠順の胸像、広場を中心にフランス式花壇や噴水、洋風あずまやなどが設けられ、今の季節フランスの品種を中心とした約130品種・約1,300株の薔薇が彩りを添えています。皐月の空の下、色とりどりの薔薇が咲き競い、花の命の艶やかさをいかんなく発揮しているさまに出会うことができました。

     「薔薇と米軍の基地と艦船」

 海沿いにはボードウォークがあり、潮風の中で散歩を楽しめますし、横須賀本港を一望でき、係留されている艦船を見ることができます。公園から見て、右手に米海軍基地、左手に海上自衛隊地方総監部が望めますが、「ピース」との名をもつ薔薇と、戦艦、潜水艦の並び立つ公園の景観には未だなじめないものを感じてしまいます。

 公園の汐入側の入り口近くに、正岡子規の文学碑が立っており
  ☆横須賀や 只帆檣の 冬木立
 と、書かれています。
 明治21年(1888年)8月、正岡子規は夏季休暇を利用して、友人と汽船で浦賀に着き、横須賀・鎌倉で過ごしています。碑の句は、横須賀港内に連なる、はんしょう帆檣(ほばしら)の印象を詠んだもので、句集「寒山落木」に収録されています。

     「正岡子規の文学碑」

 今の季節、美しく咲き競う薔薇の花を眺めつつゆったりと公園を散策するのもいいものと感じました。

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ささやかな誕生祝い

2024年04月28日 13時26分44秒 | お出かけ

 四月は細君の誕生月で、過日ささやかな「お祝い」をして参りました。
ニ、三年前から、息子達には子供たちの受験期でもあり色々財政的にも
大変になるから、私達には気を使わないようにと言ってきました。
従って私達二人だけの祝いをと計画し、当日は日帰り温泉と、軽めの
ディナーをセットし済ませました。
翌日には、それでも・・・と、次男夫婦が計画し誕生日会を開いてくれ、
二日続きのお祝いとなりました。

     「咲き盛る 西洋シャクナゲ」

 誕生日当日は、朝からの雨も止んで、少し肌寒い日となりましたが、
計画通り海辺の日帰り温泉施設「湯楽の里」へ向かいました。
この施設は、海の眺望も良く、いつ来てもそれなりに混雑していますが、
今回は比較的空いておりゆったりくつろぐことができました。
細君とは2時間後のお食事処での待ち合わせを約束しそれぞれの温泉に
向かいました。

     「湯楽の里 景観」

 180度の海の眺望。それが望める露天風呂は、この施設の「売り」でも
ありますが、いつも満杯で中々割り込めない状態でした。しかし、今回は
天候の関係もありあまり混雑せずに、すんなりと入ることができました。
そこをメインにサウナと、寝湯を交互に繰り返しゆったりと過ごすことが
できました。
 ここのサウナは、ドライサウナと「塩サウナ」と二種類あり、塩サウナは
全身に塩をまとい、じっくりと発汗を促すものですが、肌への刺激も結構あり
はまると癖になります。

 当日は、生憎の空模様で露天風呂からは群青の海ではなく、重い鈍色の
海が目の前に広がっていました。それでも、そんな海も風情があり遠くに
霞む房総半島を想像して目を凝らし眺めながら冥想していました。
二時間という時間は、身体と精神を寛ぎに程よい時間と改めて感じひとり至福
ひと時を過ごすことができました。その後、約束の時間となりましたので、
お食事処に向かいました。

     「咲き初める クレマチス」

 細君はサウナが大好きで、5回ほどサウナ、水風呂と繰り返したとのことで、
火照った顔で待っていました。
今回は、細君の誕生日の「祝い膳」でもあり、少し奮発してオーダーを
しましたが、それでも慎ましやかなものでした。
運ばれて来たお食事はお腹が空いていたこともあり、写真を撮るのを忘れて
食べ始めてしまいました。途中で思い出して撮りましたが、料理のイメージを
毀すと申し訳ありませんので、公開は控えますね。
 今回は、季節の「旬菜」料理と銘打ったものでしたが、看板に偽りはなく、
文字通り三浦半島産の旬な食材をふんだんに使った料理で、サブの小鉢も含めて
いつもここで味わう料理の中では群を抜いた「美味さ」との印象をうけました。

     「咲き満る なにわ茨」

 お食事処では、暮れなずむ海を見ながら、ふろ上がりのけだるさも感じ、改めて
二人で歩んできた日々の思い出に話が及びました。細君は語らいのなかで
「ありがとう(^^♪」とも言ってくれましたので、ささやかでも、こんな淡々と
した「祝いの日」もまた良いものと感じました。
 翌日の次男の計画してくれた誕生日会では、大好きなケーキと、お嫁さんの
心の篭もったプレゼント、さらに息子の料理に細君は目を潤ませていました。

コメント (9)
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