四季の彩り

季節の移ろい。その四季折々の彩りを、
写真とエッセーでつづって参ります。
お立ち寄り頂ければ嬉しいです。

散歩道

2022年07月30日 11時18分00秒 | 日々の歩み
 世界保健機関(WHO)は7月27日、日本の新型コロナウイルスの新規感染者数が24日までの、
1週間で約97万人に上り、世界で最多だったと発表しました。 日本では感染力が強いオミクロン株の
新系統「BA・5」により感染者が急増し、流行の「第7波」を迎えています。
 また、新型コロナウイルスの感染者は昨日29日、全国で新たに22万1442人確認されました。28日に
次いで過去2番目に多く、3日連続で20万人を超えました。死者は4日連続で100人超となる122人、
重症者は前日から30人増えて376人でしたが、医療現場のひっ迫状況も含めて決して安心できる状況に
ないと考えます。

 子どもたちの夏休みが始まり、人流も活発化しているおり、多くの県で過去最多の発生件数と聞くと、
政府からの特段の宣言はありませんが、私達高齢者は外出自粛等を含めて自衛をさらに強めなければとの
思いに駆られます。

 こんな折、公共交通機関を使っての外出は極力避け、もっぱら散歩、ジョギング、スイミングに特化した
気分転換と、体力維持を図っています。真夏日の下、散歩も熱中症との兼ね合いで朝夕の涼しい時間帯を
選んでいますが…、同好の士も多く会話を避けながら挨拶を交わしています。

 今回は、細君共々良く歩く散歩コースを紹介したいと思います。スイミングや、観音崎散歩は又の
機会に譲りたいと思います。
先ず、近くにある「馬堀遊歩道」から歩きはじめます。
ここには、四季折々の草花、さらに芙蓉、むくげ等々の花が咲き乱れていますが、ここにお住いの
方々と、ボランティアの方たちによって維持管理されているとのことです。



続いて、横須賀海岸道路の一角をなす、若者たちが通称する「マボチョク」こと馬堀海岸道路です。

それと並行して海沿いに設けられた「馬堀海岸遊歩道」です。
ここは、木村拓哉主演のテレビドラマ「教場」をはじめ、多くのドラマや、映画の撮影によく
使われています。また、ジョギングの同好の士による定期のイベントも催されています。



次に、散歩道の途中にある「大津漁港」です。ここはかつて子供たちの遊び場であり、今も
朝夕の船釣り客で賑わっています。

散歩道の最後は「海釣り公園」です。ここはボードウオークとなっており、土日は立錐の余地もなく
釣り客で賑わいます。海の上に見える島は、東京湾唯一の無人島で「猿島」と呼ばれています。
古くは「蘇る金狼」等の撮影に始まって、多くのドラマ、映画等の撮影舞台にもなっています。

これらを一回りすると7~8Km程度となりますが、細君との散歩の際は、その日の体調に合わせ、
ショートカットする場合もありますので、平均6Km(8,000歩)程度に止めています。
この程度の散歩ですが、週三回のスイミングと合わせて、体力維持は何とか出来ているかなと
思っています。また、これら遊歩道は、私のデジイチ・スケッチの場所でもあります。
皆さんは、暑さの中いかがお過ごしでしょうか。
コメント (4)
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「口語短歌・水曜サロンの会」(その45)

2022年07月27日 05時31分18秒 | 短歌
「口語短歌・水曜サロンの会」(その45)   短歌の投稿を歓迎します!!

  ☆☆☆ 明るく、楽しく、和やかな短歌の交流広場を目指したいと思います。  ☆☆☆
  ☆☆☆ 短歌の投稿と共に、投稿歌の歌評、感想、ご意見等もお寄せください。 ☆☆☆
  ☆☆☆ 緊急連絡!! 最近心無い「スパムメール」等がコメント欄に届いています。
       誠に心苦しいのですが、今後コメントは「許可制」にさせて頂きます。☆☆☆

 「口語短歌・水曜サロンの会」は、このブログにお立ちより頂いている皆様の詠まれた短歌を
 掲載し、その作品の鑑賞を行うサロンです。

 短歌の初心者の方から、ベテランの方まで、所属する短歌会等を越えて、自由に短歌を投稿し、
 鑑賞しあえる「賑わいのあるサロン」を目指したいと思っています。
 皆様の短歌の投稿と、歌評、ご意見等をお寄せ頂ければ幸いです。

【サロンの運営について】
 運営等につきましては、末尾に記させて頂きますので宜しくお願い致します。



     「咲き初める 芙蓉」

「ブログ友の投稿短歌 交流コーナー」

【詞書】7月17日八ケ岳倶楽部に行って来ました。御存じのように八ケ岳倶楽部は
    俳優の柳生博さんが鬱蒼とした森を開墾し、白樺等ゼロから丹念に1本1本
    植えられた手作りの雑木林です。森が生きています。
    以下の短歌は2022年4月26日故人になられた柳生博さんを偲んで詠みました。
☆白樺の 緑に込めた 思い出が 魂宿る 八ケ岳倶楽部
☆太陽の こぼれ日届く 雑木林 賭けた情熱 五感に感ず
☆落ち着いた 散策路ある 木の道を 景色に誘われ 緑に染まる

                         浅間山明鏡止水 (knsw0805)さん

【解説】
 八ケ岳倶楽部に行かれ、故人になられた柳生博さんを偲んで詠われたとのこと。
 故柳生氏への何よりの供養になったことと思います。
 人が、その人生でなしうることは種々ありますが、あの広大な森を遺された柳生氏の
 業績と想い。それをくみ取りながら、森丸ごとを味わい詠うことは歌人として誇りある
 任務と思います。その一環として詠まれた詠歌には、柳生氏と、その残された森と木の道
 への哀惜の想いが滲んでいると感じます。
 一首目と、三首目を合作し少し手を入れさせて頂きましたが、いかがでしょうか。
【ご参考】
 ★柳生氏の魂宿る木の道と 緑に染まる 八ケ岳倶楽部


【詞書】人類誕生 2001年宇宙の旅を観て
☆おお!今人類が誕生した! 
    全てを知り尽くせる妄想を抱き

                         自閑 (jikan314)さん
【短歌説明】
 スタンリー・キューブリック監督の「2001年宇宙の旅」の冒頭には、猿人が出て来て、
 動物の骨を手に取った時、リヒャルト・シュトラウスの「ツァラトゥストラはかく語りき」
 が流れ、始めて道具として骨を使用して、人への進化が始まり、やがてそれを武器として、
 水飲み場での争いで、殺人を行います。そうしてその猿人が、勝利の雄叫びを上げ、
 骨を放り上げると、それが宇宙船になり、ワルツ「美しき青きドナウ」が流れると言う
 シーンがあります。
 その猿人から進化した人間は、全知全能の神になったかのように振る舞い、今も戦争で
 骨から発展した武器で殺し合いをしています。その驕りを象徴するようなシーンだと
 感じました。さて、「ツァラトゥストラはかく語りき」は現在、「ツァラトゥストラは
 こう語った」となっております。文語での表現と現代語の表現、どちらが優れている
 とかではなく、自分はどう感じたのか?読む相手がどう感じるのか?が重要ではないか?
 と生意気にも思っております。このシーンには、文語の格調を採りたいです。
 下記URLにYouTubeを貼り付けておりますので、御覧頂ければ幸いです。
 https://blog.goo.ne.jp/jikan314/e/b5f47c66544a5b7e385822c2886dd4b6
【投稿外コメント】
 拙blog新古今和歌集の部屋では、伊勢物語、源氏物語、今昔物語など、自分の短歌に
 役立ちそうなものを読んでいます。
 今は源氏物語 葵ですが、気が向いた時に3ページづつなので、なかなか先に進みません。
 源氏の正妻の葵の上は、愛人の六条御息所の生霊に取り憑かれ、死んでしまいます。
 葵上の荼毘の煙を見て    源氏
  昇りぬる煙はそれと分ねどもなべて雲居の哀れなるかな
 喪服を3ヶ月着る事になって 源氏
  限りあれば薄墨衣浅けれど涙ぞ袖をふちとなしける
 掛詞、本歌取りなどあって馴染みは無いと思います。古来これ程人々を引き付けた物語
 ですので、読んでみては?

【解説】
 「2001年宇宙の旅」は1968年に公開され、スタンリー・キューブリック監督が人類の
 進化の可能性を追求し、SF映画ならではのワクワクを盛り込み、息をのむような素敵な
 映画に仕上がっていたと記憶しています。
 しかし、AIの暴走により人類が滅んでしまうかもしれない、という危険性をも指摘して
 いて、かなりの先見性が見てとれます。この時点でのAIは未だ萌芽の状態でしたから…。
 また、ご指摘のように「全知全能の神のように振る舞い、今も戦争で殺し合い」をする
 驕りをも示唆していたと感じます。
 なお、ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェの後期思想を代表する著作、
 『ツァラトゥストラはかく語りき』は1980年代中期に、ブームになりましたが、
 「文語の格調」へ私も賛意に送りたいと思います。

 また、「伊勢物語、源氏物語、今昔物語」等々を原書で学ばれる自閑(jikan314)さんには
 頭が下がります。源氏物語だけでも、54帖、400字詰め原稿用紙で約2400枚に及ぶ大作
 ですので、どうしても翻訳本に頼ってしまいます。
 「掛詞、本歌取り」は、この物語の和歌の中でも、かなり駆使されていて学びになりますね。



      「宗旦むくげ」

☆「ちょっとこい」けたたましくもなく声を
           負けじと更に つんざく蟬よ

                         クロママさん

【解説】
 異常気象のゆえでしょうか、大分遅れていましたが蝉がようやく鳴きはじめましたね。
 その声は、まさに「つんざく」ように聞こえてきて「蝉しぐれ」とは良く言ったものと
 感じます。
 かつては、「ちょっとこい」との表現で、コジュケイが鳴いていると理解される方も
 多かったと思いますが、今の時代少し説明がいると考えます。その点を踏まえて
 添削させて頂きました。いかがでしょうか。
【ご参考】
 ★「ちょっとこい」コジュケイ鳴くも それよりも
             負けじと更に つんざく蟬よ


☆たのしみは 今朝の幸せ瓜をとる パチンと響くハサミの音を聞くとき 
☆たのしみは 初物手にし考える あれにこれにと心浮くとき 
☆たのしみは 辛い辛いと騒ぎつつ 旨いと食べる夫(つま)を見るとき

                         shima-千恵子さん
【短歌説明】fumiel-shimaさん ご自身の説明です。
 一首目、二首目はいずれもエアコン室外機の日除けを兼ねたゴーヤの小さな棚から
 収穫したものを手にしたときの喜びを詠んでいます。
 三首目は(fumiel-shima)が大好きな極辛の青唐辛子を食べる時の様子を詠った
 ものです。

【解説】
 いずれの独樂吟にも作者の「物事を俯瞰して見る」客観性と、心のゆとり、
 さらにはユーモアが感じられ、詠歌を味わう私たちも幸せな想いにしてくれます。
 特に、三首目は、共に歩まれた長い歳月の中で、夫を知り尽くした妻のゆとりと、
 ゆるぎない愛情の深さを改めて感じます。「騒ぎつつ」の表現が利いていますね。

☆「はやぶさ」をあやつる技術駆使しても ロシア侵略未だ止めえぬ
                         ポエット・M

【解説】
 「はやぶさ」は、近地球型とよばれる小惑星「イトカワ」を探査しました。この計画を
 通して、小惑星から表面の物質(サンプル)を地球に持ち帰る技術(サンプルリターン)を
 実証し、さらにイオンエンジン・自律航法・標本採取・サンプルリターンという4つの
 重要技術の実証を行いました。これにより、日本の惑星探査技術の優秀さを内外に証明
 しました。これら科学技術の力をはじめ、世界の英知を結集しても「ロシアの侵略」という
 蛮行を止められない政治力学の在り方を、私たちは冷静に考えてみる必要があるとの想いを
 詠ってみました。      「宇宙科学研究所 Hp」参照



     「桔梗 白色」

「五行詩」「痛みの変奏曲」鑑賞 (46)
 11.富士山(3)


   わたしは山に向って目をあげる
            『詩篇』

   素足にて
     十国峠の
       野を翔ける
      かの日の君の
         手を取るごとく

    実朝の
      歌碑の歌こそ
         哀しけれ
       己が運命(さだめ)を
          知りて詠みしか

      はるかなる
        沖の小島に
           寄る波を
         かくかの将軍も
            眺めやりしか

     実朝を
      誰が益荒男と
         称すとも
        我れには哀し
          『金槐和歌集』


    源実朝の絶唱『金槐和歌集』
     ★箱根路をわれ越えくれば伊豆の海や沖の小島に波の寄る見ゆ
     ★大海の磯(いそ)もとどろに寄する波われて砕けて裂けて散るかも



     「オリエンタル・リリー」

   
【短歌入門・質問・提案コーナー】
 この「水曜サロン」に集う皆様の直近のコメント等に記された、短歌を作るうえでの
 ヒント、質問、諸々の疑問点、さらにご意見等について触れていきたいと思います。
 皆様からのご提案、歌評、さらに素朴な疑問も含めて、コメント欄にお寄せ頂ければ
 幸いです。
 なお、私の「質問への回答」は、あくまでも一つの「解」でありますので、他の回答、
 反論、ご意見等もありましたら、このコーナーで大いに議論して参りましょう。
 それが学びに繋がれば嬉しい限りです。

【サロン参加者からのご意見】チョウキチさんからのコメントです。
 「思ひあれば 袖に蛍をつつみても 言はばや物を とふ人はなし」
  寂蓮法師は、身分の高い家の子弟で家を継げないから見かけ上出家したのでしょうか。
  心から出家したのでしょうか。心を隠しながらも、つい本音を漏らす。
  昔の人はある意味あけっぴろげで、気持ちを直に表現するのですね。
【コメントへのお答え】
 寂蓮法師は、僧俊海の子として生まれ、叔父である藤原俊成の養子となった後、長じて
 中務少輔になり、30歳代で出家されたとのことですね。
 その後、歌道に精進し三夕の歌をはじめ、叔父の目指した「幽玄」を表出する多くの
 優れた歌を詠っていますね。
 例として引かれた、
  ★思ひあれば 袖に蛍をつつみても 言はばや物を とふ人はなし

 この歌は、歌合せの際に詠まれ「夏の恋の心」として扱われた作品ですが、
 「宮仕えをする女性が、身分の高い男に淡い恋心を抱くが、人には告げられない」
 想いを詠んだと伝えられています。
 つまり、寂蓮法師が自らの想いではなく「宮仕えの女性」に替わって詠んだとの
 ことです。しかし、「私の恋心は包んでも隠し切れない蛍の光です」との想いは、
 寂蓮法師にも経験としてあったのではないかと思っています。この歌には、
 少なからぬ切迫感もありますので…。こんな想像をするのも、楽しいですね。


     「ノウゼンカズラ」

【運営にあたって】 注)文頭から移しました。
 (1) 投稿期間は毎週水曜日から翌週火曜日17:00までと致します。
    注)投稿に当たっては、ご自身のブログのアドレス(url)も記入願います。
 (2) おひとり様 3首まで(1首でも可)コメント欄に投稿願います。
 (3) 口語短歌を基本としますが、文語混じりでも構いません。
   仮名遣いは新仮名遣いとし、旧仮名遣いは極力避けて頂ければ幸いです。
 (4) 投稿頂いた短歌は、そのまま掲載します。皆様から感想等頂ければ幸いです。
 (5) 作者名は投稿頂いたペンネーム等を、そのまま掲載します。
 (6) 掲載順序は、原則本ブログのコメント欄への到着順と致します。
 (7) 掲載された短歌の著作権は、投稿者に帰属します。
                       了
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友からの

2022年07月23日 21時33分24秒 | 日々の歩み
 ロシアのウクライナ侵略の長期化、新型コロナウイルスの第七波の到来、さらに
安倍元総理の国葬に対する賛否等々、世界情勢、国内情勢も含めて緊迫度を増して
いますが、今回はこれらの問題から少し離れて郷里の友人に付いて少し触れたいと
思います。

 彼とは文字通り「竹馬の友」となりますが、中学生までは同級生で、高校以降は
私が越境等を選んだ関係から離れ離れとなりました。
その後それぞれの企業人として忙しさに忙殺され、たまのに同窓会で顔を合わせる
程度の付き合いが続きました。
 それぞれが企業で定年を迎えるころから、彼が中心となり同窓会の開催や、同窓生の
文集作り等々で連絡を取り合い、年に三、四回の手紙のやり取りを含めて交流を深めて
参りました。彼はネットはやりませんので、手紙でのやり取りがメインとなります。
物事をじっくりと検討し、鋭いながらも温かな洞察を加える彼の人柄そのものの文章は
楽しく、惹かれてきました。

 今回、春先に「グラジオラスの球根が余ったので、いらないか」との問い合わせがあり、
細君たちが団地の花壇の運営をする「花の会」をボランティアでやっていることもあり
「余っているなら欲しい」と返答の手紙をしたためました。
即折り返しに球根が30個程届き、さっそく花壇に植えさせて頂きました。
球根は順調に芽吹き、7月初旬から順次開花し薄紫、赤、白、黄色と、色とりどりの花を
咲かせてくれました。





 「花の会」も少ない予算でやっている関係から、値のはる苗は中々購入できないため
華やかさに少し欠けるきらいがありました。しかし、それぞれの方の尽力と工夫とにより、
季節の花が次々咲いて目を楽しませてくれます。そこにグラジオラスの華やかな花が加わり、
少し豪華な印象が増したように思いました。友人には、そんな様子を写真に収め、お礼状を
送った次第です。

 大半の地域のコミュニティーがボランティアの方々により、企画、運営されていると
思いますが、そのささやかな集いが今回の二年以上続くコロナ禍により大きくシステム
変更を余儀なくされています。ただ、「明日の為に、今苗を植えよう」との心意気を
もった多くの方は、未だ健在との確認が、花壇の整備等を通じて改めて確認出来て
良かったと思っています。

コメント (14)
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「口語短歌・水曜サロンの会」(その44)

2022年07月20日 05時22分07秒 | 短歌
「口語短歌・水曜サロンの会」(その44)   短歌の投稿を歓迎します!!

  ☆☆☆ 明るく、楽しく、和やかな短歌の交流広場を目指したいと思います。  ☆☆☆
  ☆☆☆ 短歌の投稿と共に、投稿歌の歌評、感想、ご意見等もお寄せください。 ☆☆☆
  ☆☆☆ 緊急連絡!! 最近心無い「スパムメール」等がコメント欄に届いています。
       誠に心苦しいのですが、今後コメントは「許可制」にさせて頂きます。☆☆☆

 「口語短歌・水曜サロンの会」は、このブログにお立ちより頂いている皆様の詠まれた短歌を
 掲載し、その作品の鑑賞を行うサロンです。

 短歌の初心者の方から、ベテランの方まで、所属する短歌会等を越えて、自由に短歌を投稿し、
 鑑賞しあえる「賑わいのあるサロン」を目指したいと思っています。
 皆様の短歌の投稿と、歌評、ご意見等をお寄せ頂ければ幸いです。

【サロンの運営について】
 運営等につきましては、末尾に記させて頂きますので宜しくお願い致します。


     「咲き競う ノウゼンカズラ」

「ブログ友の投稿短歌 交流コーナー」

【詞書】群馬県立近代美術館にある、モネの「睡蓮」を詠みました。
☆画家の眼は より水面に 接近し 心の中に 深くゆだねる
                         浅間山明鏡止水 (knsw0805)さん
【詞書】6月25日軽井沢レイクガーデンに「ラウル・フォルロー」の花が咲いていました。
    蛍光ルージュの鮮やかな明るい房咲大輪花です。
☆大輪花 眩いばかり 明るさは 鮮やかさこそ 蛍光ルージュ
                         浅間山明鏡止水 (knsw0805)さん

【解説】
 一首目、モネの晩年の「睡蓮」は「自然界の静と動のドラマを注視し、ついには
 生命の神秘にまで迫るような深い内容をそなえた」作品と言われていますね。
 事実この「睡蓮」は、空の描写を省き、モネの眼は水面により接近し、水流に漂う
 水草の動きや水連を知覚するのは、見る人の内面に委ねられていると感じます。
 つまり「この作品の良さをあなたは解りますか」との、作者からの静かな、かつ厳しい
 問いを突き付けられているかに感じます。

 本来芸術は、作者と鑑賞者の眼力の真剣勝負で成り立っているとも感じますが、
 そんな作者の自信と誇りを感じずにはおれません。こんな想いに浸る詠歌に触れる
 ことが出来ました。詞書がなくても分かる内容に少し添削してみましたが・・・。
 ★モネの眼は 水面(みなも)睡蓮 見つめつつ 生命の神秘 画布に留めし


【詞書】足腰の丈夫だった義母と皆で遊んだ日々が遠くなって~、もう一緒に歩いては
    行けない😭 ちょっと、オセンチな句になりました。
◇合歓の花 薄紅色に染まる頃
    義母(母)と尋ねた
          京都散策

                         クロママさん

【解説】
 お義母様も車いすが必要となると、中々遠出することも億劫になりますね。
 しかし、京都散策をはじめ元気な日々の思い出は、作者の脳裏にも鮮やかに刻まれて
 いることでしょう。そんな想いが、合歓の花を見ると思い出されるというお義母様に
 寄せたしみじみとした良い詠歌と思います。
 「京都散策」も良いですが、とくに印象に残った場所(歌枕)等を詠み込むことも
 検討してみましょう。ご参考として添削してみましたがいかがでしょうか。
 ★合歓の花 薄紅色に染まる頃
       義母(はは)と歩みし
               京 嵐山


【詞書】陸上 2020東京オリンピックの中継に感動し、映画「炎のランナー」より
☆人は草原を歩きはじめてから
      走りたいから
          人よりはやく

                         自閑 (jikan314)さん
【短歌説明】自閑 (jikan314)さんご自身の説明です。
 この短歌は、昨年作ったもので、東京オリンピック中継を見ながらです。
 コロナ下の無観客開催と言う事で、いまいち盛り上がりに欠けていたのですが、
 日本人のメダルラッシュに徐々に盛り上がって行きました。私はいつも行く大きな
 テレビの飲食店で、蔓防のノンアルコールビールを片手に応援していました。
 もちろん世界中のアスリートが、一年延びた大会の、この一瞬の為に努力し、
 その力を発揮する美しさにとても感動したものです。
 ちょうど世界陸上も開催しておりますが、やはり4年に1度のオリンピックは
 感動度が違うと思います。
 炎のランナーは、1981年公開の1924年パリ大会に出場したユダヤ人と
 スコットランド人宣教師の物語で、英国の名誉と、安息日への信仰と人種差別偏見
 との葛藤を描いておりました。
 100年前と今とは状況が全く違っていますが、人が走りたいと言う情熱は、今も
 人々を感動させます。
 下記URLに炎のランナーのYouTubeを貼り付けておりますので、ご覧頂き、昨年の
 アスリート達の活躍を思い出して頂ければ幸いです。
 https://blog.goo.ne.jp/jikan314/e/6a5e79809abc91255cb6a1aa9deb38dc
【投稿外コメント】自閑 (jikan314)さんご自身のコメントです。
 今回も新古今和歌集を紹介します。
 ★鵜飼舟 高瀬さし越す 程なれや むすぼほれゆく かがり火の影(夏歌)
 ★思ひあれば 袖に螢をつつみても いはばやものを とふ人はなし(恋歌一)

 この二首は、寂蓮法師の歌です。寂蓮法師は、藤原俊成の甥で、これ以外にも、
 ★さびしさは その色としも なかりけり まき立つ山の 秋の夕暮(秋歌上 三夕)
 ★村雨の 露もまだひぬ まきの葉に 霧たちのぼる 秋のゆふぐれ(秋歌下 百人一首)

 が有名です。
 上の二首は、夏のかがり火と蛍を歌ったものです。
 長良川に残っていた鵜飼も、桂川、宇治川で復活して、以前見たことがありました。
 かがり火が揺らぐ幻想的なものです。蛍火も幽玄な面持ちの恋歌ですね。
 寂蓮は、こう言う和歌が素敵です。

【解説】
 映画「炎のランナー」とは懐かしいですね。
 おっしゃるように、1981年公開のイギリスのドラマ映画で、監督はヒュー・ハドソン
 でしたが、第54回アカデミー賞作品賞受賞した作品でしたね。
 走ることによって栄光を勝ち取り、真のイギリス人になろうとするユダヤ人の
 ハロルド・エイブラハムスと、神のために走るスコットランド人牧師エリック・リデル、
 実在の二人のランナーの誇りと、葛藤を丁寧に描いていると感じました。

 原題「炎の戦車(Chariots of Fire)」というタイトルは、ウィリアム・ブレイクの
 『ミルトン』の序詩「And did those feet in ancient time」からとられているとの
 ことですが、「わが炎の戦車をもて」と言う詞句がありますね。

 なお、今回も新古今和歌集を紹介いただきありがとうございます。
 これらは、藤原俊成の求めた「幽玄」を、甥である寂蓮法師も自らの詠歌をもって
 表現したとも言えますね。



     「デュランタ」

【詞書】北海道も梅雨のような天気が続いています。青空が覗いた一瞬?カリンズの実を
    摘んでジャムを作ってもらいました。北国の短い夏が終わると鮭の遡上する季節まで
    直ぐです。夏の暑さを楽しみたいものです。
☆カリンズの 深紅のビーズ  秋鮭の イクラのように 艷光る夏 
                         I.SATOさん

【解説】
 「カリンズ」は、私の育った信州では「アカスグリ」と呼ばれていたように記憶しています。
 幼い時代、あの甘酸っぱいスグリの実は、私たちの貴重なおやつでもありました。
 あの「真紅のビーズ」は、まさに「秋鮭の イクラのよう」でもありますね。
 季節のバトンが「カリンズ」から「秋鮭のイクラ」に渡される、そんな季節の移ろいを
 「カリンズ」にフォーカスし詠んだ、味わい深い詠歌と考えます。


【詞書】大木の佇まいが好きな本人は、杖をつきながらでもなんとか行ける距離にある
    公園の樹々に元気な姿を見せ、様々な樹木に触れてそこから元気をもらいます。
    その、出かけた日を時系列で詠ったものです。
☆たのしみは すっきり澄んだ青い空 リュックを背負い家を出る時
☆たのしみは 会いにに来たよと声をかけ 触って嗅いで樹々といるとき
☆たのしみは 足取り重く帰り道 ベンチにかけて涼風待つとき

                         shima-千恵子さん

【解説】
 樹々から発せられる「フィットンチッド」といわれる香りの成分が、精神安定や
 解放感、ストレスの解消などに有効とのことで「森林浴」が近年注目されています。
 作者は、その効用を実感され長い事実践されて来たのだと思います。
 出発から木々に触れるまでの経緯がワクワク感と共に詠われた詠歌は、独樂吟の
 真髄を今回も余すところなく詠いきっていると感じます。


☆合歓の花空向き咲くも葉は愛(かな)し 赤子抱くごと闇に閉じゆく
                         ポエット・M

【解説】
 芭蕉の「奥の細道」に「象潟や雨に西施がねむの花」と言う名句があります。
 芭蕉は、象潟で雨に煙る美しいネムの花を眺め、呉王が国を傾けるに至った絶世の美女
 「西施」を結び付けて詠ったものと思われます。芭蕉にとって雨に濡れながらもなお、
 艶やかに咲く合歓の花の美しさは「西施」をもしのぐと感じたのかも知れません。
 しかし、合歓の木は美しいその花をよそに、その葉は宵闇の中で眠るように閉じる習性を
 もっています。葉の「就眠運動」と呼ばれていますが、そんな合歓の習性を「愛(かな)し」
 と詠ってみました。



     「合歓の花」

「五行詩」「痛みの変奏曲」鑑賞 (45)
 11.富士山(2)


   わたしは山に向って目をあげる
            『詩篇』

   雲海が
     はるか彼方を
        望み見て
      富士山頂の
         我れ静かなり

    妖怪の
      まなこのごとき
           ご来光
       霧をつらぬき
          我れをばにらむ

      地獄まで
        ころびゆきたき
            ここちして
         ただひた走る
            富士の砂走り

     はるかなる
       富士に雲霧
          かかれども
         十国峠の
           野は秋日和

    幼日の
      ごとき心地で
        寝転べば
       峠の空の
         深き青さよ



     「咲き初める むくげの花」

   
【短歌入門・質問・提案コーナー】
 この「水曜サロン」に集う皆様の直近のコメント等に記された、短歌を作るうえでの
 ヒント、 さらに質問、諸々の疑問点等にいて、触れていきたいと思います。
 皆様からのご提案、歌評、さらに素朴な疑問も含めて、コメント欄にお寄せ頂ければ
 幸いです。
 なお、私の「質問への回答」は、あくまでも一つの「解」でありますので、他の回答、
 反論、ご意見等もありましたら、このコーナーで大いに議論して参りましょう。
 それが学びに繋がれば嬉しい限りです。

【サロン参加者からのご意見】前週に引き続き掲載致します。
 suisenさんからのコメントですが、皆さんのご参考になればと掲載いたします。

 文語と口語、旧仮名遣い、新仮名遣いの問題は、古くて新しい問題でございますね。
 私の所属しています塔は元々口語、現代仮名遣いが結社の基本方針でございましたが、
 いつのまにやら文語、旧仮名遣いの人が増えて、現在は半々くらいかもしれません。
 前主宰永田和宏氏自身、数年前に現代仮名遣いから旧仮名遣いにしましたから今でも
 短歌界での旧仮名遣いは根強いようでございます。私自身短歌を始めました時、
 当時の先生に新仮名遣いを勧められましたが、私自身は旧仮名遣いを選択いたしました。
 やはり伝統の詩形である短歌には旧仮名遣い文語が合うと感じたからでした。

 文語と口語は、現代は折衷でよいのではないかと思っています。会話体などは口語で
 詠ったほうが生き生きしますが、駆体の部分は、従来どおり文語にしたほうが歌が
 締まると私自身は感じておりますから。締まるということと同時に、文語で
 表現したほうが短く詠い収めることができる利点もあると思っております。
 たとえば、口語なら「見せる」というところを文語であれば「見す」と短く表現できます。
 これは文字数制限のある短詩形文学では大きい利点だと思います。

 長々書きましたが、私が文語、旧仮名遣いを選択する理由でございます。
 しかし、文語、旧仮名遣いを強制しますと、短歌への敷居が高くなりますから、
 まずは新仮名遣い口語で短歌に馴染んでもらって追々個々の文体を選択されたらと
 私自身は思っております。
 以上、水曜短歌サロンの主旨とは異なりますが、私個人の考えを述べさせていただきました。
【ご意見へのコメント】
 suisenさんのコメントについてのポエット・Mのコメントです。

 suisenさんの貴重なご経験に裏打ちされた想い、さらにご提案も頂きありがとうございます。
 記紀万葉、さらに古今、新古今集の時代から1300年余の歴史を持つ、和歌、短歌の表記は
 おっしゃるように「古くて新しい問題」と私も思っています。
 また、所属する短歌会や、結社の方針もそれぞれあり、一筋縄ではいかないことも十分
 理解しております。そのうえで、この「水曜サロン」は、「口語、新仮名遣い」を前提に
 短歌の交流サロンとして、共に学んできた経緯があります。

 また、短歌の初心者の方も含めて、様々な歌歴を持つ方が、フラットの立場で短歌を中心に
 意見を交流し合い、短歌を楽しく鑑賞し、新たな短歌を詠む契機になればと思ってきました。
 そこには、それぞれの方の短歌作品を尊重し合い、巧拙を越えてお互いの作品から学びを
 深める謙虚さが必要なことも大切と思ってきました。お陰様で、このサロンは皆さんの
 ご協力と、ご支援を頂き、初心者で成長著しい方も現れ頼もしい限りと思っています。

 なお、伝統文学の先端に位置づけられる短歌も、若いメンバーも含めて、そのすそ野を広げ、
 「短詩型文学」の世界を深めていく一翼を担えればと思っています。その際、「口語、
 新仮名遣い」を前提にしながらも、「文語、旧仮名遣い」も、学びの対象として、また、
 新たな表現分野として、参考にしながら取り組んで行けたらと思っています。
 suisenさんには、引き続ご意見をお寄せ頂き、ご指導賜ればと思います。


     「未だ咲き残る 紫陽花」

【運営にあたって】 注)文頭から移しました。
 (1) 投稿期間は毎週水曜日から翌週火曜日17:00までと致します。
    注)投稿に当たっては、ご自身のブログのアドレス(url)も記入願います。
 (2) おひとり様 3首まで(1首でも可)コメント欄に投稿願います。
 (3) 口語短歌を基本としますが、文語混じりでも構いません。
   仮名遣いは新仮名遣いとし、旧仮名遣いは極力避けて頂ければ幸いです。
 (4) 投稿頂いた短歌は、そのまま掲載します。皆様から感想等頂ければ幸いです。
 (5) 作者名は投稿頂いたペンネーム等を、そのまま掲載します。
 (6) 掲載順序は、原則本ブログのコメント欄への到着順と致します。
 (7) 掲載された短歌の著作権は、投稿者に帰属します。
                       了
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再びの横浜プチ旅行

2022年07月16日 12時33分57秒 | お出かけ

 新型コロナウイルスの感染者は昨日15日、全国で新たに10万3311人確認され、前週の金曜日の5万95人から倍増しています。全国の新規感染者の合計が10万人を超えるのは2月5日以来とのことで、急速な拡大状況をみせています。
 政府のコロナ分科会の尾身会長は岸田総理大臣との面会後、「第7波というものに入っているということは、普通の常識ではそういうことなんだと思います」とこう述べたうえで、置き換わりが進む新型コロナウイルスのオミクロン株の新たな系統「BA.5」について、感染を防ぐには3密を避けるなど「従来やってきたことをもう一度、徹底する」必要があるとの認識を示しました。

 また、ワクチン接種などをさらに進めれば「まん延防止等重点措置」といった「行動制限は今の段階では必要ない」との考えを明らかにしました。そのワクチン接種も3回目を済まされた方の比率は、62.3%にとどまり、多くの方が未だ済ませた状況にはなっていませんので、細心の注意が必要と感じます。

 現在は、このように厳しい状況になっていますが、未だ感染拡大のなかった先週末三男からの誘いで、先月に続き、横浜への一泊のプチ旅行に細君共々行って参りました。
 実は、三男は家族で横浜のホテルを予約していましたが、急遽息子のリトルリーグの試合が入り、お嫁さん達が行けなくなったとの事での私たちに「良かったら行かないか」とのことになりました。先月開業したばかりのホテルとのことで、かつて恵比寿でこのホテルの良さを知っていた細君は行く気になり、この計画に賛同し細君共々行って参りました。

     「ウェスティンホテル横浜 全景」ネットより借用しました。

 ホテルは「みなとみらい21」地区の一角にある「ウェスティンホテル横浜」で、先月6月13日開業とのことで、外観も内装その他、すべてに真新しさを感じました。

部屋は20階でしたが、部屋のカードキーでエレベータを始めすべての施設が出入りが可能となり、セキュリティー等が万全でした。しかし、便利な反面カードキーが無いといずこにも行けない状態には当初なじめませんでした。

 このホテルは三男の所有するカードの関係で、プールやクラブラウンジが使えるとの事で、
チェックインしてすぐに細君とプールに向いました。ただ、当日は土曜日との事もあり当然
ご家族連れが多く、子供たちの楽しみを邪魔してはいけないと、サウナとシャワーを浴びて
この日は泳ぐのは控えめにし、早々に退出しました。部屋に戻って窓の景色を写真に撮りましたが、生憎の雨雲がたれ込める曇り空で、富士山も見えませんでした。晴れていれば富士山と共に朝と、夕景の素敵な眺望が楽しめそうです。

     「部屋のイメージ」ネットより借用しました。

 5時からクラブラウンジが使えるとのことで、三男、細君の三人でラウンジに向いました。
まず、シャンパンで乾杯し、あまり飲めない細君はソフトドリンクをチョイスし、好きな
オードブル等をお皿に盛ってきました。

     「ラウンジのイメージ」ネットより借用しました。

 お酒等に注意が向き、このラウンジの様子やオードブル等の写真はすっかり撮り忘れていました。ローストビーフ、チーズ料理等々、丁寧に味付けされたお料理が用意されており美味しかったです。私と息子はシャンパンやワインなどを結構頂き、久しぶりの情報交換も含めて会話を楽しむことが出来ました。
いつもより酒量がいったせいか、ラウンジから帰って部屋に戻ると窓外の夜景の素晴らしさに
感嘆したものの、その景色にゆったり浸る間もなく、息子共々すぐ寝入ってしまったようです。

 翌朝は、細君は5時前ぐらいに目が覚めたようですが、私も息子も途中目が覚め二度寝で
7時ころまで寝入っていました。朝食は3階のブラッスリー・デュ・ケで頂きました。バイキング方式でしたが、今までいくつかのホテルで頂いてきた朝食の中では、トップ水準とも言える美味しさと、内容でした。パンと飲み物も席で注文し、工夫を凝らした焼き加減やサイドも丁寧にセットされており、さらにサラダやお肉、お魚も神奈川県の地産品を厳選しており新鮮さも際立って感じました。
 いずれの料理も美味しくて見た目も可愛かったりで、細君も感嘆の声を漏らしていました。
一つ一つ撮れば良かったですが、こちらもすべて写真に収めきれませんでした。
なお、野菜や果物のスムージーも絶品で、細君はスフレもとても美味しかったとご機嫌でした。

 開業早々のこともあったかと思いますが、ホテルのスタッフの方たちは、とても優しくて
気配りが凄いと感じました。特に細君には色々声掛けをしてくれ、冷房で寒くないですかと
ブランケットをもってきてくれたりと、心遣いにさりげなさの中にも温かさを感じました。
 前日はプールで十分泳げないこともありましたので、朝食後少し休んでからプールに向いました。子供たちが入ってくる前にと、比較的早い時間だったこともあり、先客は若い一組がジャグジーでくつろいでいるだけで、プールは空いていました。

      「プールのイメージ」ネットより借用しました。

プールは私達二人だけでしたので、気持ちよくゆったりと泳ぐことが出来ました。細君は1,000m以上泳ぎましたが、私は600m程度に留めました。朝食後あまり時間をおかなかったこともあり無理をしない程度としました。
しばらくすると、家族連れが何組も入ってきましたので、サウナへ向かい早々に退出しました。

 このホテルのチェックアウトは午後4時とのことで、ホテルライフをゆったり楽しめる方式になっており、孫たちも一緒だとずっと楽しめそうです。プールから上がって少しホテル内を散策してみましたが、しつらえも重厚さの中に、木をふんだんに使った「和モダン」で統一され、設計者のセンスが随所に光っている印象でした。
おもいがけずに横浜の新しいホテルに宿泊出来、ゆったりとした寛ぎのひと時を過ごすことが出来、楽しく嬉しかったです。なお、息子家族も近々に再度予約する予定と聞き少し安心しました。

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「口語短歌・水曜サロンの会」(その43)

2022年07月13日 05時11分25秒 | 短歌
「口語短歌・水曜サロンの会」(その43)   短歌の投稿を歓迎します!!

  ☆☆☆ 明るく、楽しく、和やかな短歌の交流広場を目指したいと思います。  ☆☆☆
  ☆☆☆ 短歌の投稿と共に、投稿歌の歌評、感想、ご意見等もお寄せください。 ☆☆☆
  ☆☆☆ 緊急連絡!! 最近心無い「スパムメール」等がコメント欄に届いています。
       誠に心苦しいのですが、今後コメントは「許可制」にさせて頂きます。☆☆☆

 「口語短歌・水曜サロンの会」は、このブログにお立ちより頂いている皆様の詠まれた短歌を
 掲載し、その作品の鑑賞を行うサロンです。

 短歌の初心者の方から、ベテランの方まで、所属する短歌会等を越えて、自由に短歌を投稿し、
 鑑賞しあえる「賑わいのあるサロン」を目指したいと思っています。
 皆様の短歌の投稿と、歌評、ご意見等をお寄せ頂ければ幸いです。

【サロンの運営について】
 運営等につきましては、末尾に記させて頂きますので宜しくお願い致します。


     「咲き初める 宗旦むくげ」

「ブログ友の投稿短歌 交流コーナー」

【詞書】6月28日軽井沢レイクガーデンに再訪致しました。そして薔薇の花等写真撮影し、
    自宅に戻り写真を編集していたとき感じた素直な驚き、喜びを詠みました。
    昨年は生の風景、薔薇に感動しましたが、今年は昨年と違い、何故か写真に
    感動しています。
☆驚きは 写真が語る 薔薇の花 生命力に 力をもらう
☆バラ園で 写真を撮る 感動は 突然出会う 画家の花名

                         浅間山明鏡止水(knsw0805)さん
【詞書】6月28日フレグランスローズパス(香りの道)にフランス・デルバール社の
    グリマルディが綺麗に咲いて微笑んでいました。
☆鮮やかな 存在感の 確かさで バランスとれた 綺麗な絞り
                         浅間山明鏡止水(knsw0805)さん

【解説】
 軽井沢レイクガーデンの薔薇は、その薔薇園の素晴らしさとともに、一つ一つの
 薔薇も丹精を込めてお世話する庭師さんたちの想いも汲み、見事に咲き競って
 いますね。
 作者の薔薇への想いが、撮影した画像にも当然反映されたでしょうから、その画像に
 感動したのもうなずけます。自ら撮った写真に感動できるなんて凄い事だと思います。
 三首目に「グリマルディ」との薔薇の名を入れ、少し添削させて頂きましたが、
 いかがでしょうか。 
【ご参考】
 ★鮮やかに絞りいろどるグリマルディ 薔薇の家紋か 重き存在


【詞書】夜の女王 モーツァルト 魔笛 夜の女王のアリアより
☆夜の闇から生まれる怨みは
      人の限界を越えさせて進む

                         自閑(jikan314)さん
【短歌説明】自閑(jikan314)さんご自身の説明です。
 モーツァルト魔笛の夜の女王のアリア「復讐の炎は地獄のように我が心に燃え」は、
 ソプラノ曲の有名な難曲で、歌える歌手は世界で何人もいないと言われております。
 モーツァルトもこの超絶技巧で歌える歌手がいたから、曲を作ったのでしょう?
 田中彩子さんの歌も下記URLに貼付しておりますので、ご覧頂ければ幸いです。
 https://blog.goo.ne.jp/jikan314/e/86c303b6d23e4af808efdcb2344f1e4e
【投稿外コメント】自閑(jikan314)さんご自身のコメントです。
 今回も新古今和歌集を紹介します。
                         源頼政
 ★庭の面はまだかわかぬに夕立の空さりげなく澄める月かな
                         式子内親王
 ★ゆふだちの雲もとまらぬ夏の日のかたぶく山に日ぐらしの声
 これだけ暑いと、夕立が待ち遠しくなります。ゲリラ雷雨でなければ。
 源頼政は、鎌倉殿の13人にも、ちょっと出ましたが、以仁王を奉じて、平家に反乱を
 仕掛けましたが、発覚して、あえなく宇治で戦死しております。鵺退治の武勇や和歌にも
 精通していた文武両道の武人でした。
 式子内親王は、百人一首の恋歌でも有名ですが、実は、以仁王の同母姉です。
 両歌とも、印象的な名歌だと思います。

【解説】
 「夜の女王」は、モーツァルト作曲のオペラ『魔笛』の中で、ソプラノによって
 「復讐の炎は地獄のように我が心に燃え」と歌われる、アリアであったと思います。
 アリアは2つからなりたっているようですが「超絶技巧を要する」この曲が有名になりましたね。
 ユーチューブも拝聴させて頂きましたが、田中彩子さんのソプラノも声量も含めて圧巻ですね。
 なお、新古今和歌集の源頼政、式子内親王の「夕立」にちなんだ短歌を紹介頂き
 ありがとうございました。このような切口で短歌を学んで行くのもいものですね




【詞書】他の方のブログに、私宛のコメントが書かれていました。記した方への警告も
    兼ねて詠ってみました。
    「なりすまし」のコメント記入は卑劣極まる行為であることを警告します。
 ★わたくしに宛てたコメント書かれゐる他の方のブログコメント欄に
 ★わたくしと同窓生しか知り得ざることが書かれたコメントである
 ★わたくしと同窓生を貶めて信用なくさせるためのコメント

                         水仙さん

【解説】
 ブログへの誹謗中傷は最近は少し止んでいるようですが、作者のご友人のブログへ
 本人に「なりすまし」てコメントするという卑劣な行為が、かの方によってなされた
 ようです。IPアドレス等を含めて諸々の情報から書いた方の特定は可能ですが、現在の
 ブログの運営システムからは残念ながら不可能です。しかし、作者は書かれた機微情報等を
 含めて、内容からある程度推測できたと言われていました。
 こんな思いから詠われた詠歌は、このような卑劣な行為を繰り返す方への少なからぬ
 警告になったと考えます。


☆たのしみは ガラスの向こう芝に来る 雀のチョンチョン跳ぶをみるとき 
☆たのしみは 時折メジロ飛んできて パシャパシャ水浴びするをみるとき
☆たのしみは 笑む幼子と目が合いて 暑さもわすれふと和むとき

                         shima-千恵子さん
【説明と質問】shimaさんご本人のものです。
 一首目は最初に「飛ぶ」と書き、芝の上なので「跳ぶ」に変えたようですがはたして?…。
 二首目は庭の小さいバードバスでの水浴びのオノマトペをパシャパシャ以外にも
 色々と考えたようですがメジロの大きさからパシャパシャにしたようです。はたして?…。
 三首目はスーパーからの帰り道に出会った女の子の笑顔についほっこりと…、
 というところでしょうか…。

【解説】
 日常の片隅にある題材に詩情をみる「独樂吟」の良さが、表現された詠歌と思います。
 なお、一首目は「跳ぶを」の表現が効いていると思います。芝生の上を跳ねる雀の姿が
 鮮やかに目に浮かびますので、この表現で好いと思います。二首目の「パシャパシャ」も、
 目白の大きさと水浴びの様子から適切な表現であったと思います。
 いずれも作者の観察眼と感性の光る、ほのぼのとした良い詠歌と思います。


☆藍色に岬縁どる紫陽花は 空と海とを淡く繋げて
                         ポエット・M

【解説】
 三浦半島の東端に位置する観音崎。その岬を縁取るように群生する紫陽花の花群れが
 終焉の輝きを見せています。既に枯れかかる花もありますが、未だ花芽を伸ばし
 藍色への変化も見せてくれます。正に群青の海と、紺碧の空の間をグラデーションで
 繋ぐように、岬を彩る紫陽花の群生に改めて魅入りました。接ぎ木を繰り返し、ここまで
 育てた公園管理者やボランティアの方々の尽力を、影ながら応援してきた一人として
 感慨も一入です。そんな思いも込めて詠ってみました。




「五行詩」「痛みの変奏曲」鑑賞 (44)
 11.富士山(1)


   わたしは山に向って目をあげる
            『詩篇』

   あの森が
     青木ヶ原の
        大樹海
      富士に死にたき
          心が疼く

    安らかに
      眠れ樹海の
         霊たちよ
       死者を裁ける
          生者はあらず

      君の住む
        町のごとくに
           いとおしく
         富士に見おろす
            夜の街灯り

     富士山に
       仰ぐも哀し
          天の川
         あれが織姫
           あれは彦星

    我は立つ
      富士山頂の
         剣が峰
       三千七百
         七十六メートル



     「オリエンタル・リリー」
   

【短歌入門・質問・提案コーナー】
 この「水曜サロン」に集う皆様の直近のコメント等に記された、短歌を作るうえでの
 ヒント、 さらに質問、諸々の疑問点等にいて、触れていきたいと思います。
 皆様からのご提案、歌評、さらに素朴な疑問も含めて、コメント欄にお寄せ頂ければ
 幸いです。
 なお、私の「質問への回答」は、あくまでも一つの「解」でありますので、他の回答、
 反論、ご意見等もありましたら、このコーナーで大いに議論して参りましょう。
 それが学びに繋がれば嬉しい限りです。

【サロン参加者からのご意見】前週に引き続き掲載致します。
 suisenさんからのコメントですが、皆さんのご参考になればと掲載いたします。

 文語と口語、旧仮名遣い、新仮名遣いの問題は、古くて新しい問題でございますね。
 私の所属しています塔は元々口語、現代仮名遣いが結社の基本方針でございましたが、
 いつのまにやら文語、旧仮名遣いの人が増えて、現在は半々くらいかもしれません。
 前主宰永田和宏氏自身、数年前に現代仮名遣いから旧仮名遣いにしましたから今でも
 短歌界での旧仮名遣いは根強いようでございます。私自身短歌を始めました時、
 当時の先生に新仮名遣いを勧められましたが、私自身は旧仮名遣いを選択いたしました。
 やはり伝統の詩形である短歌には旧仮名遣い文語が合うと感じたからでした。

 文語と口語は、現代は折衷でよいのではないかと思っています。会話体などは口語で
 詠ったほうが生き生きしますが、駆体の部分は、従来どおり文語にしたほうが歌が
 締まると私自身は感じておりますから。締まるということと同時に、文語で
 表現したほうが短く詠い収めることができる利点もあると思っております。
 たとえば、口語なら「見せる」というところを文語であれば「見す」と短く表現できます。
 これは文字数制限のある短詩形文学では大きい利点だと思います。

 長々書きましたが、私が文語、旧仮名遣いを選択する理由でございます。
 しかし、文語、旧仮名遣いを強制しますと、短歌への敷居が高くなりますから、
 まずは新仮名遣い口語で短歌に馴染んでもらって追々個々の文体を選択されたらと
 私自身は思っております。
 以上、水曜短歌サロンの主旨とは異なりますが、私個人の考えを述べさせていただきました。
【ご意見へのコメント】
 suisenさんのコメントについてのポエット・Mのコメントです。

 suisenさんの貴重なご経験に裏打ちされた想い、さらにご提案も頂きありがとうございます。
 記紀万葉、さらに古今、新古今集の時代から1300年余の歴史を持つ、和歌、短歌の表記は
 おっしゃるように「古くて新しい問題」と私も思っています。
 また、所属する短歌会や、結社の方針もそれぞれあり、一筋縄ではいかないことも十分
 理解しております。そのうえで、この「水曜サロン」は、「口語、新仮名遣い」を前提に
 短歌の交流サロンとして、共に学んできた経緯があります。

 また、短歌の初心者の方も含めて、様々な歌歴を持つ方が、フラットの立場で短歌を中心に
 意見を交流し合い、短歌を楽しく鑑賞し、新たな短歌を詠む契機になればと思ってきました。
 そこには、それぞれの方の短歌作品を尊重し合い、巧拙を越えてお互いの作品から学びを
 深める謙虚さが必要なことも大切と思ってきました。お陰様で、このサロンは皆さんの
 ご協力と、ご支援を頂き、初心者で成長著しい方も現れ頼もしい限りと思っています。

 なお、伝統文学の先端に位置づけられる短歌も、若いメンバーも含めて、そのすそ野を広げ、
 「短詩型文学」の世界を深めていく一翼を担えればと思っています。その際、「口語、
 新仮名遣い」を前提にしながらも、「文語、旧仮名遣い」も、学びの対象として、また、
 新たな表現分野として、参考にしながら取り組んで行けたらと思っています。
 suisenさんには、引き続ご意見をお寄せ頂き、ご指導賜ればと思います。



【運営にあたって】 注)文頭から移しました。
 (1) 投稿期間は毎週水曜日から翌週火曜日17:00までと致します。
    注)投稿に当たっては、ご自身のブログのアドレス(url)も記入願います。
 (2) おひとり様 3首まで(1首でも可)コメント欄に投稿願います。
 (3) 口語短歌を基本としますが、文語混じりでも構いません。
   仮名遣いは新仮名遣いとし、旧仮名遣いは極力避けて頂ければ幸いです。
 (4) 投稿頂いた短歌は、そのまま掲載します。皆様から感想等頂ければ幸いです。
 (5) 作者名は投稿頂いたペンネーム等を、そのまま掲載します。
 (6) 掲載順序は、原則本ブログのコメント欄への到着順と致します。
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今年初めての「月下美人」咲く

2022年07月08日 20時12分56秒 | 作詞、ユーチューブ

 本日午前11時半頃、安倍元総理は奈良県にて参院選に向けての演説中に狙撃され
心肺停止の状態で大学病院に搬送されました。
 一方、現場では、かつて海上自衛隊に所属していた奈良市の山上徹也容疑者(41)が
殺人未遂の疑いで逮捕されました。山上容疑者は手製の拳銃のようなもので安倍元総理を
銃撃していて、今後、取り調べを通じて動機等を解明する方針とのことです。
その後、安倍元総理は入院先の病院で17:03死亡が確認されました。
どんな事由があるにせよ、暴力で言論を封殺し、民主主義の根幹でもある選挙戦の最中、
政治家に向けて問答無用の殺人という蛮行は、あってはならないし個人としても強く
非難致します。
改めて故人のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。

 こんな状況下で、花の話は恐縮ですが…。
今年初めて、我が家の月下美人が過日一輪開花しました。当初、花芽は5輪ほど付いていましたが、折からの熱波に負け、次々と花芽を散らし一輪を残すのみとなりました。
昨年11月、咲き終わった月下美人を、細君がその幹と葉をかなり大胆に選定しましたので、
開花はかなり遅れるとの予測がありました。しかし、6月中旬に幾つかの花芽を見つけた時は、正直ホッとした記憶があります。

 ちなみに、つぼみは18時過ぎに綻びはじめ、21時過ぎには7~8割りの開花となりました。
このころには、月下美人特有の芳醇で甘やかな香りが漂い始めます。 22時頃にはほぼ満開となり香りも、 風姿も雅な花が圧巻のオーラを放ち、しばらくは見惚れていました。そして、日の変わる24時過ぎには早、萎み始めました。

 細君の丹精故でもありますが、年々歳々咲いてくれる花ですが、見るたびに新たな魅力を
見出し、惹きつけられる花は他にあまり例がありません。 それはわずか数時間にも満たない
花の命を、装いを極め懸命に咲く、その花の見事さ故かもしれません。 正に、開花の刹那に
命の限りを尽くす、孤高の花の矜持と、生きざまに諭される思いです。 サボテンにも似た
月下美人の平板な葉を改めて眺めると、あの大輪の花を育む造化の不思議を今更ながら感じます。


 この月下美人の儚げでいながらも、凛とした花のたたずまいを「詞」紡ぎ、かつてYokiさんに素敵なオリジナル曲を作曲して頂きました。先に、Yokiさんのユーチューブで公開して頂き、このブログでも一度紹介いたしましたが、今年初めての開花に合わせて、再度掲載させて頂きます。

 「月下美人の香り」
     作詞  :ショー・ジロー
     作曲&歌:yoki

 画像をクリックしますと「Youtube」を視聴できます。



  1.
   宵闇に ひらきはじめた   月下美人  
   甘い香りを漂わせ   一夜限りの命としらず  
   闇にのびゆく花びらは   炎のように揺れている   
   憂いもつ君に君に似て   その刹那に命を燃やす

  2.
   花びらの 白さ際立つ   月下美人  
   雅な香り漂わせ   一夜限りの夢に酔う  
   闇を切り裂く花びらは   炎のように燃えている   
   儚さは君に君に似て   その刹那に命を燃やす

  3.
   花びらが 耀き放つ   月下美人  
   深い香りを漂わせ   一夜限りのものがたり
   闇を照らせる花びらは   炎のように 凛として   
   気高さは君に君に似て   その刹那に命を燃やす


 *************************************
 月下美人の花言葉は「艶やかな美人」「はかない恋」だそうです。
 なお、拙い詩ですが、著作権は放棄していません。
 無断転載等はご遠慮願います。転載いただけるのであれば、あらかじめ当方へ
 連絡を頂き「ポエット・M」の作者名を明記して頂ければ嬉しいです。
 *************************************

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「口語短歌・水曜サロンの会」(その42)

2022年07月06日 05時24分19秒 | 短歌
「口語短歌・水曜サロンの会」(その42)   短歌の投稿を歓迎します!!

  ☆☆☆ 明るく、楽しく、和やかな短歌の交流広場を目指したいと思います。  ☆☆☆
  ☆☆☆ 短歌の投稿と共に、投稿歌の歌評、感想、ご意見等もお寄せください。 ☆☆☆
  ☆☆☆ 緊急連絡!! 最近心無い「スパムメール」等がコメント欄に届いています。
       誠に心苦しいのですが、今後コメントは「許可制」にさせて頂きます。☆☆☆

 「口語短歌・水曜サロンの会」は、このブログにお立ちより頂いている皆様の詠まれた短歌を
 掲載し、その作品の鑑賞を行うサロンです。

 短歌の初心者の方から、ベテランの方まで、所属する短歌会等を越えて、自由に短歌を投稿し、
 鑑賞しあえる「賑わいのあるサロン」を目指したいと思っています。
 皆様の短歌の投稿と、歌評、ご意見等をお寄せ頂ければ幸いです。

【サロンの運営について】
 運営等につきましては、末尾に記させて頂きますので宜しくお願い致します。



     「ジャーマンアイリス」

「ブログ友の投稿短歌 交流コーナー」

【詞書】6月25日軽井沢レイクガーデンに行って来ました。今年も4つのガーデンが
    満開に咲いていました。レイクガーデンは旧名レマン湖でした
☆レマン湖は 初夏の日差しに 囲まれて 薔薇の庭園 光り輝く
                         浅間山明鏡止水 (knsw0805)さん
【詞書】フレグランスローズパスは別名「香りの道」です。
☆ローズパスは ミルラの香り 包まれて 今が盛りと 咲き誇れるも
                         浅間山明鏡止水 (knsw0805)さん
【詞書】昨年から気になっていた飛び切り美人の庭師といつも会話するのが秘かな楽しみです。
☆小綺麗な 庭師の人に 尋ねるも その人を指す 可憐な花名
                         浅間山明鏡止水 (knsw0805)さん

【解説】
 軽井沢レイクガーデンもいよいよ薔薇の季節を迎えましたね。
 これからも、シリーズで薔薇のトンネルと、むせかえるような薔薇の香りを
 表現した短歌を期待したいと思います。
 「飛び切り美人の庭師」さんとの、物語への展開が楽しみですが「可憐な花名」は
 レディ・オブ・シャーロットとのこと。三首目を添削させて頂きました。
 字余りですがいかがでしょうか。
【ご参考】
 ★薔薇の名はシャーロットです…と ほほ笑みて 我に告げたる庭師のえくぼ




☆わたくしを訴へるとぞ言ふ人よ受けて立ちます必要ならば
☆高学歴美人のあなたに憧れてナイトとなれる男あはれむ
☆爺などと名乗り女を騙しつつ実は男盛りの男よ

                         suisenさん 

【解説】
 出詠された短歌は、未だ続く作者への「誹謗中傷」のコメントへの怒りが滲む
 詠歌ですが、特に三首目は、そのコメント記入者への怒りが露わになっています。
 このような歌も、自らの「魂鎮め」として詠わざるを得ない状況を改めて理解したい
 と思います。
 あいかわらず「匿名」さんも含めて、いやがらせのコメントが届いているかと
 思いますが、先ずはスルーする事が解決策の第一歩かと思います。

 「フェークニュース」も含めて、誹謗中傷コメントのまん延は残念ながらネット社会の
 負の側面です。それらを発信する方に、この場をお借りし改めて申し上げます。自らの
 心を貧しく寂しくする行為は慎んでください。この行為は誰をも幸せにしませんので…。


     「山百合の花」     

☆たのしみは 雨降りしきり吾ひとり どきどきわくわくページ繰るとき
☆たのしみは このメロディーはあのシーンと 胸熱くしてCDを聴くとき
☆たのしみは ポストの中に君からの 嬉しい便り手にし読むとき

                         shima-千恵子さん

【解説】
 作者の絵手紙の素晴らしさは言うまでもありませんが、そこに添えられたshimaさんの
 コメントは、さながら絵手紙と響き合う「詩」の趣を感じます。お二人で長い歳月を
 かけて培ってこられた「絆のアート化」と表現できるかと思います。
 今回も、独樂吟のつくる世界観にどっぷり浸りつつ、その表現の自在さを改めて感じ、
 学ぶことが出来ました。


【詞書】上を向いて
☆昨日より今日
     今日より明日
  みんな貧しかったけど
     上を向いて

                         自閑(jikan314)さん
【短歌説明】自閑(jikan314)さんご自身の説明です。
 YouTubeを見ていて、坂本九さんの「上を向いて歩こう」で短歌を作りました。
 この時代、みんな貧しかったけど、昨日無かったテレビが今日届く。明日には、伯父の車で
 ドライブと、日々生活が良くなるのを実感していました。
 今は、その当時からするとすごく金持ちですが、今日より明日、自分の生活が悪くなって
 いる気がします。上ではなく、下ばかり見ています。
 当時はそれほど良い訳ではなく、単に悪い事を忘れている、悪い事は子には感じさせず、
 親が頑張ったのかも知れませんね😃
 下記URLに、坂本九さんの歌と当時の映像を貼付しておりますので、昔を思い出して
 頂ければ幸いです。
 https://blog.goo.ne.jp/jikan314/e/91c390bd4e0ed5f95f772bce728b7710
【投稿外コメント】自閑(jikan314)さんご自身のコメントです。
 今回も新古今和歌集を紹介します。
 これだけ連日暑いので、涼むという歌で、大好きな西行の歌
  ☆道の辺に清水流るる柳かげしばしとてこそ立ちとまりつれ
  ☆よられつる野もせの草のかげろひてすずしく曇る夕立の空
 一首目は、教科書にも掲載しているので、ご存知の方もいらっしゃるかと。散歩途中でも、
 水分補給を兼ねて喫茶店でも涼んで行こうかなと思います。
 二首目は、暑さで撚れている草木も私も夕立の予感がする曇りで、期待が高まりますね。

【解説】
 坂本九さんの「上を向いて歩こう」は、おっしゃるように「今日より明日が輝いて」
 みえる、また「希望をもって明日を迎える」ことが出来た時代の、空気感を良くとらえて
 いたと感じます。大地に足をしっかと踏ん張りつつ「上を向く」ことが、今私たちにも
 求められているのかも知れませんね。
 なお、この「上を向いて歩こう」はアメリカ合衆国のビルボード誌で、1963年6月15日付に
 おいてHot 100週間1位を獲得し、当初は日本より、アメリカでヒットし話題となりました。

 また、今の季節にふさわしい西行の歌を紹介いただきありがとうございます。
 「すずしく曇る夕立の空」の表現は西行ならではの、巧さと詩情がありますね。


☆散りてなお 光りまとうや沙羅の花 無常にまけぬ抗いも秘め
                        ポエット・M
【解説】
 時々訪れる遊歩道の脇に、梅雨の雫をまとう沙羅の木が何本か植えられ、その花の散る様に
 出会いました。
 沙羅の花は朝に開花し、夕べに散るひと日花ですが、散った後も仄かな輝きをたたえており
 「地に咲いている」かの錯覚に囚われます。それは「一切は常に変化し、不変のものはない」との
 無常の理(ことわり)に抗いを示すように、滅びゆくものの終の輝きを放っているかにみえました。
 そんな花の秘める、かすかではあるものの凛とした矜持を詠んでみました。



     「沙羅の花 夏椿」

「五行詩」「痛みの変奏曲」鑑賞 (43)
 10.愛の亡霊(4)


    我がドッペルゲンガー
            『ハイネ』
     注)ドッペルゲンガー(独: Doppelgänger)とは、自分自身の姿を自分で
       見る幻覚の一種で、「自己像幻視」とも呼ばれる現象です。

   君ゆえに
     愛も希望も
        信仰も
      消えてはかなく
         ただ泣く我れよ

    さめざめと
      泣けばミューズの
            神の声
       「我れは涙の
          中にあり」とぞ

      歌詠みて
        我れは命を
           ながらえん
         千一夜の
           女王のごとく

     歌詠みて
       命ながらう
         この我れに
        シェーラザードの
            霊よ溢れよ

    ああ神よ
      なにゆえ人に
          永遠を
       思う思いを
         与え給いし



     「咲き残る 紫陽花」

   
【短歌入門・質問・提案コーナー】
 この「水曜サロン」に集う皆様の直近のコメント等に記された、短歌を作るうえでの
 ヒント、 さらに質問、諸々の疑問点等にいて、触れていきたいと思います。
 皆様からのご提案、歌評、さらに素朴な疑問も含めて、コメント欄にお寄せ頂ければ
 幸いです。
 なお、私の「質問への回答」は、あくまでも一つの「解」でありますので、他の回答、
 反論、ご意見等もありましたら、このコーナーで大いに議論して参りましょう。
 それが学びに繋がれば嬉しい限りです。

【サロン参加者からのご意見】前週に引き続き掲載致します。
 suisenさんからのコメントですが、皆さんのご参考になればと掲載いたします。

 文語と口語、旧仮名遣い、新仮名遣いの問題は、古くて新しい問題でございますね。
 私の所属しています塔は元々口語、現代仮名遣いが結社の基本方針でございましたが、
 いつのまにやら文語、旧仮名遣いの人が増えて、現在は半々くらいかもしれません。
 前主宰永田和宏氏自身、数年前に現代仮名遣いから旧仮名遣いにしましたから今でも
 短歌界での旧仮名遣いは根強いようでございます。私自身短歌を始めました時、
 当時の先生に新仮名遣いを勧められましたが、私自身は旧仮名遣いを選択いたしました。
 やはり伝統の詩形である短歌には旧仮名遣い文語が合うと感じたからでした。

 文語と口語は、現代は折衷でよいのではないかと思っています。会話体などは口語で
 詠ったほうが生き生きしますが、駆体の部分は、従来どおり文語にしたほうが歌が
 締まると私自身は感じておりますから。締まるということと同時に、文語で
 表現したほうが短く詠い収めることができる利点もあると思っております。
 たとえば、口語なら「見せる」というところを文語であれば「見す」と短く表現できます。
 これは文字数制限のある短詩形文学では大きい利点だと思います。

 長々書きましたが、私が文語、旧仮名遣いを選択する理由でございます。
 しかし、文語、旧仮名遣いを強制しますと、短歌への敷居が高くなりますから、
 まずは新仮名遣い口語で短歌に馴染んでもらって追々個々の文体を選択されたらと
 私自身は思っております。
 以上、水曜短歌サロンの主旨とは異なりますが、私個人の考えを述べさせていただきました。
【ご意見へのコメント】
 suisenさんのコメントについてのポエット・Mのコメントです。

 suisenさんの貴重なご経験に裏打ちされた想い、さらにご提案も頂きありがとうございます。
 記紀万葉、さらに古今、新古今集の時代から1300年余の歴史を持つ、和歌、短歌の表記は
 おっしゃるように「古くて新しい問題」と私も思っています。
 また、所属する短歌会や、結社の方針もそれぞれあり、一筋縄ではいかないことも十分
 理解しております。そのうえで、この「水曜サロン」は、「口語、新仮名遣い」を前提に
 短歌の交流サロンとして、共に学んできた経緯があります。

 また、短歌の初心者の方も含めて、様々な歌歴を持つ方が、フラットの立場で短歌を中心に
 意見を交流し合い、短歌を楽しく鑑賞し、新たな短歌を詠む契機になればと思ってきました。
 そこには、それぞれの方の短歌作品を尊重し合い、巧拙を越えてお互いの作品から学びを
 深める謙虚さが必要なことも大切と思ってきました。お陰様で、このサロンは皆さんの
 ご協力と、ご支援を頂き、初心者で成長著しい方も現れ頼もしい限りと思っています。

 なお、伝統文学の先端に位置づけられる短歌も、若いメンバーも含めて、そのすそ野を広げ、
 「短詩型文学」の世界を深めていく一翼を担えればと思っています。その際、「口語、
 新仮名遣い」を前提にしながらも、「文語、旧仮名遣い」も、学びの対象として、また、
 新たな表現分野として、参考にしながら取り組んで行けたらと思っています。
 suisenさんには、引引き続ご意見をお寄せ頂き、ご指導賜ればと思います。



【運営にあたって】 注)文頭から移しました。
 (1) 投稿期間は毎週水曜日から翌週火曜日17:00までと致します。
    注)投稿に当たっては、ご自身のブログのアドレス(url)も記入願います。
 (2) おひとり様 3首まで(1首でも可)コメント欄に投稿願います。
 (3) 口語短歌を基本としますが、文語混じりでも構いません。
   仮名遣いは新仮名遣いとし、旧仮名遣いは極力避けて頂ければ幸いです。
 (4) 投稿頂いた短歌は、そのまま掲載します。皆様から感想等頂ければ幸いです。
 (5) 作者名は投稿頂いたペンネーム等を、そのまま掲載します。
 (6) 掲載順序は、原則本ブログのコメント欄への到着順と致します。
 (7) 掲載された短歌の著作権は、投稿者に帰属します。
                       了
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「コンピュータ・ソフトウエア開発と短歌」

2022年07月03日 12時14分06秒 | 短歌

 本稿は、ある冊子の編集部の求めに応じて「高齢化時代に生きる」への
 所見として纏めたものです。以前に本ブログに載せたものと若干ラップ
 しますが、ご覧頂ければ嬉しいです。


 私達は戦後に生を受け、昭和、平成、さらには令和の時代に生きながらえて参りました。
思えば昭和の戦後史を、そのまま身体に刻んできた世代とも言えます。
人生百年時代とも言われますが、健康余命を考えると、その終焉は目前と言える今、自らの来し方の一端を意識ある内に記し「高齢化時代に生きる」一助になれば幸いと思っています。

 私は総合電機メーカーの本社に入社し、コンピュータ事業部に所属して以来、コンピュータの黎明期から四〇年余にわたって、主にホスト(大型)コンピュータのソフトウエア開発業務に関わって参りました。
 また、コンピュータと言うデジタルの世界に身を置きながら、アナログの象徴とも言われる
「短歌」にも取り組んで参りました。「短歌周辺」「青青短歌会」という二つの短歌会に、同人として参加し、短歌の基礎を学び、「歌人クラブ」という全国組織にも推薦され加わり「現代万葉集」等への短歌の掲載も行って参りました。その過程で新元号「令和」の出典となった「万葉集」や「新古今和歌集」「源氏物語」等にも親しみ、多くの和歌から民族詩の源流等を学ぶことが出来ました。

 その流れの中で、個人的な興味もあり、パソコンを使っての「短歌作成システム」の開発にも取り組んでみました。当時はAI技術も未だ確立されていない時代でしたので、短歌の素材となる五音、七音の語彙で基礎となるデーベースを構築し、新たに入力した言葉と、季節、生活、花、歴史等の変数を加味・混合し、パソコンの確率算定機能を駆使して、自然文の合成を行うという初歩的なロジックのシステムでした。この開発は個人的に仕事を離れて、休日等を用いて構想とは別に、実質三か月ほどを費やしました。

 この経緯と結果は、私の短歌の師でもありました野村泰三氏との共著論文として月刊誌「短歌現代」(一九八五年二月号)に発表させて頂きました。歌壇からは少なからぬ好意的な反応もあったものの、大半は激しい批判の嵐に見舞われました。
曰く「コンピュータなどを使って、伝統のある短歌を製作するとは何事か・・・等々」。
結果的には第二弾のシステム開発は断念せざるを得ませんでした。その過程で、もう一人の短歌の師と仰ぐ紅林茂夫氏の「短歌は作り出すものではなく、内奥の叫びが昇華し生まれいずるもの」との教えに、深く魂を揺さぶられる思いがしました。
師の勧めもあり「月の歌人」と言われる明恵上人の短歌を、改めて深く学ぶ機会を与えられ、短歌の神髄に少し触れる想いが致しました。

 そんな中で、四十代の後半に、構成メンバーが百二十名を越える携帯電話iモード関連の
ビックプロジェクトの統括マネージャーを拝命しました。ご存知の方も多いと思いますが、iモードとは携帯電話を用いて、インターネット を経由し、どこからでもコンピュータに繋がる技術です。今では当りまえの技術ですが、当時としては世界初の技術であり、画期的な夢のシステムでもありました。受注総額五〇億円超のプロジェクトで、ミレニアムを挟む三年余にわたる業務は、私自身のビジネスマンとしての在り方、生き方が問われる厳しいものでした。

 プロジェクトマネージャーとして開発の第一線に立ち、客先や開発会社とは技術、納期、予算面等々からバトルにも似た激しい折衝を重ねて参りました。その流れで納期死守の観点から、今では許されませんが、メンバーには月150時間余の残業を強い、自らもその渦中に身を置きながら業務を遂行して参りました。
 システム開発の最盛期はウイークデーの大半を、ウオーターフロントのオフィスに籠城し「不夜城の城主」との揶揄もされました。業務の過酷さ、客先からの無理難題等もあり、信頼する直属の部下のチームリーダーや、ホープの若手技術者の退職等が重なる辛く厳しい経験も致しました。統括マネージャーとして自らの力量不足を反省する日々が続き、自ら吐く言葉に刺々しさが増し、時として愕然とする思いに陥ることがありました。

 そんな日々の中、たまに帰れる終電車に飛び乗り、通り過ぎた駅の灯かりが一つ一つ消えていく時、下手な短歌がこぼれる様に生まれる場面がありました。また、コーヒーブレークに、メモを片手に短歌の三十一音律に思いの一端を吐き出す。それは、ささやかな癒しでもありました。さらに、細君の献身的なサポートも痛む心を支え続けてくれました。このような状況下で生まれた短歌群から、三首を自選し紹介致します。
 ☆もの創る誇り支えに開発の 現場に一人 修羅として立つ
 ☆命をも人生さえも賭けてなお 悔い無き仕事とつぶやきてみる

  ※この短歌は石川啄木の短歌「こころよく我にはたらく仕事あれそれを
   仕遂げて死なむと思ふ」への返歌として詠んだものです。
 ☆くちなしの匂い仄かに漂えり 眠り忘れし石の街にも

 三年余にわたる綱渡りにも似た苦闘の末、所定の納期と品質でプロジェクトを完成し、なんとか納品することが出来ました。その打ち上げパーティーで、開発会社の代表の一人として挨拶する機会が与えられましたが、開発を共に担ったメンバーと共に、その達成感と充実感に満ちた至福のひと時を改めて味わい、分かち合うことができました。これは、私の半生でも戦友、さらには、生涯の友を得る貴重な体験となりました。この友らとの交流は今でも続いています。

 当時のコンピュータ業界、特に携帯電話関連のシステム開発に関わる業界は、生き残りをかけたし烈な競争下にありました。二年前の技術は既に陳腐化し、日々の進化が求められる状況。その中で進化し自己変革ができない企業と技術者は間違いなく淘汰されていきました。

 消耗戦といえる過酷な状況は、まさにブラックと言える状況ですが、世に喧伝されるブラック企業か、否かを分けるキーワード。それは「使命感を支える誇りをメンバー自身が持ちうるか否か、その成長と進化を促すリーダーの指導と、メンバーを使い捨てにしない熱い心くばりが、そこに存在するか否か」だと考えます。
 個人的なホームページに載せた短歌とエッセーは、そのような状況下で紡ぎだされた「つぶやき」や「うめき」の集積でした。これら自作短歌を歌集として出版することは、当初は考えていませんでした。しかし、汎用コンピュータの黎明期から過酷な開発現場の状況に耐え、先端技術の創造に果敢に挑戦し、今日のIT産業隆盛の礎を作った技術者達。多くはその名前さえ記されず技術開発の闇の中に埋もれていく「地上の星」と言える彼らの崇高な歩み。その一端でも、この著書を通して記すことができればとの思いから、出版を決意しました。また、細君からの勧めも背中を押してくれました。

 歌集の名称は、私の作詞した曲名より採りました。その歌詞は過酷な業務の中で傷ついた心を抱える、同僚たちへのエールとして紡いだものでした。ネットに載せた歌詞がたまたま、工藤慎太郎さんの目に留まり、彼のアルバム「ふたつでひとつ」でCD化されました。
彼は第三九回日本有線大賞において新人賞を受賞した若手有望歌手ですが、ライブ等では今でも歌い継がれていると伺っています。

 その後遭遇した、多くの過酷な開発プロジェクトで、共に戦うシステムエンジニア達のもつ誇りに触れ、自らの覚悟と志を改めて自問して参りました。
その厳しさ、誇らしさを短歌に表現する。その営みのなかで、カタルシスと共に、癒しも味わい、新たな活力を得てきました。
 そこから短歌は厳しい状況に立ち向かう、一つの糧であり武器になることを実感して来ました。そして、ノーベル文学賞作家、大江健三郎氏の唱える「文学の持つ魂の治癒力」の一翼を、短歌も担い得ることを、実感として学ぶことができました。今後も、短歌や作詞を通して、後輩たちへエールを送れればと思っています。
 なお、2016年5月に長野県情報サービス振興協会に招かれ「コンピュータ・ソフト開発と短歌」との演題で、一時間ほどの講演をさせて頂きました。郷里の先輩諸兄へのささやかなエールになったら幸いと思っています。
                             了

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